第十八章 第三節 仕出し弁当、Cコース

文字数 4,469文字

 年長組(ネンチョウぐみ)はクラスが三つあり、教室は園舎の二階だった。この幼稚園では白い上履きに履き替える。いわゆるバレーシューズである。教室には机や椅子はない。床に直接座る。

 幼稚園は保育園と異なり、教育施設である。それは、いわゆる幼児教育でもあり、小学校入学の前段階としての目的もある。入学に備えて集団生活に慣らすことがとりわけ重要なのだろう。ただ、ひらがなや足し算のように小学一年の内容を先どりして教えたりもする。
 教諭(キョウユ)は、ひらがなや四則演算、時計の読みかたなどを教えている。それはミユキにとっては無意味な、退屈なものだ。
「センセー、センセー」、教諭は園児らに人気がある。そのなかでもとりわけ独占欲が強くわがままな子が教諭の近くにベッタリなついて手を焼かせる。
 ミユキは、彼らと面倒なことになりたくもない。私はあの子たちとはちゃう。教諭のこともあくまでも他人。教諭も人間で、その人にはその人なりに仕事でやっているのだし、忙しいのだから、手をわずらわせたくもなかった。
 ミユキはいつも、教室の隅で遠まきにながめている。それは、絵やら工作やらといったミユキにとっても無意味ではない内容のときでもそうだった。先生のことはあの子たちにゆずっておけばいい、そう思う。
 運動つまり体育やらなんやらと、教室から移動することもあったが、ミユキはいつも、混みあっている群れから離れて端のほうにいる。
 園児らがあまりにもうるさくてガヤガヤギャーしていると、教諭の指示がよく聞こえない。だからそんなときは、周りの様子を観察してさとるしかなかった。書いてくれればいいのに、と思う。しかしそもそも園児らは、文章がまともに読めないのである。
 幼稚園は、大変な世界。ミユキは神経をすり減らしていた。

 さてこの幼稚園では、昼食は自家製ではない。外部の業者に発注した、いわゆる仕出(しだ)し弁当を園児らの昼食にしていた。それは園児向けに、キャラクター絵柄の描かれた黄色い、おそらくポリプロピレンかメラミンであろう硬いプラスチック製の弁当箱に入っている。キャラクターは『リトルツインスターズ』通称「キキララ」。箱が黄色なのはおそらく、ジェンダーニュートラルだからなのだろう。第二次性徴(セイチョウ)どころかまだ小学校にも入っていない子どもにジェンダーを()り込む教育が行われているが、ならば桃色と水色では個数を合わせるのに無理があるはずだ。しかし、高級感のある黒色のようなものは大人向きで、園児が喜ぶものとは思われない。
 一階に納入されるので、業者の大きなトレイに入ったそれを、もちまわりで担当した園児らが二階の教室まで運ぶ。
 飲み物は、大きなヤカンからプラスチックカップに注ぐ。プラスチック製が多いのは、安全性と軽量、それと廉価(レンカ)が理由なのだろう。もう、プラスチック製が席巻(センケン)しつつある時代だった。石油浪費の裏返しである。
 そして「いただきます」するのだが、その弁当、当然ながら温かくなく、冷ましてある。そうしなければ食中毒が起こるところである。冷めたこの弁当、ハッキリ言って、不味い。
 ミユキも、つくり置きされた冷めた料理は家でも食べることはある。食堂のテーブルの上で、ほこりよけの(かさ)をかぶせて保管された料理。電子レンジなんてものはまだない。冷めていても、ほかならぬ母がつくった料理。そして、元の味が判っている。時間経過して味がおちているとはいえ、食えたもんではある。
 幼稚園で出てくる弁当は、見ず知らずの人がつくったものだし、元の味が判らない。得体(エタイ)が知れない。
 そしてまた、弁当箱はモダンで西洋風なのに、中身がいわゆる和風なのである。このチグハグが気もちわるい。
 母のつくる料理は西洋風が多い。それにくらべるとこの弁当は、地味で古風で、子どもがこのむようなものではなかった。玉子焼きも塩からい。大阪なので味つけはうすく、だしを利かせたはずで、滋味(ジミ)のあるものだったのだろう。が、冷めてしまえば味が濃く感ぜられるから、元がどうだったかは判ったものではない。
 まだ、たかが、幼稚園である。スキキライしないで食べなさい、とは教えるものの、無理にまで食べさせられるわけではなかった。ニンジンがクサいからとか、それなりの理由で残す子も多い。この、箱だけ子ども向けの年寄りくさい弁当。なにも残さず完食する子は、

教育を厳しくおしつけられてきた子か、()えているか、であろう。ただしこの幼稚園は私立で、そこまでの貧困者は少ない。
 ミユキも戦争世代の孫である。食べ物がなかった時分(ジブン)の話をしつこくしつこく語られてきた。日本を含め世界中に飢餓(キガ)があることも知っている。ミユキ自身も「めし抜きや!」をされてきた。ひもじさを経験してきた。しかしやはり、本能的に反射的に、食べてはいけないものだという反応がはたらく。つくった人は食べ物のつもりだろう、モッタイないことは解っている。が、食べようとしても、吐き気がする。身体が、受けつけなかった。だから白米やら、とりあえず異変のなさそうな、無難な物だけ食べる。ほかはドッサリと残す。飢えていようが……。無理、だ。
 そしてミユキは、一日三回毎食後の、塩酸ジフェンヒドラミン――ジフェンヒドラミン塩酸塩ともいうが――、オレンジ色のプラスチックとアルミニウム(ハク)の複合材に入った錠剤を、飲まねばならない。ミユキの鼻は、たまにはかろうじて片方が少し通っていることもあるものの、両方とも詰まっていることがほとんどである。口呼吸で生きている。薬を飲んでいるものの効いている気がしない。むしろ連用し続けて身体が()れてしまったのではないかと、ミユキは思っている。

 ところで、帰り、下園のことである。それがまた、地獄だった。

 この幼稚園でも徒歩で下園する園児がいくらかはいたものの、かなりは通園バスで登下園をする。
 通園バスは三コースあるわけだが、より近場をまわるコースから、Aコース、Bコース、Cコース、と名づけられていた。バスは一台しかない。まわる順序は近いほうから、A、B、C。それは、処理効率が理由だ。近場に住んでいるのに長く待たされるのはムダである。早くまわれるAコースから順だ。待ち時間の総量でみても、それが効率的である。
 ミユキは遠くに住んでいるのでCコース。もっとも後まわしであり、そして待ち時間が寄せ集められるコース。それは必然だった。
 Aコースはすぐ乗るからいいが、BコースとCコースは一階の教室に集められて待機させられることになる。教室には玩具(ガング)がいくらかは備えられているが、早い者勝ちで壮絶な争いになり、あっという間に独占されてしまう。積み木が人気があった。積み木なんてミユキには自宅にあるものなので、わざわざここで傷つけあうのは無意味なことである。ミユキは配慮ぶかく繊細で奥ゆかしい。だから無視して独りで居る。
 制服には名札をつけることになっているが、それに加えて通園バス利用者はコースを示す札もつけることになっていて、Aコースは赤色、Bコースは青色、Cコースは黄色だった。これで教職員が一目で判るようになっているわけである。したがって、青色バッヂと黄色バッヂが同じ教室で待たされ、そして青色バッヂが先に解放される。
 待機させられる教室では、園児が行方不明にならないように扉を閉められ出られなくされる。教諭は忙しいらしく、教室にはほとんどいない。おそらく残務処理があるらしかった。そうでもしないと定時に帰れないからなのだろう。園児しかいない教室は無秩序で混沌とする。
 あてもなく長い待機時間。ミユキはいつも、ハンカチを取り出して折り紙のようなことを試行錯誤して暇をつぶしている。
 そこに現れる厄介(ヤッカイ)な連中。それはBコースで、ミユキとは別の組でよくも判らない男児二人。ミユキにわざわざちょっかいを出してくる。ミユキのハンカチを盗んで奪う。手分けして逃げ回るから、取り返せようもない。ミユキは、わざわざつかみかかって争って殴り合いをするような人ではない。早々にあきらめる。大人の選択。そして、人間存在の(むな)しさを改めて認識する。いままで生きてきて、とっくに、イヤというほど思い知っていることだ。しかし肉体は、目から鼻から勝手に水を流し出す。
 強さゆえに。
 彼らがいちいちイヤがらせをしてくるのは、気になる女児にわざわざ「スカートめくり」をするのと同じ性根だ。幼稚園児のことだから大雑把(おおザッパ)なものだが、ミユキに()れていたのだろう、おそらくは。そこで相手を喜ばせることをせずにイヤがらせをするところが、性根(ショウネ)がねじ曲がっている。だが、そういう人間も多いものである。被害者からすると、完全に、迷惑だ。
 どうせBコースは先に帰る番がまわってくる。いよいよ帰るとなって呼ばれたら彼らも、しれっと、なに食わぬ顔をしてミユキのもとにハンカチをポンッと投げ落として去っていく。ミユキにはどうせそうなるのが判っているので、いつも、彼らのことはあきらめて放っておくのである。見透かされている彼らは、おシャカさまの手のうちにある非行少年のようであった。彼らは凡庸(ボンヨウ)な幼稚園児なのだから、それはそうである。
 ほぼ毎日、こんなである。
 関わってこないでほしい。そっとしておいてほしい。ただそれだけのことなのに……。

 そしてこうしてBコース連中がいなくなると、嵐もいくらかマシにはなる。
 しかし、ミユキにはもうひとつ、深刻な苦難があった。
 待機開始からCコースの番がまわってきて待機部屋の拘禁(コウキン)から解放されるまでの時間は、とても長い。その間のほとんどは、教諭がいない。
 ミユキは、ジフェンヒドラミン連用者である。ジフェンヒドラミンを飲むと、(のど)がかわきやすくなるほか、利尿(リニョウ)作用があるのか、頻尿(ヒンニョウ)になる。つまりは、トイレに行かねばならなくなるのである。
 ほかの園児たちはミユキとは排尿頻度(ヒンド)が全く異なるらしい。ミユキは、フツーではないらしい。
 トイレに行きたかろうと、待機部屋に閉じ込められている。Bコースの番がきたときなど、まれに教諭が入ってくることはあるが、いつも(あわ)ただしくしている。教諭をひっ捕まえる(すき)なぞ、あったものではなかった。ミユキはそんなわがままな人ではない。教諭は、あれよあれよといううちに去っていく。
 そもそも、トイレに行くのに他人に申し出ないといけないということ自体からして、恥辱(チジョク)である。
 さて、トイレに行く機会が全くないわけであるから、どうなるか。
 ――()れるしかない。
 洩らそうとする意図なぞない。「洩らす」のではなく、「洩れるしかない」のである。
 そして、Cコースの番がいよいよ近づいてきて教諭が戻ってきてようやく、申告せざるをえなくなる。
 いずれにせよ、恥辱。
 そして、園の備品として置いてあるブリーフに穿()き替えさせられて、帰りのバスに乗ることになる。

 教諭には、これが虐待であるという認識はなかったらしい。「困る」「面倒だわ」くらいなものだったのだろう。

 ミユキは世のなかから、合理的な扱いが、受けられない。
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