第10話 「毒に溺れた男」

文字数 5,656文字

 この地を治める任を賜ったその日。
 信仰と忠誠を心に(いだ)いた男は、世界の行く末を強く願っていた。
 それ故に、理想の世界を作る大いなる使命に携われることが、ただ純粋に誇りだった。

 男は元々、都の貴族であった。
 聖職者の家系に生まれ、敷かれたレールに乗り、司教となってとある教会を治めていた。

 真面目で優秀。
 周辺地域の司教からの評価は高く、しかし、それを鼻にかけることはなく。
 教皇のお抱え――つまり枢機卿に選ばれるのではないかとさえ、ちらりと噂される程、彼の態度は人々から認められていた。

 ある日、(しら)せが届いた。
 仕える大司教からだった。
 極秘と書かれたその封を切った男は、一度読んで、目をこすり、何度もその内容を読み返した。

 最高級の羊皮紙に綴られた文字。
 読み終えた男の手は震えていた。
 『特別』を意味する赤いインクが、書斎の天井から下がる照明に照らされている。

 ――それは、男と、その下につくものを連れた異動を示していた。
 男は喜んだ。
 真面目であったが、貢献が評価された事は、純粋に嬉しかった。

 しかし、次に顔を顰(しか)めた。
 「ベルガーデン」とは、どこだろう、と。

 鐘の鳴る大地の、夕暮れの沼に栄える村。
 その側に、巨大な城のような邸宅が佇んでいた。
 そこを管理していた信徒との引き継ぎの手続きを済ませ、男は改めてそこに居座ることとなった。

 与えられた使命は、この世界における重要な拠点として、眼下に広がる村と、此処を管理することだった。
 男は光栄だった。
 そして、早速勇んで仕事に取り組んだ。

 そうして過ごして数日が経った頃。
 村からの使者がやってきた。
 それは、男による統治への抗議だった。

 男は困った。
 今まで、男に対してそんな声が上がった事なんて、なかった。
 彼を知るものは全て、彼に頭を下げて、囲ってもらおうとしていたからだ。

 男は考えた。
 どうすれば、抑える事ができるだろう。

 そして、至った答えが、『仕置き』だった。

 男は村からの使者を処刑した。
 ただの処刑ではない。錆びた刃物を用いた、斬首。
 それをもって、村人の前で、無残に殺して見せた。

 決して、男の趣向によるものではない。
 昔、反乱の首謀者をそうして罰したと、男は記録で読んだことがあった。
 啓蒙(けいもう)たる男は、そういったことも学んでいた。

 村人たちは男を恐れた。
 男の統治への反抗は消え、そして、二度と使者は訪れなかった。
 男は納得して、胸の中に花が咲いたような満足感を得ていた。

 それから、暫くして。
 男が執務に明け暮れていると、突然部屋のドアが開け放たれた。
 村人がいた。それも、何人も。

 男は村人たちに襲われた。
 その恨みのこもった視線を見て、男は震えた。
 自分のとった行動が、彼らに火を付けたのだと。

 しかし、ここで殺される訳にはいかない。主神への貢献という名の、大事な使命がある。
 男は、大司教より賜った魔法のメイスを握り、振り下ろした。
 初めて扱ったにしては、それはやけにしっくり来る心地がした。
 赤い血が、弾けるように部屋に散った。

 男の周りにいた村人は、怒りの様相から、まるで危険な猛獣か何かを見るような目つきに変わった。
 一人はズボンを何かで濡らし、もう一人は無様に泣き出して、もう一人は吐瀉物(としゃぶつ)をカーペットにまき散らし始めた。

 気がついた。
 恐怖の感情の操り方に、気がついてしまった。
 そして男は、その喜びに喉を震わせた。

 部下たちが駆けつけた頃には、執務室は血の海と化していた。
 その中に一人佇んでいたのは、いやらしく顔を歪める男だった。

 それから男は部下を従えて、村へと向かった。
 そして再び村人の前で人を殺した。
 殺して、殺して、殺して、殺して。

 若者――特に子供を殺した時の反応は、より芳しいものだった。
 だから、子供を中心に捕らえ、殺した。

 しかし、子供と言っても、数が限られる。
 なるべく慎重に、すぐに死なないようゆっくりと(なぶ)り、殺す。

 そうして。
 血塗れの生活の中で。
 男の中に芽生えたそれは。
 春の新緑のように、勢いよく目を覚ました。

 腹の切り裂かれた子供を転がして、その(はらわた)を目の前で潰し、
 それを見た村人たちの悲鳴や嗚咽の中で。

 男は叫ぶ。
 喜びを乗せて、叫ぶ。






「…………ト! ナト!!」

 アメリオの声に、目を覚ます。
 そして、すべてを投げ出すように、横に飛んだ。

 ドスン、と、重い音。
 ナトの側で見えない何かがぶつかって、部屋の内装が飛び散った。

「はぁ、はぁ……」

 目眩の残る頭を起こし、改めて辺りを見回した。
 アメリオがいて、馬に乗るオーハンスとヨルカ。
 そして、目の前には、狂った笑みを顔に貼り付ける、豚男。

「こ、ここ今夜のディナーは、し、至高も至高でござりますなぁ……」

 喜びに震える狂人を前に、ナトは考えていた。
 黒い靄が、彼の頭の中を渦巻いていた。
 ――村の少女がさらわれたその時から、ずっと。

 ゆっくりと立ち上がる。
 それを見て、コリンは更に嬉しそうに口角を釣り上げた。

「嬲り、痛めつけ――そして殺す。……この世にこれほどの芸術はござりませぬ!
 ああ、主よ! このような贅沢を与えてくださり、ありがとうござりますぅぅぅ!!」

 涙を流して叫ぶ男を見て、ナトは深く息を吐いた。
 そして、はっきりと、

「お前を殺さなきゃいけない」

 そう、口に出した。

 ピタリと、叫びが止まった。
 男が、ゆっくりと、首を回してナトを見た。
 真顔で、次第にその目を丸くする。

「……ワタクシを、殺す?」
「ああ」

 男は黙った。
 ナトはナイフを握りしめる。
 そして――沈黙を切り裂き、男が笑う。

「ワタクシをっ! 殺すっ! ふひっ! ふひひひひひひひっ!
 なんて、なんて甘美な響きでござりましょう!!」

 コリンは、ゆっくりとメイスを持ち上げた。
 そして、銀色のそれを、本当に味わうかのように、美味しそうにベロリと舐めた。

「それは楽しみでござりますなぁ。さぁ……骨の髄まで味わってさしあげましょう!
 余すところなく、隅々まで、徹底的に!!」

 メイスが振られる。
 その瞬間、ナトは目を見開いてそれを見る。
 耳をそばだて、神経を研ぎ澄ませる。

 ――体の中を、電流が走るように。
 「支配」、強いて言えば、そういった感覚。
 今、体の全てが自分に従っている。

 目の前、数歩分の距離。
 地面の僅かな埃が舞っているのが見える。
 そして、次の瞬間、ナトの鼓膜が揺れた。

 反時計回りに、くるりと回る。
 踊るようなその動作の直後、ナトの左半身を衝撃が襲った。
 ――が、吹き飛ばされることはなかった。
 回転の後、左肩を手で押さえたナトの背後の壁に無色の質量がぶつかり、大理石の破片が飛び散る。

「回って受け流した……?」

 ヨルカの声が震える。
 もちろん、ナトが彼ら四人の中で最も身体能力が高いことは、彼女も知っていた。
 しかし、あれほどの反射神経と動体視力は、もはや少年の年齢のそれではなかった。

 オーハンスは、ふと思い出した。
 沼の村に来る前。

『詳しいことはわからない。でも、何か変化が起きたんだ。俺の中で、燃えるように何かが』

 自分の親友の身が、此処に来る前に比べて、明らかな変化が起きている。
 それが、良い事なのかは、わからない。
 酒場の中年男性が言っていたように、もしかしたらこれも「ベルガーデンの不思議な現象」なのかもしれない。

「まだ、まだ、まだぁぁぁ!!」

 ヨダレを垂らして、豚男が叫ぶ。
 メイスが振り下ろされ、透明な質量がナトをめがけて飛んでくる。

 ナトは、疾駆した。
 そして、まるで色のないはずのそれが見えているかのように、身を翻して衝撃波を交わしていく。

 止まることはなく、再び、肉薄する。
 その距離、人一人分。

 豚男が笑う。

「跪けぇぇぇぇ!!」

 ナトがナイフを構えた、その次の瞬間。
 メイスの先端が、地面を叩く。
 男の周囲に、衝撃波が広がった。

 しかし、ナトは動じない。
 足で地面を蹴り飛ばすかのように、一歩飛び退いた。
 そして、目の前で衝撃波が霧散したその次の瞬間。
 しなるように腕を振るい、ナイフを投げた。

 コリンが顔をあげると、次に感じたのは左肩の違和感だった。
 それは、軽い衝撃のように感じた。
 次第にそこが熱くなり、ジンジンと痛みだしたことを不思議に思い、首を回した。

 そこには、ナイフの小さな柄が映えていた。
 服が赤く濡れ、同じ色の雫が腕を伝って地面に落ちる。

「う、うぎゃぁぁぁぁぁ!?」

 コリンは半狂乱になり、そして引き抜こうと柄に触れるも、
 その瞬間に走った鋭い痛みに、慌てて腕を引っ込めた。

「痛いっ……痛い痛い痛い! 痛いのでござりますぅぅぅ……!」

 際限なく溢れ出す涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪め、それでも握ったメイスを薙ぐ。
 迫る透明な衝撃波を軽く避けると、ナトは再び駆け出した。
 
 豚男に飛びつくように接近すると、肩に刺さったナイフの柄を握り、一度深く差し込んだ。

「ひぐっ!?」

 すぐに引き抜く。鮮血が飛び散るが、少女の血潮に塗(まみ)れたナトは今更気にしない。
 そして、狙いを定めようとして、コリンを見下ろして、気が付く。

 男が持つ、銀色のメイス。
 それに、何かが収束するように、空気が揺らいでいた。

「いいいいいぁっ!!」

 男がメイスを突き出した。
 生み出された無色の質量。
 しかしそれは、今までの物を遥かに超える大きさだ。

 密着したその状態から放たれた、ナトの反応を待たずに迫る、容赦のない一撃。
 肌がビリビリと震える。目の前が揺れ、髪が後ろへと流れる。

 目を見開いて相手を睨みつけるナト。
 豚男の勝ち誇ったような醜い笑みが見える。
 風を切る音も、次第に消えていく。
 そして、肌一枚分の距離までそれが迫り、





 ――シア。





 その時。
 ナトの背後。
 目の前のそれより、ひと回り大きな衝撃波が、コリン目掛けて飛んできた。
 
 ナトを捉えようとしていた衝撃波と衝突――霧散させ、そのまま通り過ぎてコリンに襲いかかる。
 咄嗟に気が付き、身を引こうとしたものの、重い体では思うように動かず、逃げ遅れた手元に直撃する。

 一瞬で、あらぬ方向に曲がったコリンの腕。
 
「ひ、ひぎゃぁぁぁぁっ!?」

 力の入らない曲がりきった腕から吹き飛ばされるメイス。
 その衝撃で、柄が折れて離れる。
 鈍い音立てて、メイスであった残骸が石タイルの床に落ちる。

 通り過ぎた衝撃波は、壁に当たって激しい音を立てて破壊した。
 大きな穴を開き、そして外の夕暮れの赤い光が邸内を照らす。

 ナトは、ハッとして、振り返った。
 そこには。

「な、ナト、今――――」

 二度目の「魔法」を使い切り、パタリとその場に倒れるアメリオ。
 そして、その言葉を最後まで聞く前に、前を向いてナトは走り出した。
 最短ルートを、全速力で。
 彼の目に映るのは、痛みに叫ぶ男の姿。

 ナイフを逆手に持ち替え、振り上げる。
 その瞬間、消えかけた蝋燭が大きく燃える。

 ナトの脳裏に、再び(よぎ)る。
 少女が流した涙の軌跡。
 最後に囁いた、彼女の言葉。

 絶対に。
 絶対に、許してはいけない――っ!

「――ぁあああああ!!」

 心臓を穿つ一閃が、脂肪の壁に迫る。
 その時だった。

「――――だ、ダメです!」

 咄嗟の彼女の叫びが、まるで静かな湖畔の水面(みなも)をかき混ぜたように、ナトの心を揺らがした。
 訳のわからない感情の胎動に、手元が狂う。
 狙いは逸れ、曲がった腕の肩に、またしても根本まで深く突き刺さる。

「ぎぁ、がああああああああ!?」

 目を剥いて泡を吹きながら、涙と鼻水で顔を汚して痛みに悶えるコリン。
 ナトは声の方向を、ゆっくりと振り向く。

 彼女は、震えていた。
 少年の顔を見た時、ビクリと体を大きく震わせ、俯く。

「ひ、人を……こ、殺すのは、ダメ、です……」

 ナトは何も言わずに、目を伏せる少女――ヨルカから視線を逸らし、コリンを見下ろす。
 ブルブルと震え、再び刃を飲み込む自らの肩を見て、顔をこれ以上ないほど歪ませている。
 握り込んだ柄から、少しだけ力を抜いた。
 その時。

「ぴぎゃぁぁぁ!?」

 目の前の肥満男が叫んだ。
 気が付けば、ハムのようなもう片方の腕も、あらぬ方向へと曲げていた。
 そして、少し離れた空中に、小型の剣が舞い飛んでいる。

 後ろを見やれば、倒れた状態から微かに顔を上げ、震える腕をこちらに向けた――魔法を使い切ったはずのアメリオの姿があった。

 すぐにまた気を失ってしまう。
 どうして三度目の魔法を使えたのか、そう考える間も無く、
 その直後――ナトの体が動いた。

「ひぎぃっ!? や、やめるのでござります! ワタクシはただ、ワタクシはただ――!!」

 節を砕かれた両腕を無理な方向に曲げられ、強制的に行動を制限させられる。
 抵抗しようと、ナトの方へと顔を上げる。

「――ぁ」

 それから、ナトのその表情を見た彼の、少年への抗議の声は一切上がらなかった。
 代わりに、顔を青くして、終止されるがままになっていた。
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