第53話 「モルキア」
文字数 3,574文字
翌朝――日が登り鐘が鳴る頃、一行は出発した。
方向は再び、アメリオの持つ砂時計の方角へ。
暗い森の村を出発して数日、途中休んだとはいえ、様々な事件により心身ともに多少の疲労が残っていた。
しかし、こんなところで立ち止まってはいけない。
光る灰も守ってはくれない。
そろそろ、進む必要があった。
しかし――実際は、すぐに出発するという司令を出したナトが、最も体の負担が抜けきっていなかった。
木の枝を押しのけるだけで節が痛み、
張り出た木の根を乗り越えようと、足を上げる度に太ももが痙攣した。
ヨルカは見抜いていた。
心配そうに隣を歩きながら、様子を伺い――結局、何も言わないことにした。
なにか責任を感じているのだと、彼女なりに察していたからだ。
「ところで、やけにここらへんは泥濘 んでるな、木の根もかなり張り出してるし」
オーハンスがマイクの手綱を引きながら、まどろっこしそうにそう言った。
大きな馬のようなマイクはともかく、オーハンスにとっては自分の半身ほどもある木の根は邪魔で仕方なかった。
「この種類の木の根は腐っていることが多いので、踏んで足を取られないよう気をつけましょう」
「お前らくらい身長があれば、通り抜けるのも楽だったんだろうさ」
実際、オーハンスの身長はヨルカと大して変わらない。
そのために初めて会う相手からは、いつも女の子扱いされてきたのだ。
その上あのような腐りきった街では、少女然としていてもケーキの一つも出ないため、得などなにもない。
「そういえば、あの緑色の生き物、ついて来ませんね」
「あれだけ派手に追い払ったんだ、もうナトを追うことはないだろう」
早朝に松明 を振り回しているオーハンスの姿が、ヨルカの脳裏をよぎった。
「どうする、ナト。その左手……いつまでもそのままってわけにはいかないだろ」
「俺は気にしていないけど」
そうは言うものの、オーハンスは歯がゆそうにその左手を見る。
いつまでも消えないままの緑色の痣がある。しかも暗闇で光る。
ナトが気にしなくとも、彼にとっては気がかりでしかなかった。
「獲った動物の革を使って、手袋でも作りましょうか」
眼の前に張り出した枝を蹴り破りながら、前方のグリーゼが言った。
「どれも小さい部類のものですが、継ぎ合わせれば、片手だけなら十分な質の物が作れるでしょう」
「俺は別に……」
「ただ、私の手先はほら、この通り……不器用ですので、誰かに手伝ってもらわなければいけません」
黒い籠手から伸びる鉄の質感の指先をガシャガシャとこすり合わせながら、グリーゼは尻目に金髪の少女を見た。
その視線を受けた彼女は、何かに気がついたように、がっしりとナトの手を握った。
「ナトさん、任せてください」
「あ、ああ……じゃあ、頼んだ」
オーハンスは軽く鼻から息を吐き出すと「それで」と、となりの赤髪を睨んだ。
「お前、さっきから一人で何飲んでるんだよ」
「んえ?」
木製の筒の給水口から口を離し、アメリオは目を瞬かせた。
それは、オーハンスたちが持っている革製の水筒とは異なり――つまり、所持していなかったものだ。
「お前それ、どこから持ってきた」
「遺跡の中よ!」
「持ってたのちょろまかしてたな、この野郎――ん?」
と、そこまで言って気がついた。
水筒の側面に、何かしらの紋章が掘られていることに。
「剣と炎……『魔道具』じゃねーか」
「そうよ!」
口に栓を締めて、「私のよ!」とオーハンスに手渡すアメリオ。
それをまじまじと見つめる少年の手元にナトが目をくれると、
「『蛙の腹袋』。飲み物の温度を保っておくための道具だね」
頭の中に浮かんできた情報が、ナトの口から自然と漏れた。
「これまた今までにないくらい実用的だな」
「なんだかんだ、暴力的な物が多かったですからね」
衝撃を飛ばすメイスに、触れた物を吹き飛ばすナイフ。
アメリオの砂時計なんて、もはや意味がわからない。
「それにしても、なんであんな場所に落っこちてたのかしら」
「大規模な戦争でも起きたんじゃないか。あの遺跡は、もしかしたら塹壕かもな」
「それで紛失したのを私たちが見つけたのでしょうか……」
道中にいくつも見てきた廃墟を思い出しながらヨルカは言った。
「……あれ?」
ふと、ヨルカが頬に違和感を感じて、そこを拭った。
「どうした?」
「いえ……虫でもぶつかったかな?」
再び前を向いて、歩きだした。
通った後には沈黙が残り、森のざわめきが、やけにいつもより激しく聞こえる気がした。
「どうしたもんかな」
「困りましたね」
暫く進むと、木々が開けたその先には、左から右に流れる緩やかな川が現れた。
川べりには木々がまだ生えているものの、中央部には流石に一本も見当たらず、
川の上に覆いかぶさる川べりの木々の葉の天幕が、森のなかにトンネルができているような光景を生み出していた。
緩やかと言っても、人が流される程度には早く、
加えて幅が広く、恐らく底も深いだろう。
「これじゃあ歩いて渡れないな」
マイクでも飛び越えることができないほど幅広い。
三十人が手をつないでも届きそうにないほどだ。
「もしかして……」
と、それを見て何かを思い出したのか、グリーゼがマイクに括り付けられた荷物を漁り、何かの地図を取り出した。
「やはり、ここはモルキア川です。私達はついていますよ」
「死界 ? ずいぶん物騒な名前だな」
オーハンスの言う「モルキア」とは、彼の故郷の言葉で死後の世界を意味する言葉だった。
その名を関する川――少年の目にはそれが、少しおっかない物に見えていた。
グリーゼは取り出した地図を、四人の前に広げた。
「この川は森だらけのこの大地で進路を見定めるための、重要な道標として使われてきました」
「通行人を阻んでいるだけじゃないのか?」
「いいえ、そんなことはありません。現地民は皆この川を神聖なものとして見て、わざわざ拝みに来る者もいます。
……話を戻しますが、恐らくここは上流、人が通ることは滅多にないので渡る手段がありません。しかし、下流に向かえばきちんとした橋があります。
この森が広大すぎるため、現在地は把握しかねますが……下っていけばそのうち橋までたどり着くでしょう」
「どれくらいかかるんだ?」
「橋は森を抜けてすぐです。しかし、森を抜けるまでに、もしかしたら二日以上かかるかも」
「長いな」
いつまでも安全が保証されていない場所でウロウロしているわけにはいかない。
オーハンスとグリーゼが地図を睨んで唸っていると、
「あれを見てください!」
ヨルカが何かを発見したよう、川べりを指してに声を上げた。
そこには、木の根に引っ掛かるボロボロになった木製の舟が横たわっていた。
「あれを使えば楽に下れますよ!」
「ずいぶん古いが、多分捨てられたものだろうし、いいんじゃないか」
「オーハンス、マイクはどうしますか? おそらく、あの舟には五人程度が限界だと思いますよ」
「俺はこいつに乗って岸辺を歩いてくよ。その代わり、荷物を少しそっちで預かってくれ」
そうこうしながら、ナトとグリーゼで舟を起こし、試しに川に浮かべた。
すると、どうやら穴が空いていたようで、底の方から泥の混じった川の水が滲み出してきた。
「どうしましょう……」
「やっぱり歩いていくしかないんじゃないか」
「せっかくなら船に乗ってみたいわ!」
そんなアメリオの言葉を聞いて、ナトは黙って船に近づくと、なにやら作業を始めた。
「おいナト、何してんだ?」
「ああ……本当は他に使いたかったけど」
そう言って、ナトは腰巾着の中から何かを取り出して、四人に見せた。
「ヤニ……ですか?」
「そんなもの、何に使うんだよ」
「舟の応急処置だ」
そう言って、ナトは舟の穴にヤニを押し込み始めた。
「こうすることで、舟は水に浮かぶはずだ。……昔、水路で妹と遊んでた時に、こうやって古い舟を直してたんだ」
「こんな使い道もあるんですね……」
ヨルカが感心していると、「おい」とオーハンスから声がかかる。
「その話、前に俺に言った時、結局沈んで大目玉食らったとか言ってなかったか」
「大丈夫だ、今度こそ成功する」
「……お前、ちょっとやってみたいだけだろ」
その言葉への返答はなかった。
しかし、作業をしているナトの顔を見れば、答えをしる必要はなかった。
方向は再び、アメリオの持つ砂時計の方角へ。
暗い森の村を出発して数日、途中休んだとはいえ、様々な事件により心身ともに多少の疲労が残っていた。
しかし、こんなところで立ち止まってはいけない。
光る灰も守ってはくれない。
そろそろ、進む必要があった。
しかし――実際は、すぐに出発するという司令を出したナトが、最も体の負担が抜けきっていなかった。
木の枝を押しのけるだけで節が痛み、
張り出た木の根を乗り越えようと、足を上げる度に太ももが痙攣した。
ヨルカは見抜いていた。
心配そうに隣を歩きながら、様子を伺い――結局、何も言わないことにした。
なにか責任を感じているのだと、彼女なりに察していたからだ。
「ところで、やけにここらへんは
オーハンスがマイクの手綱を引きながら、まどろっこしそうにそう言った。
大きな馬のようなマイクはともかく、オーハンスにとっては自分の半身ほどもある木の根は邪魔で仕方なかった。
「この種類の木の根は腐っていることが多いので、踏んで足を取られないよう気をつけましょう」
「お前らくらい身長があれば、通り抜けるのも楽だったんだろうさ」
実際、オーハンスの身長はヨルカと大して変わらない。
そのために初めて会う相手からは、いつも女の子扱いされてきたのだ。
その上あのような腐りきった街では、少女然としていてもケーキの一つも出ないため、得などなにもない。
「そういえば、あの緑色の生き物、ついて来ませんね」
「あれだけ派手に追い払ったんだ、もうナトを追うことはないだろう」
早朝に
「どうする、ナト。その左手……いつまでもそのままってわけにはいかないだろ」
「俺は気にしていないけど」
そうは言うものの、オーハンスは歯がゆそうにその左手を見る。
いつまでも消えないままの緑色の痣がある。しかも暗闇で光る。
ナトが気にしなくとも、彼にとっては気がかりでしかなかった。
「獲った動物の革を使って、手袋でも作りましょうか」
眼の前に張り出した枝を蹴り破りながら、前方のグリーゼが言った。
「どれも小さい部類のものですが、継ぎ合わせれば、片手だけなら十分な質の物が作れるでしょう」
「俺は別に……」
「ただ、私の手先はほら、この通り……不器用ですので、誰かに手伝ってもらわなければいけません」
黒い籠手から伸びる鉄の質感の指先をガシャガシャとこすり合わせながら、グリーゼは尻目に金髪の少女を見た。
その視線を受けた彼女は、何かに気がついたように、がっしりとナトの手を握った。
「ナトさん、任せてください」
「あ、ああ……じゃあ、頼んだ」
オーハンスは軽く鼻から息を吐き出すと「それで」と、となりの赤髪を睨んだ。
「お前、さっきから一人で何飲んでるんだよ」
「んえ?」
木製の筒の給水口から口を離し、アメリオは目を瞬かせた。
それは、オーハンスたちが持っている革製の水筒とは異なり――つまり、所持していなかったものだ。
「お前それ、どこから持ってきた」
「遺跡の中よ!」
「持ってたのちょろまかしてたな、この野郎――ん?」
と、そこまで言って気がついた。
水筒の側面に、何かしらの紋章が掘られていることに。
「剣と炎……『魔道具』じゃねーか」
「そうよ!」
口に栓を締めて、「私のよ!」とオーハンスに手渡すアメリオ。
それをまじまじと見つめる少年の手元にナトが目をくれると、
「『蛙の腹袋』。飲み物の温度を保っておくための道具だね」
頭の中に浮かんできた情報が、ナトの口から自然と漏れた。
「これまた今までにないくらい実用的だな」
「なんだかんだ、暴力的な物が多かったですからね」
衝撃を飛ばすメイスに、触れた物を吹き飛ばすナイフ。
アメリオの砂時計なんて、もはや意味がわからない。
「それにしても、なんであんな場所に落っこちてたのかしら」
「大規模な戦争でも起きたんじゃないか。あの遺跡は、もしかしたら塹壕かもな」
「それで紛失したのを私たちが見つけたのでしょうか……」
道中にいくつも見てきた廃墟を思い出しながらヨルカは言った。
「……あれ?」
ふと、ヨルカが頬に違和感を感じて、そこを拭った。
「どうした?」
「いえ……虫でもぶつかったかな?」
再び前を向いて、歩きだした。
通った後には沈黙が残り、森のざわめきが、やけにいつもより激しく聞こえる気がした。
「どうしたもんかな」
「困りましたね」
暫く進むと、木々が開けたその先には、左から右に流れる緩やかな川が現れた。
川べりには木々がまだ生えているものの、中央部には流石に一本も見当たらず、
川の上に覆いかぶさる川べりの木々の葉の天幕が、森のなかにトンネルができているような光景を生み出していた。
緩やかと言っても、人が流される程度には早く、
加えて幅が広く、恐らく底も深いだろう。
「これじゃあ歩いて渡れないな」
マイクでも飛び越えることができないほど幅広い。
三十人が手をつないでも届きそうにないほどだ。
「もしかして……」
と、それを見て何かを思い出したのか、グリーゼがマイクに括り付けられた荷物を漁り、何かの地図を取り出した。
「やはり、ここはモルキア川です。私達はついていますよ」
「
オーハンスの言う「モルキア」とは、彼の故郷の言葉で死後の世界を意味する言葉だった。
その名を関する川――少年の目にはそれが、少しおっかない物に見えていた。
グリーゼは取り出した地図を、四人の前に広げた。
「この川は森だらけのこの大地で進路を見定めるための、重要な道標として使われてきました」
「通行人を阻んでいるだけじゃないのか?」
「いいえ、そんなことはありません。現地民は皆この川を神聖なものとして見て、わざわざ拝みに来る者もいます。
……話を戻しますが、恐らくここは上流、人が通ることは滅多にないので渡る手段がありません。しかし、下流に向かえばきちんとした橋があります。
この森が広大すぎるため、現在地は把握しかねますが……下っていけばそのうち橋までたどり着くでしょう」
「どれくらいかかるんだ?」
「橋は森を抜けてすぐです。しかし、森を抜けるまでに、もしかしたら二日以上かかるかも」
「長いな」
いつまでも安全が保証されていない場所でウロウロしているわけにはいかない。
オーハンスとグリーゼが地図を睨んで唸っていると、
「あれを見てください!」
ヨルカが何かを発見したよう、川べりを指してに声を上げた。
そこには、木の根に引っ掛かるボロボロになった木製の舟が横たわっていた。
「あれを使えば楽に下れますよ!」
「ずいぶん古いが、多分捨てられたものだろうし、いいんじゃないか」
「オーハンス、マイクはどうしますか? おそらく、あの舟には五人程度が限界だと思いますよ」
「俺はこいつに乗って岸辺を歩いてくよ。その代わり、荷物を少しそっちで預かってくれ」
そうこうしながら、ナトとグリーゼで舟を起こし、試しに川に浮かべた。
すると、どうやら穴が空いていたようで、底の方から泥の混じった川の水が滲み出してきた。
「どうしましょう……」
「やっぱり歩いていくしかないんじゃないか」
「せっかくなら船に乗ってみたいわ!」
そんなアメリオの言葉を聞いて、ナトは黙って船に近づくと、なにやら作業を始めた。
「おいナト、何してんだ?」
「ああ……本当は他に使いたかったけど」
そう言って、ナトは腰巾着の中から何かを取り出して、四人に見せた。
「ヤニ……ですか?」
「そんなもの、何に使うんだよ」
「舟の応急処置だ」
そう言って、ナトは舟の穴にヤニを押し込み始めた。
「こうすることで、舟は水に浮かぶはずだ。……昔、水路で妹と遊んでた時に、こうやって古い舟を直してたんだ」
「こんな使い道もあるんですね……」
ヨルカが感心していると、「おい」とオーハンスから声がかかる。
「その話、前に俺に言った時、結局沈んで大目玉食らったとか言ってなかったか」
「大丈夫だ、今度こそ成功する」
「……お前、ちょっとやってみたいだけだろ」
その言葉への返答はなかった。
しかし、作業をしているナトの顔を見れば、答えをしる必要はなかった。