第十七章 第四節「人見知りする子ぉやから……」

文字数 2,413文字

「この子、人見知(ひとみし)りする子ぉやから」
 母はそう説明する。
 父親の言葉からは「自閉症ちゃうか?」のほかにも「知恵(おく)れとちゃうか?」も用意されていたが、そちらはあっさりと否定された。
 祖父タカシが

したように、父タカユキもミユキのことを障害児扱いしたがる。あの家は他人(ひと)を見下すのがスキな人々だ。
 両親はミユキをモノみたいにあれやこれやと批評して勝手に気をもんでいる。

 ミユキは他人と目を合わせられない。正面から目を合わせるのは母くらいだった。母ケイコを相手には常々つくり笑いをして見せる。
 母以外の人とは、父親に対してでさえもなるべくは、直視を避けていた。他人とは目を合わせられない。
 それでも祖父母のヨシアキやマサコのほうは怒らない。タカシやカズコは、わが孫だからと思えばいくらか気をゆるめてはいたが、怪訝(ケゲン)に思っていたのもたしかである、気にくわない。
 ミユキは人間が恐いことを知っていたから。見られること、自身の内心をあれやこれやと詮索(センサク)されることを、危ないと思う。それはなにより、ミユキ自身が他人の顔を見たらその人の感情が読み取れるからだ。自分が見られたくないと思っているのと同じように、他人もそう思っていると考えていた。それに――感情が読み取れすぎて、ツラい。

 父タカユキは新築分譲マンションから一戸(イッコ)を買った。大阪市内だが北東部で、北港(ホクコウ)此花(このはな)からは遠い。その一帯は工場の集積していた地域だった。その工場がまたぞろ閉鎖していき、跡地にまたぞろ建てられたのが大規模分譲マンションだった。電話番号も市内局番が9から始まる。このころの大阪の電話番号はまだ九桁だ。
 こういう住宅を買って引越してくるのは、わりと恵まれた小市民である。タカユキも財閥(ザイバツ)系大企業の終身雇用と年功序列の「信用力」を存分(ゾンブン)にぶん回して、住宅金融公庫から借金をして買った。こうして「公庫」を利用して自宅を買う人が一般的だった。そういう新興層が集まる大規模マンション群だからギスギスせず肩身が狭くもなくサバサバした人づきあいでいられる。昔からある住宅街とは雰囲気も人間関係も所得水準も異なっている。
 もともと住宅地ではないから商店も遠い、そのうちミユキが通わされるだろう、小学校も遠い。幼稚園に入れるかは未定だったが、それも近所には全くない。駅すらも徒歩圏ではあっても近くはない。市営地下鉄は路面電車時代からの名残(なごり)もあって、地上権の設定にも困らない幹線道路の下に()かれた軌道(キドウ)線だから国道沿いに歩いていけばあった。しかし京阪電車の駅に至っては京街道(キョウカイドウ)沿いの集落をつなぐように敷かれたものだから、もっと遠い。
 ちなみにヨシアキの既に買った新築マンションのほうは

だった。その辺りはもともと低湿地帯で住宅には向いていなかったものだが、ここにもコンクリート造の大規模マンションが建てられていったのである。大阪の人口は増加していき、また同時に、「ドーナツ化現象」、スプロールアウトが進んできていた。

(かぞ)えで三歳や!」
 言ってタカユキは妻子を連れて、ミユキの七五三(シチゴサン)に行った。まだ満二歳だが、数え年で三歳。七五三も数え年にするか満年齢にするかは家それぞれだが、中谷家は数え年でしたいらしかった。
 引越してきた見知らぬ地だ。そして近所は工場街だったから、神社がない。おそらくは工場の企業が敷地内に建てたものはあったかもしれないが、もちろん参詣(サンケイ)可能なものでもない。そんなだから、はるか離れた町域(チョウイキ)、それこそいわゆる校区を越えたところにある神社まで参詣した。こういうときだけはやたらとタカユキのキゲンがよくて、そして写真を撮りたがる。妻子の思いをよそに。厄介な男である。ミユキは撮られるのもイヤだ。そして、楽しくもないのに笑えない。

「こんなんでは大きくなったときに生きてかれへんぞ!」
 タカユキは怒る。
「お前は甘やかし過ぎや!」
 ケイコにも怒る。
 父親は家では怒ってばっかり。職場ではへつらっているから、そのストレス解消道具にもされていたのであるが、ミユキにはまだそんな詳しいことは解らなかった。
 ミユキは他人とは、ほぼ話せない。話す必要があるときにも、あらかじめ内容を計画的に組み立ててからでないと話せない。
 相手が見えないうえに何を云われるかわからない電話はなおさら危険だ。
「お前も出て(なん)か話せ!」
 父親から命令されるので、祖父母との電話には出る。ただし――
「こんばんは」
「うん」
「うん」
「ほんならお父さんに替わるわ」

 マンションの敷地内には、玄関口に芝生もあったり、居住者用の地上駐車場もあったり、そして公園もある。公園といっても居住者専用なのであるが。
 それで母が試しにミユキを公園に連れ出すこともあった。世のなかに慣らさないと。いずれ学校にも通わせるし。多くの親というものはそう思うのだろう。
 いいことはない。
 同じ年ごろのよその子らとは会話が成りたたない。よその子は何を言っているのかわからない。というよりも彼らは、まともなことが話せない。
 ミユキは独りで萎縮(イシュク)している。するとそれを面白おかしがってか、それとも気に食わないのか、乱暴にからんでくる子がいる。
 ミユキはこんな粗暴ではない。やられてもやり返さない。やり返せもしない。やられっぱなしになる。やられるほど黙ってしまい動けない。
 だからどんどんエスカレートしていく。よその子どうしならば「じゃれ合い」と認識されるものを、ミユキに対しては「イジメ」が展開される。
 惨状なので、無理なので。ケイコは、公園には誰もいないときを見計らって、ミユキを連れて行くようになった。ミユキは独りでなにかしらやっているか、母が遊び相手になる。
 その公園に行くのも、たまーのことでしかない。ミユキの遊び場はなにより、自宅のなかだった。タカユキにはそれなりに収入があるので、いわゆる知育玩具を中心に物を買い与えられた。

 頭のいい、内向的な子である。
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