第六章 第二節 こんにちは赤ちゃん

文字数 3,705文字

 夕食抜きになる日もまだ少なくない。父親におびやかされて、ミユキはまだ摂食障害だ。父親のいる食事は怒られるので恐怖になっている。もはや戦後ではないというのに、ひもじい。母親は、父親のいない昼食にミユキの食べたがるものを出したり、間食を用意したりして、ミユキの栄養を確保しようとしていた。身体の成長が遅いのではないかと気にかかる。冷蔵庫には牛乳が一リットル紙パックで常備されている。母親は神経質なので、開封した紙パックの「屋根」にキャップまでかぶせられている。プラスチック製の紙パック専用のキャップが市販されているのである。ミユキは、その牛乳を飲むことで飢えをしのいでいた。「食べる」ではなく「飲む」で空腹をまぎらわせることが習慣化していた。青と白に赤字の「雪印牛乳」の頃もあったが、母親自身も鉄分を摂ろうと思ってか「明治ラブ」の頃もあった。月経があるのだから、鉄分を摂ろうとするのはもっともなことだ。

 母親はミユキに、母子健康手帳をよく見せる。いわゆる母子手帳。小学校に入るまではまだ「現役」であり、出番がある。機会があるたびに、機会がなくとも思いついたそのたびに、見せる。それは母親が愛情をかけてきた(あかし)として、ミユキに愛着を、言い換えれば自己肯定感をもたせるためでもあったろう。しかし同時に、良妻賢母、模範的な母親でありたかったから。そして、第二子を中絶して、もう子も生めない母親が、残ったミユキに愛情を注ぎたかったから。母親自身の欲求でもあった。

 だからミユキは、生まれる前や乳児だった頃の写真もよく見せられたものである。ミユキの父親は、写真撮影が趣味で、記念写真を撮りたがる。執着心が強いのだ。それで写真が大量にあり、ネガフィルムは残していたし、現像した写真は分厚いアルバムに保管してある。
 ちなみに、父親はマニュアル・フォーカスのカメラを使えるので、使える自分が偉いとでも思っているようだ。封建的な差別主義者なので、自分が上に立てる機会をうかがい、上に立てたと思ったら偉ぶる。女を見下してもいるし、オート・フォーカスのカメラを「バカチョン」と呼ぶ。そして、自分が差別主義者で見当違いの思い上がりをしているということの自覚がない。
 新婚旅行の記念写真では、母親も実に幸福そうな顔をしている。アルバムには、撮影日時と地点を父親が書き添えた写真もある。当時としては新婚旅行でも珍しくなかった、北海道旅行。ただ、当時は乗る機会も珍しかった航空便にも利用した。だから、札幌市時計台や阿寒湖アイヌコタンといった人気観光名所のほかに、丘珠(おかだま)千歳(ちとせ)。空港での記念写真もある。丘珠空港は札幌市にある。「千歳」はもちろん「千歳空港」だ。まだ、「新千歳空港」ではない。
 ミユキの写真は、医療機関で保育器に入れられている状態の写真から始まる。ミユキは自然分娩(ブンベン)で産まれたのではなかった。帝王切開で産まれた、いや、正確にいえば「取りだされた」。ちなみに「帝王」というのはユリウス・カエサルのことらしい。ともかく手術後も母親は大変な状態だ。それで独り、保育器に入れられたのである。そんなわけだから、母親はミユキに、いかに命がけだったのかを話す。「お腹を切って産んだんよ」と傷痕らしきものを見せたりもする。
 アルバムのなかには、いまのマンションに引越す前の時期の写真もある。ミユキが産まれたときはアパート暮らしで、さらにゆえあって一度、大阪市外の、いわゆる北大阪地域にある別のアパートに引越していた。この分譲マンションは、ミユキにとって二度目の引越だった。以前のミユキはもっと幼かったわけで、乳児期の写真も少しはあった。アパートの近くだろう、公園で母親に抱えられてブランコに乗っている写真もある。父親が撮ったのだろうから、休日に三人で出かけたのだろう。母親はその頃も髪にパーマをかけていたが、もっとスリムで、活気のある表情をしている。まるでかなり昔の写真であるかのような気がした。
 しかしミユキは、写真に撮られるのがイヤだ。笑えと云われても、なにも楽しくもなく、むしろいつも苦しくてツラいのだから、笑えない。こんなに苦しい思いをしているのに、わざとらしく笑ってみせないといけないのか。撮りたがる父親は、相手のことよりも自分の満足のためにやっている。巻き込まれて迷惑だ。苦痛だ。

 その父親だが、母親が人工妊娠中絶のために入院するよりも以前、ミユキがもっと幼かった頃。タバコを吸っていた。ミユキも、その頃のことも、ニオイも、憶えている。分譲マンションを買ったのが大きなきっかけだった。自分の所有するマンションを汚したくなかったのだろう。彼は怒るくせがあるがそれは、タバコをやめたからイライラするようになったというわけではない。もともとイライラするタチだから、タバコを吸っていたのだろう。そのタバコをやめた自分は偉いともちろん思っている。「やめられへんヤツは意志が弱い」と。やめたことは正しい。が、やめる時期は遅かったと思われる。結婚したときに、遅くとも妻が妊娠したときに、やめるべきだった。
 以前はパチンコを打つのも趣味だった。だからミユキも連れられてパチンコ店に入って見ていたことが何回もあった。当時のパチンコ店は、けたたましく「軍艦マーチ」を鳴らす、やかましい施設だった。店に入らずとも近くを通るだけでも、すさまじい音である。ギャンブルやタバコ、酒うんぬんだけではなく、騒音においても「迷惑施設」と思われていた時代。彼は学生時代から打っていたらしい。玉の打出しが電動になる以前の、指でハンドルを弾いていた時代だ。もちろん「デジパチ」なわけはなく、「羽根モノ」以前の時代である。ずいぶんと面倒なものだが、技術次第で儲かったらしい。しかし彼はそのパチンコも「お金がもったいない」と言ってやめた。往時にくすねてきたパチンコ玉がまだいくつか、ミユキの遊び道具になっている。ミユキは、あの騒音やタバコ臭は苦しいが、パチンコ台の機械的な部分には興味がある。

 ところでミユキは実は、玄関扉に無性に恐怖を覚えることがある。特に、夜中にトイレに行くときだ。だから夜中にトイレに行くとなったら、母親に一緒に来てもらうことがしばしばだった。
 しかしそれ以前に、なんだか判らないけれども怖ろしくて寝つけない夜がある。母親の隣で寝るが、どうしても眠れない。そういうときには母親に勧められて一緒に台所に行き、お白湯(さゆ)を飲んだものだった。なぜか落ち着くのだ。
 あと毎晩、眠る前の布団で横になったとき、母親が隣で話をしてくれたり唄ってくれたりしたものだった。唄は子守唄だ。お話のほうは、創作だったり、母親の思い出話だったりする。絵本を読み聞かせるということはミユキがもっと幼い頃にはあったが、文字が読めるようになるのがあまりにも早かったものだから、もう本を独力で読んでしまう。それでは話の種に困るわけだから、オリジナルしかなかったのである。
 創作のほうは母親の即興らしい。もしかすると普段から備えて構想を練っていたのかもしれない。なかなか行きあたりばったりの展開をする物語なのだ。けれども、母親には作家の才能があるとミユキは思っていたし、ずっと思っている。
 昔の思い出話もする。結婚前の話がほとんどだ。
 幼い頃に犬を飼っていた話だとか。貧乏で物がなかった時分にチーズが贈られてきて、箱が英語で解らないものだから牛の絵があるのを見て「石鹸(セッケン)や」と家族で思い込んで洗濯に使おうとした話だとか。しかしそれは、「牛乳石鹸」ではない。もちろん、泡なぞ立たない。帰ってきた父が食べ物だと教えて、泣く泣く表面を削り棄てて食べたらしい。腸詰めウインナーソーセージが贈られてきたときにも、家族みんなで「皮」をむいて食べようとして大変な思いをし、ようやく「これ、食べれるで」と気づいた話だとか。
 大阪環状線が直通で一周するのを確かめに弟と乗った話だとか。弟が「こえタンコ」に落ちた話だとか。肥料タンクつまり糞尿溜めに落ちて大惨事だったらしい。あと、弟とトランペットを触らせてもらったときに、まだ幼い弟がなぜか一発で吹けたので驚かれた話だとか。
 高校生の頃にバス通学で、同級生が服の裾を車内に引っ掛けたのに気づかずに他人につかまれたと思って「やめてください、やめてください」と騒いだ話。修学旅行で九州の長崎鼻(ながさきばな)に行ったときに同級生が、軽石だと思わずに上に踏み出して海に落ちた話。
 母親の思い出話にはよく、官舎(カンシャ)が出てくる。父が国鉄に勤めているから、当時は官舎で暮らしていたのだ。いわば、社宅の国家公務員版である。わらい話が多かったが、官舎の近くで幽霊を見た話もあった。
 ミユキの父親は、理屈と欲で動く人だ。「『幽霊の正体みたり枯れ尾花(おばな)』や」と言う。ミユキには、幽霊がいるのか、いないのか、判らない。科学では解らないこともあるし、いないことの証明をしようがない。例えば「宇宙人」にしてもそうだ。
 夫は、情緒に欠けているところがある。ミユキの母親は、そんな夫のことを「かわいそうな人や」とも思っていた。
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