第十一章 第一節 赤紙

文字数 2,604文字

「親譲りの無鉄砲で」とも「愛媛のまじめなジュースです」ともいうが、伊予人というのはなぜこうも生真面目(きまじめ)で頑迷なのか。

 ときは大東亜戦争のさなか、昭和十九年の冬である。
 中谷(なかや)タカシは十七歳、春に旧制中学校を卒業していて、家業を手伝っていた。男ばかり三人兄弟の末っ子。家を嗣ぐのは長男のシンイチだから、三男のタカシはいずれ独立しないといけない。就職もそろそろ考えんとな、と思っていた。妻子をもってもよい歳になりつつある。お国も産めよ()やせよと言う。
 しかし戦争である。いつ召集がかかってもおかしくない。母校の先輩にも同級生にも「赤紙」が届きはじめている。これだけ広く召集をしているところをみると、戦況が厳しいのだろう。まだ長引きそうであるし、やはり本土決戦になるかもしれない。就職にしても縁談にしても時機ではないだろう。実際、もう二十代半ばの長男シンイチにさえも、まだ妻がおらず、もちろん子もいない。

 中谷家は江戸徳川の治世、藩政下の時代から、大洲(おおず)藩内のある農村で庄屋(ショウや)をしていた。簡単にいえば、農地の大地主(おおじぬし)である。もともとは下級武士だったが失業し、山間に入って開拓し庄屋になったという。親戚一同、今でも心もちのうえでは士族のつもりでいて、偉ぶりたがり、そして妙に律儀なところがある。
 江戸時代の中頃までは、「なかや」の字も「中屋」だったらしい。漢字が変わったのは「谷」のほうが平易だったからかもしれないし、新谷(にいや)藩になぞらえたものかもしれない。ちなみに、新谷藩というのは大洲藩の分家である。
 その中谷家は明治になってもその村で暮らしていた。しかし昭和になってタカシの幼いころ、一家は松山に出てきた。それが昭和五年になるころである。引越したときまではまだ景気がよかった。地元を離れても、所有している農地を小作人に貸しているから地代があがってくる。いわゆる「不在地主」だ。それに松山市内でも何軒も不動産を買って、それらの賃料でも稼いでいた。つまりは不動産業である。とはいえ、郷里にいれば名士だが、松山ではたいしたことはない。それ以前にそもそも、タカシの家は本家の筋ではない。伯父が本家で、いまは宇和島(うわじま)に住んでいる。しかし、タカシの父親のほうが一族の土地の管理を引き受けて、地代も徴収している。そんなわけなのでウチには大金が流れてくるのだが、だからといって金持ちというわけでもなく、それはあくまでも預かりものにすぎない。ちなみに、乗合(のりあい)自動車が郷里と松山のあいだを往来しているから、仕事だけではなく里帰りもすることがあった。だがいまや、そんな遊んでいられる世の中ではない。

 十二月。晴れてカラッと乾いた、ピリッと寒い日。早朝には零度近くまで下がっていた。
 タカシは賃料の取立てに出かけた。家業の手伝いである。出かけるといっても市内の近場なので、たかが知れている。
 本来ならば世間が年の瀬で慌ただしくなるはずのところで、そこを狙って取立てたいところなのだが、なにせ戦時下。この時世には成果が少ない。居留守すらもある。家賃が払えないと言う人間には、怒鳴っても殴っても、ないものは出てこない。店舗を貸している業者までも「申しわけないが、いまはこれだけしか払えません」と云い、わずかしか出せない。結局は、この大事なときにはお互いさまだ、ということになる。なにせ、国民一丸となって戦争に勝たねばならないという。取立てているこちらのほうが、申しわけない気持ちにもなってくる。
 やはり(むな)しい結果に終わってタカシが家に帰ってくると、シンイチが深刻な顔をしていた。
「ついにウチにも来たぞ」
 取立ての成果を尋ねるよりも先に、開口一番である。だからタカシには、何が来たというのか判った。
「兄貴、やっぱり俺にも来たのか」
「ああ」
 本音を言えば、忌まわしきもの。何が来たというのか言わなければ事実が変わるわけでもない。だが、あまり口には出したくなかった。父親のシンジロウは家業があり、しかも若いわけではないので兵隊になんか行っても足手まといになる。シンイチも長男なので、徴兵の順序としては後になる。いま来るとしたら、中学校を卒業して年齢に達したタカシ宛だ。
 奥から父親が出てきて、悲愴な顔をしつつも黙って、タカシに手渡した。
 赤紙である。タカシが仕事で出かけていたあいだに、市役所の役人が持ってきたのだ。それは、赤というわりには思っていた以上に淡い色をしていた。どうせ桃色なのならば、これが召集令状ではなく恋文(こいぶみ)だったなら、どんなにもよかっただろうか。
 母親は台所にいるようだが、まだタカシの前に出てこなかった。

 応召しなければならない。期日になれば兵隊に行かねばならない。幸い、なのかわからないが、その日は年明け後である。
 タカシはずっと悩んでいた。何日も。当然だ。自室の物を片付けていく。そうはいっても、さして物は多くはないのだが。いままでの思い出がめぐる。俺ももう死ぬ。短い人生やったなァ。
 これが最後の年越しになる。親父ともお袋とも兄貴とも、これでお別れだ。兵隊に行ったら、生きて帰っては来られんだろう。一兵卒なぞ、使い捨ての駒にすぎない。戦争は殺し合いだ。しかも異国の地で。俺も、骨になってですらも、帰って来られんかもしれん。せいぜい「名誉の戦死」の一報が伝えられるだけだ。そんなことはよう知っている。
 親父もお袋ももう、いくら建前であっても「おめでとう」なんて云わない。これが数年前だったならば「勝って帰って来い」という話になっていただろう。生きて帰って来る望みがないことは、いまや両親もイヤというほどわかっている。まるでお通夜だ。
 かといって誰も、「()くな」とは口が裂けても云えない。外ではもちろんのこと、ウチでも。
 カネはいくらかあるが、物がない。このところ、白米を見たことがない。わずかしかない食べ物、四人で黙々と食事をする。雑穀と、薄い汁物。それでも、食えるだけマシ。一家団欒(ダンラン)のはずの場でも、みなが口に出す言葉に難儀している。ウソはつけないが、本音も言えない。しゃべってみたら、言ってはならぬことが口をついてきそうで、それが怖ろしい。黙々と食う。仕事中でも必要最低限のことしか話さない。会話がなくなった。
 ――独りで思い詰めていた。

 いよいよ年越しの十二月三十日。タカシはその朝、ウチを出た。家族には、散歩に行ってくると云って……。
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