第48話 「変態 下」

文字数 4,214文字

 攻撃は続く。
 ――それは、人間の動きではなかった。
 ヨルカはそれを目の前で見ていて尚、その光景の実感がわかなかった。
 ただ攻撃を受け続けるグリーゼの姿など、想像できなかった。

「……これだけかい?」

 片腕により地面に組み伏せられたグリーゼ。
 しかし、その体から――血とは異なる、赤くぬらぬらと光る液体が溢れ出す。

「ガ、ァ……」

 その黒い兜が横に引き裂かれるように割れ――現れたのは、幾つも並ぶ獣のような鋭い牙。

「ガアァァァァッ!!」

 男を跳ね飛ばすようにグリーゼであったその存在は体を翻し、叫ぶ。
 大きく開いた人ならざるその口部から赤い構内と長い舌が見え、糸を引くよだれが飛び地面にシミを作る。

「……驚いたね、化物そのものとは」

 その姿を見たヨルカは言葉を失った。
 一体何が起きているのか、理解できなかった。
 しかし、

「……ぐ、グリーゼさんは人間です!!」

 ヨルカは叫んだ。
 それを聞いた男は、口から小さく息を吐いた。

「これが人間? はぁ……花を咲かせるのは自分の庭だけにしたらどうだい」

 そう言って、狂気を振りまき襲いかかる黒い影に身構えた男。
 ――だが、次の瞬間には地面に顔面を埋めていた。

「ィァァァッ!!」

 力任せの拳槌が、倒れた男の後頭部を襲う。
 聞いたことのない鈍い音に、ヨルカは雫の下の大葉のように肩を跳ねさせた。

「……今のは、効いたなぁ」

 のそりと後頭部をさすりながら起き上がる大男。
 そして、次の瞬間。
 一瞬の後に交差する腕と腕。
 鉤爪を振るうかのように薙いだ腕を、男の豪腕が止めていた。

 それから何度も、不可視の速度で大きな質量同士が何度もぶつかる音が続く。
 まるでほとんど視認することの叶わない戦い。
 戦いで起きる衝撃波は、遠巻きに見守る少女の臓物すら揺るがしている。

 男が右腕を振り上げる。
 暴れ狂うグリーゼは、防御の姿勢も取らずにそれに掴みかかろうとする。
 展開があったのは、その一瞬後だった。

 何かが千切れたような、折れたような音。
 骨折か、それとも肉が弾けたか。
 ――そのどれでもない。

「ぅお、あ」

 無感情な動揺だった。
 千切かけていない方の男の右腕が、奇怪な形へと姿を変えていた。
 腫れたように大きく膨らんだ前腕から先がめちゃくちゃな方向に折れ曲がり、
 さらに様々な動物の皮が複雑に混ぜ込まれたような肌へと変わっていく。

「何が……?」

 ヨルカの声が溢れる。
 手当たり次第に動物の骨肉を組み合わせた人形のような、歪な形。
 まさに、それは異形の腕だった。

「ああ……力を使い過ぎた」

 そう言って――その腕を、グリーゼに叩きつけた。
 グリーゼは簡単に吹き飛ばされるも、獣のような動きで即座に態勢を立て直し、またすぐに摑みかかろうとする。
 両腕の自由をなくした男は、彼女の黒い籠手により拘束されてしまう。

「ガァ――」

 グリーゼの裂けた口が大きく開く。
 光の粒子が、その中へと誘われていく。

「ああ……なんだい、これ……」

 その言葉をこぼした次の瞬間だった。
 男の胸から、何かが芽を吹き出した。
 それは肉の塊のようなものだった。

 それ自身に意識があるとでも言うように蠢くそれは、グリーゼの頭を包み込むように取り込んでいく。
 放たれる光。
 グリーゼの頭を掴んで離さないその肉塊の隙間から光が漏れる。

 爆発。
 刹那、されど眩いなんて程度では済まないほどの光量と、爆ぜて散る風。
 その強烈な衝撃に、側に居た少年と少女の鼓膜は悲鳴を上げていた。

 そして、両者は気がつく。
 グリーゼと男は?

「グリーゼさん!!」

 真っ先に声を上げたヨルカ。
 白い灰が揺蕩うその中で、中心に居たのは――。

 両足を地に付けて耳から血を流した大男。
 そして、頭部を失った、グリーゼだった。

 事切れたように倒れ伏すグリーゼを見て、ヨルカは今にも気を失いそうな顔をしていた。
 しかし、ナトはその好機を見逃しては居なかった。

 男は焦点の合わない目で辺りを見回している。
 あの光で、視力を失っているのだろうか。
 その考えに至ったナトは、なけなしの意識で頭を回し――壊れそうな体で腰を上げた。

 しかし。

「ああ――見つけた」

 ナトは感知された。
 音やその反響で獲物の位置を把握する――ナトも先程実践したことだ。

 予想外だった。
 どこまでも少年の上をいく男の能力に、驚きを隠せない。
 だが――打開できる。

 男に向かって駆け出すナト。
 常に捉えられている感覚を覚える中、彼は直線的に間合いを詰め、男の懐に潜り込んだ。

「見えているよ――全て、ね」

 異形の片腕を振り上げる男。
 それを――ナトの目が追った。

 当然、男もそれに気がついていた。
 ――だからどうしたというのだ。
 どこまで行っても、この少年には追い詰められない。

 感覚で捉え続けた少年の影に向かって、その腕を振り下ろす。
 しかし、すんでのところで避けられた。
 存在を追うことはできても、男の体の疲労は顕著であった。本気の殺意を持った一撃が避けられたのは、その結果であった。

 だが、代わりに別から反応の「音」が聞こえた。
 それは――頭上。

 ぼやける視界の中、頭上に意識を向け――その風切り音を捉えた。
 腕で防ぐと、なかなかに重たい衝撃が帰ってきた。
 大きな石柱でも防いだかのような重圧がのしかかってくる。
 どうやら、それは周囲に群生している大木のかなり太い幹だったようだ。

「痛いなぁ……」

 しかし、男はなんともなかった。
 小声で「うそ……」と零した少女の声が聞こえてくる。

「ん? これ――」

 男は気がついた。
 いつの間にか、自分の変形した腕に縄――それもかなり頑丈な物が巻きつけられていることに。
 その形状は、引っ掛けて捕らえる形状の罠と同じものだった。

「僕たちが、アイツらを生け捕りにするために使ってた罠……」

 ナトがここに来る前に回収しておいた物だった。
 男の手首に引っ掛かった縄のその先は、折れて落ちてきた木の太枝に巻きつけられている。

「これを考えたのは……まあ、君しかいないよねぇ」

 感覚を頼りにナトの方を向くが、その焦点は虚空を貫いている。

「この縄を巻き付けたのは――あの時だねぇ、僕が手を振りかぶった時。君の身体能力ならやりかねない。枝に引っ掛けたのも、僕と黒い鎧の彼が争っている時だ。
 そして、目の見えないこの状況……折れた木の枝が落ちてくるとしても、避けるためにその場から離れることは、状況把握を失う可能性のある危険行為……半分賭けが入っているにも関わらず、そこまで考えていたのかい?」

 ナトは黙っていた。
 しかし、その眼光は憎悪にも似た感情を孕ませ、大男を睨み続けていた。

「素晴らしいけど……今まで何を見ていたんだい? 僕は君たちからの攻めを防いできたじゃないか……。
 この程度で僕は殺せないよ……それとも、それ以外に打つ手がなかったのかなぁ」

 ナトが剣を抜く気配を察知すると、男は深くため息をついた。

「君も……駄目そうだねぇ」

 異形と化した腕をナトに向けた。

「終わりだよ……」

 そして、未だに変化を続ける気色の悪い腕――その腕に、何かが垂れた。
 何か、蜜のようにドロリとした、粘性のあるものだ。

「ん?」

 そして、気がつけば。
 男の頭から足まで、ドロドロと何かが包み込んでいく。
 それは――琥珀色の樹液だった。

「何、が……?」
「何を見ていた、と言ったな」

 動揺の声を上げる男に、少年は閉ざしていた口を開いた。
 その言葉は、旅を続けてきた彼の中で、一番低い声だった。

「ここが教えてくれるもの、全てだ」

 時閉ざしの木。
 『時の湖』に広く群生する。
 その幹は傷つくと通常の樹木より多量の樹液を即座に流し、繊細な樹肌を守る。

 意識が朦朧とする中、必死に辺りを見回していたナトの頭の中には、そのような言葉が浮かんでいた。
 ――それだけではない。
 ナトが攻略の手がかりを見つけたいと望んだその瞬間、膨大な量の情報が彼の頭の中に流れ込んできたのだ。

「ああ……同志よ、『運命の人』よ……!
 確信したよ、恨めしい……君が恨めしい……!」

 男の声は震えていた。
 ヨルカは背中の毛が逆立つような感覚を覚えた。
 それは、沼の村の太った男――コリンの話し方に、とても良く似ていた。

「君こそが使者だったのか! 僕を殺しに来る、運命の手先だったのか……!」

 口だけは動くものの、男はどんどん身動きが取れなくなっていく。
 ただでさえ水飴のように濃い粘度の樹液が、急速に固まりつつあった。

「終わりだ、これ、で……」

 対するナトも、何度も限界を超えた体は遂に壊れ始め、膝から崩れ落ちた。
 再び霞掛かる視界に加え、猛烈な眠気が思考力を奪う。

「限界みたいだねぇ……その様子じゃ、僕にとどめを刺すこともできないだろう……」

 琥珀色の塊に閉じ込められつつある男は、弱った少年の様子を見て、薄い笑みの中に残念そうな表情を見せた。
 その時だった。

「私がいるわ!」

 その声と共に、後ろから衝撃音が響いた。
 空気が破裂したような、その音に振り向けば――大きな影が、男に覆いかぶさっていた。
 巨大な――塔のように太い木が、身動きの取れない男の方へと、倒れていく。

 その後ろには、馬のような生物に乗るフードをかぶった少年と、木漏れ日に輝く赤い髪を持つ少女が右手を構える姿。

 地面が割れるかと思うほどの轟音が響く。
 舞い上がる砂煙の中、馬から降りた少女は男が居たその場所へと近寄った。

 人が数人手をつないだところで囲めないほどの巨大な幹に隠れて、その姿は確認できない。
 ――が、しばらくするとその下から赤い液体が地面に染み込みながら広がり始めた。
 そう、それは真っ赤な鮮血だった。

「……まだ、少しは人間だったのね」

 ヨルカは静かにそうつぶやいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み