第三章 第三節 マンション戦争

文字数 3,322文字

 さて、新居のマンションだが、住んでみれば日増しに、施工の欠陥が見つかっていった。手抜き工事である。半年も経たないうちに、欠陥住宅だという問題は全住人共通のものになっていた。下請業者の工事は全般的に粗雑で、多くの住戸に欠陥が見つかったからだ。一〇〇戸以上もある規模のマンションだ。もう大騒動である。何もかもあまりにもずさんなので、建物それ自体にも欠陥があるのではないかという疑いまで出始めたほどだ。
 さらに、同じ不動産デベロッパーが向かいにも新たなマンション建設を計画しており、建設予定地も買上げ済みで大金が動き始めている。バス路線の誘致にしても、これを織り込んでの計画だった。建てる気満々で既定路線なのだが、かりにここに建ったとするならば日照問題のおそれまであり、住人らの懸案になった。既存のマンションでさえも欠陥があるというのに、なおも新築する気なのか?
 だから、販売したデベロッパーと購入した区分所有者ら住人との関係は険悪になった。欠陥つまり瑕疵(カシ)を直せと求めるのは当然である。さらには、キャンセルするから代金を返してほしい、という意向の人までもいた。

 一般に、買主である区分所有者らと、売主の不動産デベロッパーとの、その間に挟まる微妙な存在に、区分所有者らで構成する管理組合と、管理業務を受託する不動産管理会社とがある。なぜこのような存在が必要なのかというと、集合住宅には専有部分だけではなく共用部分があるからだ。この新築マンションも、管理組合を新たに結成して管理業務を管理会社に全部委託することになっていた。
 そこで必要なのは管理業務を委託する管理会社の選定である。多くの新築マンションは、売主側が受託管理会社を予定していて、その管理料も、各戸の区分所有者が支払う管理費および修繕積立金の金額も想定してある。売主やマンションによって、管理会社は売主の系列企業であることもあれば、懇意にしている業者を用意してあることもある。売主があえてそうするのには、ひとつは販売後にも収益をあげるビジネスモデルをとっている場合があるため、もうひとつは買主に対するいわゆるアフターサポートのためということが挙げられる。
 受託管理会社は、管理組合と契約して業務を請負うものなので、管理組合の利益になる行動を取らねばならない。そしてもちろん、管理組合は区分所有者らで構成される団体である。なにもトラブルがなければ、区分所有者らと管理組合、管理会社、売主、ひいては住宅ローンの金融機関までも一枚岩になっていて、いわば効率がよいという、いってみればきわめて日本的な、全体システムが先にありきのやりかただ。
 このマンションも例外ではなく、売主デベロッパーは受託管理会社に、自社系列ではないが深い関係のある業者を内定してあった。そうすると区分所有者らの間で、用意されていた管理会社が欠陥住宅を売りつけた売主の息がかかっていることが議論になったのである。
 そして管理組合は最初から存在するわけではないから、区分所有者らが集まって準備をし集会を開いて結成することになる。

 そんな集会にミユキの父親も出席した日のこと。
「理事長をやることになったぞ」
 帰ってきた彼が二人に云った。
「持ち回りでやることになってな」
 一階に住んでいるので真っ先に話が来たという。
 新築分譲マンションの区分所有者らは偶然に巡りあった、互いに見ず知らずの他人である。誰にも適任者の心当たりはない。管理組合の役員を「持ち回り」で担当させるのが公平だ、という安直な発想になるのは一般的によくあることだ。
 それが「平時」であればいい。管理組合を新規に結成する場合でも、段取りは一般的に決まっていて、マンションごとに事実上も用意されている。売主や予定管理受託会社が段取りを持ち合わせているからだ。用意されているテンプレートに沿って区分管理者らが「うん」と言えば済む、それが実情だ。
 だが、このマンションは「平時」ではない。売主も、売主と付き合いのある予定管理受託会社も、区分所有者らと利益が相反している。
 理事長をやると聞いて妻は、トラブルの中心に立つことになるのを強く懸念した。ただでさえ、問題に必然的に巻き込まれている。わざわざ騒動の中心に自ら突っ込まなくても、と思った。ミユキも漠然とした不安を抱いた。いやな胸騒ぎ、である。渦中に飛び込んで火中の栗を拾いにいくようなものだ。二人とも、「心配する」などという第三者の立場ではない。妻子も家族、身内なのである。

ではない。
「別に、やりたかったわけではないんやけどな」
 妻の困惑した様子を見て付け加える。
 もう決まったことである。もとより二人には、彼に逆らうという選択肢はなかった。
 口では「イヤイヤなる」雰囲気を匂わせている。しかし実際には「やりたかった」ということが、ミユキにはなんとなく判る。この父親はそういう人間だ。ことあるごとにこういう卑怯なウソをつく父親を、けがらわしく思っている。

 ほどなくして、ミユキの父親は初代理事長に就任した。ミユキが中学二年生の夏のことだった。

 総会では、管理会社は予定されていた業者にすることも決まった。素人である区分所有者らが、管理会社をすぐに自力で探してきて決めることは難しい。売主デベロッパーとの微妙な渡りあいのもとに、まずは用意されていたとおりにすることになったのである。

 このマンションの欠陥の調査は、各戸の専有部分はもちろんのこと、廊下など誰も占有していない共用部分にも必要だった。
 各戸専有部分の調査は、所有者の事実上の自己責任というところがある。つまり、直せという思いの強い所有者は、欠陥箇所を自らつぶさに調べあげて要求するものだ。反対に、それほどこだわりのない所有者もいる。どうせ減価償却して価値がなくなるし、売るときには全体的に改装するつもりだ。そういう彼らは、うるさく言わないし、見つけられずに直されなくても文句は言わないだろう。
 他方の共用部分は大変だ。外装、例えば防水吹付けが足りないとか、廊下の柵の平行・垂直や根元に隙間やズレ、ヒビ割れがないか、そういうような手抜き工事の調査だけでも調査箇所は細かく大量にある。片っ端から写真を撮って証拠を残していく。
 さらにそれだけではなく、建物の構造の調査もすべきだという見解が区分所有者の多くから出ている。例えば、コンクリートの混合比率が正しいか、密度が足りているか、乾燥が適切にされていたか、といったことが挙げられる。そんな検査は見てもプロでないと解らない。
 こうした共用部分の調査となると、管理組合が担当しなければどうにもならない。つまりは、理事長をはじめ役員の任務だ。調査を実際に手配して立ち会うのも、理事長がやることになる。
 理事長は、区分所有者の売主デベロッパーに対する交渉を助けるだけではなく、むしろ売主デベロッパーと直接交渉する立場にもなる。渦中の中心なのである。
 しかも、このマンションでは周辺の建設計画にまつわる日照権などの問題も抱えている。こうした問題は区分所有者の各戸の問題ではないから、管理組合が団体交渉をするような立場になる。

 売主デベロッパーと買主の区分所有者らの関係は、なおも悪化していった。各戸内装の手抜き工事の欠陥に対する調査と補修あるいは補償のやりとりは長引いた。欠陥の程度も住戸により異なるし、区分所有者によって態度も怒りの程度も異なり、区分所有者同士でもいわゆる「温度差」があった。
 デベロッパーは、売れ残った部屋を値引きし、最終的には息のかかった不動産業者に売却までして、ようやく「完売御礼」にまで漕ぎ着けた。だがそれも区分所有者らの神経を逆なでしたことはいうまでもない。不公平感や、欠陥が明らかになっていても平然と売る態度に、怒る人も多かった。
 彼らにも「温度差」や、なかには激昂して先鋭化している区分所有者もいる。そうした感情をうまく受けとめて調整しなければならない。繊細で難しいバランスとコントロールが、管理組合の理事長に必要だったのである。
 しかし、その理事長に就任した彼はどうだろうか――。
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