第22話 「遺跡の沈黙 上」

文字数 4,101文字

 しばらくその場を静寂が支配した。
 そんな中、怪物の亡骸の前に立つナトが崩れ落ちた。

「ナト!」

 オーハンスが「マイク」を走らせてナトに駆け寄る。
 その近くで止まると、アメリオと共に下馬して、ナトを介抱する。

 呼吸はしている。顔も穏やか。
 どうやら、疲れているだけのようだ。

「君たちは……」

 ハルトマンが、剣に手をかけてオーハンスたちを伺う。

「こいつの旅仲間。そっちは、何だ」
「僕は……」

 チラリと、ナトを見る。

「……僕は、ハルトマン・オールドコイン。この男……ナトの……敵ではない」

 そう言うと、ハルトマンは懐から水筒を取り出し、オーハンスに手渡した。
 不思議そうに水筒を見て、「これは?」と尋ねるオーハンス。

「薄めた気つけ薬だ。それを飲ませればじきに目を覚ます」

 オーハンスがナトの口に水筒の中の液体を流し込むのを確認して、ハルトマンは怪物の死骸を見た。
 そこには、ドロドロと黒い液体となって溶けていく怪物があった。
 そして――その体からは、青白い炎が微かに上がっている。

「……君、手伝ってくれ」
「私?」

 ハルトマンが、アメリオに声をかける。

「この世界では、生き物が死ぬと暴れ始める。そうなる前に、解体するんだ」
「……そういえば」

 アメリオは、ナト達と出会った洞窟での出来事を思い出した。
 怪物に殺された馬――カイロスが、蘇って暴れ始めた……と、以前ナト達に聞いた。
 気絶していたため、見たことはなかったが。

「図体が大きいほど余裕はあるが……早めに処置をするに越したことはない。このナイフで、適当に切り刻んでくれればいい」
「わかったわ!」

 アメリオは、渡された長めのナイフを持って、怪物の死体に近づいた。
 黒く爛れたそれを興味深そうに観察し、躊躇なく刃を突き立てて、切り刻んでいく。

 ハルトマンがそれに加わろうとすると、廊下から再び足音が聞こえてきた。
 そちらへ目を向けると、軽く汗をかいたチェットが現れた。

「チェット……」
「ハルト! よかった、無事で……」

 黒髪を揺らして、チェットがハルトマンに駆け寄り、大事がないか体を観察して、安堵の息を漏らす。

「どうして君が、ここに……」
「嫌な予感がしたの。でも、無事な様でよかった」

 嘘をつけ、とオーハンスは心の中で呟いた。
 花畑での一件を、彼は忘れていなかった。

 それにしても、本当に知り合いだったとは。
 青年の方は本当に敵では無いのだろうか。それともあの女の裏の顔を知らないだけ?

「ジェフたち三人を逃した。彼以外の二人が怪我を負っている。どこかでみかけなかったか」
「見たわ。出口に誘導しておいたから大丈夫。それに、二人の応急手当てもしておいたから」
「そうか、よかった」

 ハルトマンがため息をついて――そして、思い出した。
 そういえば、あの黒い鎧の人は。

「チェット、君はあの子の解体作業を手伝っておいてくれ!」

 怪物の攻撃で抉れた地面に、慌てて駆け寄った。
 あんな攻撃を受けて、致命傷を負っているに違いない。
 そして、割れた石タイルが散らばる中に、それはいた。

 ひゅー、ひゅーと聞こえる微かな呼吸音。
 血だまりの中に、グリーゼは倒れ伏していた。

 生きていた。
 ひとまず安堵して、そしてすぐに容態を見た。
 取り敢えず、怪我の治療をしなければ。
 あの戦闘の中で、一番攻撃を受けていたのはグリーゼだ。

 そう思い、鎧に手を掛けた。
 黒い装甲を探り、その留め金を探す。

「……ん?」

 いくら探しても、見つからない。
 おかしい。そんな筈は……。
 ふと、気になって、その関節部分の隙間から中をのぞいた。

「……嘘、だろ」

 そんな物は、なかった。
 「中」なんてものは、見当たらなかった。

「う、ううん……」

 グリーゼが、呻く様に声をあげた。
 慌てて離れるハルトマン。
 上体を起こした黒い鎧は、軽く頭を振った後、辺りを見回した。

「……ハルトマンさん、終わりましたか?」
「あ、ああ……」

 そう言うと「そうですか」と、体から緊張が抜けたかの様に、ぐったりと後ろに手をついた。

「……では、私とナトさんは、すぐに戻らなければなりません。待たせている子がいるのです」
「ああ、付き合わせて悪かった」
「ナトさんは……」

 グリーゼは、倒れているナトを発見して、一瞬焦ったように駆け寄ったが、すぐに寝息を立てている事に気が付き、安堵の息を漏らした。

「全てが無事片付いたようですね」
「ああ、おかげさまで」

 そう言ったところで、「そういえば」と、グリーゼは何かに気が付いた様に呟いた。

「あなたは、どうしてあそこまで執拗にあの怪物にこだわっていたのですか?」
「それは……」

 ハルトマンが口を開いた、その時。

「何か出て来たわ!」

 解体をしていたアメリオが、突然そう叫んだ。
 弾ける様にそちらを向いたハルトマンは、急いで彼女の元へ向かう。

 アメリオは、怪物の真っ二つに切られた胴体を解体していた。
 その中から、何か棒の様なものが突き出している。

「すまない、それを見せてくれ」

 ハルトマンはそう言ってアメリオを押しのけると、それを見た。
 黒い液体に濡れるその棒は、複雑な模様が描かれていて、それが肉の中に埋もれていた。
 それを掴むと、無理やり引っ張り出した。

「ああ……やっと」

 溢れ出る黒い液体と共に出てきたそれは、人の身長ほどある、長い棒だった。
 ハルトマンは軽く黒い液体を拭うと、それを大事そうに抱えた。

「……これは僕に譲って貰ってもいいだろうか。僕たちには、なくてはならないものなんだ」
「いいわよ、私たちには必要じゃないもの」

「助かる」と言って、ハルトマンはそれを背中に携えた。
 チェットも、どこかホッとしたように、胸を撫で下ろしていた。

「ナトも目を覚ましたみたいだ!」

 オーハンスがそう叫ぶ。
 少女のような少年のか細い腕の中で、長身の少年は、薄眼を開けて状況を把握する様に、ふらふらと辺りを伺っていた。

 アメリオの顔に笑顔が浮かぶ。
 橙色の髪の青年も、無表情の中に、どこか安心した様な気配が見られる。

「何はともあれ」

 気がつけば、足を引きづりながら、グリーゼがオーハンスと彼に介抱されるナトの元までやってきていた。

「帰りましょう、村へ」






 チェットとハルトマン、そして、グリーゼに支えられるナトが、暗い廊下を歩いていた。
 しかし、暗いと言っても、殺意を伴った怪物の気配があるとないとでは、緊張感が雲泥の差ほどあった。
 四人の足取りは、初めて遺構の中を歩いていた時より、どこかリラックスしていた。

 オーハンスとアメリオは、薬の材料となる鱗を持たせて共に先にヨルカの元へと向かわせた。
 「マイク」の足を信じろ、という本人たちの希望もあってのことだが。

 オーハンス自身はチェットを警戒していたが、
 ハルトマンの前で装っている事に気が付き、彼がいれば裏の顔は出さないという結論に至ったようだった。

「それにしても」

 グリーゼが口を開く。

「ナトさん、あの光は一体……」
「見てたんですか」
「意識は朦朧としていましたけど」

 ナトも、あの青い光のことを思い出した。
 しかし、何も心当たりがない。
 強いて言うなら、

「光の中から、伝わってきたんです。こう、暖かい何かが」

 あの時。
 声のような何かが、体の中に入り込んできたような。

「何か、ですか?」
「思念というか、ふわっとしたものです。それ以上はよくわからなくて……」

 それ以外に、言い表せなかった。
 具体的でなく抽象的な、そんな何かだったから。

「そういうグリーゼさんこそ。あの衝撃波は、一体なんだったんですか?」
「あれ? ……ああ、アレですか」

 グリーゼは体を揺らしてナトを支え直した。
 少し体勢が崩れたのを、どうにか持ちこたえる。

「いきなりこんな事を言って、驚くかもしれませんが」

 グリーゼが釘を刺すように言った。
 慎重な声音が遺構の廊下に響く。

「私は、実は既に人としての体を失っているのかも知れません」
「それは多分、皆察していると思うが」
「……そうなんですか?」

 ハルトマンの応答に、グリーゼは恐る恐る伺うように後ろを振り向く。
 「まあ、なんとなく」と、ナトがフォローを入れた。

「人間離れした怪力を見せられて、挙句の果てに、最後の光の砲撃……これで人間ですと言われる方が疑わしい」
「そうですか……」

 どこか傷ついたようにグリーゼは俯いた。

「しかし、私はこれでも、以前は普通の人間だったのです」
「そうなんですか?」
「はい。貴方達とそう変わらない年代の頃――そうですね、本国では貴族の少女(・・)として学問と訓練に励んでいた頃が、私にもありました。
 その頃に、この場所に連れてこられたんです」
「そうなんですか……」

 相槌を打った後、「ん?」とナトが何かに気が付く。

「少女? 今少女って言いました?」
「ええ。……あの、まさか……今まで私のこと……」

 殊更傷ついた様に、グリーゼが言う。
 それに対して、今だに驚きを隠せずにいるナト。

「体躯や声質からして、僕も男性だと思っていた。すまない」
「いえ……仕方ないと言えば、仕方がないのですけど」

 それでも意気消沈してナトを担ぐ彼女に、何も言えずに二人は顔を見合わせる。
 もっとも、ナトに関しては身近にも性別詐欺紛いの友人が居るため、
 その事実に対する衝撃は幾分か薄いようだった。




――
追記:2020 6/27 上下エピソードに分けるため、全て投稿していたエピソードを半分に区切らせていただきました。下は本日の夕方に投稿します。
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