第十三章 第二節 森本ケイコ

文字数 2,186文字

 森本(もりもと)ケイコは、小中学校は地元の市立(いちリツ)を出て、高等学校は大阪市内の私立(わたくしリツ)の、いわゆる女子高に入った。それは父であるヨシアキの方針でもあったが、当の本人としても女子高のほうが安心に思えたのも事実である。
 女子高といっても実際には、そんな華美(カビ)なものでも綺麗(キレイ)なものでもないし、同級生がみんな仲良しなわけでもない。決してない。だから気の合う友人とつるんでアホなことをやったものだった。
 高校の名は、地元の川の名になぞらえていた。きっと命名者は美しい印象を備えさせようとしたのだろう。しかし実際の川はなにせ、大都会の大阪のど真ん中にあって汚染されている。学生たちの間では自嘲(ジチョウ)する笑いぐさだった。そんなふうに女子高生というものは、綺麗なわけでもなければ、わりとアホな気質(キシツ)である。
 学校で旅行に出かけたときにも、こんなことがあった。初めてのスキーでまるでわからないのに友人らと中級コースにのぼってしまった。勝手の知らないズブの素人でる。とにかく滑り出してはみたが、もちろん、どう滑っていいのかわからない。パラレルどころかボーゲンもわからなかった。物凄(ものすご)い勢いで真っ逆さまに滑り落ちた。直滑降(チョッカッコウ)。もう、必死である。死にものぐるい。だから――
「ケイコ、スキーとっても上手(うま)いねんで」
 滑り降りたケイコを見た友人らの語りぐさになった。
 これも大阪だからなのかはわからないが、とにかくアホなんである。

 それも高校を卒業したら就職し、ケイコは会社員をしている。
 高校では成績がよくなかったわけではない。小難しい理屈は得意ではないが、頭の回転はよいほうだ。やろうと思えば進学もありえた。能力的には。だが、家がそれほど富裕ではなかったのである。子どもが三人いる。長男が優先。下の二人は高卒までで終わらせる。そのかわり長女には私立の立派な高校に通わせる。いずれ結婚するのにも()(ヨウ)になるから、お金はそのためにとっておく。それが親の方針だった。
 当時は始まったばかりのスーパーマーケットの運営会社で、本社の経理担当である。入社したてのころは長い研修もあって、店舗での加工作業だとかレジ打ちだとか清掃業務だとかもやった。しかしいまは、事務所で帳簿をつける、ひたすら地味で地道な作業の毎日である。高卒にも女にも、出世の道のりはない。やがては結婚して退社するのが当然の世の中。算用数字を独特の字体でペン書きするのにも慣れた。スタンプ台で日付やらなんやらを押印(オウイン)するのにも。もちろんこの時代にはタイプライターがせいぜい。ワープロはないし、ましてやパソコンなぞない。金融機関だとかの立派な企業ならメインフレームとかワークステーションとかはあるはずだけれど、ここはそんな大それた会社ではない。カーボン紙やトレーシングペーパーを使う。コピー機は世の中でも珍しかった。

 休みの日にはアメリカ風の派手な服装で難波(ナンバ)だとかを遊び歩いている。ジーパンだとかはいて。のちの世にいう「アメカジ」の、そのハシリである。そんなだが、男と交際したことはない。派手な見た目にしているのはむしろ、男を寄せ付けないためだ。それになにより弟と一緒なので、周りからすれば弟が恋人のように見えるから、男が寄ってこない。都合がよかった。
 芸能スカウトには声をかけられたりもした。どこまで本当なんだか判らない。なんでなのかは解らないが、吉本興業のスカウトからも声をかけられた。美人がおかしなことをやれば笑えるからということなのかもしれないし、身長が低かったから舞台上で逆に目立つと思われたのかもしれない。
 チャラチャラ見せているのだが実際には真面目で潔癖なのである。実際に会社では礼儀正しく折り目ただしくやっている。ブラブラしているのは休日だけだ。

も結婚相手とすることに決めている。封建的で律儀で道徳的な家に育ったから、解放的なものにあこがれたけれど、しかし肝心なことは保っていくつもりだ。そういう葛藤(カットウ)のなかで生きている。

 それも二五も近づいてくれば、遊び歩かなくなってきた。自由業で絵を描くのが得意な弟は、なんだか依頼が増えたらしく日曜も忙しい。
 兄も結婚した。ケイコもそのうち結婚をしないといけない。もちろん、子供の頃からそのつもりでいた。いつかお嫁に行く。素敵なお嫁さんになる。だから貞操(テイソウ)も保って、純潔なカラダで生きてきた。そろそろ立派な男性を見つけて結婚する。妻は家政をやるものだ。それで休日は「花嫁修業」を始めることになった。自分の仕事の稼ぎをつぎ込んで。洋裁(ヨウサイ)やら着つけやら料理やら。
 肝心の交際相手がいないのも、そんな娘になるように親が育てたから。だからその当の母親マサコが気をもんで、紹介所に行って見合い相手を探している。ヘタに恋愛して浮わついた男にだまされるよりは、人生経験の豊富な親が気を回して選んでくれた候補から決めるほうがずっと安心だと思う。素性もハッキリしているし。紹介する人も、相性を考えてお相手を提案しているはず。それに、女にふらふらしていないから結婚する機会がなくて、お見合いをするのだろうから。真面目な働き者が一番である。
 そんなお見合い相手で出逢(であ)ったのが、中谷タカユキだった。生まれ年もケイコと同じ。勤務先もそれなりに立派な会社だということで、なにより両親が(すす)めて、ケイコはその両親に同意するようなかたちで話が進んでいった。
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