第6話 「沼の村」

文字数 6,600文字

 陸地へ上がった四人の前には、崖が聳え立っていた。
 まるで壁のような、高い茶色の崖だ。
 そんな彼らの背後には、数え切れないほどの間欠泉が広範囲に渡って吹き出していた。

 ナトは倒れ込むようにして、その光景を激しい呼吸と共に見やった。
 どうにか間に合った。
 安心感と共に激しい疲れが身体を襲う。

「ふぅ……なあ、今気が付いたんだけど……これなんだ?」

 オーハンスが、辺りを見回しながらそう言った。
 沼を堺にしたその陸地には、淡く光る灰のようなものが、冬の雪のように揺蕩(たゆた)っていた。
 アメリオが手を伸ばして触ると、溶けるように消えていく。

「害は無さそうだけど」
「そうね。一体何かしら」

 アメリオが壁に寄りかかって休憩していると、隣から吐息が聞こえてきた。
 そちらを見やると、金色の髪を垂らしてヨルカが微睡(まどろ)んでいた。

「かなり無理をしてそうだったし、疲れていたんだよ、きっと」
「私も眠いわ、とんでもなく。……ねえ、休憩にしない? ここなら安全だと思うわ」

 隣で眠る少女の小さな頭を寄せて、アメリオがそう言った。

「ナト、俺も少し休みたい。もうクタクタだ」
「……うん、そうだね」







「……あれ?」

 整ったまつ毛が持ち上がる。
 金髪の少女が目を覚ますと、ぼやける視界に、宙を泳ぐ光の中で二人の人影が何事かを話しているのが見えた。

「あ、起きた?」

 ナトが声を掛ける。
 意識が浮上して、徐々に現実を把握していく。

「あっ、私、寝て……!」
「皆も休憩を取ってたから大丈夫だよ」

 ふと、隣になにか重みと温かみを感じた。
 煌めく赤い髪が、さらさらと自分の肩に枝垂(しだ)れかかっていた。

「お前の後にすぐ寝ちまったんだ」

 そうだったんだ、とヨルカは驚く。
 ずっと元気で、疲れているようには思えなかった。
 その赤い髪を手で梳く。
 柔らかい宝石のようなそれが白い指の間を流れていく。

「オルフも寝て良いんだよ」
「俺は大丈夫だ。それに、お前の方こそ、どうなんだよ……ナト。
 あんなに剣振り回して、俺たちを担いで逃げて――」
「……まあ、正直疲れはしたけど、思ったほどじゃないんだ」
「確かに、この中じゃ一番体力がありそうですけど」
「それだけじゃないんだ。
 こう……森で朝起きた時くらいかな、身体が少し軽くなったような気がしたんだ。
 あんなことがあった後なのに」

 自分の手を握りしめて、それを見つめる。

「それで、さっき確信したんだ。
 白濁菌(カガミナギダラ)にとどめを刺した時、確かに身体の奥から力が(みなぎ)るのを感じたんだ」
「それって、つまり」

 オーハンスの言葉に、ナトは頷いて答える。

「詳しいことはわからない。
 でも、何か変化が起きたんだ。俺の中で、燃えるように何かが」

 その時、何かが鳴った。
 アメリオの方からだった。
 その瞼が持ち上がり、紅玉のような瞳が光を灯す。

「お腹が空いたわ」
「知ってるけど、荷物はもう何もないから我慢してね」

 怪物から逃げる時に、全て落としてきた。
 今更取りに帰るのは無理だろう。

「じゃあ、そろそろ出発しよう。
 こんなところで立ち止まっていても食べ物は見つからないしね」

 ナトが立ち上がると、三人もそれぞれ身体を伸ばしながら腰を上げた。
 血が身体を巡り始める。

「……なあナト。今まで触れて無かったけどさ」

 オーハンスが崖を見る。
 壁に張り付いた、長い足のような根っこの木々の森。
 その根っこが網状の影を落とすトンネルの中に、崖側に明らかに人工的に作られたように見える階段が彫られていた。

「登ってみようか」

 そう行ってトンネルをくぐり、ナトはその一段目に足をかけた。






「嘘だろ……?」

 登りきったその先には。

「あれは……住居?」

 ナトが驚いたように、その光景を見ていた。
 他の三人も、それと同様に立ち尽くしている。
 その視線の先には、住居の群――村があった。

「なんで、こんなところに」

 ナトの声が震える。
 現実から断絶された最果ての世界。
 そのはずなのに、そんな場所に、人が住んでいるなんて。

 薄い色の草が生える野原が広がる大地に、五百人は住んでいそうな住居の群があった。
 牧場のような高い柵に囲まれた場所では、見たことのない馬のような生物が草を食(は)んでいた。

「おい、あそこ」

 オーハンスが指をさす。
 そこには、門番の居ない入り口と(おぼ)しきアーチがあった。

「……行ってみよう」

 ナトたちが近づく。
 ちょうど近くに、多少裕福な農民のような格好をした中年女性の村人が居た。

「あの」

 入り口の外から声を掛ける。
 すると、すぐこちらに気が付き、一拍置いて目を丸くする。

「トッヒ、ウロォム・トッヒ!!」

 何事かを叫び、村の奥へと走っていく村人。
 あっけに取られてナトは呼びかけた姿勢のまま固まった。

「……今の、なんて言ったかわかるか?」
「い、いえ、聞き取れなかったです……」

 その後、しばらくして先程の村人が戻ってきた。
 その脇には、真っ黒な髭を鼻の下に蓄えた若々しい男が居た。

「オゥ・ユル・リィス!」

 その男がナトたちに話しかける。
 一様に首をかしげる彼らを見て、何事かを話し合う中年女性と傍らの男。

「シィ・ディペイナウ・エイ・バコゥト――エイド・ユル・ウロォム・ハァレィノゥエルィ」

 男に身振り手振りで中に入るように促される。
 三人がナトの方へ視線を向ける。ナトは小さく頷いた後にその指示に従う。

 土の道を踏み、男と中年女性に挟まれて村の中央を進む。
 街には間隔をそれなりに開けて家が建っており、それらは簡素な木組みの家が多い。
 そこに住む住民たちが、作業を止めて遠目にこちらを見てくる。
 オーハンスやヨルカは緊張して黙っているが、アメリオは笑顔で手を振っていた。

「ヘェル」

 男の足が止まる。
 そこは周囲の家と比べると比較的大きな屋敷だった。
 中に入るように促してくるため、四人は中年女性に連れられて中に入る。

 中に入ると、正面のカウンターのような場所に若い女性が立っており、四人に目を向けると驚いたように目を丸くした。
 男は何事かを若い女性に話すと、中年女性と若い女性を残して外へと出ていった。

 その後、女性が慌てたように何事かを伝えようと手振り身振りをする。
 「座って」とカウンターの前にあるいくつかのテーブルに案内しているらしく、四人はされるがままに座らされた。

「な、なあ、大丈夫なのか、本当に」
「……わからない。でも、敵意は無いようだし」

 その時、おずおずと木のお盆を持った少女が現れる。
 ヨルカよりもいくつか年下の、幼い少女だ。
 小さな手に持つ盆の上には、独特の形状の木のカップが四つ並んでいた。
 
 おぼつかない手付きでカップを運ぶ。
 それぞれの前にそっと置かれ、最後にナトへと置こうとして、チラリとナトは少女と目があった。
 ニコリと微笑んで見せるナト。純粋な瞳に僅かな安心感が灯る。
 しかし、次に少女の目線がナトの腰へと移り――、

「――っ!!」

 少女は思わず手を引いた。
 カップの内容物――何かのお茶が、湯気を立てながらこぼれた。
 ナトは驚いて、少女の目線の先を追う。
 そこには、錆びついた光沢を放つ、鉄の刃が差されていた。

「ああ、これか」

 取り外して、近くの壁に立てかける。
 改めて謝ろうと向き直り――。

「……いない」

 気が付けば、カウンターの女性へと抱きついて泣いていた。
 女性も、少女の頭を撫でながら、複雑そうに四人を見やっていた。

「残念だったな」

 お茶を啜りながら、オーハンスがそう言った。

「……どうしよう」
「新しいのを淹れて貰えばいいじゃない」

 すでに飲み終えていたアメリオはそう言った。

「いや、そういう話じゃなくて……でもちょっと残念かな。ヨルカ、一口くれる?」
「わ、私ですか……?」

 少しだけ手を付けて見守っていたヨルカが、慌ててそう返す。
 先程の少女のような手付きでカップをナトに寄せ、
 大事そうに手に取ると、それを少しだけ含んだ。

 鼻を抜ける炒った豆の香ばしい香り。
 多少渋みがあり、それが素朴さを引き立てる。

「――美味しい」
「そりゃそうだ。ここに来てから、ぬるい川の水とか、変な植物由来の液体しか飲んでないだろ」
「それはそれで美味しかったよ」

 「ありがとう」と礼を言って、ヨルカにカップを返すナト。
 彼女はしばらくそれを見た後、突然顔を赤くして、それを突き返した。

「いや、いいんだ、一口味わえれば、それで――」
「い、いいんです! ナトさんに味わって頂ければ、それで!」

 「そう? それじゃあ遠慮なく」と残りを一気に飲み干すナト。
 赤い顔でチラチラとそれを見ては俯(うつむ)くヨルカ。

「おかわりはまだかしら」
「残念ながらナトのせいで、お前に運ばれることは無くなってしまったな」

 やがて、先程の女性がやってきて、アメリオが目を輝かせるのを(いぶか)しげに見ながら、申し訳なさそうに濡れたテーブルを拭き出した。
 その時だった。

 屋敷のドアが開く。
 皆の視線がそちらに向くと、そこには先程の男と、一人の老人が居た。
 その老人は頭の禿げた好好爺で、顎から伸びる長い髭は、年月を感じさせる白さだ。

 その老人は、片腕がなかった。
 顔は傷跡だらけで、特に大きな傷跡が口元でその存在を主張している。

「ペイドゥル・エイノゥスパック」
「タクスィ、エイド・ユル・ペイビヨゥ」

 男とそう話すと、老人は彼を侍らせて四人の机に近づいてきた。
 適当に椅子を掴んで四人の近くに寄せると、勝手にその机に座った。
 四人がそれぞれ様子を伺っていると、

「ああ、構えなくていい。私達は同郷の士だろう?」

 そう、話した。
 オーハンスとヨルカが驚いたように反応する。

「……こちらの言葉がわかるのですか?」
「ああ。私も昔は、あちらの出身でな」

 さて、と姿勢を直す老人。

「何から話そうか。なにせ、こんな辺境に来たのは君たちだけでね。こんなことは初めてなんだ」
「貴方も、あの沼や森を、渡ってきたんですか?」
「ああ、なんとかね。おかげで、古い付き合いだった仲間を二人も失ってしまった。ああ、後この腕もだね」

 「持っていかれたよ」と軽く持ち上げてみせる先のない腕。
 そこには、思わず目を背けたくなるほど痛々しい傷跡が残っている。

「いやはや、それなのに、君たちは大したもんだ。
 子供の身で、よくもまあこんな場所まで無事に来れたねぇ」
「運が良かったんです」
「それにしたってだよ。……とりあえず、まずこの村のことから話そうか」

 傍らの男や、中年女性、若い親子などが見守る中、老人が口を開く。

「ここは沼の村。村人は私を除いて、全て私達の国とは関係のない異国の人間だ。
 彼らはとても心優しい。すぐに君たちも打ち解けられるだろう。
 今は少し、珍しい事で皆緊張しているんだ。私の時もそうだった」

 ちらりと、ナトは周りの人間を観察する。
 なるほど、確かに悪意は感じない。
 妙に納得して老人に意識を戻す。

「後は……そうだね、もうわかっていることかもしれないが。
 君たち、外に光る何かが降っていたのは気が付いたかな?」
「ええ。この村にも降っていますね」
「あれが何なのか、私達には詳しくはわからない。
 しかし、あれが降り注ぐ場所では、私達に敵対する生物達は近づけないんだ。
 襲われても、そこにさえ逃げ込めば、まるで見失ったかのようにその場を去るだろう。
 だから、この村にいる間はあの化け物に襲われない。安心して良い」

 なるほど、こんな場所で繁栄できる訳だ。
 ナトは深く頷いて、老人の言葉に聞き入る。

「あと、ここに居る上でとても大事なことだ。
 ――ここはとある団体が管理していてね、彼らには逆らわないほうが良い。
 そこの頭目は魔法のような力を操り、それは村の人間全てを押さえつけるほど強力なんだ。
 彼らの住処は、ここを出て崖の一番高い場所を見れば、霞がかっているが確認することができるよ」
「魔法、ですか」
「そうだよ。信じられないとは思うけどね。君たちにも何か目的があると思うが、しばらくゆっくりしていきたまえ。旅と休息は常に隣り合わせでないと」

 ふう、と一息つく老人。

「さて、ひとまず重要なことはこれで全てかな。何か聞きたいことはあるかい?」

 老人の言葉に、「そういえば」とナトが口を開く。

「えっと、ここに来てから、身体が強くなった気がするんです。……何か知りませんか?」

 それを聞いて、少し考えるように思案する。

「特にそんなことは無いね。具体的に教えてくれないかい」
「以前にも増して動けるようになったというか、できることが多くなった……ような」
「ううん、わからないね。すまない、何せこんな場所だ、わからないことの方が多いんだ。許してくれ」

 そうですか、とナトが話を切り上げる。
 自分でもよくわかっていない事だから、詳しく説明するのも難しかった。
 すると次に、おずおずとヨルカが手を上げた。

「あ、あの……なぜ、ここに来たんですか?」
「ん? ああ、私のことかい? 私は国では当時名のしれた貴族でね、ここの調査で派遣されたんだよ。教会にね」
「き、教会? 私の父も調査でここに来て、それで行方不明になりました。教会って、国の教会のことですか?」
「君のお父さんもか。そうか……。教会といえば、あそこさ。確かに国の教会だよ。でも、確か他のところも混じっていたね。あれは確か……ごく少数派の宗教、『リ・エディナ』」

 それを聞いて、ヨルカが鳥肌を立てた。
 震える声で、「そ、それで……?」と問う。

「いや、私も教会を通じて司令が下されただけでね、詳しくは知らないんだ。すまないね。
 それと、どうやら君のお父さんも、此処には訪れていないようだ。私以外のあの国の者は、たいていこの沼は避けて通るんだよ。私達はここの探索を任された唯一の旅団さ」
「そうですか……」

 落ち込むヨルカを見て、老人は「そういえば」と手を叩く。

「君たちは何をしにここへ来たんだい? 何か用事があって来たんだろう?」
「彼女は父に会いに行くんだそうです」
「と、言うと、君は違うのかな?」
「……はい」

 ナトは老人を見つめる。

「『魔王』へ会いに」
「……『魔王』とな?」

 沈黙が訪れる。
 しばらく後に、老人が口を開く。

「ふむ、そうか、ふむぅ……」

 そう言うと、老人は何事かを村人たちに話しかけた。
 言葉を聞くと、彼らは皆安堵したような表情をした。
 老人は少年たちに向き直る。

「――安心するといい。彼らには心配要らないと伝えた。心ゆくまでこの村でゆっくりしていきたまえ。勿論、考えを変えて住むと言うのなら、私達は大歓迎だよ。同郷の者として、これからも仲良くしよう」

 それだけ言うと、老人は立ち上がり、男と共に屋敷を出ていった。
 若い女性が屋敷の階段へ促す。どうやら、上がれということらしい。
 それに甘んじて立ち上がると、

「オルレィ、ユルレ」

 ナトの元へ先程の少女がやってきた。
 しばらくもじもじとしていた彼女は、突然、何を思ったのか、壁に立てかけた錆びた剣を、抱きしめて持ち上げた。

「持ってくれるんじゃないか?」
「……そうかな?」

 ふんすと鼻から息を吐く少女を見て、母も苦笑いを返す。
 ナトは少女の頭に手を伸ばす。
 ビクリと体を震わせるも、その手が髪に触れて撫でると、花が咲くようにはにかんだ。

「……おかわりはまだかしら」
「お前は早く上がれ」
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