第18話 「青年の決別」

文字数 5,437文字

 ハルトマンは一人、遺構の中の小部屋で休憩を取っていた。
 埃だらけの部屋で、散らばった本や謎の資料の中、
 辛うじて壊れていない古ぼけた椅子に座り、水筒の中身を仰ぐ。

 その表情には影が落ちていた。
 それは、部屋の暗さによるものではない。

 彼は、傷だらけだった。
 衣服もいくらかの損傷が目立つが、
 それよりも、露出した掌などの細かい古傷は、彼の年齢を見ても異常に多い。

 黙ったまま下を向いていたハルトマンは、そっと右の手の甲を撫でた。
 そこには、多くの傷に紛れてとても大きな古い傷跡があった。

 突然、顔を上げる。
 じっと部屋の入口の方を見つめるハルトマン。
 すると、外から小さな足音が聞こえてきた。
 それは、徐々にこちらに近づいてきている。

 ハルトマンはそっと、腰に差した金色の剣の柄に手を伸ばした。
 徐々に近づく足音と、その瞬間を狙って――。

「お前は」
「……ああ、よかった、こんなところにいたんですね」

 そこにいたのは、先程怪物にちょっかいを掛けた筈の、ほどほどに長身の少年。
 ナトだった。





 埃っぽい部屋で、二人は向かい合って古い長椅子に座っていた。
 ハルトマンは剣の整備を黙々と行い、
 ナトは傷ついた身体を労わるように、壁を背に移動させた長椅子の上に足を伸ばしていた。

「あなたは」

 ナトが口を開いた。
 しかし、ハルトマンが整備の手を止める事はない。

「なぜ、そこまで平民を嫌うんですか?」

 それでもハルトマンは答えなかった。
 表情も動かさず、ひたすら手入れを進める。

「……別に、話さなくてもいいですよ。
 でも、僕はあなたについていきます」

 そこで、作業の手は止まった。
 ハルトマンは、視線を向けず、苛立ったように口を開いた。

「何故だ」
「……僕は心配なんです。見たでしょう、あの怪物を。あなたの刃が通じなかった、あの怪物ですよ」

 そういうと、再び沈黙が訪れた。
 ナトは軽く鼻から息を吐き出し、再び背中の壁に体重を乗せた。
 しばらくして、次はハルトマンの方から口を開いた。

「お前たちは、人を裏切る」
「……平民が、ですか?」
「そうだ。僕はもう、お前たちの何もかもを信じない。そもそも、住む世界が違うんだ」

 剣の鞘の底で、地面を強く叩く。
 鈍い金属音が狭い室内に響いた。

 それから、始めてハルトマンはナトを見た。
 ナトは一瞬、固まった。
 それは、彼の家族が居なくなり、親戚の家に預けられ、
 その家族から向けられていた目線より、はるかに濃い憎悪の色を持っていたからだ。

「もう一度言う。もう僕に構うな」
「……それは、できません」
「なら、不安の芽は摘むしかないな」

 その言葉の直後。
 薄暗い部屋の中に、金色の線が流れた。
 豪奢な鞘から抜き放たれたそれは、とても素直な作りの、美しい金色の剣。
 そして、まるで躊躇いがないようにそれが振り下ろされた。

 咄嗟に跳ね起きたナトは、腰に刺した剥き出しの銅色の剣を抜いた。
 そして、薄く虹色に輝く剣の腹を見せて上向きに斜めに構える。

 交差する、金と銅。響き渡る金属音。
 ナトの手首に尋常ではない衝撃が加わり、骨が軋むように悲鳴を上げた。
 金色の刃は銅色の腹を滑り、その後には楽器のように美しい音が響いた。

 その余韻と同時にに引きずる痛みにナトが顔をしかめていると、その首元を、傷だらけの手が掴んだ。
 そしてそのまま、壁に押し付けられる。

 咄嗟に、ナトが剣を構えて突き出す。
 ナトの持つ剣の先はハルトマンの鳩尾(みぞおち)を捉えていたが、
 固まった怪物の体液で(なまくら)となっていたそれは、傷つけるには至らない。
 ――いや。そもそも、傷つけるつもりはないとでもいうように、その突きには力が込められていなかった。

「……っ!」

 同時に、ナトは首元に金色の鋭い剣先が突きつけられていることに気がついた。
 自分の首元から伸びる金色の道が、ハルトマンの持ち上げられた右手まで続いている。

 ナトが苦しそうにもがいていると、
 自分の首を締めて壁に押し付けられている手に、更に力が篭るのを感じた。

「貴様を見ていると、どうしても思い出す」
「うっ……ぐ」

 実際、ナトは抵抗くらいはできた。
 だが、それをしようとする気配はない。
 むしろ、苦しそうにしながらも、ハルトマンの様子を伺い続けている。

「なんで、あいつは」
「ぐぅっ……」
「僕を騙して、ずっと、信じてた……それなのに」

 ハルトマンの目は血走っていた。
 ナトは己の首にかかる圧に、全ての感覚が遠くなっているように感じた。
 視界も、まるで煤が貼りついたように、闇に染まっていく。

 その時だった。
 石のタイルを震わす、獣の咆哮。
 甲高い異形の叫び声が、古びた廊下に響き渡る。

 ハルトマンの動きが静止する。
 その瞳は、部屋の入口を見つめている。
 そして、ゆっくりと、その両腕を下ろした。

 崩れ落ちるようにして、壁を背に膝をつくナト。
 首元を抑え、咳き込みながらハルトマンを見上げる。

 言葉なはい。
 ナトが息を整えていると、ハルトマンは何かに吸われるように、扉から外へと出て行こうとする。

「ま、待って……」

 ナトはそれを追いかけようと膝を立てて――倒れこむ。
 身体中の傷から血が滲んでいた。
 左肩と左足の穴が恐ろしく痛い。

 体力の、限界だった。

 暗い廊下。
 淡く光る水晶が、一人の背中を照らしている。

 彼は、歩いて行った。
 その後に続く者は、もう居ない。

 再び叫声が響く。
 彼の目灯る、暗い炎が揺れる。

 彼は、歩いて行った。
 ――その暗闇の中を、たった一人で。





 そこは、幾つもの部屋を隔てていたであろう壁を破壊され、一つの大きな広間のようになっている、そんな場所だった。
 そしてその一角に、大量の瓦礫の山が積み上がっていた。

 崩れ落ちた壁の石タイルが大量に積み上がったそれから、
 突然、幾つかの瓦礫が崩れ落ちた。

 その中から、暗色の籠手が突き出る。
 籠手は瓦礫をかき分けるように退かすと、次第にその全貌を明らかにする。

 それは、闇のように黒い、細身の巨大な全身鎧だった。
 鱗のような装飾が所々に施され、関節はまるで継ぎ目がないように精巧だ。
 その僅かな鱗の隙間などからは、血が溢れていた。
 腕や体を伝って、地面に滴り落ちる。

 鎧は、足の先まで完全に這い出すと、近くに生えていた、奇跡的に無事であった光を放つ水晶の塊によりかかり、腰を落とした。

「ふぅ……」

 深く深呼吸をすると、自分の体の状況を把握するために、鎧の上から弄(まさぐ)りはじめる。
 右手、右足へのダメージ、それと左肩の骨折――。
 ……思った以上に、軽症で済んだ。

 鎧は、安堵の息を漏らすと、完全に力を抜いて宝石に寄りかかった。
 暫く経つと、赤黒い跡を鎧と地面に残し、その体から流れる血液は止まった。
 そうして、休養を取っていた、その時。

「……あなただと、思っていました」

 鎧は顔を向けず、背後から歩いてきたその青年に声を掛けた。

「お前は、名はグリーゼといったな。性は?」
「……この状況を見て、最初の言葉がそれですか。
 まあ、いいでしょう。姓は捨てました。この世界に生きると、覚悟を決めたその時に」
「……なら、平民ではないのか」
「ええ。貴族の出ですよ。年の離れた弟が居ましてね。――まあ、それはいいでしょう」

 グリーゼはそう言うと、一旦言葉を区切り、目の前の惨状を見上げた。
 無理やり破壊されて作られた広間。
 瓦礫に埋もれ、原型をほぼ留めていない。

「あなたは――えっと」
「ハルトマン・オールドコインだ」
「ハルトマンさん。ええ、覚えました。
 それで、何故来たのですか? 先の叫びが聞こえなかったわけでもないでしょうに」

 ハルトマンは、少しだけ剣の鞘を鳴らす。

「それが目的だ。……体制は整った。奴を迎え撃つ」
「……あなた一人で?
 そういえば、ナトはどうしました?」

 グリーゼが訝しげにそう問いかける。
 ハルトマンは、鼻息一つ吐くと、

「別れた」

 そう言って、「それで」と言葉を続ける。

「奴はどこに行った」
「……やめておいた方がいい。無理ですよ、アレは人を殺すための何かです。この世界に蔓延る『生き物』とは、何かが違う」
「そうか。……しかし、俺が討たなければならないんだ」
「アレとの対峙は、生き残りをかけたそれではありません。まるで一方的、例えるなら『殺戮の為の殺戮』とでも言うような……」
「関係がない」

 ハルトマンは、目つきを鋭くして、グリーゼを睨みつける。
 静かにそれを見つめ返すグリーゼは、水晶に寄りかかって居た体を起こす。
 黒い巨体が持ち上がり、それがハルトマンを見下ろした。

「もう一度問おう。奴はどこだ」

 ハルトマンは、腰の剣に手をかけて、グリーゼを睨み続ける。
 その仮面は甲冑像のように沈黙を守っている。

 しばしの間を開けて、ゆっくりと腕が持ち上がる。
 ハルトマンは、音が出るほど金色の柄を握る力を強める。
 そして――籠手から伸びる人差し指は、瓦礫の中、下の階へと続く穴を指す。

「穴を開けて、下へと向かっていきました。それからは、わかりません」
「……そうか」

 ハルトマンはそう言うと、踵を返して穴に向かって進み出す。

 その時だった。
 穴の中から、突然人の叫びが聞こえてきた。
 二人から三人、絶望を思わせるような、そんな叫びだ。

「……まだ、人が居たんですね」

 グリーゼの言葉に、返事はない。
 ハルトマンのその表情は、やけに強張っていた。

「……僕の、仲間だ」
「あなたのですか? それは助けに行かないといけませんね」

 ハルトマンが拳を握り、その額に脂汗が浮かぶ。
 その足は、今にも走り出さんとでも言うように、力強く一歩を踏み出していた。

「まだ、生きていたんだ! 早く、行かないと……」

 ハルトマンが足をもう一歩踏み出す。
 しかし、その手を漆黒の籠手が掴んだ。

「邪魔をするな!」

 敵意を剥き出しにして、ハルトマンが叫ぶ。
 それを受けて、ゆっくりと手を離し、グリーゼは視線を合わせるように少しだけ首をもたげた。

「私も行きましょう」
「……貴方も? やめておいた方がいいと言ったのは貴方ではなかったか?」
「迷惑でしょうか」

 グリーゼの言葉に、逡巡すると「いや」と首を振る。

「貴方なら、問題はない」
「そうですか」

 そう言って、二人は並んで瓦礫中に空いた大口へと踏み込んだ。
 叫声が、絶望の悲鳴が、彼らを迎え入れる。





 いつだって、無力だった。
 あの日、道で二人に出会った、その時から……いや、その前から。
 人に、頼ってばかりだった。

 お姉さんとお母さんの後ろを、ずっとついて来た。
 する事を与えられて、それをなぞって、褒められて、いい気になって。

 お父さんが居なくなって、初めて気がついた。
 私は、無力だった。

 本当は、誰にも言わずに黙って家を出るはずだった。
 家族に、余計な心労をかけないように。
 でも、一人じゃ何を準備したらいいのかわからなくて。
 お姉さんに相談して、必死に止められて、それでも無理に手伝ってもらって。

 家を出てからも、国を出る当てがなくて。
 困って居たところを、運に恵まれて、彼らと出会って。

 ずっとずっと、私は何もしていなかった。

 あの時。
 彼がブローチをくれた、あの時。

 仲間だと、一緒にいる資格があると、認められたと思って。
 勝手に嬉しくなって。
 ――実際には、何もできないのに。

 ナトさんは、私たちを導いてくれる。守ってくれる。

 オーハンスさんは、「マイク」を操って荷物を運んでる。旅の進路に意見も出してる。

 アメリオさんは、「魔法」がある。ナトさんと一緒に、私たちを守ってくれる。それに、明るい彼女の存在は、私たちを動かす力になる。

 私は。
 私には、一体何があるの?

 結局は、みんなについて来ただけ。
 守られて、余計な迷惑をかけて来ただけ。
 今もこうして、みんなを余計な危険に巻き込んでる。





 暗い闇の中。
 その生き物は――いや、生き物と形容するのも躊躇われる、そんな歪な何かは、蠢いていた。

 禍々しい黒に染まった、棘の生えた巨大な巻き貝。
 それを背負う、鋭い爪の付いた六本の節足と、黒い体液の後を残して進む、ナメクジのような尾。

 暗闇の中を、ゆっくりと進む。
 辺りに漂う腐臭を纏い、
 血と、自らの体液に塗れた、その遺構の中を。

 呻き声が、その殻の内側から響いた。
 それは、何かを嘆いているような。
 遠い場所を懐かしんでいるような。
 会えるはずのない、誰かを望んでいるような。

 暗闇の中を、ゆっくりと進む、
 「絶望」を思わせるその怪物は。

 今も、何かを探し続けている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み