第十六章 第三節 それは夜逃げをするように

文字数 2,310文字

 そうして暴れられていると――

 ウゥーウゥー……
 遠くから、警察のパトロールカーとおぼしきサイレンが聞こえてくる。

「アカン! お(まわ)り来たで!」
 お仲間が駆け込んできた。計画的犯行である。外に見張りを立てていたようだ。「折伏(シャクブク)」と称する殴り込みもきっと、今回が初めてではない。
 どうやら近所の人が通報したらしい。これだけの騒ぎならばさすがに無理もない。近所迷惑どころではなく、まるで強盗かヤクザの抗争のようだったから。
()めや止めや!」
 剛の者どもがワッと(あわ)ててアパートを立ち去る。逃げるときも組織的で、あっという間。まるで、鳥の群れが一斉に飛び立つときのよう。
「これで身に()みて解ったやろ」
 今日はこのくらいにしといたるわ、と、いわんばかりだった。また来るからな、よう考えとき!

 マサコは買物を終え、両手に風呂敷と買物袋を引っ()げ、娘のもとにちょうど戻ってくるところだった。パトカーのサイレンが聞こえる。
 近くまで歩いてくると、アパートの前にパトカーが停まっているのが見えた。
 隣の駐車場には、たむろしている集団。それぞれが自動車やら自転車やらで去るところ。そこに、自動車の後部座席に乗り込む、忘れもしない憎き顔もあった――。

 これはッ!
 えらいことになってる。思った、直感的に。
 アパートへと駆ける。

 ケイコと孫になんかあった!

 話しかけようとする警察官を無視し、荷物を放り出すと、玄関扉を勢いよく開ける。
 そこには、ベビーベッドの柵に両手をついて激しく呼吸を乱しているケイコの姿があった。
 部屋のなかが散々で、出かけたときのなごりもなく、強盗に荒らされたみたいになっている。
 足の踏み場にも困る。スリッパに履き替える間もなく、ケイコに駆け寄った。
「ケガしてへんか?!」
 だから最初の心配はそれだった。
 ひと目では、ケイコもミユキも無事なように見えた。ただ、ケイコは母の質問に答えられるようもなく動揺している。
「ケイコ、もうだいじょうぶや! もうだいじょうぶやからっ!」
 マサコは娘を抱きしめた。

 ――ようやくケイコが落ち着きをほんの少しは取り戻して。

「あの人が来て……」
 殴り込みをかけられて家じゅう荒らされたことを説明した。

 玄関にあがってきた警察官らがずっと、どうしようかと戸惑っている。
 マサコは深くひと呼吸をおいて、彼らに近づいて。
「お騒がせしました」云った。「これは身内のもめごとですから……」
 警察もその場を引き取って帰っていった。

「ごめんね……ごめんね……」
 ケイコは、ベッドのミユキに謝り続けている。ミユキはこの騒動のあいだずっと、泣きも叫びも騒ぎもしないで居た。

 おおごとである。マサコはタカユキの会社に電話をかけて、帰ってくるように伝えた。いますぐ早退して帰ってきてくださいと。言葉じりでは「お願い」だが、「指示」といっていい。
 アパート内の隣近所にはマサコがとりあえず謝りに行った。

 ――さて。
 こうなると求められたのは、タカユキの対応である。またもやヨシアキとマサコに迫られた。脅されたわけではないが、まるで「ショウ(Show)ユア(Your)フラッグ(Flag)」。態度を示せ、あんたはどっちの味方なんだ? ってことである。

 まず真っ先に、このアパートには居られない。近所に迷惑をかけたこと、それで家主(やぬし)への体面(タイメン)ということもある。しかしなにより、ここに居ればまた連中がまた襲ってくる。しばらくは警察を気にするだろうが、頃あいを見計らってまた来るはずだ。
 おそらく、監視していてケイコとミユキだけになったところで殴り込みをかけてきたのだろう。二人だけにはしておけない。連中が来たら、マサコが加わって三人でも厳しい。それに、マサコも常駐していられるわけではない。かといって、タカユキが会社を休んで在宅し続けるわけにはいかない。

 彼らの要求を呑めば押しかけられなくなるのだろう。しかしいうまでもなく、こんな危険な団体に二人を入会させるという選択肢はない。こうやって攻撃をして脅してきた相手とは、顔を合わせることすらもありえない。
 だからむしろ、タカユキはいよいよ脱会しなければならなかった。こんな危ない「宗教」には、籍だけでも置かれていては困る。それだけではなく、両親とも距離をおいてくれ。「絶縁」とまではいわないが……。そこまで応えてようやく、タカユキは義父母からゆるされた。

 ともかく。かりに数日ならばヨシアキ宅に滞在していればいいだろうが、当然そのくらいでは済まない。
 引越すしかない。

 大急ぎで引越すことになった。行先はなるべく遠いほうがいい。大慌(おおあわ)てで大阪市外で物件を探した。通勤があるので、北大阪で。それが本社に行くにも工場に行くにも都合が良かった。新興住宅地でもある。
 新居を借りるのにも保証金や礼金が要る。
 退去するほうは保証金がいくらか返ってくるにしても、カギの交換費用だとかいろいろかかる。鍵をタカシに返させる見込みはないし、それにそもそも、退去時にはカギの交換を求められることになっていた。
 家財があらかた破壊されたので、また買わないといけない。
 お金がない。だからまた、ヨシアキが貸すことになった。しゃあない。いい迷惑である。

 逃げてもまた来るかもしれへん……。ケイコには突き刺さっていた。わが子が危機にさらされることが。

 新居はまたアパートだが、駅から急な坂道をずっと登っていく。不便でしんどいところをあえて選んだ。それは、家賃がやすいからというのもある。
 もちろんタカシらには引越先を教えない。一日でも早く。大急ぎで少ない荷物をまとめて、跡形もなく、もぬけのからに。

 それはまるで、夜逃げのようだった――。

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