第十九章 第一節 苦しい一年生

文字数 3,419文字

 ミユキは小学校に入った。
 自ら望んで、ではない。入らなければならないからである。親は我が子を通わさなければならない。母のためにはミユキも学校に行かねばならない。
 入ったのは自宅の属する校区にある、大阪市立の公立小学校である。

 その小学校にも制服がある。茶で統一されたその制服はジェンダーバイナリである。上は、男はシャツ、女はブラウスで、薄茶。冬服と、半袖の夏服があった。上着が()げ茶である。下も焦げ茶で、男は半ズボンすなわちショートパンツ、女は(ひざ)下くらいまで(すそ)のあるスカートだった。
 そもそも小学一年生や二年生なぞは、ジェンダーの自覚つまり性自認(ジニン)は未確立である。まだ第二次性徴(セイチョウ)もしていない彼らにとって、ジェンダーの意味はよく解らない。日本社会は公権力が率先して、先手を打って刷込(すりこ)んでいく。
 さらに酷いのは、下は夏服冬服がなく同じだということだ。つまり、冬でも下は半ズボンという、それは上と冬服との統一性がないのはいうまでもないが、「子どもは風の子」的な偏見で見下した思想、そして男子に根性論を刷込む、差別的で虐待的で、しかもマチスモでもある制度であった。公立学校というのはそういうところらしい。子どもは格下で大人未満の扱いをする、まだ世のためになっていないのだから子どもを低く扱うのが当然だと、そう思っている。大切にされない。
 名札を制服に付けていなければならない。学年によって外枠の色が異なる名札に、氏名と年・組の数値とを書込み、軟質プラスティックの透明カバーに入れて、いわゆる安全ピンで()めるようになっている。それを制服の左胸の、もろに見えるところに付けなければならない。強制である。校内だけでなく通学路でもだ。(さら)し物。なんだか人ではないみたいだ。
 母ケイコは、何かあったときのために、と名札カバーの中に五百円硬貨を入れて、ミユキに携帯させた。あくまでも緊急時用であり、これを遣ってはいけないとミユキには指示されている。ちなみに五百円硬貨は一九八二年に既に発行されており、岩倉具視(ともみ)の五百円紙幣から次第に取って替わられていた。

 ランドセルという奇怪な物も強制だ。それは制服と異なり、まとめて調達もされなければ、各家庭で思うようなランドセルを買う、買わねばならない。とはいえ、男は黒、女は赤という、不文律(フブンリツ)があった。
 ジェンダーバイナリにせよ、色の強制にせよ、異様である。しかしそもそもランドセルという物が異様で、合理性がない。後ろに転んだときに衝撃を吸収するとともに頭部を打たないようにするためだとかいう、こじつけの理由が示される。結論が先にありきで、理由は自己正当化のための言いわけ。実際に、世界的にみても奇特である。怪異。
 さらにいえば、日本人の手荷物は、多すぎる。荷物が多いから、大量に詰込む鞄が必要になってしまう。
 その重荷を、子どもにも背負わせている。
 ミユキにとっても小学校は、不可解で奇怪な世界であった。

 ミユキのランドセルは、世間にもありがちなことであるが、母方の祖父が、つまりヨシアキが、購入した。選んだランドセルは一般的な革ではなく、当時としては新たな素材である『クラリーノ』。色はもちろん黒である。色に選択の余地はない。
 買ってもらったそれを、父タカユキがなんだか偉そうに「よかったな。大事に使えよ」とミユキに念を押す。六年間使うからな、買い替えてやらへんぞ。

 自宅から学校までは徒歩。通学路のほとんどは住宅街だったが、学校のすぐ手前に一本、幹線道路がある。そこには歩道橋が建てられてあった。二車線ずつの幹線道路。交通戦争という言葉もあった、交通死亡事故の多い時代である。信号があるとはいってもこの横断歩道を渡るのは危ないから、歩道橋で渡りなさい。それが学校の指示。おそらくは父兄に対しては資料で渡してあったのだろうが、生徒には口で指示された不文律だった。
 この小学校では、校則という書き言葉の文章がない。少なくともミユキは見たことがない。生徒手帳のようなものもない。

 まだ入りたての小学一年生には、登下校(トウゲコウ)は独りでは無理だ。
 住宅街だったが、通学路には交差点もあり横断歩道も信号もある。歩道のない生活道路がある。そうでなくとも、道に迷うおそれは、いうまでもなくある。行方不明になるかもしれない。
 小さな子をねらう者もある。ミユキならばありえなかったが、なにせ小学校低学年だ、(ひろ)った物を口にしようとする子だって出かねない。飲みかけの缶ジュースに見せかけた毒入り危険という罠が転がっているかもしれない。ちなみに当時はPETボトルがなかったのはいうまでもないが、飲料缶はプルタブでタブが外れる。(ビン)ならばガラス製で、飲料は保証金付きで売られていた。瓶は販売店に回収され、洗浄されて再使用される。これをリターナル瓶という。

 そのころ時を前後して、北大阪近辺では大事件が起こっていたからだ。
 どくいり きけん――いわゆるグリコ・森永事件である。
 グリコ・森永事件と俗称されているが、江崎グリコと森永製菓に限ったものではなく、いくつもの菓子食品製造業者を標的にした、一連の大事件だ。菓子だけではない。ハウス食品や、「大きくなれよ」のテレビCMで知られていた丸大(まるダイ)食品も標的にされている。
 一連の事件の多くは金品(キンピン)を要求していたものの、実際には警察による罠を逃れるためことごとくその受取に失敗しており、金めあてとしてはどこまで本気だったのか疑わしい。捕まるのを避けるために慎重で、あきらめる見極めがハッキリしていた。
 事件のなかには、製品にシアン化合物を混入させた事例があった。江崎グリコなどの菓子製品の箱がプラスティックフィルムで包装されるようになったのも、この事件がきっかけ。それ以前は、紙箱でも包装として完成されているという認識だったし、駄菓子屋を含めて食品のバラ売りは普通だった。飲食物の製造販売のありかたが変わっていく。
 毒物混入のおそれに対して敏感な時代。オトナたちは神経をとがらせていた。飲料自動販売機の受取口に商品が放置されているからといっても、毒入りかもしれない。そういう注意が子どもたちにも促されていた。

 さて、通学路である。
 細かいところまでいえば、軒先(のきさき)の番犬に激しく()えられるというトラップもある。小学一年生からすれば、恐いものだ。当時ももう、大阪市の市街地に野犬(ヤケン)はほぼ見られなくなっていたが、飼い犬が放し飼いにされていることもありうる。そうでなくとも犬が大声で吠えて暴れるのは、強烈。ちなみに、鋭敏なミユキにとっては、なおさらに凄まじい刺激だ。
 ともかくそういうことでどうなっているかといえば、近所の上級生と同級生が一緒になって通うことになった。上級生の指導のもと――といえば聞こえがいいが、監視、命令である。上級生にしても小学生。人として、たかがしれている。

 そして小学校一年生の学級は、ミユキの通っていた幼稚園とはうってかわって、混沌(コントン)としていた。それはそうだ、いままで幼稚園にも通っていなかった子も多い。それがいきなり小学校に入れられる。一年生では学級崩壊しているのが当然である。
 自意識の未発達で、自他の区別もなく何もかもが自分の領域に見えているような人間の世界。授業中であろうが、周りの他人のことであろうが、かまわずに行動する。席に座っていられもしない。暴れ走りまわりもする。
 まさに右も左も分からないのである。わけもわからないままに小学校に投げ込まれたのである。
 教室は木の床。それを土足で彼らは走りまわる。砂ぼこりが絶えない。幼稚で、地べたに心理的抵抗がない。床に座ったり転げまわったり、もみあったり、している。彼らには自他の区別がないので、ミユキまで無理やり巻き込まれることもある。
 小学校は不衛生だ。物も汚れている。子どもも汚れている。公立小学校だからなおさらに、育ちも貧困度もさまざまである。そして、砂ぼこりを吸うことになる。ミユキはアレルギー性鼻炎だ。
 凄まじい騒ぎである。同級生の騒音、それだけでも痛いし恐怖だとしかいいようがない。ミユキは耳をふさぎたくとも、ふさいでも、防ぎきれなかった。
 しかし学級担任教諭は初老の女性だった。一年生学級は、経験豊かで胆力(タンリョク)のある教諭が担当することになっているらしい。この教諭はイラだって怒ることがなく、いつも温和でいた。戦争経験者だからかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み