第二章 第二節 電車通学と心の景色

文字数 2,881文字

 ミユキは、学校の部活動には入っていない。今は暇もないのでなおさらだ。家事と学業を両立せねばならない。しかし、もともと入学当初から入っていなかった。人間関係が苦痛だということが大きい。精神力が保たない。だから下校は早いし、一緒に帰る友人なぞいない。独りのほうが安全だ。

 最寄り駅まで歩く。その時間は、ようやく解放されて危険が去ったという安心感と、学校でその日あった出来事への哀しみが、ないまぜになっている。こんな下校は小学校の頃も同じだった。進学したら同級生達も賢いから……という期待は裏切られ、私立の進学校でも同じだった。どこに行ってもミユキだけが特別な人間だった。
 さらにこの日は、朝の電車内でのことがあった。なおさら憂鬱だった。帰りは()いているから同じようなことはないだろうとはいえ、朝のことが思い出される。
 いつものように変わり映えしない重苦しい道を歩く。その景色は鈍く暗い色に見える。いつものように橋を渡り、いつものように坂を下る。
 ミユキは、そうして歩いている間には考えごとをするのがほとんどだ。世界を救いたい。自分がこの世界に生まれ降りた創造主だったら、と想像する。偶然かもしれないが、はるかのちに大ヒットしたライトノベルの主人公のようでもあった。かの作者と、境遇も、取り巻く景色も、同じようなものだったのかもしれない。ただ、ミユキは世界を愉快にしたかったのではなくて、救いたかった。直したかった。世の中を、思い迷える人間存在というものを、治したかった。

 駅近くの「コープこうべ」の前を通り過ぎる。

な神戸市民からは「生協さん」と呼ばれて親しまれているらしい。この日も店に出入りする人々を見かけた。だが、ミユキにも家事があるものの、そこで買い物することはない。自宅は電車ではるか遠く、近所に「生協さん」はない。生協に加入して組合員になるというのは、未成年の中学生であるからなおさらに、雲の上の存在であるかのようで憧れに思えた。生協に入れるのは特権だ。いつかは入ってみたい。お金には困っていないかのようにみえて、心はどこか貧困だった。
 ミユキの心は、とうに大人だ。周りの「同年代」とは全く合わない。しかし、世のオトナ達からは受け容れられない。排除されている。孤独だ。

 跨線(コセン)型の駅舎の改札を抜け、プラットホームに降りる。通過する列車を眺めたりしながら(むな)しく待っていると、下り列車がやって来た。
 帰りは通勤ラッシュからはずっと早い。今度こそ座席にありつけた。いや、いずれにせよ、かりに最速の列車では座れそうになかったとしても、あえて各駅停車に乗ればよいのだ。時間がかかり乗換えも発生するが、確実に座れる。乗車時間が長いうえに、小柄な身体には見合わない大きく重いショルダーバッグは、立ちっぱなしになれば身に(こた)えるのである。
 途中下車するつもりはない。もしも夏や土曜日ならば、三宮やメリケンパーク方面にでも遊びに行くことも多い。しかし初春の日没はまだまだ早く、長距離通学のうえに独り暮らしでやることの多いミユキには、長い寄り道の暇はない。それに、今朝のことがあってから、人の多いところには行きたくなかった。

 窓際の席だ。乗った車両は転換クロスシート。進行方向に向かって座り、座って左右に車窓がある。
 膝の上の鞄からヘッドフォンを取り出して、いつものようにCDを再生する。
 ミユキは警戒心が強く、神経質だ。使っているヘッドフォンはオープン型なので、車内では音漏れを怖れて音量を必要最小限にしている。そして、窓際に片ひじを置いて、指でヘッドフォンを押さえて耳に押し込むようにして聴く。それにその方が、車内の騒音も聞こえにくくなる。
 聴くのはほとんどいつも、いわゆる声優の歌っているCD。音に敏感なミユキはそれで、精神を「浄化」している。
 生身の人間だったら、相手によって態度が変わる。しかしCDの声ならば、ミユキを差別することはない。誰が再生しても、誰が聴いても、同じだ。特別待遇もないが、避けられることもなく、(さげす)まれることもない。裏切りもしない。年齢も外見も関係がない。
 CDの音声ならば、どんな内容かは決まっている。一度聴いて知っていれば、次に再生したときには内容は判っている。突然に怒鳴られたり豹変(ヒョウヘン)したりすることはない。安全だ。
 今と比べれば当時は、アニメや声優というのは世間的に「特殊な趣味」だった。偏見はずっと根深くて、公言するのがためらわれるようなところもあった。他人には、ミユキの境遇や思いは解らない。実の父親からさえも、バカにされているところがあった。
 それも時代が少し下ると「おたく」という語が話題になる。しかし彼らが「おたく」と呼びあうのも、互いに固有の「聖域」に立ち入らず敬遠しあう距離感を反映した二人称だ。彼らオタク自身も、「特殊な趣味」をもっていることを自認しているからなのだ。
 ミユキは、彼らとは異なりオタクではない。ミユキが声の役者を聴くのは、彼らを崇拝しているからではない。自身と同じ人間性を感じ取ったからだった。演技を(きわ)めるときにあらわれる真摯(シンシ)さ。そのとき、エゴがなくなる。誠実な態度。だから、お金や業界事情なんかで()びておもねるような声優だったのならば、卑しくて哀しくて、そんなものは要らない。ミユキには、「大人の事情」とか「しがらみ」だとかいうものはトラウマ的で、嘆かわしいものだ。
 人というものに対して(あきら)めて見捨てるか、否か。望み。ミユキの命綱だった。

 電車に乗っていると、今朝のことがよみがえってくる。視線をなるだけ車内には向けず、窓際から見える景色に意識を飛ばした。
 神戸市内の街並みが見える。
 この頃はミユキも、窓から見えるこの街並みがまさかあれほどまでに壊れることになるとは、思いもしなかった。神戸は地震の少ないところだ、皆にそういう共通認識があった。活断層の直下型地震が起こるなんて、知るよしもない。何年も通学して見慣れている景色は、大きく変わることもなくこれからも変わらないもののように思っていた。
 神戸市内へ通ってはいるが、住むことはないだろう。車窓から眺めていても、ほとんどは実際に降り立つことがない。神戸市民ではないミユキには、神戸の街からは自身が少ししか受け容れられていないように思える。
 三宮や元町など中心市街を過ぎ、須磨に入ると山と海が迫っていて平地がほとんどない。そこを国道や鉄道が縫うように走る。そんな須磨や垂水(たるみ)は暮らしづらいであろうが、ちょっとしたリゾート地でもある。温泉はないが、のちにミユキも訪れることになる熱海(あたみ)とも少しだけ似ている。山の傾斜地に建つ集合住宅。そこは実際にはどのような家でどんな暮らしをしているのだろうか? 住むことどころか訪れることすらない建物に想いを()せる。
 荒天でなければ、海辺では釣りをしている人々がいる。ミユキには、釣りの何が(たの)しいのかは解らなかった。しかし、ああやって呑気(のんき)にのんびり日々を過ごせている彼らのことを(うらや)ましく思う。ミユキの人生はいつも、戦場だ。

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