第八章 第二節 幼いミユキと苦しい時代
文字数 3,335文字
ミユキにとって、両親とも全幅の信頼のおけない存在だが、それでも生殺与奪を握られている、依存するしかない相手だ。
父親は、わけのわからない理由で怒鳴り散らし、「ときには体罰も必要や」と言い「しつけ」と称して、ゲンコツで頭を殴ったり、平手で身体を叩いたりする。それに、食事で食べられないものがあると「好き嫌いするな!」と怒り、食べるまで威圧し続ける。
ミユキには食事が苦痛だった。無理にでも食べないといけない。のみこめないものだから飲み物でのどをなんとか通そうとすると、父親に「流し込むな!」と怒られる。ミユキは食事後にはグッタリする。
それと、身体が無意識には思うように動かないことがある。例えば、食べるときにときどき舌をかんでしまう。これは生まれつきのことなのかもしれない。いずれにせよ、一挙手一投足が虐待につながるような「地雷原」にいるのだから、言動を自由にはとれない環境だ。発言だって、人前では考えてからでないと話せないし、話さない。身体が反射的にはうまく動かなくなったのは、なにも不思議ではない。そこら辺の子ども達がギャーギャー騒いで暴れるのとは正反対である。
母親も神経質で、たまにヒステリックになり、物に当たって投げ散らかしたりする。夫の圧政に耐えかねているのに、それでも耐えようとしているから。子育てのほうも大変だがそれでも、ミユキは異常なまでに手のかからない子だ。
ミユキにとっては、両親どちらも恐い存在ではあるが、自制する気のない父親よりも、自制心がある母親のほうが愛 おしい存在だ。ぎりぎりまで辛抱しているから、錯乱にいたる。家族に当たれないからこそ物に当たる。
それに――この母親に産まれた。ミユキは、この母体の分身。
「よくできた」母親は、父親のことを素晴らしい人であるかのように説いた。だから、ミユキは父親を尊敬し、いや、敬遠というのが本音だが、とにかく父親のキゲンをなるべく害しないようにした。母親を喜ばせるためにも悲しませないためにも、父親を満足させないといけない。
こんな殺伐として荒れた家庭環境でも、ミユキにとってこれが「フツー」だった。つまり、ミユキのなかではこれが「標準」「ノーマル」。母親もいつも「ウチは普通の家や」と云う。ミユキも、よその子の家庭環境を知らない。
いや、よその子のことを知る手がかりもテレビにあった。ツラい家庭環境と外界とを結ぶ「窓口」。
ミユキは、子ども向けのテレビ番組の定番、『できるかな』だとか『おかあさんといっしょ』だとかもみていた。ノッポさんの工作が興味ぶかい。ミユキも小学館の学習雑誌のふろくなどで工作をする。しかしノッポさんは、ごくありきたりな物からでもこちらが思いもしないような物を作り上げてしまう。そのとても大きな身体で、細かい作業。黙って、身振り手振りで説明しながら。それはそれは不可思議なもので、ひとによっては「日本のものづくりの原点を教えていたのだ」と言うのかもしれない。
ウルトラマンシリーズは、再放送でみていた。当時は再放送で流行していたから。バルタン星人が怖ろしくてしょうがなかったことも、たびたびあった。だが宇宙怪獣や宇宙人たちには、凶悪な者だけではない。それに、人間のせいで敵対関係になってしまうことが多い。例えば核兵器のせいで。でもほとんどの場合は、人間から目の敵 にされてやっつけられてしまう。それをみているミユキは複雑な心境になることがある。人間の側からしたら、生きていくためには彼らをやっつけざるをえないのだ。やりきれない。人間のせいで襲来されたのに、人間は自衛のために殺さないといけなくなる……。
アニメだと、もちろん『ドラえもん』もみていた。ミユキがまだ一、二歳のころに、朝日放送で番組が始まっている。とはいえ、原作コミックは小学館の学習雑誌で連載されていて、とうに大人気作品だったから、ミユキは原作のほうもよく読む。
それに、タイムボカンシリーズの『タイムパトロール隊オタスケマン』などをみていたのも憶えている。タイムボカンシリーズは共通して、いささか子どもを見くびったような作風の子ども向けアニメで、典型的な勧善懲悪 ものだといえる。ちなみにこのシリーズでは悪役のほうで、野比のび太の声の人もジャイアンの声の人も出演している。ミユキも、そのことに気がついていた。
つくり話だということは、わかっている。演技している人がいることも、知っている。
そしてなにより、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』。モモが交通事故死する回の衝撃をいまでも憶えている。
大人に変身する魔法少女。ミンキーモモは憧 れだったから。
ほとんどの子どもたちは自制心もなく自分で自分のことがわからない感じでいる。だから、幼くして早熟なミユキは「身体は子ども、頭脳は大人」とまではいかないにしても、彼らとは全く合わない。しかし大人は大人で、ミユキのことを子どもだと思って見下 す。そもそも両親にすら、理解されていないところが大きい。どこにも入っていけない。必然的に孤独。
私も大人に変身ができたなら……。
自制心ある子どもが身のまわりにいたらいいのに……。
モモの声をやっている人なら、私のことも解ってくれるかもしれない……。
それと、モモが暮らしている家庭は、ウチとちがって穏やかで温かい。こんなウチは実際には少ないと思う。けど、こんなウチで暮らせたらいいのに……。
ところで、こんな産業発展の時代、別の問題が新たに深刻になってきていた。それは、公害、環境破壊――。戦後復興から産業振興へ。とうに、工業・製造業が極端なほど盛んになっていた。
産業は、第一次産業から第二次産業へ。
政府の農業政策はもう、アメリカなどからの食糧輸入と食生活欧米化が進められたせいで米が余ったので、減反 政策が推進されていた。国策として戦後すぐには林業を振興し植林をさせまくっていたのも、木材需要や使用する種類が変化したために、林業が停滞し衰退へと向かいつつあった。第一次産業の産品は輸入したほうが割がいい。
第二次産業は、紡績 ・衣料などの手工業から、ファクトリー・オートメーションつまり大規模工場で大量生産になっていった。自動車であれ、電気製品であれ、工場で大規模製造する。
今でいえば「中国は世界の工場だ」なんていわれるようになって長いが、公害を出しながら他国に輸出している。それも、かつて日本が通った道だった。当時は日本が深刻な公害を出して、工業製品の輸出国に転じようとしていた、「日本製」の時代。だからいま、同じ過ちを中国にまで犯させたということでもあるのだろう。あるいはインドやブラジルなどだって、そうだ。
そんな時代なわけだから、ウルトラマンシリーズでも公害を扱った話がよく創られた。核実験だけではなくて公害がきっかけでも、宇宙怪獣などが誕生したり襲ってきたりするのだ。
また、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』にしても、原作は徳間書店『アニメージュ』で一九八二年に公表されている。その『ナウシカ』にせよ『未来少年コナン』にせよ、科学技術進展と人類の思い上がりを前提にした、いわば未来サイエンス・フィクションだといえるだろう。
日本人はもう、さまざまなかたちで汚染をしていた。煤煙 、工業排水、自動車の排気ガス。
そこでミユキの身のまわりを見てみると。
住んでいるマンションを含めて辺りは集合住宅がいくつも造成されていた。大阪都心近郊で国道沿い。しかしこの一帯にはもともと工場が立ち並んでいた。工場跡地をマンション開発したものなのである。そしてまだ近所にも現役操業中の工場がポツポツと残っていた。近くを通れば異臭がする。
国道には多くの自動車が行き交 う。排気ガスの窒素酸化物や硫黄酸化物、煤 。タイヤが削れたりして起こる粉塵 。それに、エンジンやタイヤの擦 れる騒音、クラクション……。
バルコニーも自動車の煤だらけだし、家のなかにいても騒音がひどい。夜には暴走族が走る。
それに、化学合成された食品添加物の多用も食品汚染といえるだろう。これはもう、人体を直接おかすものだ。
ミユキの世代は、こんな環境で生まれ育ったのである。
父親は、わけのわからない理由で怒鳴り散らし、「ときには体罰も必要や」と言い「しつけ」と称して、ゲンコツで頭を殴ったり、平手で身体を叩いたりする。それに、食事で食べられないものがあると「好き嫌いするな!」と怒り、食べるまで威圧し続ける。
ミユキには食事が苦痛だった。無理にでも食べないといけない。のみこめないものだから飲み物でのどをなんとか通そうとすると、父親に「流し込むな!」と怒られる。ミユキは食事後にはグッタリする。
それと、身体が無意識には思うように動かないことがある。例えば、食べるときにときどき舌をかんでしまう。これは生まれつきのことなのかもしれない。いずれにせよ、一挙手一投足が虐待につながるような「地雷原」にいるのだから、言動を自由にはとれない環境だ。発言だって、人前では考えてからでないと話せないし、話さない。身体が反射的にはうまく動かなくなったのは、なにも不思議ではない。そこら辺の子ども達がギャーギャー騒いで暴れるのとは正反対である。
母親も神経質で、たまにヒステリックになり、物に当たって投げ散らかしたりする。夫の圧政に耐えかねているのに、それでも耐えようとしているから。子育てのほうも大変だがそれでも、ミユキは異常なまでに手のかからない子だ。
ミユキにとっては、両親どちらも恐い存在ではあるが、自制する気のない父親よりも、自制心がある母親のほうが
それに――この母親に産まれた。ミユキは、この母体の分身。
「よくできた」母親は、父親のことを素晴らしい人であるかのように説いた。だから、ミユキは父親を尊敬し、いや、敬遠というのが本音だが、とにかく父親のキゲンをなるべく害しないようにした。母親を喜ばせるためにも悲しませないためにも、父親を満足させないといけない。
こんな殺伐として荒れた家庭環境でも、ミユキにとってこれが「フツー」だった。つまり、ミユキのなかではこれが「標準」「ノーマル」。母親もいつも「ウチは普通の家や」と云う。ミユキも、よその子の家庭環境を知らない。
いや、よその子のことを知る手がかりもテレビにあった。ツラい家庭環境と外界とを結ぶ「窓口」。
ミユキは、子ども向けのテレビ番組の定番、『できるかな』だとか『おかあさんといっしょ』だとかもみていた。ノッポさんの工作が興味ぶかい。ミユキも小学館の学習雑誌のふろくなどで工作をする。しかしノッポさんは、ごくありきたりな物からでもこちらが思いもしないような物を作り上げてしまう。そのとても大きな身体で、細かい作業。黙って、身振り手振りで説明しながら。それはそれは不可思議なもので、ひとによっては「日本のものづくりの原点を教えていたのだ」と言うのかもしれない。
ウルトラマンシリーズは、再放送でみていた。当時は再放送で流行していたから。バルタン星人が怖ろしくてしょうがなかったことも、たびたびあった。だが宇宙怪獣や宇宙人たちには、凶悪な者だけではない。それに、人間のせいで敵対関係になってしまうことが多い。例えば核兵器のせいで。でもほとんどの場合は、人間から目の
アニメだと、もちろん『ドラえもん』もみていた。ミユキがまだ一、二歳のころに、朝日放送で番組が始まっている。とはいえ、原作コミックは小学館の学習雑誌で連載されていて、とうに大人気作品だったから、ミユキは原作のほうもよく読む。
それに、タイムボカンシリーズの『タイムパトロール隊オタスケマン』などをみていたのも憶えている。タイムボカンシリーズは共通して、いささか子どもを見くびったような作風の子ども向けアニメで、典型的な
つくり話だということは、わかっている。演技している人がいることも、知っている。
そしてなにより、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』。モモが交通事故死する回の衝撃をいまでも憶えている。
大人に変身する魔法少女。ミンキーモモは
ほとんどの子どもたちは自制心もなく自分で自分のことがわからない感じでいる。だから、幼くして早熟なミユキは「身体は子ども、頭脳は大人」とまではいかないにしても、彼らとは全く合わない。しかし大人は大人で、ミユキのことを子どもだと思って見
私も大人に変身ができたなら……。
自制心ある子どもが身のまわりにいたらいいのに……。
モモの声をやっている人なら、私のことも解ってくれるかもしれない……。
それと、モモが暮らしている家庭は、ウチとちがって穏やかで温かい。こんなウチは実際には少ないと思う。けど、こんなウチで暮らせたらいいのに……。
ところで、こんな産業発展の時代、別の問題が新たに深刻になってきていた。それは、公害、環境破壊――。戦後復興から産業振興へ。とうに、工業・製造業が極端なほど盛んになっていた。
産業は、第一次産業から第二次産業へ。
政府の農業政策はもう、アメリカなどからの食糧輸入と食生活欧米化が進められたせいで米が余ったので、
第二次産業は、
今でいえば「中国は世界の工場だ」なんていわれるようになって長いが、公害を出しながら他国に輸出している。それも、かつて日本が通った道だった。当時は日本が深刻な公害を出して、工業製品の輸出国に転じようとしていた、「日本製」の時代。だからいま、同じ過ちを中国にまで犯させたということでもあるのだろう。あるいはインドやブラジルなどだって、そうだ。
そんな時代なわけだから、ウルトラマンシリーズでも公害を扱った話がよく創られた。核実験だけではなくて公害がきっかけでも、宇宙怪獣などが誕生したり襲ってきたりするのだ。
また、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』にしても、原作は徳間書店『アニメージュ』で一九八二年に公表されている。その『ナウシカ』にせよ『未来少年コナン』にせよ、科学技術進展と人類の思い上がりを前提にした、いわば未来サイエンス・フィクションだといえるだろう。
日本人はもう、さまざまなかたちで汚染をしていた。
そこでミユキの身のまわりを見てみると。
住んでいるマンションを含めて辺りは集合住宅がいくつも造成されていた。大阪都心近郊で国道沿い。しかしこの一帯にはもともと工場が立ち並んでいた。工場跡地をマンション開発したものなのである。そしてまだ近所にも現役操業中の工場がポツポツと残っていた。近くを通れば異臭がする。
国道には多くの自動車が行き
バルコニーも自動車の煤だらけだし、家のなかにいても騒音がひどい。夜には暴走族が走る。
それに、化学合成された食品添加物の多用も食品汚染といえるだろう。これはもう、人体を直接おかすものだ。
ミユキの世代は、こんな環境で生まれ育ったのである。
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