第52話 「目覚め」

文字数 5,400文字

 鐘が鳴る。
 何度も聞いた、荘厳な響き。
 世界が震えているようなその振動が、落ちた(まぶた)を揺らした。

「ナトさん?」
「……ああ」

 上体を起こした少年に最初に気がついたのは、ヨルカだった。

「おいナト、大丈夫か、お前!」
「よかった、丁度ご飯できてるわよ!」

 すると、オーハンスとアメリオも次いでやってきた。
 既視感にある光景――ここは、木の(ほら)
 そして、その向こうにまた一人、人影が現れた。

「ナト、あなたが意識を失ってから、もう三日も経ちましたよ」
「そんなこと言って、グリーゼも丸一日寝てたわ!」
「丸一日で首が生まれ変わったことには驚きましたけど……」

 元通りの黒い仮面をみて、ナトは小さく息を吐いた。
 そして、そんな仲間たちを押しのけて、洞の中から抜け出した。
 そこには。

「……なんだ、これ」

 緑色に輝く羽の生き物が――あらゆる枝という枝に止まり、ナトのことを見ていた。
 
「ずっとお前についててさ。まあ、なんだ、そこら辺の話は飯を食いながらしよう」

 オーハンスがナトの裾を引っ張って誘導する。
 そこには、アメリオたちが盗賊のアジトから引っ張ってきた食器類に豪華に並べられた食事があった。

 マントを広げた地面に座ると、隣にヨルカがちょこん座ってきた。
 顔を向けると、少し視線をそらされた。
 何なのだろう。

「肉に、果物……よく探せば食べ物だらけだったんだ。グリーゼに教わって、獣も獲った」
「ほぼ罠ですけどね」
「それと、遺跡の中でいろんなものを手に入れたわ! これ、見て頂戴!」

 アメリオが嬉しそうに指した先には、焼き色の付いた肉が油を踊らせ、煙を立たせている乳白色の板があった。

「これ、実はお塩なのよ!」
「塩? ……これが?」

 ナトにとって塩とは粉末状になっているものだ。
 石としての塩は通貨となりうるため、平民が国外に逃げ出すのを防ぐため政府が流通を規制していたのだが、ナトやオーハンスはそのことを知らない。

「ええ。岩塩という山で採れる塩です。本国では馴染みが薄いですので、見かけたことも無いかと思いますが」

 まじまじと見つめるナトを見て、得意げに胸を反らすアメリオ。

「こうして焼くと、薄い塩味がつくんだ。本当は削ってふりかけるのが一般的だけど、少しは贅沢してみたいだろ?」
「ああ……」

 たしかにこれは贅沢だ。
 加えて、鼻孔を刺激する肉の香りが、腹の虫の寝床を蹴った。

「食っていいぞ」

 見透かしていたようにオーハンスが言うと、ナトは二股のフォークを器用に使って、切り分けられた肉に差し込んだ。
 そうして口に運び――咀嚼。
 溢れ出した肉汁が、三日間何も入れてこなかった口に過多と言っていいほどの満足感をもたらした。

「……美味い」

 次の肉へ、次の肉へと、フォークが進む。
 そうして気がつけば、岩塩の板の上で油を踊らせていた肉は、全て消えていた。
 しかし、すぐに次の肉が追加される。
 ヨルカが、ナトが取る側から新しい肉を追加しているのだ。

「あ、あの……どんどん、食べていいですから!」

 ヨルカはおずおずと、焚き火に当たったからか、やけに赤い頬を背けながら言った。

「食べて、早く良くなってくださ、ぃ……」

 若干尻すぼみなその声を聞いて、ナトは目の前で焼かれる肉を見た。
 もしかして、俺が起きたときのために、取っておいてくれたのか。
 ヨルカが起きた時のように、肉の香りがすれば起きると信じて。
 見ると、ヨルカの他に三人も、未だ手を付けていない。

「……みんなも食べてくれ」

 ナトがそう言うと、アメリオが「やったわ!」と満面の笑みでフォークを取った。

「ほら、いただきましょう!」
「待てよ、ナトが満足するまでって約束だろ」
「本人がいいって言ったからいいのよ! それに、お肉の匂いで起きなかったら食べてたのは私達じゃない!」
「理屈になってないと思います……」

 そうして始まった食事を、ナトは無表情で見つめた。

 ――今回も、守りきれなかった。
 ヨルカも、オルフも傷つけた。
 マリーにも魔法を使わせた。グリーゼにおいては再生したとはいえ、殺しかけたのだ。

 もう駄目だ。
 これ以上、仲間を傷つけるくらいなら――。

「ナトさん?」

 突然、ヨルカの小声が聞こえてきた。
 少し不安そうな声音だった。

「どうした?」
「……あの、なんか、雰囲気変わりまし、た?」

 若干、抵抗感を覚えたのか、疑問系のその言葉を受けて、ナトは眉をひそめた。

「そんなこと――ない」
「で、ですよね! 何言ってるんでしょう、私……」

 「ただ」とナトは続けた。

「決心は、ついた」
「決心?」

 そう言って、ナトは次の肉へとフォークを向けた。






「さて、お前らには話してもらいたいことがいくつかある。聞こうと思って聞いてなかったことだ」

 オーハンスが仕切る中、グリーゼとナトは火力を押さえた焚き火挟んで座らされていた。

「まずグリーゼ。一体……あれはなんだ。お前が色々と……その、すごいのは前から聞いてた。でも、あの時の、お前がおかしくなったような時のは聞いてない」

 大男と対峙したグリーゼが、獣のようになってしまったときのことを思い出しながら、オーハンスは問いかけた。

「ねえ、これも入れたら美味しいわよ!」
「味にも整合性というものが合ってですね、それは流石に……」

 ――となりでアメリオがヨルカにせがみながらお茶を作っているのを尻目に。

「お前らも聞けよ」
「聞いてるわ。でもずるいのよ、ナトとヨルカだけ楽しんでたらしいじゃない!」
「ちょっと、アメリオさん!」

 顔を赤らめてアメリオの口を塞ぐヨルカ。
 ため息を付くながら、オーハンスはグリーゼに向き直った。

「あなた方には……ナトとマリーを迎えに行った時に話しましたね」
「私は何も聞いてないわ!」
「ああ、そうでしたね。……では、最初から話しましょう」

 そうして、グリーゼは語りだした。
 馬車の事、一人になったときに見つけた黒い籠手、そしてそれを手にとった日から人の体を蝕まれていった事。

「私のこの体はまず人とは違います。腕は切っても生えてきますし、煮ても焼いても残る傷はありません。
 その上、必要な睡眠時間はかなり短い上に、身体能力も大幅に上がりました。
 ただ一つの弱点はありますが、とにかく、この体は人のそれとは根本的に異なるのです」
「唯一の弱点ってなんだよ」
「私は、光の少ない場所――いえ、もっと正確に言えば、目の見えない環境では回復力が弱くなります」

 そこまで言った時、ナトが訝しげな顔をした。

「頭を飛ばされてなかったか。そうしたらもう、見えるものも見えないと思うけど」
「実は、私の瞳は……既にこの仮面の奥には無いのです」
「じゃあ、どこで俺らのことを見てるっていうんだよ」

 今度はオーハンスが訝しげにそう問いかける。

「この――右腕です」

 グリーゼが持ち上げた右の黒い籠手。
 他の部位よりも装飾が繊細かつ豪奢だ。

「それでどうやって見るってんだよ」
「見てる、というよりは……感じ取っているのです。砂塵の中では見えづらいですし、暗闇では視力も落ちます。機能は普通の目と変わらないのです。
 見える方向も、意識した方しか見えません。むしろ視界は瞳の頃よりも悪いと思います」
「なんだか難しい話だな」
「人には無い器官ですから」

 そう言って、一呼吸挟んでから、グリーゼは続けた。

「とは言っても、多分脳みそだとか、そう言ったものはまだこの仮面の中に入っているのだと思います。
 ですので、頭を吹き飛ばされた時に私は一時的に動けなくなりました」
「なるほどな。……じゃあ、お前のあの獣のような姿も、その体の機能の一部なのか?」
「はい。身体能力が更に飛躍し、マリーの『魔法』に似た力も使えますが、あの状態の私には、ほぼ理性がありません。
 ある程度時間が経てば元に戻りますが、もしも、次にまた同じようなことになれば……その時の私に、言葉は通じません。
 敵味方の判別しかつかない、正真正銘の獣です」
「気をつけろって事だな」
「理解が早くて助かります」

 「使わないのが一番ですが」と言って、グリーゼは話を締めた。
 そのタイミングで、やはり遺跡の中から拾ってきた鉄製のコップが回ってきた。
 アメリオが同じコップで啜る中、ヨルカが三人分のそれに甘酸っぱい匂いのする果物のお茶を注いだ。

「あの、どうぞ……」
「ありがとう」

 チラリとナトの方を見たヨルカに、ナトは無表情でそれだけ返した。
 金髪を振り、心なしか嬉しそうな表情をする少女。
 オーハンスは「それで」と、今度はコップを仰ぐナトの方へと向き直った。

「次はお前だナト」
「ああ」
「聞きたいこと、というか、言いたいこと……その左手についてなんだが、大丈夫なのか?」

 オーハンスが少年にしては長いまつげを伏せて、ナトの左手の甲を見た。
 そこには、幾何学的な、まるで木の根が張ったような緑色の紋が浮かび上がっていた。
 それを視界に入れると同時に、ナトの頭の中に情報が浮かび上がってきた。

「これは揺葉虫(ユウグレナキ)の……毒だ」
「毒? その、ユウグレナキっていうのは、あの緑色のヒラヒラしたやつか?」

 オーハンスは辺りの枝という枝に止まる、人形の緑色の羽を持った生き物たちを指した。

揺葉虫(ユウグレナキ)は強力な毒を持つ原生生物だ。それと同時に高い知能を持ち、集団の所有物や食料、彼らにとっての宝物などに毒を植え付ける。他の原生生物による盗難対策だろう」
「なんでナトに、その毒を?」
「オルフたちの元へ案内してくれたのはこの揺葉虫(ユウグレナキ)だ。罠から救った恩返しのつもりかは知らないけど」
「恩返し? じゃあ毒は?」
「……恐らく俺は気に入られたんだ、所有物にしたいと思うほどに。多分、あの生き物を獲っていた野盗たちを倒したから。そういった事を考えられる程度には頭が良いらしい」

 本人にとっては迷惑極まりない話だった。

「あれ? じゃあ、もしかして、これは……」

 ヨルカは遺跡の中から引っ張り出してきた緑色の瓶詰めを取り出し、地面に置いた。
 すると、

「きゃっ」
「おいおいなんだ、いきなり」

 その瞬間に羽音を響かせてその生き物たちが(たか)りだし、勝手に瓶を開けて中身をその場にぶち撒けた。
 緑色の液体が広がる中――何か、ドロドロに溶けた生き物が出てきた。
 よく見るとそれは、辺りを飛び交う緑色の羽を持つ生物に酷似していた。

「うわっ」

 オーハンスが驚いたような声を出す。
 それもそうだった。

 その直後、揺葉虫(ユウグレナキ)たちがこぞって地面に広がった液体に群がり始めたのだ。
 まるで光にたかる羽虫のように集まると、
 その生き物たちは、ピチャピチャと音を立てて液体を啜りだし、そしてしばらくして散っていった後には何も残っていなかった。

 仲間の遺体を食べる。
 一見残酷に見える習性に、一行は戸惑いを隠せずに一連の生態を見届けた。

「それ、どうしたんだ」
「遺跡の中で、たくさん作られていたんです。多分、あの男の人たちが……」
「とんでもないわね……」

 何に使おうとしていたのかは、わからない。
 しかし、危険物である。
 使い道はありそうだが、なんとなく何かに使う気分にはなれなかった。

「で、ナト。どうするんだよ」

 オーハンスが話を戻そうと、再びナトに問いかけた。

「俺には毒は効かない、せいぜい跡が残る程度だろう。だから……心配は要らない」

 ナトがそう言うと、オーハンスは口を噤んだ。
 そう言われてしまえば、それまでだった。

「出発はいつにするんだ」

 沈黙の後に、ナトはそう切り出した。

「あ、ああ……お前が回復してからにしようと思って――」
「じゃあ、明日の朝」
「え?」
「次の日の出にここを出よう」
「い、いや、ずいぶん急じゃないか!」

 焚き火が揺らめく向こうにいる親友の顔を、オーハンスはまじまじと見た。

「光る灰は降っていないから、ここがいつまでも安全とは限らない。早めに出るに越したことはないだろう」
「お前の体は大丈夫なのかよ!」
「大丈夫だ」

 そう言って、ナトは切り取られたはずの肩を見せた。
 もはやそこには、傷跡しか残っていなかった。

 いくらなんでも早すぎる再生。
 グリーゼのそれにも迫るその回復力は、もはや――。

「今夜のうちに整えられるものは整えておいたほうが良い」

 そう言って、ナトは食器を(ゆす)ぐ為に近くの水場へと向かった。
 オーハンスとヨルカ、グリーゼは、それぞれ顔を見合わせた。
 何か、自分の感じている違和感の、答え合わせをするように。

 仄かな明かりに包まれたその場には、焚き火の弾ける音と、アメリオのお茶を嗜む音のみが響いていた。
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