第六章 第一節 男と女のラブゲーム

文字数 3,352文字

 ミユキの父親は、なにかの拍子に突然激怒する。ミユキが三歳になっても、日常的にくりかえされていた。彼は怒りを妻に向けたり子に向けたりする。大きな傷が残るような暴行はやらないようにしている。妻の両親に知られると、ただごとでは済まなくなるだろう。証拠が残るほどのことはやらない。しかし、時々は手が出る。「体罰もときには必要だ」と思っている父親。ただ多くの場合は武力行使ではなく、怒鳴り散らしたり、ミユキに対しては食事抜き、風呂抜き、押入(おしいれ)に閉じ込めるなどだ。
 多くは父親の感情だけの問題なので、理不尽である。わけがわからない。だから、なにが悪いのかも、もちろん解らない。そんなもの、ないのだから。不条理に罰を受ける。しばらく時間が経つと父親の頭が冷えて「反省したやろう」と言って罰を解く。例えば、食事抜きにしておきながらしばらく経つと食事をさせてもらえたりする。風呂抜きにしておきながら偉そうに「しょうがないから頭だけ洗っといてやるか」と、台所のステンレスの流し台で、瞬間湯沸(ゆわかし)器の湯でミユキの頭を洗うという日も、しょっちゅうあった。ミユキはなにも悪いことをしていないことが多いから、親の怒りが過ぎ去るのをただ待つのみだ。それ以外にしようがない。怒られたら布団に潜って時間を過ごす。
 父親は「泣くな」「甘えるな」と、弱いから泣くのだ、泣くのは悪いことだ、そう言う。ミユキには、そうは思えない。目から鼻から水が出てくるがこれはおそらく、「悲しい」ということではない。「弱い」のではない。どうしようもない虚しい哀しさなのである。そして、「痛い」ことで肉体的に本能的に、ひとりでに勝手に出てくる。押入に閉じ込められても反省することなぞ存在しない。暗い押入の中に閉じ込められても、独り考察を深めて「私は悪くない」という結論しかない。ただ、目と鼻から大量の水を流し続けて脱水症状にでもなりそうなくらいで、顔を赤く腫らす。それがほとんど毎日毎日、繰り返された。からだのなかにはどんだけ水があるんやろうか、と思う。
 あの押入の板の木目を、よく憶えている。歳をとった今でも。焦げ茶色の、瞳。

 両親の関係は、よくない。ケンカにすらならないが、仲がよいのではない。妻が一方的に服従するしかないからだ。それでも母親はミユキに、「仲がいい」「普通の家や」と教え込んだ。よその家のことなんか知らないミユキは、本当に普通の家だと思い込んでいた。ケンカしないほどに仲がよい、と。父親が圧政を布いていても、面前DVがあっても、虐待を受けていても。
 母親は夜、寝床の、夫の枕元に「スキン」を置くことがある。しかしそれは必ず、開封されないまま朝が来ている。なんで置いているのか、ミユキには判らない。なんに使うのか。なんの意味があるんか。なんで開けてないんか。そういうことが何遍(なんベン)もなんべんもくりかえされているから、ミユキは母親に尋ねる。するといつもヒステリックになる。そして結局「スキン」がなんなのか、判らない。ある日、「開けていい?」と訊くと「ええよ」と云われたので、開けて中身を出した。「これは指サックなんかな」と思った。母親が家計簿とかやっているときに指にはめているゴムだ。
 結婚して五年も経っていないが、夫婦の肉体関係は、なくなっていた。これがよそならば、何歳にもなる子からいかに隠れて、性行為をする、抱く、寝る、そんなことに悩んでいる家庭もあるだろうが。幼いころ夜に寝ていると、ふすまの向こうからヘンな声が聞こえてきた、そういう体験をしたことのある人も多いのだろう。しかしミユキの家ではそういう、こそこそとやること、それ自体がなくなっていた。
 ミユキの母親は悩んでいた。「スキン」つまりコンドーム、避妊具があるのに、夫には

気がない。それがなぜなのかも判らない。夫に尋ねるとイラ立って「その気にならへんのや」だけしか答えがない。
 日本は儒教的な、封建的な社会である。そして夫婦ともその封建的な環境で育って、そういう価値観を当然のものだと思っている。だから、性行為をするもしないも、男の一存で決めることで、理由を説明する必要なんかない、そう夫は考えていた。
 妻は「夫を満足させないといけないものだ」と思っている。「三従の教え」ともいうように、儒教社会では妻は夫に従うものであるのだから。もちろん不倫はありえない。性欲を満たせないままでいるのも苦痛だったろうが、妊娠出産もやれない身で、さらに夫に抱かれすらしない。女の肉体をもてあますことが空しい。自身の存在意義がなくなる。

として生きている意味がない。そして、夫を満足させられないことの罪悪感にうちのめされた。
 避妊具があるのだから、妊娠しないで済むのに。なぜ夫は、

気がないのか? 魅力のない私が悪いのだ。くたびれて、たるんだ、こんな私のカラダに欲情するなんて思えない。主人がしょっちゅう怒るのも、欲求不満だから。それも私が悪いのだ。主人の怒りを受けとめてあげないといけない。
 けど、もしかして浮気しているんじゃないか? それともやっぱり――同性愛者なんじゃないか?
 いずれにせよ、性行為というものは一方的でなく合意でするものなのはもちろん、この男尊女卑が当然の世のなかでは、夫が偉い。妻には決められるような主導権があるはずもない。夫がイヤだというものは変えられない。

 ただ、夫に抱かれないこの妻が役にたてることはまだあった。家事と育児。この二つが、女としての存在意義、最終防衛線。
 ミユキの母親は、小さな頃から家事もやったし、弟の面倒もみていた。なぜなら母が内職などで忙しかったからだ。祖父が大工の棟梁(トウリョウ)でも、父が国鉄マンでも、家計は苦しかった。長男の兄は学業に専念しなければならない。そして家政は女の役目である。まるで「スーパーマン」ならぬ「スーパーガール」といってもよかったのかもしれない。
 高校を卒業して就職したものの、花嫁修業もした。着付(きつけ)、洋裁、料理……。稼ぎながら習った。だから家事はキッチリやれるつもりだった。いや実際にも、非常なまでに几帳面(キチョウメン)で完璧に近い。
 弱点は身長が低いくらい。昔はもっとやせていたし、「トランジスタ・グラマー」なんていわれたくらいだ。ちなみに学歴は、学費が足りないこともあったが、「女なので高卒で充分だ、そんなことより、よいお嫁になりなさい」ということなのである。今でもなお「女は短大までで充分だ」と思っている親がいるくらいなのだから当時はなおさら、高卒どまりも普通だった。

 ミユキは日中も母親の様子をうかがっていることが多い。家事も見ているし、手伝うこともある。母親の具合が気になるし、ヒステリックになって自分にあたってくることが怖ろしい。だから、母親に付いてまわって、具合が悪くならないようにキゲンをとっている。
 母親は、化粧に時間をかける。ミユキが「化粧せんでもキレイやのに」とほめたたえても、厚化粧をやめない。香水もヘアスプレーも使う。近くにいるので、化粧品のニオイも揮発性の成分も浴びる。ミユキはまだ化粧をするわけではないので、母親の化粧を見ているからといって、いま習得することもないのだが。もちろん、手伝うわけでもない。鏡台でたっぷり時間をかけて念入りに化粧をしている。当時の世間だからなおさらだが、アイシャドウなども濃い傾向がある。全般的に濃くて、いまでいう「ナチュラルメイク」とは正反対のようなものだ。それに、しばしば美容院にも行くので、ミユキも付いて行かないといけない。「パーマ」である。これも当時だからなおさらだがパーマは刺激が強く、頭皮や身体にも悪そうなのだが、母親は通っていた。
 夫の収入でオシャレをしている。贅沢(ゼイタク)をしていると思うかもしれないが、妻は夫のもの。夫のために美しくあらねばならないからだ。夫の社会的な格に見合う妻でなければならない。神経質になっていた。それにもう、自信がない。
 追い込まれるほど、真面目に、几帳面に、神経質になっていく。それだからなおさらに、追い込まれてしまう。そういう循環でできている。もう結婚したのだ。一生つづくのだ。「ケセラセラ」、つとめて気楽になろうとする。けれどもそれも、無理があった。
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