第61話 「呪われた体」

文字数 2,786文字

 長い間まどろみの中にいるような気がする。
 ぬめりのある泥に埋もれて、水面がぼやかす太陽をずっと見つめていた。

 湯気のように曖昧な意識の中――それでも、たった一つ考え事をしていた。
 自分は今、何をしているのか。
 何のためにここにいるのか。

 答えは出なかった。
 たまに揺り動かしてくる空色の水に、思考の流れが捕われてしまう。

 考え事をしていると、水面(みなも)の上から、二つの影が覗き込んだ。
 よく見るとそれは、綺麗な銀色の髪と、
 世界で一番知っているようで、世界で一番知らないような、
 そんな、無垢な少年の姿だった。

 水面を突き破り、一つの手がこちらに伸ばされる。
 少年のものか、輝く銀色のものか、そんな事わかりはしなかったが、
 何か、救われるような気がして手を伸ばした。

 触れようとして、そして、

『信じてる、お兄ちゃん』






 目覚た少年を迎え入れたのは、暮らしに不便がない程度の質素な空間だった。
 窓の外から見える外は暗く、雨が降り注いでいる。
 額に手を当てて、しばらくじっとしていた。
 目覚めにしてはやけに早い鼓動を鎮め、そして改めて目を開けた。

 そうだ、次の安全地帯に到着したんだ。
 オーハンスとははぐれたが、他は皆無事。
 そして、匿ってくれたのは二人の――。

「……よし」

 頭を整理し、ベッドから降りて、立ち上がった。
 すると、体がやけにずっしりとすることに気がついた。
 ブーツもマントも剣も、他の装備も外さないまま眠りこけていたらしい。

 はらりと、服からベッドの上に何かが落ちた。
 金色の髪のようだった。

 思い浮かぶのは、彼女の姿。
 いつの間に立ち入ったのだろう。
 それに、見られたのか。無防備に眠りこけている姿を。

 ふと、テーブルの上に目を向けた。
 盆の上に乗った陶器製の皿がいくつか乗っていた。
 中身を覗いてみると、それは大盛りのサラダと水、そして濃い色をしたシチューだった。
 シチューはすでに冷めていた。用意されてから大分時間が経ったようだ。

「……どれくらい経った?」

 青い剣の反動の事だ。
 野盗たちとの戦闘では無理が祟って数日間眠ってしまったが、
 反動に対する耐性は確実についてきていて、今回はどれほど眠ったのかは分からなかった。

 聞きに行こう。
 そう思い立つのは必然で、盆に乗った料理を引っ込みかけた胃に流し込み、
 無粋に添えられた蒸かし芋を齧りながら、ナトは部屋を出た。





 ヨルカもグリーゼも部屋を空けていた。
 最後に辿り着いた赤髪の少女の部屋を訪ねる。

「マリー、話が――」

 扉を開く。
 アメリオは、ベッドに座っていた。
 座りながら――手首に、刃渡りのある鋭利なナイフを当てていた。

「っ! やめろっ!!」

 ナトが駆けつける間も無く、その腕が引かれた。
 飛び散る鮮血。
 質素な部屋に赤い花が咲く。

「くっ……!」

 そのか細い手首を掴んで、彼女の肘に近い辺りを強く押さえた。
 そして、辺りに布がないかと首を回し――ふと、手首を押さえる手に柔らかい指先が触れたのを感じた。

「――ナト、大丈夫よ」
「何を言って……」
「ほら、見て」

 アメリオが指差す方向――飛び散った血潮。
 水に触れた氷のような音を立てて、それが結晶化していく。
 やがて、宝石のように透明な赤い石となって、地面に転がり落ちた。

「これは……」
「ナト、腕が痛いわ。きっとそれも、痛いだけでしょうけど」

  そう言えば、強く握りっぱなしだった。
 傷口の方に目を向けると――赤い宝石がこびりつくその場所に、傷は一つも見当たらなかった。

「なんで……こんな事したんだ」
「試してみたかったの。ごめんね、ナト」

 そう言って、アメリオは立ち上がった。
 部屋に散らばる大小の赤い宝石を拾い集めていく。

「……血の塊と言うわけではないのか」
「違うわ。たぶん材質は石その物……ただ、色が赤いだけよ」
「痛いのか?」
「痛いわ。でも……死ぬわけじゃない」

 拾い集めた宝石を、布で包んで机の上に置いた。
 そして、悲しげな表情でナトを見る。

「皮肉ね。力を使えば使うほど――それに相応しい体になっていくなんて」
「じゃあ……!」
「でも、後悔はしてないわ」

 右の手のひらを天井に向けて、ヨルカはかざした自分の手を見た。

「この力のおかげで、みんなを守れる。それに、あなた達はどんな風になっても私は私って、そう言ってくれたわ。……ナト、あなたはどう?」
「勿論、マリーはマリーだ。それ以外の何者でも」
「そうじゃなくて」

 ふと、アメリオの手がナトの胸板に添えられた。

「あなただって、そうでしょ?」
「……何が」
「初めて出会ってから……あなただって、随分と変わってしまったじゃない」

 そう。
 ナトの身体能力の急成長。
 毒の効かない体、圧倒的な回復力。
 そして――彼の意思に呼応して輝く、青い剣。

「……俺は、大丈夫だ」
「ほら」

 アメリオが、ナトのそばでその袖を握った。
 見上げる瞳は濡れている。

「私たち、似てるわ」

 そういって、アメリオは笑った。彼女の呪いはこの世界に入る前からのものだが、境遇はナトと同じだった。
 しかし、なぜ呪われてしまったのか。
 これもこの世界の魔法なのか。
 一体、一体――。

「ナト……」

 胸の辺りに軽い感触。
 アメリオとの距離が近い。
 仄かに感じる彼女の体温。

 ふいに、その手が少女の頭に伸びた。

「ん……」

 まだ、アメリオは安心していない。
 恐れているのだ。自身の身に降りかかっている――形容しきれない、その何かを。

「俺が、守るから」

 それしか無いのだ。
 ナトには、たった一つ、ひたすらに抗う他に、良い方法を持っているわけではなかった。

「……嫌よ、私も守るわ!」
「俺のほうが身長が高いだろう」

 グリグリと、赤い髪の毛を傷だらけの手のひらが撫でる。

「そういう話?」
「俺の住んでいたところでは、子供は身長順に守られるんだ」
「そんなの理不尽じゃない」

 ぺち、と頭に載せられた手をアメリオが払い除けた。
 どこか不満げ――でもなさそうだった。

「ところでマリー、二人は?」
「ヨルカとグリーゼなら出かけたわ。マルギリも一緒よ」

 出かけた?
 こんな夜遅くに?

「……マリー、今は夜?」
「何言ってるのよ、ナト」

 机の上に置いてあった陶器のコップに口を付けながら、アメリオがいった。

「早朝よ。もうすぐ夜が明けるわ」

 鐘の音が鳴った。
 曇り空は相変わらず薄暗いままだった。
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