第十九章 第四節『運動機能障害』

文字数 3,057文字

 みっつめ。
 体育の授業、それはミユキにとって苛酷(カコク)にきわまりない。

 ミユキは産まれつき無意識に、危機感が高く、警戒心が強い。思い返せばあのような胎児期と、そして出産と乳児期を過ごし、さらに虐待を受けてきたのだから、当然のこと。だから、人目(ひとめ)のあるところでは、身体が思うように動かせない。これが致命的なのだ。自分で身体をどう動かすか、頭で考えてから行動しようとしなければならない。よその子どもは反射的に、無意識に、身体を動かして、暴れているのに。
 それに加えれば、慢性アレルギー性鼻炎が大きい。なにせ大概(タイガイ)は、鼻の両方ともが詰まっている。学校でも、ポケットにティッシュペーパーを携帯していたが、それもなかなかに消費量が多かったくらいだ。そんなで口呼吸で激しい運動をしたものならば、呼吸が苦しいのはいうまでもない。
 こうしたミユキの存在は、たといこの二一世紀前半のいまならばアレルギーはめずらしくもなんともないかもしれない。しかしトラウマで運動機能に支障があるというのは、いまでもなお、ほとんど理解されないのだろう。
 体育の授業も小学一年の段階では、さして高度な内容でもない。しかし、「かけっこ」、ただ走るというだけにしても、ミユキは人前では思うように走れない。人前でなくとも、虚弱(キョジャク)で走り慣れもしていないミユキは速く走れなかったのだが。

 体力テスト、そう称するものも毎学年、定期的に行われる。日本国で「普通教育」を受けた人ならばおよそ経験があっただろう。全都道府県、全国で統計が採られ、毎年公表され、マスコミに載るくらいだから、いい歳になっても目に留まる話題である。
 さて、その体力テストをやっても、ミユキはいつも、成績がよくない。学級で、というより学年で、あるいは全校レベルで、成績が低い。走っても遅い。ソフトボール、投げても飛ばないで落ちる――そもそもソフトボールは大きすぎる、重すぎる。砂場で幅跳びやっても、少ししか跳べない。そんなだ。(みじ)めな姿を見せものにされている。ミユキからしてみればそれは、虐待。そういわざるをえなかった。

 はたして同級生には、国語算数理科社会まるでダメで、しかも暴れっ子の「問題児」はいたものだが、そういうのにかぎって運動は得意だったりする、多くはそういうものである。ここでも例外ではなかった。無意識に、反射的に、

のである。
 それにくらべれば、「勉強はできる」が「運動はできない」ミユキは、釣り合いがとれている。同級生からも、教諭らからも、そう理解された。ただ、教諭からすると、どう指導したものか……困り果てるわけであるが。
 さらにはあまつさえ、学級に一人、というか、学年に一人というくらいの割合で、「勉強も運動もできる」というとんでもない「優等生」が存在する。こういう生徒に対しては同級生らから、うらやみが集まる。しかし、ケチのつけようがなく、イジメようもなく、チヤホヤされるばかりだ。こういう優等生を相手にすると教諭は、うれしいようでいて、いかにして思い上がらせないようにするか、指導に悩んだりするものらしい。釣り合いが、とれない。どうしても、通知表はA評価ばかり並ぶことになり、ほかの子との

に困る。
 いや本当は、

に困るというのはおかしい。単純に、正当に成績をつけておけばよいものを。しかし日本の、とりわけ公立学校の、学校教育というものはかように、形式的平等主義。横並びでなければ


 さてはて、かくのごとく、生徒から見える世界と、教諭から見える世界は、異なっているもの。つまり、価値観の起点になる発想が異なっているのだった。

 ともかく、身体が思うように動かない、反射的に行動しない、やられてもやり返さない、そんなミユキは、同じ学級にいた「オールマイティー」な優等生と異なり、よくない意味で目立つ。体育がダメなのも、イジメのターゲットにされる必然的な理由だった。イジめるほうは「イジメだ」という自覚がなかったかもしれないが……。ミユキも、「これはイジメだ」と認めることは一度もなかった。相手はコドモ。ミユキは、人間の本性(ホンショウ)(あわ)れさを、知っているから。(かな)しみながら、毎日のように目から水を流し、そして鼻からも流しながら、木と鉄でできたあの机の、茶色の木目の、ときに落書きされ、ときに穴があけられすらしていた天板(テンバン)を、ジットリと、ベッタリと、濡らす。それは小学一年のころばかりではなく、小学生時代、ずっと続くことになる。むしろイジメというもの、小学一年生よりも、年齢があがるほど危険。そして、陰湿になる。

 ところで、体操服も制服と同じように、指定されたものでなければならない。しかもそれは、半袖・半ズボン、である。冬でも、である。それでも、虐待だという認識はないようであった。実に根性主義で、オトナの価値観を子どもにおしつけていて、そして、軍隊じみている。
 さて制服であれ体操服であれ、入学して間もないうちはピッカピッカだとしても――いや、「お下がり」の子がおり、初めから汚れていたりするのだが――、期間が経てばとりわけ体操服の汚れに格差が表れてくる。貧困の家の子、ネグレクトを受けている子……汚れが目立ち、臭ってくる。さらにはカビまで発生したり。そういう子には陰口(かげぐち)を叩かれ同級生から避けられたり、そして子どもを通じて保護者の間でも噂になったりする。
 他方のミユキはミユキで、母ケイコが神経質なものだから、洗濯にも極端に気合いが入っている。私のせいでこの子がいじめられたらあかん、と。もともと家事を幼い頃からこなしていたケイコだが、義母から執拗(シツヨウ)叱責(シッセキ)された過去があるものだから、ミユキの服だけではなくもちろん、夫タカユキの服に対しても神経質で、それはそれは胃に穴が()きそうなくらいだ。
 ともかくそんなわけでミユキの服はいつもピッカピッカなのだが、そんなだからミユキは学校で汚れるのが申しわけなく思う。体育なんて屋外で、土の上でやるものだから、体操服は確実に、汚れる。なにせ「体育座(タイイクずわ)り」なぞという世界的にみても奇怪なことをさせられるのだから、その時点でもう、汚れなければならない。
 さらには、同級生との身体接触まである。それがミユキには怖ろしく、だから穢らわしいものなのだが、避けられない。ときに、服が汚れっぱなしの同級生と。近くに寄ると、臭う。
 小学校とはそんな、日本社会の病みの縮図でもある。
 そして、ミユキの服はいつも、よく洗濯されているから、周りから見ると、生徒どころかまず教諭から見ても、「エエとこ(よい家)の子」であった。それも、かえってイジメの原因になっていた。
 同じ服を着ていても、一人だけ身体が思うように動かず、そして服は毎回、新品のように真っ白。
 それでも、当然だが、ミユキは両親に「服がキレイなせいでイヤがらせをされている」なんて云うわけはない。お母さんを悲しめたくは、苦しめたくは、ない。

 運動が「できない」のは、「運動音痴(オンチ)」だからなのではない。ミユキは、反射的に身体を動かしてはいけないように心身が覚え込んでいるからだ。しかも、他人の目があると、衆人環視(シュウジンカンシ)だと、なおさらに注意を向けなければならない対象が多くなり、身体を無意識には動かせなくなる。そうして、身体がこわばってギクシャクする。
 しかし、そんなことは誰にも解らない。なにせ当のミユキ自身も、なぜ私だけほかの子のようには動けないのか、その理解と説明がしきれずにいる。

 よその人々はみな、鈍感なのだ。

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