第四章 逃げ足で生き抜く

文字数 3,219文字

 境界を越えて隣の市に入る。

 東京から引越してきたとはいえ、いままで鍛えてきた走力を落としたくない。事情はよくないが、こちらに来てもミユキはランニング習慣を続けている。
 夜に無警戒だと思うかもしれないが、地方都市とはいえそれなりに都会だ。中心市街からは外れているとはいえ、幹線道路の国道は車道が照らされていてそれなりに明るく、通行量もある。歩道は通行人が少ないが、自動車の通行がかなり多いので車道からの人目が行き渡っている感じがする。自動車に乗って通行している人は多いわけなので、歩道をこうして走っていても普通のことだと、ミユキは思う。
 ミユキもいままで、いわゆるナンパや付きまとい、痴漢などには遭ったことがある。が、そういうものはきまって、歩いているときに仕掛けてくるものだ。そしてこのような手合いは昼夜問わず見境がない。観光地を歩いていても「お嬢さんお嬢さん」と来るし「地元の人?」と声をかけてくる。コンビニエンスストアに買い物に行っても、店の前で「お姉さんお姉さん」と絡まれる。私なんかにものずきな男もいるものだ、と思う。きっと、誰でもいいのだろう。
 走っている人にわざわざ声をかけることはほぼ考えられない。走っている最中に絡まれるとしてもせいぜい、すれ違いざまに急接近してくるとか大声を出してくるとかいう程度のことだった。しかも、ミユキはそれなりに脚が速いので、付きまといが出るとしたら、そちらも同程度には脚が速いということになる。そこまで走力がある人の比率自体が高くないうえに、そのなかでも迷惑行為や犯罪行為をする人となると、なおさら少ない。
 東京近辺を走っていたときも、こうして幹線道路を走ることはあったし、夜中に生活道路を走ることも多かった。夜中の住宅地は人通りが少ないとはいえ、走ってトレーニングをしている人はミユキ以外にも、いくらかいた。そういう人々は、服装や靴など周りからどう見ても走るのが目的だと判り、もちろん実際に走っている。ミユキだって、キャップにポーチ、シューズと、ランニングスタイルは決まっている。まだまだマラソンなどのランニングは流行っている。走っている側が不審者扱いされることはなかったし、いまも考えにくい。
 反対に空き巣などは行動が違う。そういう連中は動きが怪しい。いわば「獲物探し」のような不審な行動をとっているから、通報されもするだろうし、通りかかった警察からも目をつけられるのだろう。

 タッタッタッタッ。
 足音を刻む。二度吸って二度吐く。走るというのは同じことを繰り返す営みだ。
 深夜営業のディスカウントストアの前も行き過ぎ、商店もない落ち着いたところに出る。公園の前にさしかかったところだった。

 国道の車道から一台の自動車が、歩道の縁石を越え、ミユキの進行方向を塞いできた。いわゆる普通か中型くらいの四輪車だ。そこから人が三人ほど降りてきて、近寄ってきた。男が問いかけてくる。
「なにしてるんですか?」
 走っているにきまっている。なにしているもなにもない。
 彼らは警官らしき制服を着ているように見えるが薄暗くてよくは判らない。肝心の自動車の方はパトロールカーではない。
 公道を走っていてなにが悪いのか。車道にはいまもたくさんの人が通行しているではないか、自動車に乗って。
 怪しい。ミユキは思った。なにもしていないし、通行量のある国道をただ走っているだけなのに。自分ひとりにピンポイントで、わざわざ降りてきて職務質問というのなら不自然だ。こちらは大きな国道のただの通行人にすぎないし、どう見てもランニング中、世間的にいうならばいわゆるジョギング中。職務質問をされるような理由がない。
 不審に思ったミユキは無視してやり過ごそうと思い、彼らを避けながら、停められている車もやり過ごしながら、走り続けた。

 すると突然である。
 男二人が両脇からミユキを取り押さえようとし、両腕を掴みにきた。
 危ない! 身の危険を感じた。とっさに彼らの手を懸命に払いのけ、全速力で走る。
 とても追いつけないとみたか、男達の一人が自分の自動車に駆け込んで再発進させ、ミユキを捕まようと、ミユキの進路を再び塞いだ。

 捕まる!
 拉致される!

 信号のためか自動車の通行の途切れた隙に、危険を承知で思いきって道路を渡った。反対車線に出ればあの車も追いかけづらいだろう。少しは時間が稼げる。

 がむしゃらに走る。
 どこに逃げればいいのだろうか? 国道をそのまま走っていては、自動車に勝てるわけがない。脇道にでも入り込まなければ助からない!

 戸建(こだて)の並ぶ住宅街に走り込んだ。
 その場の思いつきだ。たかが数十秒くらいの。しかし、ここならばかなりの人が住んでいる。声をあげて騒ぎになれば、誰か出てくるだろう。だとすると、連中も安易に動けまい。それに、住宅街の生活道路は狭く短く、交差点が多いから、自動車には機動性で不利だ。物陰が多いから死角が多くて、追っ手を()きやすいはずだ。
 交差点をやみくもに曲がり、行きあたりばったりで走る。
 長々と走ったのち、振り返るとはたして、連中はいなかった。

 撒けたのか?
 そもそもこの住宅街まで入り込むのをあきらめたのか?

 ――わからない。まだ。

 まだ危機感が続いているなか、ポーチから携帯電話を取り出してメモを入力する。
『何もしていないのに捕まる! 拉致される!』
 もしもダメなときのためにメッセージを残そうと思った。

 警察でさえも敵に思える。通報する気になんてなれない。

 そもそもミユキは、他人が助けてくれるなんて思っていない。昔から、不特定の人間としてならば他人も助けてくれたが、いざ自分を見たら敵にまわる人が多かった。学校でも、行政も、そうだった。だからミユキはいつも、自分特有の事件には自力で対処しながら、なんとか生き抜いてきたのである。
 警察なんて、もとより信用していない。いままでだって助けてもくれなかったからだ。ストーカーに絡まれている最中でも、役にたたなかったくらいなのだから。

 それで、連中はいったい何者なのか?
 本物の警察だとしたら、不自然だ。百歩譲って、質問したり誤認逮捕したりするきっかけでもあったのだろうか。三人組なのは巡回としてはおかしい。二人組でやるのが通例だと思う。もしかすると近所で事件でもあったのかもしれないが。
 やはり、本物の警察ではないと考えるのが自然だ。パトカーではなかったし、制服なんて偽物を造れる。いや、どこかから本物の制服を入手することだって、ありうるくらい。

 とりあえず一息だけつく。慌てると危ない。少しでも落ち着こう。

 今度はここを脱出して見つからないよう離れないといけない。もとの道に戻ると連中がまだ待ち構えているおそれが高い。住宅街を通り抜けて、国道と反対側の道路に出た。
 追っ手が来るのではないかと未だに気がかりでしょうがない。逃げるのを兼ねて、落ち着かないのを自らなだめようとするかのように走った。
 追っ手は、来なかった。

 全く別の国道に向かう。この辺りも繰り返し走っているので、土地勘はいくらかある。
 今夜は帰り着きたい、もう帰ろうと思う。

 ゆっくり走りながら続きを考える。連中は何者で、目的は何なのか。
 某国の拉致グループだという可能性もないではない。ここは海も遠くない。いやしかし、それは極端な仮説かもしれない。
 もっとありうるのはやはり、性的な目的での拉致だ。世界中では、アメリカでだって、拉致して暴行とかいう事件は日常的に起こっているだろう。
 いずれの仮説にせよ、そんな事件が日本で起こったというニュースは、最近に限ってはほとんど聞いたことがない。もちろん、この辺りでも拉致監禁事件なんて話は聞いたことがない。しかし……。
 ここは、こういう街なのかもしれない……。
 現実を再認識させられた。やはり走力を鍛えていてよかった。そうミユキは思った。
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