第54話 「エピローグ3:少年の覚醒」

文字数 3,544文字

 ナトはオーハンス、アメリオと三人で修理をしていた。
 グリーゼとヨルカには追加のヤニを採取してくるように頼んでいた。

 嬉々として空いた穴に樹脂を詰め込んでいくアメリオを見ながら、ナトは森の方へと振り返った。
 それにしても、遅い。
 少し――いや、だいぶ遅すぎる。

「ヤニ、切れちゃったわ」
「……なあナト、あいつら迷ってないか探してこようぜ」
「そうだな……ここで待ってて、俺がいく」

 そう言って、ナトは立ち上がり森の中へと入っていった。

 相変わらず巨大な幹を避けるように進みながら、なかなか先の見えてこない道を進む。
 そうして、しばらくすると。
 見覚えのある二人の影と――もうひとり、見知らぬ影があった。

「――っ」

 息を殺して忍び寄り、木立に隠れて様子を伺う。
 
「なあ――いい加減吐けよ。どこに行ったんだよ、あのガキ」
「っ……し、知らない!」

 男が、ヨルカに短剣を突きつけていた。
 隻腕――失っている腕の傷は新しく、きつく縛られたように青くなっている。
 後から気がつく。あれは、ナトが仕留めて放置した男だった。

「……な、せ……が、あ……」

 グリーゼは、蹲って立ち上がれないでいた。
 力を入れようとしても入らないのか、地面を支える両手と両足は震えている。
 その黒鎧は、光る緑色の液体で濡れており、辺りにはガラスの破片が散乱していた。
 あの生物から採った毒のようだ。グリーゼも毒には勝てないらしい。

「言いさえすれば助けてやるよ。でも、言わねぇなら――」

 喉元に刃が触れ、僅かにその柔らかい皮に沈んだ。
 血の雫が、揺れる喉に一本の赤い線を生み出した。

 その瞬間、短剣は吹き飛んだ。
 低木を掻き分け、男に意識される間もなく接近したナトの仕業だった。
 そして男は――遥か高くの木の枝に突き刺さる短剣に気を取られ、その油断の隙を突かれた。

「がっ!?」

 横から男の頭をかっさらい、木の幹へと力の限り投げつけた。
 鈍い音のした後、男は崩れ落ちた。
 弾け飛んだ樹皮と、のっぺりと付いた赤く染まる頭皮と髪。
 しかしナトは止まらない。

「ひ、ひぃぃっ!?」

 銅色の剣を首にあてがわれ、哀れに震える男は見下ろす少年に怯えた目を向けた。

「一度救ってやったものを……」
「助けてくれっ! 頼む! 仲間に先を逝かれて、気が立ってたんだ!」

 不愉快を感じさせる、震える声音。
 無意識に柄を握る手に力が籠もる。
 しかし、そっと彼の腕が白く柔らかな指先に引かれた。

「ナトさん……」
「……なんで」

 喉元を押さえる少女の涙目。
 その瞳に拒まれ、そのまま男の喉元を剣先で小突いてやりたい衝動との板挟みに陥る。
 ――勝利したのは、ナトの心の奥に光るそれだった。

 剣を引いて、そして不意に気がついた。
 自分の心臓が早鐘を打っていることに。
 不安が解けたように、何か大きなものがどっと押し寄せてきたことに。

 次に――無意識に、少女を引き寄せて、抱きしめた。

「っ、な、ナトさん!?」

 何故だかはわからないがどうしようもなく、こうしなければならないような気がした。
 腕の中の少女の熱い体温を感じていなければ、その胸の鼓動を意識しなければ、そんな衝動に駆り立てられていた。

「あの……」
「……ごめん」
「い、いえ……」

 恥ずかしそうに目をつぶる少女、彼女を抱く腕に力が入る。
 その時だった。

「が、だ……う……ろ……」

 途切れ途切れのグリーゼの声。
 振り向くナト。
 それと同時に、ガラスの破片と何かの液体が目の前で飛び散った。
 緑色の粘液――毒液。

「きゃっ」
「っ!?」

 思わず塞がる視界。
 直後、腕の中の温かみが消える。

「ひゃはっ、その毒液は即効性だ……体の自由は奪われてお前はすぐに死ぬ! そこの鎧と一緒にくたばれ!」
「い、いやっ!」

 身動きが取れないように両手を拘束されるヨルカ。
 地面に押し倒され、覆いかぶさられる。

「ああ……お前ら、俺だけこんなご褒美もらっちって……すぐに後を追うから、今は、今だけは……」
「離してっ!! いやっ!!」

 身を捩るヨルカの頬に、涎が垂れる。
 鼻をつんざく夏のゴミ袋のような臭い。
 あらん限りの嫌悪に、顔をしかめる少女。

「思えば、長かった……沢山の仲間が死んだ。俺たちだけ、生き残って……日に日に増す絶望を堪えて……。
 ああ、今日はいい日だ。これで終わりにしよう。全て、終わりだ。幸せな気持ちで逝ける――」

 ぐいぐいと体を押し付けられる。
 荒い吐息に身の毛がよだつ。

「ああ、そうだ。お前も一緒だ。一緒に死のう。それがいい……運命は、俺を見捨てなかった! 最後に、こんなご褒美が待っているなんて……」

 と、そこで男は、一寸先の少女の顔をみた。
 目を見開いて、絶望をその顔に(たた)えている。

 そんな顔をされたところで、男にとってはご褒美だった。
 小刻みに震える、形の良い唇。
 いざ――そうして、口を開けたその瞬間。

 ドロリと、少女の顔に赤い液体が零れ落ちた。
 ――零れ落ちた? どこから?

「ゴボッ」

 むせるように咳き込んだ男は、片手で自分の顔を撫でた。
 手のひらに、赤い液体が広がっている。
 見慣れたこの色……血?

「なんで、なん、で、なん……」

 ぐったりと、項垂れる隻腕の男。
 その左胸からは、銅色の剣が生えていた。

「ナトさん……」

 ズルリと、息の無い男の胸から剣を抜き取ったナト。
 黙ってその死体を見つめ続ける。

「取り返しの、つかないことを……」

 その声は、震えていた。
 どんな叱責が飛んでくるだろう。
 そう思い、ナトは静かに目を伏せた。

 しかし。
 次の瞬間に訪れたのは、右腕への優しげな抱擁だった。
 毒に触れないように、前腕に額を当てて、静かに涙を流していた。

「ごめんなさい……私のために、ごめんなさい……」

 何故。
 殺したのは自分なのに、何故、彼女が謝るのか。

「……無事で、よかった」

 ボソリと、ナトはそうつぶやくように言った。
 しかし、今度は彼の腕が彼女を抱き返すことはなかった。





 グリーゼは毒が回っていた。
 やはり、如何に彼女であろうとも、毒には勝てないらしい。
 しかし、ある程度の耐性はあったのか、一時の全身の麻痺程度で死には至らなかったようだった。

 満身創痍で帰ってきた三人を見てギョッとした二人を見て、
 グリーゼは麻痺した体を支えられながら、唯一回復した舌で何があったのかを説明した。

「何もできなくて申し訳ありません……」
「仕方ないだろ、そんな状況じゃ。ナトだって、もしも毒が効かない体質が無かったら今頃お前らと一緒に死界(モルキア)行きだ」

 ナトは一人、手のひらをただただ見つめていた。
 人を殺めた。ただその実感が、湧かなかった。

 そんな彼の手のひらを、優しく少女の手のひらが包み込む。
 泣きそうな顔のヨルカが、口を開いては、なんと言えば良いのかわからないように再び閉じて俯く――それをひたすら繰り返していた。

「ヨルカ」
「ごめんなさい……こんなことを、させるつもりじゃ」
「違う、君がそんな事を言うべきじゃない」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 ずっとこの調子だった。
 本当は、止められていた彼が謝る立場のはずなのに。
 何故――。

 不意に、盗賊の頭の言葉が頭をよぎった。

『ねぇ、同志……そうだろう?』

 ベルガーデンに来てから、心の中にぽっかりと空いた、失われた何か。
 それが疼いているように、何かが引っ掛かっていた。

 何かを見失っている。
 それは、なんだ?

 ナトにはまだ理解できない。
 彼女の心の内も、そして、自身のそれでさえも――。





 霧巻く大地は動き出す。
 風が彼らの耳元で囁いた。
 それは、与えられた報酬の一端に過ぎないとでもいうように。

 獣の咆哮は響く。彼らの奥へと(いざな)うように。
 落ち葉は舞い上がる。彼らの足跡を消して。
 暗闇に光る星々は「逃しはしない」と彼らを導く。

 鐘は鳴る。
 隠された大地は共鳴するように震えた。
 忘れ去られた物語が、読み上げられて歓喜するように。

 古の遺跡の側の焦げ跡、積もる白灰。
 木々に見下ろされる中、その中で――何かが動いた。
 初めて運命の加護を受け「それ」は再び動き出す。

 ――まだ、終わらせない。
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