第十一章 第二節 汽車

文字数 1,630文字

 タカシは街を歩く。「散歩」としては、今日はいささか遠出である。

 街は、勇ましく、色あせていた。愛媛県も海軍の拠点の一つ、松山も海軍の街だ。そして、大都会である。だから以前だったら活気があって商店もにぎわっていたが、いまは売る物も少なければ、売れる雰囲気でもない。美味しそうな匂いが流れてこないのも、まだ朝だから、というだけのことではないのだろう。食料は兵隊が最優先である。白い米にしても将校とかが食っているのだろう。
 勝ってくるぞというけれど、とどのつまりは敗けなければ勝つ。そういうことだ。開戦当初は米英に圧勝するつもりの雰囲気だったが、その勢いはもう、ない。敵国があきらめるまで戦い続ける。あきらめさせる。降参しなければ勝てる、ということだ。だから、勝ったとしても、あまたの犠牲者が出る。――いや、すでに、出ている。
 そんなことはもう、どうでもええと思う。つい三年前までは、自分も世間と同じように勢いづいて浮かれていた。新聞も本も、威勢のいいことばかり書いている。それを真に受けていた。しかしいざ死ぬ側となってみれば、実にどうでもええこと。自分ひとりが戦死したところで勝敗と関係ない。親父や兄貴を守ったことにもなるやろか。おふくろも、そんなことのために俺を産んだわけやないやろ。アホらしい。
 この立派な松山城も電車も「坊っちゃん列車」も、見納めになる。松山は、松山城と道後(ドウゴ)温泉の街だ。思いつめながら、この街の中心から西へ西へと歩いた。

 もう数十分以上は歩いただろう。予讃本線の踏切までたどり着いた。予讃本線はまだ電化されていない長距離路線で列車の本数は少ない。松山の街というよりも国策を支えている。戦争中だからなおさら、軍用に活躍している。軍用物資にも兵隊にも、輸送に鉄道が必要だ。
 この線路が大洲(おおず)八幡浜(やわたはま)、そして新居浜(にいはま)にもつながっていることは、タカシも知っている。しかし高松にまでつながっているというのだから、たいしたものだと思う。さすがに香川までは乗ったことがなかった。
 踏切を越えて行き交う人がいる。しかしタカシにはこの先に用があるわけでもない。忙しそうな彼らをよそに、ボサッとアホみたいに立っていた。

 音がした。汽車が近づいてくる。いざ通り過ぎたときに連結されている車両を見てみると、旅客列車だった。煙とニオイを残し、ボッボゴウゴウけたたましい音を耳に突き刺しながら、高松がたに走っていった。
 列車が過ぎ去っても、線路をずっと、ぼーっと、ながめる。逃げられるものなら逃げてしまいたい。だが、逃げたら親父にも兄貴にもおふくろにも親戚一同にも迷惑がかかる。逃げられはしない。逃げるという選択肢は、ない。

 そのあとも、何本か列車が行き()った。このままではそのうち、全身ススまみれで黒くなるかもしれない。
 タカシの姿はまるで、鉄道を見にやって来た若者に見える。松山駅の構内に入るのと異なり、こうやっていればタダで思う存分に見ていられる。通行人らの目にもやはりそう映ったのであろう、突っ立っているタカシのことをちらっと見ただけで無関心に去っていく。お国を支えて力強く走る勇姿も、複雑な器械も、多くの日本男児のあこがれである。実際に、タカシにしても鉄道に興味があったのは事実だ。いずれ独りで鉄道旅行をやってみたいと思っていた。その夢は――ついえた。

 小一時間ほど経っただろうか。高松方面から、また列車が走ってきた。近づいてくる。

 タカシは、おもむろに歩き出した。
 踏切に入る
 止めに来る者は、誰もいない
 踏切を越えることなく、そこにとどまっている
 汽笛が鳴り響く
 それでもタカシは突っ立っている
 再度、警笛
 動かない、棒立ち
 凄まじい音が耳をつんざく
 非常ブレーキ
 ――停まりきれない
 踏切を越える
 そして蒸気機関車は、停まった。
 貨物列車だった。

 あわてた様子で乗務員らが機関車を降りる。それは当然である。とはいえ、()かれて死んだであろう、と。即死だろう。
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