第十八章 第二節 独りのミユキと、初めての通園バス

文字数 3,551文字

 初めての通園バスは、早々にして大事件が起こった。
 が、その前に幼稚園入園までの話である。

 この幼稚園には入園試験があった。ただそれはミユキにとっては形だけのものでしかなかった。見学に行ったときも、ざっと見て、たぶん問題ないでしょう、と云われたとおり。
 この入試の第一の目的は、面倒を見きれない子どもを謝絶すること。次の目的は、入園する子どもに対する指導方針の策定(サクテイ)端的(タンテキ)にはクラスの割りあて、つまりは担当教諭の割りあての決定である。
 入園試験は園内の講堂兼体育室でおこなわれた。
 入試でミユキにやれなかったことといえば()び箱を跳べなかったことくらいしかない。途中で引っかかって尻もちをつくのであるが、まだ身体が小さいのでそういう子が多く、とりわけ劣っているわけではない。跳びかたを知らないのは普通である。余計なことはしゃべらない。勝手に身動きせず、じっとしている。云われたことをキチンと理解するし、(たず)ねられたことにはキチンと答える。床に貼られた色ビニールテープに沿って歩けと云われればちゃんと歩いて、こうした基本的な行動も云われたとおりやれる。合格はもとより、成績はトップだった。だから入園後のクラスにしても「できる子たち」のクラスに割りあてられた。
 この都会では「神童(シンドウ)」なぞという言葉は(つか)われないが、「とんでもない子が来た」「どういう育てかたをしたらこんな子になるんや?」という具合だった。

 入園に向けて、制服や道具類、通園かばんなどを用意する。母ケイコにとっては入園後のことは心配ごとが多かったが、わが子が幼稚園に入ることは喜びでもあり心中(シンチュウ)はないまぜになっている。そしてこうした細々(こまごま)とした通園準備もたのしかった。水色の制服に黄色の帽子、かばん。そしてその持ち物のことごとくにわが子の氏名を書きつける手間も、ところどころで必要になる()い物も、喜びでもあった、フツーの母親として。腕の見せどころ。

 知能レベルは小学校の中高学年かもしれないミユキだが、ようやく幼稚園に入れられる。必要な物を買うために、ケイコに連れられて総合スーパーマーケットに行った。ケイコはどちらかというと、街の狭くて外界から隔離(カクリ)された商店よりも、スーパーマーケットのほうをこのむ。
 文具売場やランドセル売場では『一年生になったら』が流れている。ミユキは、友人が百人なんかいたら困ると思う。それになにより、話の通じる子どもがいない。住んでいる世界が同じではない。話にならないことがいままでにも判っていた。さて歌はさらに、百人では足りないとまで言う。ふざけた歌いぶりで続くその歌は子どもをバカにしている、ミユキは思う。大人たちはどうして、子ども相手になるとこんな口調になって見くだしてくるのだろう。「ボクー、ボクー」みたいに。うわずった声で。
 テレビでもやっている、「ピッカピッカの一年生」というが、母が買ってくれる小学館の学習雑誌も『小学一年生』なんてものではなくもっと上級学年にいっている。そうでないとレベルがかみあわない。コミックは『ドラえもん』だけという教育方針の家庭で、小学館の学習雑誌だけは例外で、しかしミユキにはどちらかというと

のほうが目あてだったほどである。
 だからミユキは学習研究社の『学習』と『科学』も買ってほしかったのだが、母は買ってくれたことがない。ヤクルトの人なら大淀(おおよど)――現・北区――の祖母の家にも来てジョアやミルミルを売っていくが、「まだかなまだかなー」の「学研のおばちゃん」は見たことがない。もしかすると大阪市ではもう、小学校経由での販売に戻っていて、それ以外に買う手段がなかったのかもしれなかった。
 幼稚園にしろ小学校にしろ、通わざるをえなくて通わされるもの。この国には飛び級がない。誰に対しても同じ扱いを画一的(カクイツテキ)におこなう形式的平等が、この国のモットーである。小学校で習う漢字がもう全て読めても、横並びで同年代と同じことを受けるしかない。その歳月を、グッとこらえてやり過ごすしかない。なるべく周りから目だたないようにして――。
 もっと小さかったころは、フツーの人間じゃないとバレたら施設に入れられて人体実験をされるかもしれない、と思っていたくらいだ。そのおそれは実際にも、当時ならば、なまじ否定しきれなかったのはたしかだ。
 小学校卒業まで七年間。ミユキのいままでの人生よりもながい。さらに中学高校大学にまで続いていくのだろう。そしてそれよりも、日曜日を除いた日中については母と二人だけで居られて危険の少ない、いくらかマシないまの暮らしを、失う。暗澹(アンタン)と絶望が(おお)っている。
 ミユキは、孤独だ。

 この幼稚園では、昼食は用意されるので、弁当を持たせなくてよく、ケイコの手間は(はぶ)けることにはなった。
 ただしミユキの場合は、持病の慢性(マンセイ)アレルギー性鼻炎があり昼食後にも内服薬の塩酸ジフェンヒドラミンが処方されていたので、それは持たせて、昼食後に飲むようにさせなければならなかった。
 それ以上の問題もあった。昼食がミユキの口に合いそうにないことだ。
 ケイコには心配ごとが多い。

 通園バスが迎えに来てくれる。定められたコースの定められたところに停まって乗せ降ろしをすることになっている。バスは、ウチと隣のマンション、それぞれの並んだ入口の前に停まることになった。
 隣のマンションには通園者が二名。一年間は毎回にわたって顔をあわせることになるので、あらかじめ面を通して、連絡先を交換しあった。

 さて、保護者同伴での入園を済ませ、いよいよ通園バスでの初登園の朝。それはケイコと離れてミユキ独りになることでもある。
 そわそわしながらのケイコと、怖れおののきつつハラをくくっているしかないミユキと。ミユキには、逆らう権限がない。忘れ物はないかをはじめ、いつもでも神経質なケイコだがこの朝はなおさらだった。
 送迎地点に母子が集まり、通園バスも予定どおり到着。母らはみな心配した(おも)もちである。そして隣のマンションの男児が、激しいストレスだったに違いない、バスに乗るのをゴネてグズって手間どっていたのに対し、その後のミユキは覚悟してすんなりと乗り込んだ。ミユキだって物凄いストレスだったが、それを表に出せるか否かということである。
「いってらっしゃい。先生のいうことようきくんやよ……」
 初めて乗った通園バスは、母と乗り慣れている市バスよりもずっと小さく狭い。ステップを昇って見える左右二人がけずつの座席は指定制らしく、ミユキは進行方向左側で例の男児の隣の席、通路側に案内された。おそらく乗込む順序に合わせた座席指定なのだろうが、もしかすると入園時期が同じだったからなのかもしれない。

 いってらっしゃい――。
 母の姿が離れていく。

 バスは途中で園児を追加で乗せたり、信号で停車したり交差点を曲がったりしながらしばらく走っていた。
 そこに大事件が起こった。

 ミユキの隣の例の子が、

嘔吐(オウト)したのである。

 ミユキは異変に気づいてとっさに座席右端に()けた。
 ミユキは黙っていた。しかしほどなくして、気がついた園児らが車内で大騒ぎである。
「ゲロ吐いた!」
「ゲロ吐いた!」
「センセー、あいつがゲロ吐いてる!」
 それは朝食だったものらしき吐瀉物(トシャブツ)には、青リンゴゼリーとおぼしき姿がミユキにハッキリと見てとれた。なぜ青リンゴなのかというと、ニオイで判る。胃酸のニオイだけではなかったのである。

 乗り物酔いではなかっただろう。きっと、強烈なストレスで気分がわるくなったのだ。そしてよりにもよって朝食直後だからで、母親はグズる子が食べたがる物を出したのだろう。あの転がっている青リンゴゼリーが。ミユキにもそう思われた。

 バスは手近なところに緊急に停止した。同乗の女性教諭が急いで現場に駆けつけるが、いま掃除しきれないとみてあきらめる。吐いた子の衣服を応急にタオルで振り払ったり、とにかくなんとかして、別席に移動させる。座席には吐瀉物が転がっている。
「キタネー」
「バッチイ」
 車内にまたもや騒ぎが展開された。ミユキの席はかすめただけで()しくも難を逃れたからか、ミユキが席を移動させられることはなく、青リンゴゼリーと隣あわせのまま登園した。
 園児らは幼稚なので、吐いた子はもとよりミユキまでもがしばらく、バッチィ扱いされていた。とんだトバッチリである。

 それが通園バス初登園の朝。ミユキの幼稚園体験のはじまり。早々にして悲惨であった。

 だからミユキは、青リンゴ香料となるとどうしても、美味しそうだとは思われない。
 青リンゴ・イズ・イコール――ゲロ。
 もう一生涯にわたり反射的に、隣の座席に座ったあの吐瀉物がありありと。フラッシュバックが避けられない。
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