第62話 「死人の世界」

文字数 3,987文字

 ヨルカとマルギリ、グリーゼは宿を出て、少し離れたところの広場にやってきた。
 街灯のみが立ち並び、建物に囲まれたその中央には無粋な高い塔が立っている。
 その塔は窓の一つも見当たらず、側面に簡易的な階段が設けられているだけだった。

 ふと、グリーゼが隣を歩くヨルカが上の空なことに気がつく。

「……ヨルカ、どうしました?」
「い、いえ、なんでもっ!?」
「本当にどうしたんですか」

 まるでイタズラの犯人を知られたかのような慌てように、
 怪しむように、その顔を覗き込む。

「そ、それにしても、これなんの施設なんでしょうね!」
「先生が言うには、地下墳墓への入り口らしいよ」

 マルギリはそう言って、側面の階段を踏み外さないように一歩ずつ登っていく。

「こんなところに樹木があるんですか? そんな風には……」

 ヨルカが怪訝げな表情でマルギリを追うグリーゼの後を付いていく。

「ほら、見てごらん」

 頂上に到達したマルギリが、ヨルカにそう言った。
 そこは煙突のように穴が空いており、中を覗き込むことができた。
 ヨルカが恐る恐る顔を出すと――暗い中で、星のように何かが瞬いていた。

「じゃあ、お先に失礼するね」

 そう言って、縁の部分に設けられた縄を伝って下へと降りていくマルギリ。

「あ、あの……グリーゼさん、どうしましょう」
「進むしかないでしょう。ヨルカ、掴まって」

 グリーゼはヨルカを脇に抱え、片手でロープを滑り落ちていった。
 塔の中をするすると降りていくと、暗く狭い空間から、突然辺りが明るく輝いた。

 突然の事で目が驚き、暫く瞬いてからゆっくり目を開ける。

「うわぁ……」
「地下に、こんな文明が」

 それは、入り組んだ立体迷路のようだった。
 巨大な穴の側面には幾つもの吹き抜け廊下が設けられていて、その廊下の溝には水が勢いよく流れている。
 廊下は地中を巡るだけでなく、穴を真横に突っ切るように橋がかけられていて、穴の奥の暗闇まで幾つものそれが交差している。

 そして何より――光る灰が降り注いでいた。

「こっちだよ、こっち!」

 穴を横切るように繋げられた廊下の一つにマルギリは着地していた。
 それに習い、二人もゆっくりと慎重にその廊下に足を付ける。

 橋の幅は広げた両手よりも少し広い程度しか無い。
 下を見れば、光る灰の揺蕩う底の見えない暗闇。転べば踏み外す可能性は十分にある。
 足場はしっかりとしているようだが、足元を流れる透明な水から、嫌でも緊張してしまう。

「ここがそうさ。地下墳墓――かつての人々が利用していた施設さ」
「……少し、疑問があります」

 グリーゼが、辺りを見渡しながらマルギリに問う。

「何故こちらを拠点にしないのですか? こちらの方が怪物の心配をせずに済むでしょう」
「もともと地上でもその心配は無いし、地下だとジメジメして嫌だからさ。もっとも、僕より先生が来たがらないからなんだけど」

 マルギリが側面に空いた入り口に向かうのを見て、二人も踏み外さないように慎重に付いていく。

「今はまだ大丈夫だけど、雨脚が強まって水かさが増してきたら切り上げるから、さっさと済ませようか。
 迷路みたいだけど、ちゃんと帰る方法はあるから大丈夫。付いておいで」

 壁に空いた穴をくぐると、吹き抜けの廊下に出た。
 吹き抜けと言っても、片側は壁となっていてよく見れば不気味な模様が掘られている。
 回廊を進むマルギリに付いていきながら、ヨルカはその装飾を目で追っていた。

「私達が使う文字に似てますね、形が崩れてますけど」
「崩れているのではなく、こちらが原型なのでしょう。文字の形にここまで違いが出るほど古の文化……ここの古い住人はこんな大都市を捨てて、どこへ行ったのでしょう。マルギリさんはご存知なのですか?」
「さあ。先生なら何か知ってるだろうけど、何も話してくれないんだ」
「なぜ、あの方が知っているのですか?」
「――僕も知らないよ」

 不意ににこりと穏やかな笑みを見せて、マルギリは言った。

「ただ、口ぶりからそんな風に聞こえただけで……あ、ほら、もうすぐだよ」

 着いた先には、ポッカリと口を開けた大きな穴があった。
 突然温かい空気が吹き出してきた。
 顔に風を受けながら穴を通り抜けると、そこには礼拝堂のような広い空間が広がっていた。

 天井に蓋をするように張り付いている白い宝石が明るく発光し、辺りを昼間のように照らしつけている。
 空気は暖かく、どこからか風が吹き込んでいるのか、常に緩やかに動いていた。

 見渡す限りの壁に回廊のような装飾が施されていて、
 描かれた動植物たちは一様に、壁際の一段高い場所に設けられた教壇の方を向いている。
 しかし、何故か崩れた柱や石ころで辺りはボロボロで、
 砂埃を被ったそれらはもはや長い間人に使われていない事を現していた。

「僕はよくここに来るんだ」
「ジメジメして嫌だって……」
「まあ、そうなんだけどさ。でも、ここには沢山の宝がある。例えば……」

 そういって、マルギリは瓦礫をひっくり返し始めた。
 しばらくすると、何かを引っ張り出してヨルカたちに見せた。
 それは、特徴的な文様の入った衣服の残骸だった。

「地上にはほとんど何も残っていないんだけど、何故かここには利用できるものが沢山残っているんだ。
 いわば、宝探しさ。君たちも、何か見つけたら拾ってみるといいよ」
「それはそうと、マルギリさん。目的の――」
「ああ、木や植物だったね。それならあそこさ」

 マルギリの指さした場所には、積まれた石の壁で囲まれた空間があった。
 グリーゼが入り口へ向かって覗いてみると、そこには森と言っても差し支えないほどの巨大な庭があった。
 天井にはびっしりと苔が生えており、それらは神々しく輝き辺りを昼間のように照らしていた。

「……これは驚きました」
「ここに住んでいた人たちの宗教観は不思議だよ。わざわざ地下にこんな施設を作ってまで、こんなことをするなんて」
「これほどの技術力がありながら、何故誰も居なくなってしまったのでしょう」

 礼拝堂にしては、あまりにも大掛かりすぎる。
 つまり、ここの住民はそれほどの余裕――つまり、先進的な生活を送っていたということになる。

「とにかく、君たちが目的の物を探している間、僕はここで発掘でもしてるから。
 用が済んだら、声を掛けてね。水かさが増えはじめたらすぐに戻ること、いいかい?」
「ええ。案内してくれてありがとうございます。行きましょう、ヨルカ」
「は、はい!」

 石壁に空いた隙間から、その庭園に侵入する二人。
 ふと、ヨルカが背後から視線を感じ、振り向くとマルギリがにこやかに微笑んでいた。
 手を振る彼を見ながら、ヨルカは庭園内部に足をつけた。

 蝋を塗ったブーツの靴底が、淡い緑の絨毯に沈み込む。
 その場所は、手入れがされていないにも関わらず、地面は綺麗な芝生で覆われていた。

 彼女の屋敷では、一週間に一度は使用人が刈り込んでいた。
 しかし、ここは廃墟。そんな手間をかける人間は居ない。
 伸び放題にならない理屈ができない。品種が異なるのか、環境により抑制されているのか。

「うちのもこれなら庭師のおばさんも腰を悪くせずに済んだかな……」
「ヨルカ、来てください」

 突然グリーゼに声を掛けられ、「はいっ」と声を上げてそちらへ向かうヨルカ。

「こっちです」

 黒鎧の姿を追っていると、壁から湧き出た水が溢れる小さな滝に出た。
 その側に根を張る木の傍らに彼女は佇んでいた。

「この木を見てください」
「えっと……これが『渋み』なんですか?」
「ええ。これがそうです」

 鎧が示した箇所は拳大のうろになっていた。
 その中には濃い飴色をした液体が満ちている。

「これ、雨上がりの庭の木で見たことがあります!」
「そうでしょう。これは何らかの要因で溜まった水に、木から滲み出た『渋み』が溶け出しているのです。
 旅人が木のうろに貯まった――それも新鮮でない水を嫌がるのは、こういった理由があるのです」
「アメリオさんは平気そうに飲んでましたけど」
「平気では無いでしょう。とっくに気が触れているのだと思いますよ」

 その後、暫く辺りを散策し『渋み』が含まれていそうな植物を漁っていると、
 部屋の片隅、石がむき出しになっている無機質な空間に、とある物をヨルカが見つけた。

「鍾乳洞……?」
「ああ、いいもの見つけましたね」

 それは、白い柱のようなものだった。
 上部と下部が砂時計のように幅広になっていて、ヌラリと光っている事から濡れている事がわかる。

「これは天井から滲み出した鉱石の成分が固形化したものですね。
 近くの山脈の物でしょう。石灰でしょうか……恐らくこれも使えるでしょう。丁度良かったですね」
「何に使うんですか?」
「皮の脱毛です。石灰を溶いた水に漬けると余分な部分やあらかたの毛を取り除くことができるのです」

 鎧の角で柱を削り取りながらグリーゼは解説するも、ヨルカにはやはりよくわからなかった。
 グリーゼは微笑み――その様な雰囲気を仮面の奥に漂わせながら、

「あなたは賢い子です。一度手順をなぞればすぐに理解できますよ」

 と言った。
 どこか少女の母親に似た心持ちを感じて、少し恥ずかしそうに彼女は頷いた。

 その様子を、マルギリは遠目に見ていた。
 じっと、観察するように二人を見つめる。

 その口角が上がる。
 その表情は、深い深淵が飲み込んでしまっていた。
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