第十三章 第五節 新婚生活

文字数 2,566文字

 ふたりの新居は木造アパート二階建ての一階、2DK。夫タカユキも一人暮らしのアパートを引き払って引越してきたのだし、妻ケイコは実家からの引越し。ケイコは当然のように、結婚するからということで勤務先を退社している。タカユキひとりの収入で生活していかなければならない。あれやこれやでお金がなく、新居は貧乏くさくて手狭(てぜま)だった。ケイコの持ち込んだ立派な家具が、浮いて見える。新婚の機会に買った布団も側生地が豪華で場違いで、しまう押入が貧相で見合わない。
 けれど時代は将来を明るく感じさせた。また引越すやろうし。いずれマイホームを買う、そんな夢を見ていた。
 アパートの鍵は三つあったから、タカユキとケイコのそれぞれが一つずつ持って、もしものときのためということでもう一つはタカユキの実家に渡した。
 戸籍もここにある。夫の実家に妻が入籍するのではなく、新たに籍をつくったから。実際には本籍地はどこでもいいのだが、ごく単純に新住所と同じにした。
 まさに、ここから始まる。

 しかし、新生活は厳しかった。夫の両親、つまり(しゅうと)タカシや(しゅうとめ)カズコが、ケイコが独りでいるところにたびたび訪れたからである。まるで同居。

 カズコについては、嫁を教育するため、という名目だ。妻としてちゃんと働いているか。息子にふさわしい妻か。
 しかしケイコは花嫁修業もしていた身で、しかも真面目(まじめ)几帳面(キチョウメン)な働き者だから、カズコには教えられることが少ない。掃除にしても、元勤務先の関係で目ざとい。ちょっとした元プロ。せいぜい料理の味は絶対的な正解のない世界なので「中谷家の味」を指導したものの、ケイコは文句ひとつ言わず習って、のみこんでしまった。
 そんなだから、カズコが嫁にいいところを見せられるところがない。なんでも素直に言いなりになる嫁がシャクに触ってきた。気に食わない。それで――
「ここ、掃除できてへんやないの!」
 (ふすま)の上の鴨居(かもい)に指を滑らせて、ホコリが付いた、そうやって、こっぴどく怒る。
 そんな、重箱の(すみ)をつつくようなことをされて怒られても、ごめんなさい、申しわけありません、と素直に謝るケイコ。そして、指摘されたことは二度と失敗しない。ひとつひとつ念入りにメモをとっていて、家事はますます、しつこいほどに行き届かせた。
 そうなるとカズコは、ますます腹がたって意地が悪くなる。エスカレートする。怒って、すがらせる。指摘することが見つからなくなったので、ケイコの見ていないところで捏造(ネツゾウ)までした。
 捏造までされても、ケイコは義母を疑うということをしたくない。忘れてたんや、行き届いてへんかったんや。うちは何をしているのか? 自信がなくなっていく。自分でも知らんうちに、身体が勝手に間違いをやらかしていたのかもしれへん。そう自分自身を疑う。
 抜き打ちで、週三日くらいの頻度で日常的にやって来るカズコ。最初から結論は決まっている。イジメることありき。「嫁姑問題(よめしゅうとめモンダイ)」というよりも、一方的な虐待だ。
 ケイコは、いくら真剣に丁寧にやっていても、怒られる。いびられる。いつもいつも責められて、問い詰められて。どんどん神経質になっていく。
 私が悪いんや――ケイコは自分を責めた。ただでさえ他人の悪口を云わないケイコ。ましてや夫には、義母のことを悪く云えるはずがない。独り、抱え込んでいた。

 しかし、タカシもえげつない。そして、気持ち悪かった。
 理容業のタカシは、休日が日曜ではない。ゴタブンに漏れず月曜定休。月曜定休は戦後の電力が足りなかった時分の名残(なごり)らしいが、タカシも昭和二〇年代から床屋だというのだから、いうまでもないのである。それで、店が休みの日に来るのだが――
「よぉ、ケイコ、元気にしとるかー」
 それはいい。
 しかし、しばらく話しているうちに、
「それにしても、ええケツしとるやないか」
 卑猥(ヒワイ)な言葉をかけ、身体をなでまわす。まるで、息子のオンナは俺のもの、とでもいわんばかりだ。つまり、嫁は家父長のもの。
「お義父(とう)さん、やめてください」
 もちろん(こば)む。だけれども、強い言葉は云えなかった。相手は舅。ヘタをすれば(かど)が立つ。それに、男と女、いま二人きりしかいない。きわどい状況で。うまくかわすのに必死だった。怒らせれば、ぶん殴られてもおかしくない。しかしそれよりなにより怖ろしいのは、無理やり襲われること。
 幸い、というとおかしいが、押し倒されるようなことはなかった。しかし、来週は、再来週は――。いつか、どうなるかわからない。これも、夫には云えない、お義父(とう)さんに迫られるんです、だなんて。
 毎週月曜日が恐怖だった。

 お義父(とう)さんのことも、お義母(かあ)さんのことも、タカユキさんには話されへん。
 それは、肝心の夫タカユキとの生活にも幻滅することがあった。
 

ではないとき。女には周期があるから。そんな夜。
「せやったら、口で

てくれるか」
 座っている夫の前、ひざまずかされて。

代わりに、口で

させられた。それは、夫が

の人だったケイコにとって、いままで思いもしなかった。衝撃的な、けがらわしい体験。
 結婚するというのは、そういうもんなんや。この人についていくしかあれへん。

 新婚生活は早々に、ツラく、苦しかった。これが、これからずーっと続くんやな……。ケイコは暗く、そして、あきらめ。

 そんなことが二か月くらい。
 ケイコは気分が悪くなった。もしかして……。だから実母マサコに電話で話した。
「それは子どもができたんやわ。私は三人産んでるからわかる。間違いあらへん、きっとそうやわ」
 喜んでいた。
 だから、夜帰ってきたタカユキに相談する。
「私、子どもができたかもしれへん」
「ホンマか!?」と、タカユキはことさらに驚いた。その勢いに面食(メンく)らってケイコは、
「調べてみいへんと、わからへんけど……」
 だからもちろん、産婦人科に行った。「婦人科」は初めてではない。けれど、「産科」としては初めてお世話になる。

ですね」
 お医者さんが云う、定番のひとこと。ありきたりだが、それも望んだ妊娠なのだから正しい。ごくありふれているはずの既婚女性の

、ケイコもその道を進んでいる。
 やっぱり。いつの夜かはわからへんけど、きっと新婚旅行のとき。
 うれしいけど、自分が自分でないような、複雑な気もち。
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