第十八章 第三節 仕出し弁当、Cコース
文字数 4,469文字
幼稚園は保育園と異なり、教育施設である。それは、いわゆる幼児教育でもあり、小学校入学の前段階としての目的もある。入学に備えて集団生活に慣らすことがとりわけ重要なのだろう。ただ、ひらがなや足し算のように小学一年の内容を先どりして教えたりもする。
「センセー、センセー」、教諭は園児らに人気がある。そのなかでもとりわけ独占欲が強くわがままな子が教諭の近くにベッタリなついて手を焼かせる。
ミユキは、彼らと面倒なことになりたくもない。私はあの子たちとはちゃう。教諭のこともあくまでも他人。教諭も人間で、その人にはその人なりに仕事でやっているのだし、忙しいのだから、手をわずらわせたくもなかった。
ミユキはいつも、教室の隅で遠まきにながめている。それは、絵やら工作やらといったミユキにとっても無意味ではない内容のときでもそうだった。先生のことはあの子たちにゆずっておけばいい、そう思う。
運動つまり体育やらなんやらと、教室から移動することもあったが、ミユキはいつも、混みあっている群れから離れて端のほうにいる。
園児らがあまりにもうるさくてガヤガヤギャーしていると、教諭の指示がよく聞こえない。だからそんなときは、周りの様子を観察してさとるしかなかった。書いてくれればいいのに、と思う。しかしそもそも園児らは、文章がまともに読めないのである。
幼稚園は、大変な世界。ミユキは神経をすり減らしていた。
さてこの幼稚園では、昼食は自家製ではない。外部の業者に発注した、いわゆる
一階に納入されるので、業者の大きなトレイに入ったそれを、もちまわりで担当した園児らが二階の教室まで運ぶ。
飲み物は、大きなヤカンからプラスチックカップに注ぐ。プラスチック製が多いのは、安全性と軽量、それと
そして「いただきます」するのだが、その弁当、当然ながら温かくなく、冷ましてある。そうしなければ食中毒が起こるところである。冷めたこの弁当、ハッキリ言って、不味い。
ミユキも、つくり置きされた冷めた料理は家でも食べることはある。食堂のテーブルの上で、ほこりよけの
幼稚園で出てくる弁当は、見ず知らずの人がつくったものだし、元の味が判らない。
そしてまた、弁当箱はモダンで西洋風なのに、中身がいわゆる和風なのである。このチグハグが気もちわるい。
母のつくる料理は西洋風が多い。それにくらべるとこの弁当は、地味で古風で、子どもがこのむようなものではなかった。玉子焼きも塩からい。大阪なので味つけはうすく、だしを利かせたはずで、
まだ、たかが、幼稚園である。スキキライしないで食べなさい、とは教えるものの、無理にまで食べさせられるわけではなかった。ニンジンがクサいからとか、それなりの理由で残す子も多い。この、箱だけ子ども向けの年寄りくさい弁当。なにも残さず完食する子は、
そういう
教育を厳しくおしつけられてきた子か、ミユキも戦争世代の孫である。食べ物がなかった
そしてミユキは、一日三回毎食後の、塩酸ジフェンヒドラミン――ジフェンヒドラミン塩酸塩ともいうが――、オレンジ色のプラスチックとアルミニウム
ところで、帰り、下園のことである。それがまた、地獄だった。
この幼稚園でも徒歩で下園する園児がいくらかはいたものの、かなりは通園バスで登下園をする。
通園バスは三コースあるわけだが、より近場をまわるコースから、Aコース、Bコース、Cコース、と名づけられていた。バスは一台しかない。まわる順序は近いほうから、A、B、C。それは、処理効率が理由だ。近場に住んでいるのに長く待たされるのはムダである。早くまわれるAコースから順だ。待ち時間の総量でみても、それが効率的である。
ミユキは遠くに住んでいるのでCコース。もっとも後まわしであり、そして待ち時間が寄せ集められるコース。それは必然だった。
Aコースはすぐ乗るからいいが、BコースとCコースは一階の教室に集められて待機させられることになる。教室には
制服には名札をつけることになっているが、それに加えて通園バス利用者はコースを示す札もつけることになっていて、Aコースは赤色、Bコースは青色、Cコースは黄色だった。これで教職員が一目で判るようになっているわけである。したがって、青色バッヂと黄色バッヂが同じ教室で待たされ、そして青色バッヂが先に解放される。
待機させられる教室では、園児が行方不明にならないように扉を閉められ出られなくされる。教諭は忙しいらしく、教室にはほとんどいない。おそらく残務処理があるらしかった。そうでもしないと定時に帰れないからなのだろう。園児しかいない教室は無秩序で混沌とする。
あてもなく長い待機時間。ミユキはいつも、ハンカチを取り出して折り紙のようなことを試行錯誤して暇をつぶしている。
そこに現れる
強さゆえに。
彼らがいちいちイヤがらせをしてくるのは、気になる女児にわざわざ「スカートめくり」をするのと同じ性根だ。幼稚園児のことだから
どうせBコースは先に帰る番がまわってくる。いよいよ帰るとなって呼ばれたら彼らも、しれっと、なに食わぬ顔をしてミユキのもとにハンカチをポンッと投げ落として去っていく。ミユキにはどうせそうなるのが判っているので、いつも、彼らのことはあきらめて放っておくのである。見透かされている彼らは、おシャカさまの手のうちにある非行少年のようであった。彼らは
ほぼ毎日、こんなである。
関わってこないでほしい。そっとしておいてほしい。ただそれだけのことなのに……。
そしてこうしてBコース連中がいなくなると、嵐もいくらかマシにはなる。
しかし、ミユキにはもうひとつ、深刻な苦難があった。
待機開始からCコースの番がまわってきて待機部屋の
ミユキは、ジフェンヒドラミン連用者である。ジフェンヒドラミンを飲むと、
ほかの園児たちはミユキとは排尿
トイレに行きたかろうと、待機部屋に閉じ込められている。Bコースの番がきたときなど、まれに教諭が入ってくることはあるが、いつも
そもそも、トイレに行くのに他人に申し出ないといけないということ自体からして、
さて、トイレに行く機会が全くないわけであるから、どうなるか。
――
洩らそうとする意図なぞない。「洩らす」のではなく、「洩れるしかない」のである。
そして、Cコースの番がいよいよ近づいてきて教諭が戻ってきてようやく、申告せざるをえなくなる。
いずれにせよ、恥辱。
そして、園の備品として置いてあるブリーフに
教諭には、これが虐待であるという認識はなかったらしい。「困る」「面倒だわ」くらいなものだったのだろう。
ミユキは世のなかから、合理的な扱いが、受けられない。
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