第七章 ニアミスと宿命

文字数 4,403文字

 高校の三学期、終業式の朝だった。

 前年の十二月に、ミユキは関東に引越してきた。家族三人で暮らすためという理由で、父親の主導のもと、ミユキと母親も関東に引越をさせられた。言いなりになるしかない。今度は、賃貸マンションの上層階。借上げ社宅ということで会社から補助が出るので、家賃がなかなか高い物件だ。
 高校も転校した。私立から私立へ。その高校同士で交流があったので頼み込んで、いわば「交換転校生」のようなかたちで転校が実現。中高一貫校だが、高校の「ランク」は下がった。三学期から、その新たな高校に通い始めた。

 その引越して早々の一月に、阪神・淡路大震災が発生。わずかな期間差で震災に遭わずに済んだ。
 どうにもミユキには、危険にニアミスするがギリギリのところで助かってしまう宿命があるらしい。なにせ、産まれたときからそうだ。そんな奇妙で中途半端な運なんて、うれしくはない。それなら最初から(わざわ)いに(エン)がないほうがいい。

 そして三学期の終業式の朝のことである。終業式は授業日よりも始まるのが遅い。中学の終業式が終わってから、高校の終業式をするからだ。中学の終業式は早めだがそれでも、高校の終業式開始は授業日よりも大幅に遅くなる。
 その遅めの朝、学校に行くために支度(シタク)をしていると、テレビで緊急ニュース速報が流れてきた。地下鉄で爆発のようなものがあった、と。
 この頃はまだ、東京地下鉄いわゆる「東京メトロ」ではない。帝都高速度交通営団つまりは「営団地下鉄」だった。
 高校の最寄駅も営団地下鉄の駅。その路線も止まっている。このまま再開しないとしたら、学校にたどり着けなさそうだ。土地勘がないから、それ以外に行く方法を知らない。
 母親と相談する。
「行けるとこまで行ってみなさい」
 自宅の最寄駅は地下鉄ではなく、いわゆる私鉄。少なくとも地下鉄との接続駅までは行ける。それで、気乗りしない、なんとなく渋々ではあるが、出発した。

 家からの電車は動いている。
 しかし接続駅に着いてみると思ったとおり、地下鉄は止まっている。ホームにいてもしようがないので、駅構内で様子をみることにする。改札口の近くのほうが情報が入ってきやすいだろう。やはり足止めをくらった客らで混雑している。これも思ったとおりだ。
 しばらく、数十分くらいか、待っている。地下鉄は動き出しそうにもない。どうしようか。待っていても間に合いそうにない。都バスの路線はわからないし、乗ったことすらない。タクシーはいくらかかるかも判らないし手持ちの現金もない。いずれにしても行列ができているようで、すぐ乗れなさそうだ。歩いて行くには、道を知らない。方向すら判らない。それにもしかすると、終業式は中止かもしれない。
 駅の公衆電話が()いたので、自宅に電話をかける。母が情報をもっているかもしれない。しかし母親も終業式があるかどうか知らず、地下鉄の動向も未だに詳しく判らないらしかった。
「もう帰ってきたらいいよ」母が云った。「ずっとそこにいてもしょうがあれへんし」

 そそくさと自宅に戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり。大変やったね、とにかく無事でよかったわ。ほっとした」
 テレビでは、地下鉄の件は当初に報道されていたのと違って爆発ではないらしいという話になり始めていた。毒ガスだ、症状からすると神経ガスではないか、ちらほらと言い始めている。これは、すさまじい大事件だ。
 もしも今日が授業日だったら、生徒のなかから犠牲者が出ていたかもしれない……。
 ともかく、高校の終業式があったのか? 延期だったら、その日程は? 催行されていても休んだことになるので、書類のやりとりなどをしに行かないといけない。学年が上がるので物のかたづけも要るから、登校するのは必須だ。
 それで学校に電話をかけるが、話し中でなかなかつながらない。学校の電話回線数はそんなに多いわけがないので、話し終わって()くまでに何分か、もしかすると十数分でも、かかるかもしれない。しばらく待ってから、かけ直してみることになる。時間がかかってしようがない。
 ところでこのマンション、モジュラージャックが一か所ではない。3LDKだが、居室にもモジュラージャックがある。そこでミユキは、自室に電話機を設置していた。一家で以前に使っていた古い電話機を流用して。まだ「INSネット64」ではなくアナログ回線だったからターミナルアダプタも要らず、電話機を直結すればいい。自室の電話機の目的の一つは、コンサートチケットの予約。電話予約開始時刻に一斉に競争になるので、くりかえし電話をかけないとつながらないのだ。目的のもう一つは、ラジオの生番組の電話コーナーをねらうため。
 それで話を戻すと。リビングの電話機で学校に三回ほどかけてもつながらなかったので、自室に戻って電話をかけていた。
 何回めだっただろうか、電話がつながった。手短に名乗り、終業式があったかどうか質問する。
「終業式は終わりました」
 ぶっきらぼうな、あきれたかのようなトーンの返答。すでに何件か同じような電話があって飽き飽きしていたのかもしれない。
 不意に、母親の声が電話に割り込んできた。知らずにリビングの電話機でかけようとしたのだろう。同じく学校に。
 話している最中に割り込んでしまったこと、母親は知らない。かけてつながったと思っている。しかし電話の相手からしてみると、受話器を奪って母親が割り込んだものだと思っているだろう。勘違いされたままで母親には申しわけない気持ちでいっぱいになる。ここで三者通話をするわけにもいかない。母親に電話の主導権を渡して、ミユキは二人のやりとりを黙って聴いていた。
 生徒らの多くは、私鉄やJRの駅から徒歩やバス、タクシーで登校したらしい。中学校の三年間を含めて長々と通っている生徒らには土地勘はある。タクシーに乗る生徒がいるのは、裕福な家の子が多いからかもしれない。とはいえ、滅多(メッタ)に起こらない一大事なので、ここで奮発してもおかしくはないのだけれども。
 転校したてで東京のことがわからないのに、これではなんだか、ミユキひとりだけがサバイバル能力が足りないみたいな、そう思われている感じがする。中高一貫校だから、事情を云わなければそうなるだろう。いや、もっとあがいて、地図でも見ながら道に迷ってみるべきだったのかもしれない。
 当然だが、通知表など書類は後日に受取りに行くことになった。

 受取りに行ったその日。
 地下鉄に乗るのは、異様な気分だった。
 毒ガスによる無差別大量殺人事件。そんなことがあったのに、なにせ地下鉄が重要インフラなものだから、早々に営業再開している。
 そして、「動く殺人現場」になった地下鉄。その「現場」に乗っている。判らないがもしかしたら、いま乗っている車両でもなにかあったのかもしれないのに。
 気持ちが悪い。
 乗客がみな、そわそわしているような、戦々恐々としているような。車掌も駅員も「不審な人や物」について敏感になっていた。

 事件は、容疑者として新興宗教の教祖らが逮捕された。毒ガスで霞が関駅を襲撃し、それを日本政府の犯行にみせかけることで政府転覆をねらったものだという。
 「カルト」という言葉も、「カルト宗教」という文脈のほうに置き換わってしまった。かつて「カルトQ」というクイズ番組があったのだが。もともと「カルト」という言葉には、マニアックな熱狂、崇拝という意味があるのだ。いまでいえば、誰々は「神」だとか、「推し」だとか、そういうような文脈で出てくるような言葉だろう。それもこの事件以後の日本ではもう、単に「カルト」といえば「カルト宗教」のことをいうのだろう。

 釈迦になぞらえた教祖名。
 逮捕されたときは広大なアジトで、押入のような狭いところに隠れていたというから、普段の態度とは似つかわしくもない。マヌケだし、それにもしかするとビクビク怯えてすらいたのかもしれない。
 仏教の一派を名乗っているくせに、メロンが好物だという教祖。執着が根深いというか。それにきっと、メロンの高級感が気に入っているような差別的発想があるのだろう。
 人を殺すことを「ポアする」と呼んで、殺人を善行として扱っていた教団の犯行。人々の生命や存在自体をも見下して、いわば、大義のためには人を殺すこともいとわない、ということなのだろう。それにたぶん彼らは、一般の人々を(かたき)だと思っていたのかもしれない。
 毒ガスを製造して大規模にまくという大それたことなのに、そんなことで国をひっくり返して乗っ取れると思っていたのだろうから、なんだかお粗末な計画に思える。この国の社会は、もっと(ねば)っこく(から)まっている。産業界に支持されてもいない教団が権力をとれるとでも思っていたのだとしたら、自己評価が高すぎる。思い上がりだろう。
 結局は、自己満足のために人殺しをしただけのことなのではないか。なんの()にもならない。逆恨みなのか、やつあたりなのか、それはともかくも。

 ひどいやら、あきれるやら。バカバカしくもある。
 ミユキにはメロンなんか食べられないのでなおさらに、むなしい話だ。
 ミユキはもう、(うり)にも食物アレルギーをもっている。食べると口や(のど)が焼けるように、かゆくなってしまうのだ。カボチャやスイカはもちろん、メロンでも。みんな、別世界で暮らしている。
 もっとも昔から、メロンを、さしてよいものとは思っていなかった。やたら高価で、みんな騒いでいるだけで。
 メロンのどこがええんやろか。

 ミユキにも、思うところはある。
 世の人々はものごとが解らないで、世の中の仕組みに従順に馴れ合って利用して暮らしている。それはそうなのだろう。ミユキ自身も、そんな世の中から(ひど)い目に()い続けてきた。例えば、親類からも、学校でも。
 しかし、やられたからといってもやり返さない。相手と同じところには()ちない。そこは譲れない。自身の存在の根幹、核心の問題だから。決して、彼らのようにはならない。
 私が見下されているからといっても、私のほうは無関係な人まで見下さない。やられたからといっても、別の相手に当たることで憂さ晴らしをしたりはしない。
 絶望していても、この世界のどこかに私と同じような人がいることをわずかに望んでいる。そうでないと生きてなんかいられない。それにみんな目覚めていないだけで、目覚める可能性を秘めていると思いたい。ある日突然にみんな目覚めて、私と同じような人になるんじゃないか。そんなかすかな期待を深い深い絶望のなかにわずかにわずかにもちながら。――救いたい。
 それに、母を苦しめたくないから、生きている。捧げている。
 中学校に合格したときからすでに、東京大学文科一類を第一志望にしている。それも自分のためではない。
 自分の人生を感じたことは、ない。始まっても、いない。
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