第二章 第三節 独り暮らしと日頃の買物

文字数 3,026文字

 電車は、明石(あかし)市に入る。
 明石市内には新幹線駅もある。新神戸から一駅、新大阪から二駅。ミユキの通学距離は遠い。だが、新幹線通学をすることはなかったし、これからもないだろう。運賃もだが、乗換時間を考慮してもあまり早くならなさそうだからだ。
 明石からは本格的に播磨(はりま)だ。神戸市には大阪からくる人も多い。そもそも神戸市内でも東の一部は摂津(せっつ)にあたると考えられる。神戸では言葉も、摂津つまり大阪寄りの言葉と、播磨弁とが、混在している。明石、加古川(かこがわ)高砂(たかさご)、もちろん姫路(ひめじ)までいけばなおさらに、播磨弁だ。
 ミユキは、大阪では悲惨な経験も多かったが、そこで育った。母方の、京都寄りの「上方(かみかた)」の言葉に慣れている。神戸市内の中学に進学すると、現地の言葉には慣れなかった。入学して掃除などをやらされ早々に「あらごみ」という語彙(ゴイ)の洗礼を受けて困ったものだった。なお、これは粗大ごみのことではない。神戸市内で特有の語彙だ。そしていまや東播(トウバン)地域に引っ越してきたから、地元はほぼ完全な播磨弁だ。住んでいても、うまく馴染(なじ)めないままだ。なにせ地元には知り合いがいない。
 例えば「

」は、大阪では「しとる」や「しとん」、「してん」というようになるのに対して、播磨では「しとう」になる。こうして日常からある相異がことあるごとにずっと貼りついて集積してくるので、居心地がよくない。それでも、神戸市内の学校にいることから、なんとしてでも「地元だ」と胸を張りたい思いはあって、播磨弁に意識的に寄せていこうとはしていたが。
 ミユキの父親が東播に引越先を決めたのは、その妻でミユキの母親の出生地が近かったことも大きかった。しかし、戸籍上の出生地がそうでも、それはたまたま当時その父つまりミユキの祖父が赴任していたからにすぎなかった。実際に住んでいたのはわずかで、本人が物心つく前に大阪に戻っていたのである。だから、ミユキの家族の誰にとっても、播磨は「地元」ではなかった。大阪市内よりも閑静だとはいえ、必ずしも快適な土地でもなかったのである。
 マイホームがあるところが「アウェイ」だ。それは「ホーム」がないようなものである。家が宙に浮いている。そもそも最初から、ミユキには本当の故郷がなかったのだが。父親の家系はもともと、大阪ではない。「帰るところ」はなかった。ミユキの生まれた家柄は悪い。(いわ)くつきの家。最初から、「ホーム」がなかった。与えられていなかった。

 降りる駅に着いたときには、夕暮れとまではいかなくとも、もう夕方だ。早く家に帰り着きたかった。しかし、独り暮らしのミユキには食料を買って帰る必要がある。
 スーパーマーケットにでも行けば商品が充実しているのだが、時間がない。店まで往復する時間も、店内を回遊する時間も。それにミユキは、中学生の自分が一人で買物をすれば目立って浮いてしまうだろう、というおそれもあって、スーパーマーケットにはあまり行かなかった。
 だから、駅前のコンビニエンスストア、いわゆるコンビニである。割高でも構わない。生活費は、月に一度くらい帰ってくる父親から、そのつど渡されていたから。余らせたからといっても小遣いになるわけではなかったので、お金を倹約しても意味がない。少々のお金よりも、帰り着く前に夜暗くなるほうが、はるかに望ましくない。ミユキはまだ中学生なのだから。独り暮らしにあたって親からも「一人でも早く帰れ」と言われていたが、そんなことを言われなくとも早く帰りたいと思っている。危うきに近寄らないミユキは夜歩きもしないし、母親に似て生真面目(きまじめ)だ。
 コンビニに入る。わりと空いていた。まだ十六時台だから、職場帰りの客もまずいない。ミユキのような下校途中というのも、駅前の店に寄るとなると電車通学者がほとんどなので高校生以上が多いのだろう。「やや田舎」くらいの都市なので、地元の公立中学校ならば家から遠くなく、バスか自転車で足りるに違いなかった。他方で、ミユキのような遠方の私立中学に通う生徒は希少だ。
 店の品揃えは、大手メーカーの定番品、少量から中容量、そして、いわゆる定価。当時はバブルの「残り()」がある時代。その頃のコンビニは、そういうものだった。過剰出店も過当競争も始まっていない。元来コンビニとは、街の中小個人商店が業態変更した姿。()にあわせる程度の量を定価で買う人のための店である。割高で、粗利率は高く、経営者や家族が暮らしていくのに困らないように設計されている。もっとも、いまミユキがいるのは駅前開発型の、鉄道事業者主導の店だが。
 ミユキが買うのも、少量で、間にあわせの、大手メーカー品。買うのは大概(タイガイ)、袋麺やカップ麺などインスタントもの、カレーなどレトルトもの、電子レンジ可の御飯、菓子類、パン。それも、食べる気になれるものしか買わない。だからミユキの食生活は偏っていたが、食べたいほどではないものを口にするような食欲も気力もなかった。お金には困っていないのに、食生活は荒んでいた。ミユキ自身も、身体によくないことはもちろん解っている。しかし、食べものに気力労力を割けないくらいに抑鬱(ヨクウツ)だった。

 (ふと)っている。自覚は十二分にある。小学校中学年の頃からだ。受験勉強などのストレスや環境変化によるところが大きかったが、おそらく第二次性徴も原因だったろう。肥満だとは思うのだが、食べものに気を(つか)えない。

 この日、買ったのは袋麺、レトルトカレーと御飯、食パン、牛乳……。中高生一人でする買物としては不自然な数量と組合せ。そして毎日のように来る。珍しい客だと思われていたに違いなかった。
 ミユキは、他人と交流したくない。レジ会計でも必要最低限のことしか(しゃべ)らない。コンビニで買うメリットは、中学生のミユキが行っても差別的態度をとられないで済むところである。誰に対しても均一な接客対応をする、いわゆるマニュアル対応。それは、客を別々の個人として尊重しないことに繋がる。しかし同時に、誰に対しても同じ態度をとるという、人間性欠如という意味で低いほうに合わせたものではあるものの、形式的平等ということである。それはミユキにとっての当座の問題としては、露骨に見下されることがないわけなので、マシではあった。見かけや年齢などで「バカにされる」ことが昔から日常的に積み重なってきたから、マシな時代にはなってきた、そうミユキは思う。
 会計はもちろん現金だ。この時代には携帯電話は普及していない。ましてや、電子マネーやデビットカード、ブランドプリペイドカードも登場していない。いうまでもなく、中学生のミユキにはクレジットカードはまだ無縁だった。しかしそもそも、クレジットカードはまだ、少額の生計費決済には使われなかった時代なのだ。クレジットカードは国際旅行や、「まとまった買物」つまり高額決済に使うものというのが、常識的だった。コンビニでは使わない、というか、「使えない」。食料品のようなすぐ消費されて「消えてしまう」商品に対しては、クレジットカードの導入が不可能なのが普通だったのである。

 必要不可欠な買物を無事に済ませ、店外に出た。ツラい目に遭わずに買物が済んでホッとする。調達した食料の詰まったポリ袋、いわゆるレジ袋は大きめだ。それを手首から提げて、腕時計と、定期券入れの中の携帯用バス時刻表を確認する。すぐには来ないが、遠くに離れるわけにもいかない、中途半端な待ち時間があった。

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