第九章 第一節 終わらない戦争

文字数 3,265文字

 ミユキは五歳。慢性アレルギー性鼻炎で耳鼻咽喉科(ジビインコウカ)に通院している。独りで通うわけではなく、母親も通院していた。
 この耳鼻咽喉科は地下鉄の駅前にあって、意外に大きい。通っている人は多く、院長をはじめ何人もの医師で診療を回していた。
 診察では、鼻の(あな)を広げられて奥まで()られる。(のど)も診られたり、薬剤を塗ったりされる。院長はウデが良いからいい、しかし下手な医師に当たると痛い思いをする。鼻の孔を(のぞ)くとき、たまに器具で皮膚(ヒフ)(はさ)まれたりまでしてしまう。そのときの医師が誰になるかは運次第。アタリハズレの問題だ。
 診察がおわったら機械で、鼻の孔を洗ったり、薬剤を吸引したりすることになる。なかなか大変なものなのである。幼くしてこんな大変な思いをしている。これを定期的に通って続けないといけない。
 診察の番が回ってくるまでの待ち時間がとても長い。耳鼻咽喉科の待合室ではテレビを見たり、母親には買ってもらえないコミック本を読んだりして過ごしていた。コミックは『ドラえもん』以外には買ってもらえないから、こういう機会でもなければ読めない。待ち時間はとにかく長いので、暇で暇でしょうがないのである。待合室に備え付けてあるコミック本は例えば、あだち(みつる)『タッチ』や魔夜峰央(まやみねお)『パタリロ!』、新沢基栄(しんざわもとえい)『3年奇面(キメン)組』。アニメより先に原作を読んだことになる。
『タッチ』なんかは、のちにアニメ化されて大ヒット。康珍化(カンチンファ)氏の作詞、芹澤廣明(せりざわひろあき)氏の作曲で岩崎良美氏の歌う同名の歌も有名になる。テレビの再編期の特番なんかでアニメ名場面集とかあるものなら告白シーンだとか上杉和也の死んだときの話だとか、しょっちゅう採りあげられたものだ。「(みなみ)ちゃん」はETCカード端末と並び、日髙のり子氏の代表的な役として知られている。しかしミユキにとってみれば断然、『タッチ』は原作なのである。いや、『タッチ』はアニメ化される前から人気が高かった。少なくとも、この待合室では。読みたくとも、競争になって読めないことが少なくなかった。なので、『パタリロ!』なんてミユキにとって元ネタも判らないものをつかまされたりしたものなのである。あれは、なぜ笑うところなのか、いい大人でさえも判らないことがある。『3年奇面組』も下品で、登場人物もあまりスキではない。
 その耳鼻咽喉科では診察待ちは、広い待合室で待たされたあと、順番が近づいてくると名を呼ばれ、通路に順に並んだイスに移って待つことになっていた。テレビは数台、広い待合室に置かれている。天井から吊り下げたテレビ台に。だから、テレビをみていられるのは待合室にいるときだけ。診察の番が近づく前か、精算や院内薬局での調剤待ちのときだ。
 もちろん、医薬分業がされる前の時代なのだから、「薬局」といっても同じ医療機関の別コーナーのようなものである。ミユキは慢性アレルギー性鼻炎なので、抗ヒスタミン薬が処方される。ジフェンヒドラミン塩酸塩。今のような効能の高い鼻炎薬はまだなかったし、ミユキはまだ五歳。ミユキはその薬を飲んでも効いた感じがしないのだが、あまりにも連用していて身体が慣れてしまったのかもしれない。両親もアレルギー体質だが、父親なんかは同じ薬を飲んでも「眠くなって困る」と言う。ミユキは眠くすらならなかった。ただ、喉がかわいて困る。それで、ただでさえ食事不足のため水分で胃を満たすクセがついていたのに、ジフェンヒドラミンでも水分をとる量が増えたし、それでトイレもしょっちゅう行くはめになった。
「ベトちゃん、ドクちゃんが――」と、さて、そのテレビが言っている。

「冷戦」とはいうものの、実際には世界各地で戦争が起こっている。”Hot War” をしないでいるのは、アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の二国間のこと。両国を中心に核兵器で武装をして、軍事力を増強する「軍拡」で対抗しあっている。
 いまでも、中国政府は二つあり、コリアは南北に分断されているが、当時はドイツだって東西に分断され、東ドイツのなかのベルリンでも「ベルリンの壁」で東西に分断されて西ドイツの飛び地があった。境界線でにらみあいが続き、一触即発の危うさ。
 そして、世界各地で「代理戦争」が行われている。ベトナム戦争も、一九七五年まで続いていた。昭和五十年まで。それまでベトナムも南北に分断されていたのである。
 ベトさんとドクさんはベトナム人の双子。二人の名はそれぞれ、ベトナムと東ドイツからとったという。二人は身体の下半分がくっついている、いわゆる結合双生児。ベトナム戦争で米軍が撒いた「枯葉剤(かれはザイ)」の影響でこうなったのではないかと、日本のマスメディアでも感情をあおるようセンセーショナルに、ことあるごとに報道されていた。
 ベトナム戦争で、森林に隠れて奇襲してくる北ベトナムに苦戦した米軍は、戦闘員が隠れられないようにするために「枯葉剤」つまり除草剤を、森林に上空から大量にばらまいた。そうやって木々を枯らしたのだ。葉っぱがなくなりスカスカだから隠れられない。
 ベトさんとドクさんがその枯葉剤の影響を受けたのかは、厳密には判らない。ただ、枯葉剤は動物実験で催奇性(サイキセイ)が実証されていて、ベトナムでは実際に数多くの死産、流産、いわゆる奇形児が出ていた。ちなみに、この枯葉剤を量産した企業が、のちに遺伝子組換(くみかえ)作物でも有名になるモンサント社である。
 森林を壊滅させるほどの枯葉剤。映像にもあるけれど、もう想像するだけでもすさまじいものだと思う。戦争というのはそういうものなのだ。自国の兵士の犠牲を出さないためには容赦(ヨウシャ)しない、それがアメリカのやりかただ。空襲のときの焼夷弾(ショウイダン)絨毯(ジュウタン)爆撃だって、沖縄地上戦の火炎放射器だって。それでもベトナム戦争では勝てなかった。
 ベト

、ドク

――「なんでみんなは、子どもを『ちゃん』付けで呼ぶのだろう?」そうミユキは思う。みんな、子どもをバカにして差別している。「さん」でも、「くん」でさえも、ないのだ。少なくとも自分は「ちゃん」で呼ばれたくないし、だからほかの子どものことだって、年下の子のことだって、そうは呼ばない。産まれたての子のことだって。
「なんとかわいそうに!」日本の大人たちはベトさん・ドクさんのことをそう思って見ている。まるで見世物(みせもの)のように。けれど、同じ子どものミユキは、二人のことを他人事(ひとごと)とは思わない。

 戦争の被害は、戦争中だけで終わることではないのだ。

 広島と長崎に投下された原子爆弾の被害だって、放射能は街にしばらく残った。原爆を「ピカドン」とは呼んだものだが、この核兵器、「ピカドン」だけでは終わらないのだ。直接に爆撃を受けなくても、放射能で健康被害を受けた人も多い。もちろん、爆撃を受けて生き残った人にも重い後遺症がある。
 そんな「被爆者」がまだまだ数多く生きていた時代だったから、テレビでも新聞でも当然、ことあるごとに報道されていた。いうまでもなく、毎年「原爆の日」に近づいてくれば大々的にニュースになったり、特集が組まれたりしたものだ。
 まだ幼かったミユキは広島にも長崎にも行ったことがない。だが、テレビや新聞でも戦争の話はしょっちゅうされている。原爆や戦争に関する特番なんかも毎年毎年みていたら、ミユキでなくたって、たかが五歳でも、むしろ幼いほうが、焼き付くものである。
 さらにミユキは、なにせ漢字も読めるようになったのが早かったものだから、本でも戦争の話は読んでいる。原爆はもちろんのこと、第二次世界大戦のホロコースト、強制収容所、「ガス室」のことだって。

 戦争の傷痕(きずあと)は、戦争が終わったあとも消えない。
「被爆二世」「被爆三世」。ベトナム戦争の枯葉剤のことだけではなくって、原爆を受けた人にだって子孫がいる。そして、放射能の影響が見られなくたって、世の中から差別されることもある。
 さらに、いまこうしているあいだにも人類は、戦争をしている。
 それは、まだ幼いミユキだからなおのこと、身近なことに思えた。
 戦争は、他人事ではない。
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