第7話 「村と少女」

文字数 4,595文字

 案内された部屋で、オーハンスはベッドに寝転がっていた。
 隣には、ナトが腰をかけている。
 そして、その横には、

「オゥ・ユル・リィス? ハァ・リュゥル・ウロォム・ハァルトレット?」

 すっかりナトに懐いた、幼い少女がいた。
 ナトはニコニコと、言葉のわからない少女の話に耳を傾けていた。
 ふいに、少女がナトの袖を引っ張りだす。
 窓の外を指して、何かを言いたげにしている。

「外を案内したいんじゃないか?」
「……ああ、なるほど」

 少女の頭を撫でて、立ち上がる。
 とても嬉しそうにする少女を見て、目尻を下げるナト。
 ふと、オーハンスの方を向く。

「オルフもどう?」
「俺は疲れてるからいい――っと」

 気が付けば、少女がオーハンスのコートの裾をグイグイと引っ張っていた。
 フードの上から頭を掻いた後、しばらくして重そうに腰を上げた。

「行くんじゃないか」
「ちょっとしょんべんしに行くだけだ」






 最初に連れて来られた場所は、牧場だった。
 数十頭の、見たことのない馬のような生物が飼育されている。
 馬のよう、と言っても、その体格は馬のそれを大きく上回る。

「天国だ、ここは天国なんだ……」

 オーハンスは少女にも負けないほど甘い顔で破顔してそう言った。
 その生物たちに囲まれて、幸せそうに撫でている。
 彼は動物が好きだった。

「ナト、俺はもう旅をやめる、ここに住む」
「本当に置いていくよ?」
「前向きに検討してくれても良い」

 ナトは少女と共に牧場を離れた。 
 その傍らにオーハンスはいない。
 彼は友人を動物に取られる複雑な気分を味わっていた。

「トレィテルィ・リス・ヤッジカ! アンツ・アントゥ……」

 家を一軒一軒紹介しているようだが、残念ながらナトに彼女の言葉の意味を汲むことは難しかった。
 しかし、一生懸命な様子は伝わってきて、なんとなく腕がその小さな頭に伸びる。

「イル・リィヤ!」

 それで嬉しそうにされるのだから、たまったもんじゃなかった。






「おや、君は」
「あ、こんにちは」

 次に少女に案内された場所に赴くと、そこにはあの老人が座っていた。
 そこはなにやら酒場のような場所で、微かな酒の匂いが漂っていた。
 カウンターと思しき場所に並べられた席に、老人はちょこんと座っており、猫背に杯を仰いだ。

「この子と遊んでくれているのかい?」
「いえ、逆です。案内してくれているんですよ」
「それはよかった」

 少女はナトの隣から駆け出し、老人の隣に座った。
 「おおよしよし」と老人が少女の頭を撫でているのを見ながら、ナトは老人と少女を挟む形で席に着く。

「エイド・ペイドウォント・ソゥシン、エル・コモング!」

 老人が定員に何かを頼んだ。

「ここは私が奢ろう。同郷のよしみとしてね」
「そんな……いえ、ありがとうございます」

 申し訳ないとは思ったが、確かに、こんな辺境でまさか同じ出身の人物に合うなんて思っても見なかっただろうと言うことに思い至り、大人しく奢らされることに決めた。

「そういえば……あの国は、今どうなんだい?」
「どう、とは?」

 膝の上に頭を乗せてくる少女を撫でながら、ナトは聞き返した。
 老人はひげをいじりながら、「そうだねぇ」とどう言おうかと思案する。

「私はまだ子供で、あの国にいた頃……君が生まれる前だね、西の隣国の進行が起こった頃だ。
 大人になった頃にはすでに植民地にされてしまって、確かその隣国は『アタラシア』なんて言ったはずだ。
 その頃はまだ私達の国は何も手をつけられていないままだったが、今は何かされているかい?」

 そういえば、とナトは手を打った。
 何十年か前からアタラシアは東に向けて開拓を勧めていたという話を、誰かに聞いた覚えがある。
 自分たちが住んでいた国は、その過程で軍事支配されてしまい、結局そこの住民たちは東に向けた交通網の開拓に従事させられていたのだ。

「腐敗してますよ、ずいぶんと。水路の中には骨が転がり、墓なんて作っても足りないのでありません。
 石造りの建物と言えば教会くらいで、あとは全て工場にされてしまいました。僕たち第三身分の家は木か、ひどい場合は納屋なんてことも」
「やはり、敗戦国の末路は凄惨なものだな」
「ええ、仕方がない事とは思いますけど」
「まあ、なんだ、湿気た話をさせてしまってすまなかったよ。ほら、料理が来たようだ」

 老人がそう言うと、ナトの前に木の器が置かれた。
 その中には白濁色をしたスープが湯気を立てていた。
 茹でてほぐれた芋や鮮やかな色の野菜が浮かんでおり、まろやかな香りが鼻孔を刺激する。

「……初めて嗅いだ香りです」
「牧場にいる家畜の乳と採れたての野菜を使ったスープだよ。今の若者の口に合うかはわからないが、試してみてくれ」

 匙を沈ませ持ち上げると、とろみのある雫が落ちて、中のスープに波紋を作った。
 湯気ごと口に含むと、鼻からまろやかな乳の香りが通り抜けていった。
 そして、ほんのりとした甘さと塩気が、とろみのある液体と共に舌を包む。

「どうだい?」
「美味しいです」
「それはよかった。この村の人々は、皆この料理が大好きなんだ」

 確かに、うなずける。
 本国にいた頃より、贅沢な食事をしている気がする。

 気が付けば、隣で村の少女が小さな口をこちらに向けて開けていた。
 ナトは軽く息を吹きかけた匙を、その口の中へと運んだ。
 匙を加えたまま目を細める少女に、自然と笑みが零れる。

 その時だった。

「エイド・フッシェ・ペイウォント!」

 団体の客が店に入ってきた。
 ぶくぶくと太った足に対して釣り合わないほどの豚のような腹を持った男と、
 その背後には、黒いローブを纏った三人の男たちが控えている。
 その背中には赤い目を持つ白い鳥の刺繍が施されている。

「……君、顔を伏せるんだ」
「えっ?」

 そう言うと、老人は無くしていない方の腕でナトの頭を掴んで、無理やり下を向かせた。
 少年の耳に、店の床を踏み鳴らす四人の足音が届く。

「フッシェ、フィ・リス・タラップ?」
「オゥ、ソロゥクッキャ・アンキョドゥ」
「ソロゥクッキャ・リス・エモィ!」
「――っ! イリィ、イリィ!」

 どうやら四人のうちの誰かが店員と何かもめているらしい。
 語調でそう捉えたナトは、少しだけ気になって顔を上げた。
 すると、傍らに居たはずの少女が、何故か店員と、言い争っていたであろう太った男の前に立ちはだかり、店員を庇うように腕を広げた。

「あの馬鹿っ……!」
「え?」

 老人が冷や汗を流し、押し殺した声でその言葉を放った。
 店員は少女を前に狼狽えており、必死に後ろに下がらせようとするも、意地を張るように彼女は退く素振りを見せない。

「イス、イスゥ……」

 男の笑みが深くなり、控えさせていた男三人に何かしらの指示をする。
 すると、ローブの三人組は携帯していたらしき剣を抜くと、小さな少女に突きつけた。

「っ!」

 それを確認した瞬間、ナトが何か言うよりも早く、老人が少女の前に跪いた。

「アイ・ペイディリィ・コゥナキィオドゥ・エイ・オジィ」

 何かしらを懇願するように、剣の切っ先を突きつけられながら両手を胸の前で組んで太った男を仰ぎ見る老人。
 ナトは訳が分からず、狼狽えながらも、静かに状況を観察していた。

「エイド・ペイビヨゥ、ビヨゥ!」

 太った男は、何かしらを考えるような素振りをした後、男三人を引き下がらせた。
 汗を流して感謝の意を伝えるように、老人が再び跪くのを尻目に、太った男は視線を店内に向けた。
 その時、一瞬ナトと目があう。

「っ! 目を合わせるなっ!」

 それに気がついた老人が叫んだ、その瞬間だった。

 乾いた音がした。
 ナトが右手を持ち上げており、その中には、逆手に処刑用の錆びた短槍の穂が握られていた。
 それを放ったと思しき腕を宙に泳がせている太った男は、目を丸くした後、すぐにその表情を愉快げに歪める。

 老人は顔を青くして二人を見比べ、なにやら必死に弁明を続ける。
 しかし、すぐに興味を失ったように視線がそれると、太った男は店のカウンターへと迫り寄った。
 そして、指し示した幾つかの瓶を慌てる店員に運ばせると、それをローブの三人にそれぞれ持たせ、踏ん反り返って店を後にしようとした。
 その時だった。

 少女が、老人の制止を振り切って、太った男の足を引っ張った。
 太った男は無表情のまま足元に目を向け、そして、三人の男の腕の中から取り上げた何かが振り上げられた。

「――ァ!」

 老人が声無き叫びを挙げる。

 飛び散る液体。
 少女に向かって振り下ろされた瓶は粉々に散り、ランプの光を浴びて反射した。

「……っ」

 無傷の少女は、目を見開いて固まっていた。
 ナトが手元にあった槍の穂先が、瓶を少女に当たる前に穿ち破壊したのだ。

「イスフィ・リス・イス・エル・ヒューニィ……」

 豚のようなその形相を奇妙に歪ませ、男がナトに何かを語りかける。
 しかし、途中で言葉を切ると、口角をいやらしく吊り上げて、そのまま店を出て行った。

 静まり返る店内。
 唐突に、パチリと小さく何かを打つ音が聞こえた。
 見れば、少女の頬が仄かに赤く染まっていた。

「エイド・ディペイドバゥブル」

 老人が何かを少女に言い聞かせている。
 目尻に涙をためた少女は、小さく何度も頷いて、その言葉を聞いていた。
 意味は理解できないが、老人が彼女を叱っていることはナトでもわかった。

「ふう……いや、すまないね」

 老人は立ち上がると、ナトに向き直ってそう言った。

「あの人は?」
「ここを取り締まる……領主、の様なものかな。人の手の及ばないこの地で、そんな物が意味を成すのかは置いてね」

 服についた埃を叩きながら、老人は続ける。

「言っただろう? ここの頭目には逆らわない方が良い。その頭目がアレだよ。全く、ヒヤヒヤさせる」

 老人の視線を追って、気がつく。
 落ちて床に突き立つ錆びた槍の穂先。
 反射的に投げてしまったが、あの太った男の反感を買ってしまっただろうか。

「まあとにかく、何もなくて良かった。君たちは大事な同胞だからね、村を出るまでは面倒を見させてくれ」
「迷惑をかけます」

 老人に何か感謝する様に語りかけていた店員が、地面に突き立つ処刑道具をおぞましげにそっと持ち上げ、店の奥へと持って行った。
 それを見送りながら、ナトはふと、足元に目を向けた。
 そこには、落ち込んだ様子の少女が、自分の足元に視線を落としていた。

 多分、この子は責められている店員を見て、気の毒に思ったのだろう。
 ただそれで、あのような行動をしただけなのだ。

 そっとその頭に手を乗せた。
 目を丸くしてこちらを見上げてくる少女。
 ナトは彼女に微笑みかけ、多少強めにその柔らかい髪の毛をかき混ぜた。

 甘えるような抗議の声が聞こえた。
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