第十九章 第九節 金魚(三)
文字数 2,675文字
中谷家は核家族。子はミユキしかいない三人家族。だからケイコが買物に行くならば、ミユキは付き合う。
「消した、消した、オーケー。消した、消した、オーケー」
ケイコは出かけるとき、照明などのスイッチを切ったかどうか、ガスの栓を閉めたかどうか、いちいち気にして
指差確認は国鉄マンの父ゆずりなのかもしれない。建築が本職のヨシアキだが、国鉄では運転士の研修なども受けたという。
「クルマ運転するのにも、信号が青になって発進するタイミングになるたんびに、後ろつっかえてんのに指差確認するから時間かかってなァ――」
かつてヨシアキも自家用車を持っていた時代があるのだ。それでマサコがする笑い話である。しかしクラクション鳴らされて
さて、ケイコは家の外に出てもなお、カギをかけたかどうかも繰りかえし確認しなければならない。ドアノブを回して扉を開けようとしても開かないか、ガチャガチャ。それでも、ものの数十秒とかすると確実にやったかどうかを忘れてしまうので、また戻って確認することもしばしば。
「
外でのミユキは、母と手をつないでベターと寄り添う。母は時々パニックを起こす。ミユキはケイコに
あまえた
や」と言われるミユキ。だが本当はコドモではない。いつも誤解される。自宅マンションから大阪市営地下鉄の駅まで歩いていく道。国道沿いである。電車の「ガード下」を通らなければならず、通っている最中に頭上を電車が通るのは恐い。ガード下から線路がまる見え。電車をさえぎるものがない。見上げると電車の台車や底部が見える。
その道の途中に、パン店があった。うす暗い店内。
「すみません」と、「食パン
「いらっしゃい、
「
そうすると食パンのかたまりが出てきて、それを専用の機械でスライスするのである。不可思議なものである。
それで三人家族。そうして買った食パンが家では、練乳を混ぜた牛乳の器と一緒に出てくる。ケイコはミユキに栄養をつけさせたいと四苦八苦してきた結果として、甘い練乳を混ぜた栄養価の高い牛乳に食パンを
食パンの「耳」は
でもその「耳」。いつものようにミユキと外出するとき、ケイコは透明のビニール袋に入れて持ち出した。公園で、鳥に
ミユキをはじめ、アレルギー一家。鳥を飼えないので、せめてミユキが動物と交流する機会をつくろうと思う。隣の区にある大きめの公園。だだっ
さておもむろに袋を取り出し、パンの茶色いパサパサした「耳」を、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。バサバサバサー公園に
鳩は次々に集まって、一〇くらいが一斉にたかってくる。まるで必死である。
「ヒッチコックの『鳥』を思い出すわ」
昔の白黒の映画のことをひきあいに、感想をもらす。
しかしここでは幸いなことに、そんなサスペンス的展開にはならない。
ところで本当は。飼ってもいない野良の鳥に食べ物を与えるのは無責任だ。よかれと思って、鳥かわいいと思って餌をやるのは、人間のエゴ。実際には、食べ物があればあるほど、鳥は際限なく繁殖してしまう。環境汚染であり、生態系破壊。動物虐待。しかし悠長なもので、ほとんど誰もが、そのことに気がつかなかった時代。神経質で頭のいいはずのケイコも動物愛護派だったし、わが子にもそれを教えたいのである。
鳥は警戒心が強い。生き延びるためだろう。横並びで同じ行動をとりたがる。逃げるときもそう。そんななかでも鳩は雀なぞにくらべたら体格が大きく、街なかでは数も多い。それが食べ物となると大挙してウワーと集まってくる。ものすごい勢い。だから、雀は追いやられてしまう。
鳩が平和の象徴やなんて。本当なんやろうか?
「すずめがかわいそうや」
”チュンチュン、すずめのおやどはどこだ?”
”ここですよ、おじいさん”
日本人にとって雀は、愛すべき動物であるらしい。おそらく農村でそうだったのだろう。米粒を与える家があるほどだ。
雀がかわいそうやと言うわが子をみて、母はなんともいえぬ反応をただよわせていた。
力の強い鳩が、しかも集団で押し寄せてくる。それはそれは恐いだろう。危険なのだ。雀の方がおのずと身を引いてしまう。
ミユキは思う。
私とおんなじや……。
「ミユキはすずめのほうがすきや」
ミユキもいつも、そうだ。配慮のないコドモの集団に追いやられている。
人間社会とは、そういうもの、らしい。こんな世の中を生き抜かなければならないのだ――。
〈次節につづく〉
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