第十八章 第四節 登園拒否

文字数 2,687文字

 母ケイコは(ふと)った。
 それは今にはじまったことではない。第二子を人工妊娠中絶してから次第に肥っていった。
 しかも、おりしも三〇代なかばになった。すなわち更年期のはじまりである。

 中絶してからは、ケイコは夫タカユキとの性行為が全くなくなった。キスすらもない。ケイコはわざわざ避妊具を買ってまでタカユキを求めたが、拒まれ続けている。男は強い。封建的で家父長主義の国で、ましてやタカユキはすぐキゲンを害して激怒する。ケイコは夫に従わなければならない。なんのために結婚しているのか、女としての存在意義はなんなのか。苦しんでいる。

 ケイコは肥った。過食ではない。むしろ少食なのに、なぜか肥ってしまう。
 肥っていく自身の肉体が、イヤになる。女としての価値はなんなのか。
 若いころは九号サイズの服を着ていた。もう、入らない。淡い期待を捨てきれないが、しかしもう一生、死ぬまで戻らへんのやろうな、と気づいている。認めたくはなかった。
 ミユキはこの母の、服が入らなくなって(なげ)く姿を日々、見ている。

 ミユキが幼稚園に通わされるようになってから変わったことがある。
 風呂ヌキがなくなった。幼稚園で他人と一緒になるのに風呂ヌキはまずいだろう、そう思うのは当然である。だがそれ以上に、毎日入浴させていない家庭であることが公然と明らかになることを怖れたのである。なにかのきっかけに、ミユキが「ウチは、毎日はお風呂入ってへん」という話になろうものならば、家が恥をさらすことになる。
 しかし、タカユキが突然に怒鳴り散らすのはあいかわらず。会社で気に入らないことがあったら、家で愚痴を吐き散らして怒る。帰ってきたときにケイコが出迎えていないと、キゲンを損ねる。「疲れた」「メシは?」まだできていなければ不愉快になる。
 ケイコもミユキも(おび)える日々だ。そしてケイコもときに耐えかねて、錯乱(サクラン)する。
 ところがタカユキは、自分のことを異常だとは思っていない。そして錯乱するケイコのほうばかりをオカシイと思っている。自分のことは棚にあげて正当化して、ケイコが悪い、ミユキはアホや、と思っている。他人を見くだしてゴキゲンになり、気に入らないことがあるとフキゲンになる。
 それでもケイコはタカユキに仕えている。
 独裁者の恐怖主義のもとにいる。
「私に逆らうゆうんか……」タカユキは凄んで脅す。
 ミユキが、父に間違いを指摘すると、「口ごたえするな!」「屁理屈(へリクツ)いうな!」バーンッとなる。
 ミユキは母のために生きている。お母さんを苦しませたくない、その一心。母のためには、父親にも恥をかかせてはいけない。外に出れば、両親の自慢の子にならないといけない。いつも、しんどい。

 いい子でいるのは難しい。
 都合のいい子でいるのは。
 オトナ社会は、自分達が子どもだった過去を忘れて棚にあげて、また昔の幼稚だったころと同じようであることを子どもに期待して、欲を満たす。
 可愛げのある子でなければならない。
 元気で無邪気にはしゃぎまわる「子供は風の子」であることを求める。実際に、そんな幼稚な子どももいるのだろう。少なくとも、会話の成りたたない、粗暴でナイーブな、無神経な、ワガママな連中が多いのは、ミユキにも判る。
 そのくせ、手のかかることをきらう。面倒なことがあるとオトナは怒り、しかし怒られる子どもも学習せず忘れて「風化して」、また怒らせる。
 (おろ)かで、ものの解らない、純真無垢(ジュンシンムク)な子であることを要求して押しつける。
 ミユキは、演じなければならない。この矛盾した要求と抑圧のために。ミユキは既に傷ついた大人。もう戻れない。戻ることは人格的な死だ。
 そして人々はミユキを見て、不愉快になったり、気味(キミ)わるがったりする。
 どうやっても、

をつけられる。欠けていなければならないらしい。愚か者たちよりもさらに愚かでなければならないらしい。

 ミユキは、死にたくなる。
 身体が勝手に、舌を噛んで自殺しそうになる、その恐怖に(おび)えて生きている。

 それでも死ねないのは、母のため。私はお母さんのために生きている。私がいなくなったらお母さんが悲しむ。

 ミユキは幼稚園に行きたくなかった。毎日ひどい目にあう。しかし、父親に恥をかかせるわけにはいかない。怒らせるわけにはいかない。「行きなさい」と云う母に従わなければならない。

「行きたくない」
「行きなさい」
 それでおわりなのである。よその子ならグズって泣き叫ぶはずのところなのに。そもそも泣こうが喚こうが、結論は変わらない。ミユキは大人だから、それがわかっている。
 
 登園拒否してもおかしくないはずのものを、その選択肢はなかった。だから、どうやったら休めるのか。
 熱が出たら休むことになっていた。幼稚園は医療機関ではない。病人の園児を、保護者をさしおいて、リスクを負って面倒をみたくはない。なにより、幼稚園は集団生活の場である。風邪をはじめ伝染病がひろまっては困る。そこで判断基準が体温だった。「伝染病」ではなく「感染症」と国家的に呼ぶようになって久しいが、おそらくは今でも保育施設や「こども園」の多くは、そうなのだろう。
 家では、登園させる前に体温をはかることになっていた。
 熱が出れば休める――ミユキは毎朝、熱を出そうと奮闘した。
 いくら頑ばっても、体温はさして高められるものではない。息を止めようが、それで顔を真っ赤にしようが。
 それでミユキは考えた。体温は水銀体温計ではかっていた。体温計の値をあげればよい。お湯などの熱いものに当てるわけにはいかない。温度が高すぎる。なにより、気づかれる。どうやったら母に気づかれずにあげられるのか?
 ミユキは、服の摩擦熱(マサツネツ)で体温計の温度をあげることにした。摩擦熱を知っているほどに、もうミユキは(かしこ)かったのである。
 あまりにも温度をあげすぎると、ばれてしまう。あまりにも高熱ならば、触って確かめれば判るものだ。ばれる。絶妙な温度にしないといけない。三六度そこそこ。それが難しく、試行錯誤(シコウサクゴ)していた。
 しかし。結局は(うま)くいかずに登園する朝も多かった。いずれにせよ毎日休むわけにもいかない。だがCコース待機中のイヤがらせを五日連続で耐え続けるのはさすがに、心が折れる。だから、どうしても耐えかねる朝にばかりは「熱が出る」切り(ふだ)を使った。

「そんな熱あらへんと思うんやけどなぁ……」
 ケイコはミユキの額に手を置く。母には、ばれていたかもしれない。そこまでして、真面目でおとなしいミユキが幼稚園を休みたがるのはただごとではないから、時々は休ませてあげようかと思っていたのかもしれなかった。
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