第十八章 第五節 ミユキの鼻と、幼稚園の夏

文字数 2,429文字

 夏が来る。幼稚園にも夏が来る。

 ミユキはアレルギー体質である。そもそも両親がアレルギー体質だ。なにより日本人は環境を汚染したから、免疫がくるうのも当然のことである。
 産まれつき恐怖が刷り込まれている。ミユキの心身は敏感。怖ろしいからといって、布団にもぐる。うつ伏せになる。激怒した父親に押入に閉じ込められる。何年間も日常的にアレルゲンを吸っているのだからなおさらである。
 ミユキは耳鼻科に通院している。

 ミユキの通わされている幼稚園には、園舎の屋上にプールがある。そして夏には、プールで授業が行われる。
 プールといっても競技用プールではなく、遊具程度のものでしかないのだが。したがって、プール授業といっても、園児を水に慣らすことが最大の目的で、水泳というほどのものではなく水遊び程度だ。小学校に入れば水泳授業はある。その前段階として、園児を水に慣らすのである。
 少なからぬ園児が、水遊びにギャーギャーはしゃぐ。他方で一部の園児は、水を怖れる。

「プールに入っても大丈夫やろか?」
 ケイコは心配した。ミユキが水を怖れるのではないか、ということではない。ミユキの身体の問題だ。慢性アレルギー性鼻炎なのに、プールに入れていいのか?
 アレルギー性鼻炎とプールとに関係があるのか、そう思うかもしれない。しかし当時はアレルギー自体がよく理解されていない。まるで風邪と混同するかのようなフシがある。もっとも、プールにも化学物質がある。殺菌剤だ。だからプールを避けることには一理どころかもっとあるのだが、ミユキの両親はそういうことまでは理解していなかった。ただ単に、母ケイコがよくも解らないまま、ミユキのことを大変に心配したからである。
 それで――プール授業は「見学」ということになった。

 見学。なんで「見学」というのか、解らない。
 夏も始まって陽射(ひざ)しのなかで、女とか男とか、ジェンダーとか、関係なく、そんなことは知らないかのように、なにも考えずに水着ではしゃいでいる。水をたたえたプール。ホースから(はな)たれる水。
 ギィヤー。
 騒いでいる。
 教諭も具体的に何を教えるとかいうものもなく、文字や算数の授業と比べたら気楽でもあり、ただ事故の起こらないようには神経をとがらせている。
 そんな光景をよそにミユキは独り、(なが)めているしかない。
 見学とはいうけど、こんなん見て何を学べというんやろうか。
 あの騒ぎに()ざりたいとは思わない。しかし、排除されたまま、見ても得るものはなく、それでも真面目に眺めて物憂(ものう)げに考えごとをしている。
 考えごとはいつものことで、プールは関係ない。
 (むな)しい。
 やつれた虚弱(キョジャク)な身体。片隅(かたすみ)で、日陰(ひかげ)で、独り、「見学」をしている。


 ところで、夏になってもバス待機中のイヤがらせは毎日のように続く。なかったらラッキーくらいのものである。加害園児が例えば病欠でもしていたら、なくなる。それだけだ。
 待機中に部屋に教職員がいないのも、あいかわらずである。ミユキが塩酸ジフェンヒドラミンを服薬しているのも、あいかわらずだ。そして、トイレが

のも、あいかわらず。よって、()らさざるをえないのも、あいかわらずであった。

 ただ、ミユキにもバス待機しなくて済む日がある。母が迎えに来てくれる日だ。
 母ケイコが例えば「区役所に用事があるから」ということで、ミユキを迎えに行くことにする日がある。
 区役所は平日のみ開庁。住民票の写しでも取りに行くならば、それがかりに夫のためであったとしても、妻の務め。それが「

日本の仕来(しきた)り」である。男が外でフルタイムで戦い、女は(うち)にいるから家内(カナイ)という。今もなお、「役所には奥さんが行けばいいんだからコンビニ交付なんて要らない」と言い放つ首長(シュチョウ)すら、いるくらいだ。
 ともかく区役所は、幼稚園とは京阪電車にして一駅ほど離れてはいたものの、自宅マンションからみれば同じ方向であった。反対に、通園バスを利用するならば、自宅近くにあるバスの停車位置に出迎えねばならない。出かけて帰っていては()にあわなさそうなことがあった。ミユキを迎えてから用を済ますのでも、ミユキを迎える前に用を済ますのでも、いい。実際にも、どちらの場合もあった。
 用事があるというのも、なにも区役所にばかりではない。だから、ミユキを迎えに行くことにする日は、たまにとはいえ、一度や二度のことではなかった。
 ミユキだけではなくケイコも、医療機関に通院している。
「今日は病院に行くから」
 そう言ってその日は、母は幼稚園まで迎えに来てくれる。
 母が迎えに来てくれるという日は、ホッとする。登園するときも、園内にいるときも、そして、幼稚園から解放されるときも、手をつないで歩く帰り道でも。それほどにまでも、幼稚園は苦痛だ。
 いつも、病院帰りの母は気の抜けたような力なさで、他方のミユキはめずらしく抑鬱(ヨクウツ)でなく気分もわるくなかった。

 なにはどうあれミユキにとって、母はもともと一心同体で、そして最もマシな人である。いくら時々錯乱(サクラン)して叫び暴れたとしても。
 母が居るならば、くっついて居る。家の外ではもちろんのこと、家でもそういう時間は少なくない。猫のように。家で、母が家事をしているときには手伝い、座っているときには背後にでもくっついて、母の(にお)いを吸っていた。
「大きくなったらお母さんと結婚する」
 お母さんみたいになると言っていたのが、それに替わりはした。私はお母さんみたいにはなれないのだ、と。
「あかんのよ。お母さんにはお父さんがおるから……」
 ミユキは、母を幸せにしたかった。
 母にくっついて、母を見習い、母を(なぐさ)める日々。
 それをよそに両親は、全く男の子らしくならない我が子に、気をもんでいた。男児向けのテレビ番組をみせたりキャラクターものの玩具や靴などを買ってみたり。けれどミユキは、自身がよその子らとは異なることが、よく判っている。
 そうして毎日、詰まっている鼻で、母の匂いをかいでいる。
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