第十一章 第四節 空襲

文字数 2,877文字

 はからずも、タカシは兵役をまぬかれた。
 憲兵にとっちめられるかと怖れていたが、そうでもなかった。きっと、兵役逃れだと思っているだろう。しかし、脚が一本折れて障害者になったタカシは、世間にとっては(あわ)れみと(さげす)みの対象である。「ザマァない」「いい気味だ」くらいに思われているだろう。

 父親にせよ、兄シンイチにせよ、本当のところはタカシをどう思っているのか。判らない。本心はいずれにせよ、兵役逃れを疑われている親類に対しては、しかるべき態度をとらないとならないのである。
 なにせ、戦争のこと自体にしても内心でどう思っていようが、反感や批判なんて

にも出せないのだから。まして、松山は大都会。海軍の基地もある。監視の目が行き届いている。
 少なくとも母親は、我が子をひとり亡くしたとき、悲しんだのははっきりしていた。口先ではどう言おうが、出征する男子のために「千人針」に参加しようが、なんだろうが。あのときも、台所に閉じこもり、叫び声をおしころして泣いていたに違いないのだ。中谷家には女はひとりだけ。男子の入らない台所は、母親の「城」だ。
 若者は世間の言説や雰囲気に呑まれやすい。タカシにしても以前はそうだった。しかし、兄が戦死して、さらに自身もいよいよ兵隊にとられる立場になってますます、戦争がイヤになった。
 兵隊には行かずに済んだ。けれども、脚一本折れて、就職の口にしても、妻をもらうのにしても、難しい問題になった。障害者。世間から「

引き」と差別されながらも生きていかねばならない。

 厳しい社会状況だ。病院では長居させてもらえない。しかしもう自宅には入れてもらえないので、退院したタカシは予定どおり、叔父のサチオ宅のお世話になる。
 病院から独りで移動するのはままならないので、ここでも兄シンイチの手助けを借りた。自宅に残っていたわずかながらの私物も、シンイチが持ってきてくれた。父親も母親もタカシの相手をしない、顔すらもあわせない方針だ。両親の代わりに兄がせめてもの情けをかけてくれている。なにもかも兄に助けられっぱなしだった。もっとも、サチオ宅の居候(いそうろう)になってからは、シンイチも面倒をみてくれない。

 サチオには妻と一男二女がいる。二人の娘はすでに嫁に行っているので家にはいない。家の農業の仕事は、サチオと妻と、二〇代になったばかりの息子がやっている。片田舎なうえに農家なので、最悪でもなにかしら食べるものはある。タカシの養生(ヨウジョウ)にも都合がよい。
 しかしそうはいっても、待遇はよくはなかった。食べ物を消費するばかりで、まともに働けないケガ人で身体障害者。身内だから面倒はみるが、ただでさえ物のない時分だから余裕がない。邪険に扱いたい本音は見てとれる。近所でも、交通事故で脚が片方折れたということで知られるようになったが、バカにされるような雰囲気である。

 戦況は厳しくなっていた。年が明けて春になろうかという早々に、松山でも米軍機の空襲が始まった。戦争の情報は偏ってしか入ってこないが、身近に空襲が来たのだから敵軍がもう迫っているということが判る。さすがに、「転進」と強弁しようが大いに劣勢なのは明らかだ。しかも防空しきれていない。県都松山に近ごろできたばかりの海軍の航空基地。ところがそれがやられたならば、次は行政の中心がねらわれるだろう。
 ただでさえ物がないが、さらには空襲に備えて夜間は暗くひっそりと暮らす。必要に応じて頭巾もかぶる。頭巾なんぞで役にたつのかわからないが、それ以上の素材がなかった。服でさえも余裕がないのだから。金属がないんだから、一般国民は竹槍(たけやり)で戦えという話である。
 しかし、右脚が折れて、傷が治ってもいないタカシはなおさら、もろい。骨の壊れた部分の替わりに人工的につないであるし、周りから固めてもあったが、思うようには歩けない。ましてや走れはしない。まだ、ヘタに動くよりは安静にしていたほうがいい。歩くにしても、杖をついてようやく歩く練習を始めようかというところだ。
 そんな情けないものだから、サチオ宅は比較的に安全だった。松山の基地からも行政の中心からも離れた郊外にある。これは、ちょっとした疎開なのかもしれない。戦争中なので傷病人や障害者は普通ならば見棄てられてもおかしくない。疎開させてもらえるのならば恵まれているのだ。そんなだから、郊外に身寄りがあるタカシは恵まれていた。

 空襲は(たび)重なった。全国各地でも、愛媛県内の各都市でも、空襲は繰り返されている。松山も繰り返し繰り返し爆撃された。タカシ自身も不自由な身体だから平気ではいられないが、さしたるもののない郊外だからねらわれにくい。追い出された家のこととはいえ、毎回必ず、市街にいる父母と兄のことが気にかかる。

 七月二六日の真夜中。いままでで一番大きな、飛び抜けて激しい空襲があった。
 松山の街は火の海になった。夜中でも明るい。おびただしい数の焼夷弾が落とされたに違いなかった。
 人家のほとんどは木造である。焼夷弾で火をつけられれば激しく燃える。一発や二発ならまだしも、これほど大規模だと、バケツリレーなんて全く話にならない。相手はタバコの不始末の失火みたいなもんではない。焼夷弾、爆発的に燃え上がる。瀬戸内は梅雨さえ過ぎれば夏もわりと乾燥しているからなおさら。どんどん燃え広がってしまう。
 しかし、火を消し止めようと戦う、そんなアホほど生真面目(きまじめ)な人間が日本人には、もちろん伊予には、多い。空襲ともなれば、住民も戦場で戦っている意気なのである。その(ジツ)、地上戦ではなくともまるで「本土決戦」だった。

 今回ばかりは、三人が無事で済まなかったかもしれない。空襲から明けて、兄のことを気にかけるサチオらが街の様子を見に行った。脚が不自由なタカシは留守番だ。
 松山の街はまさに「焼け野原」だった。家も燃えて、ほとんど跡形(あとかた)もないという。もともとの街の姿が判らないくらい。道路と、燃えなかった建物と。それでようやくうかがい知れる。死傷者は数え切れない。あふれかえっている。
 この世のものとは思えない、ありえない光景。
 これほどまでに(ひど)い状態でも、いや、むしろボロボロにやられたからこそ、知事をはじめ役人らも「必勝」と息巻いている。戦意を昂揚(コウヨウ)させようと。そして内心はどうあれ、人々は口を合わせて同調している。呆然(ボウゼン)としている者もいれば、たしかに米英に対してますます深く憎しみを募らせる者も多い。

 松山城を仰ぐ中心市街。米軍が集中的にねらったのだろう。
 シンジロウたち三人は、生きて見つからなかった。

 街から帰ってきたサチオは、言葉を漏らした。
「死んでもうたら、なんもかもオシマイや」
 宗派は眞宗(シンシュウ)なので、死ねば即得成仏。それでも、「焼け野原」、なにも残らない現実を見ればそう思うだろう。

 ――タカシは独り、置いていかれた。
 サチオの言葉と、そして、シンイチの遺したあの言葉が、胸に響いた。
 死のうとなんて、二度とするもんか。なにがなんでも生き抜く。親父とおふくろ、二人の兄、四人のぶんまで……。
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