第六章 第四節 傘がない

文字数 3,450文字

「おまえは私のいうことがきけんのか!」
 ある夜のこと。大事件があった。
 この夜もまた、父親が妻に怒り出した。それだけならば、まるでいつものことだ。ギャンブルもタバコもやらない、酒も機会がなければ呑まない。コーヒーくらい。飲むのは「ネスカフェ ゴールドブレンド」。外では真面目で通っているが、家庭内では

で怒鳴り散らす。
 そのときミユキは母親に抱きかかえられていた。身体は少し大きくなっているが、中途半端な時期である。もう乳児ではない。抱きかかえられていると、頭が母親の肩越しに出るくらいの身長はある。
 父親が怒るのも、母親がおかしくなるのにしてもそうだが、それはそれはイヤなことだ。この状況がイヤになり気をまぎらわせようとしたかったし、早く父親の怒りがなくなってほしいと思っていた。
 そのとき、茶色い木の開放棚の上にあった置時計を目にした。それは黒くて、横長の直方体。回転盤ではなく、日付も一緒に数字を表示している。ミユキはそれが前々から気になっていたが、普段ならば手が届くことがない。しかしこのときは、母親に抱きかかえられている。
 両手を伸ばしたら、この置時計に届いた。そのまま持ち上げて手元に持ってこようとする。
 しかし、想ってもみないことがあった。時計が重い。ズッシリと。
 持ち上げて頭上まで運んだとき。ミユキの手から滑り落ちた。
 そして。
 置時計の(かど)がミユキの頭に刺さった――。
 この事故。もちろん、母親はすぐに気がついた。置時計が真っ逆さまに畳の上に落ちたから。父親のほうは、ちょうど背中を見せていたのか、この瞬間を見ていなかった。
 傷口から血が止まらない。大パニック。
 父親も怒っている場合ではない。さっきまでバカみたいに吹き出していた(いきどお)りも忘れた。救急車で病院に搬送。
 夜中に緊急手術である。手術では頭を何針も()ったが、幸い、翌日には退院した。
 と、そういう大事故である。ことによっては命にかかわったかもしれない。両親はミユキを見くびっていたし、ミユキのきもちも解っていなかったのだろう。はたしてそれで両親が仲良くなったり父親が反省したりすればよかったのだが……。
 この父親は、妻が

ったのではないかと疑っていた。自分に刃向かうつもりで我が子にわざとケガをさせたのではないかと――。もちろん、本人はそんなことを言っていない。夫のほうが勝手に、我が妻をすら信用していなかったのである。それほどまでに彼は、人間不信だった。

 そんな大事件もあった。ところで。
 ミユキと母親の誕生月日は近い。それを理由に、二人のお祝いを別々にやらずに一度で済ませてしまうのが何年もくりかえされて、慣例になりつつあった。もちろん、父親に対しては単独開催される。例のごとく父親の「お金がもったいない」が理由。
 もしかすると父親はそれだけではなく「いちいちお祝いをするのが面倒くさい」と思っているのかもしれない。少なくとも、我が子と合併開催される妻からすると、そういう気もしていた。たびたび「情のない人や」と思う。お金がもったいないと思っても、そこはお金をつかうべきところやないんやろうか? それでも逆らったり贅沢(ゼイタク)を言ったりすると夫は怒るので、選択肢はない。収入が(チュウ)(ジョウ)くらいあると思うのだけれど、「お金がないんや」と夫は言う。家のやりくりと、夫を喜ばせること、それらは妻の務めなので、自分のワガママを望むのは間違いだと思っている。私ひとりが辛抱すればいいのだ。
 バースデーケーキは買うし、ミユキにはプレゼントを用意する。なんだかんだいっても当時は、ショートケーキではなくホールケーキを買っていたし、そこにロウソクを立てて火をつけ、そして吹き消す定番イベントも行われていた。
 バースデー以外にもお祝いは、正月とクリスマスもやる。なお、家には神棚も仏壇もない。神札つまり「おふだ」が貼ってあるくらいだ。それも、引越にあたって貼っている「おまじない」のたぐいにすぎない。この家の宗旨はよくわからない。「うちは無宗教や」と父親は徹底して言うから、宗旨はないつもりなのだろう。
 それと、母親は「父の日」になると夫にネクタイとかプレゼントを用意して、ミユキにも「ほら、渡して『いつもありがとう』いいなさい」と、やらせる。このプレゼントは、母親が小遣いの範囲でやりくりしていたのだろう。で、しかし結局は、そのネクタイは仕事道具である。外で仕事をするのが家父長の役割で、そして公私の区別は曖昧(アイマイ)である。もっとも、その典型的な日本的、東洋的な発想を疑いもしないのは、この家にかぎったことではない。だから残念ながら、「父の日」であれ「母の日」であれ、その人の趣味のものではなくて、夫婦の役割やジェンダー観にもとづいたプレゼントが選ばれがちなものである。

 家族ゲーム。
「うちは普通の家や」「あなたは普通の子ぉや」母親はくりかえし言い聞かせる。
 子はかすがい。そうはいう。ミユキがいるからこの夫婦は離婚の選択肢がなかった。

 さて、こういう事件もあった。ミユキが母親に連れられて産婦人科に行ったときのことだ。それは、自宅の最寄駅の隣駅の駅前の商店街にある。いわゆる「街医者(まちイシャ)」、開業医だ。その産婦人科に用があるのは母親のほうだが、ミユキを家に独りで置いておけない。
 待ち時間は長い。いまどきでも医療機関の待ち時間は長いかもしれないが、当時は医療機関であれ金融機関であれ悠長なものだった。ちなみに銀行なぞ、現金自動預払(あずけばらい)機すなわちATMもようやく出始めたばかりなものだから、窓口が普通だった。実に待たされるものである。そんなものだから、待っているあいだにトイレに行きたくなるのも普通のことだ。それで産婦人科に

ミユキが「おしっこ行きたい」と母親に云うと、もう自力で済ませられるので「ひとりで行ってみなさい」ということになった。
 個室トイレに入って小用を済ます。
 なんとなくこのまま独りでいたくなって、伸びあがって跳びあがったら、扉の

に手が届いた。いままで背が低くて届かなかったのに。独力でかんぬきをかけられた。
 成長である。
 ところが。かんぬきを外せなくなった。
 いろいろと試行錯誤をするが、外せない。もうこのままでもいいか、と思ってもみる。が、一生このままではさすがに困る。
 よそのそこいらの子だったら泣いて騒ぐかもしれない。しかし、ミユキの頭のなかに先に出てくるのは、迷惑をかけられないということだ。静かに、自力でなんとかしようと試みて、一休みして、のくりかえし。
 手を伸ばして、飛び跳ねて。何回やってもうまくいかない。
 ミユキが戻ってこないのをおかしいと思った母親がトイレに見に行って、事態に気がついた。
 その後は結局、かんぬきを外せないので扉を外すことになり、ちょっとした騒ぎになった。幼いミユキがひとりでやったことなので、産婦人科の職員達も怒れず、待合で居合わせていた人々もさして怒ることでもなく、むしろ微笑ましいくらいの雰囲気で事件は解決。

 ともかく、ミユキはトイレにいるときが安心する。独りでいられるから。親はいないといけないが、たびたび怒る。毎日いつも、そんな親の顔色をうかがって。いや、イライラしている感じとか、とりまいている雰囲気、オーラのようなものをうかがって。親に気をつかって、くたびれる。幼稚園にも通っていない三歳、四歳くらいでもう、そんな感じ。親は要るけど、危険でもある。葛藤。日々くたびれ果てていた。振り回されっぱなしだ。独りでいるのが落ち着く。

 両親は夜、ミユキを早く寝つかせて、二人で秘密の話をしていることがある。この二人にはもう性的な肉体関係がない。「家族会議」をするのである。幼いミユキを除外して。議題は、家計の問題であったり、ミユキに対する教育方針であったりする。
 ミユキは、ふすまの向こうで二人が内緒話をしていることに気がついている。のけものにされるのが、とてもイヤだ。「子ども扱い」をされて、まるで人間扱いされていないように感ずる。歳で見下されていて、一人前の家族としてかぞえられていない。
 普段は、父親に対して、ミユキと母親の構図。仲間でいる。私のいないところをねらって、二人だけでこっそりやりとりをしている。そのことに、裏切られたような思いがする。

 そんなある夜。母親は夫に、こんなことを打ち明けていた。
「この子、気味が悪い」
 続ける。
「たまに、殺してしまいたくなるときがある」
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