第十五章 第二節 二人の母と母
文字数 2,246文字
ケイコの妊娠が判ってから、義父タカシは「月曜訪問」をぷつりとやめてしまい、まるで興味がなくなったかのようだった。
それに対して義母カズコの訪問は続いて、お腹の子どもをめぐって関係がますます緊迫していた。ケイコのお腹の子を我が孫だと思っていないカズコは、本気で流産させたいつもりのようだ。
ケイコにはあまりにも耐えられない。子どもができる前までならば、自分ひとりが辛抱すれば済むことだと思っていた。しかし今はそうではない。自分のことだけではなくむしろ、お腹の子のことが大事だから。
それと、入会の勧誘。
「タカユキさんには『入らんでええ』と云われてますから」
そう断るのだが、
「ただの言いなりなんか。アンタはどう思うとるんや」
こうなる。
「私には、よう解りませんので……」
頭の悪いふりをして、その場をしのぐ。
タカユキは、何もなければ帰りが早い。そして時々ある何かというのは、残業や宴会といったことである。帰りが遅くなるときにかぎっては、事前に妻に一報をする。とはいえ、当日に電話をかけるのならば一瞬だけ用件を話して終わりであるが。
それとケイコが妊娠してからは、会社に出かける前に「今日はなんか買って帰ってくるもんあるか?」と尋ねるようになった。
そして会社から帰ってくる時間帯が判っているから、そろそろ帰ってくる頃やとなると、ケイコはそわそわする。タカユキは玄関の呼鈴 を鳴らして出迎えを催促 するからだ。そこでジャストタイミングで玄関を開けたらいい。けれど、すぐに出られなければ、ガチャガチャガチャ、タカユキがみずから解錠して帰宅する。結局は自分で入れるくせにタカユキは、妻は夫を出迎えるもんやと思っている。だから、
「ただいま。いま帰ったぞ!」
そうあからさまに、大げさなまでに帰宅報告をする。
ケイコは出迎えて、部屋で着替えるタカユキに尽くして、ふんっと渡される洗濯する物やらを受けとる。それは仕事場の作業着などである。会社の研究所で実験作業をしているから。
帰ってきたタカユキは、
「調子はどうや」「今日は何かなかったか?」
そうやって報告を求める。
だがそれもすぐすると、会社のグチやらに替わっていく。
毎晩はそんな感じであり、食事もケイコが用意したし。そして妊娠が判明してからというもの、
ケイコはあいかわらず家事をして、夫が着る服にピリッとアイロンをかけたりすることにも余念がなかった。夫に恥をかかせるわけにはいかないし、夫には出世してもらわないといけない。
そうしたところ、よその家に嫁 いだということで娘ケイコとしばらく距離をおいていたマサコも、妊娠したということで、再びケイコに関わるようになった。なにせ妊娠した、これから出産に育児をひかえるという一大事である。娘の相談に乗ったり面倒を見たりするのも、先輩母としてごく自然なことだ。
それに実のところは、ケイコが嫁 に出たことで三人の子が全員、家からいなくなった。そんなわけで昼間の家はがらんどうとしている。しかし入ってくるものは増えて、出ていくものは減った。夫は建築技術者としては国鉄のなかで出世していて、二人が食べていくにはありあまるほど収入が多い。ましてや昔のように内職をして稼ぐ必要もない。いわゆるライフステージが移ったとでもいうもので、夫婦ふたり暮らしのためにマンション買 うて引越 そかと話しているくらいだ。平日の日中なんて、近所の人とか実家の親戚すじとかとでも会わないと独りだ。なんだかんだいっても、娘がいないとさびしいのである。
こうなるとカズコとマサコのあいだで、表面的には平和を装った、社交的な関係が展開される。さすがのカズコも、「アンタの娘はよそのオトコと寝た、なんと
ケイコをイジメ倒してきたのにしてもそうである。イジメています、とあからさまに判るような振る舞いをしてさとられるわけにはいかない。あくまでも教育指導であり、妊娠した嫁の面倒――そういう名目になる。
それでもやはりなお、ケイコは我が子を抱えているものだから繊細鋭敏で、カズコと二人きりでいるときはヒステリックだった。きいぃーっ、と声を噛み殺す。動悸 と呼吸が激しくなる。
明日は実家に顔を出しますんで。明日は実母 が来ますから。そうやって予定をそのたび告知しておけば、カズコの来訪の回避にはなった。
そして、実母とのひとときは短い間でもホッと息のつける大切な時間で。そしてあくまでも明るい。お腹にひとり抱えているのも大変だし、出産も命がけだからナーヴァスだ。食べ物のこと、これからどうなっていくのか、体調、身重 になっていく身体、きたるべき出産への心配、そして出産後のための準備のこと――。初産のさまざまな相談ごとを交 わした。
「男の子やったらええね」
大きくなっていくお腹。
夫は家事を
実母はますます家に来てくれるようになった。ケイコのほうが行かなくてよい。そして、昼食もこしらえてくれる。
カズコはイジメに来る。順調に見える経過。思いどおりにいかないことに、この姑はキゲンが悪い。
ケイコはあとで、気づかれないところで独り、叫びを噛み殺し、哀しみにうちひしがれていた。
おなかをさする。
――実の祖父母から望まれてない子。
それに対して義母カズコの訪問は続いて、お腹の子どもをめぐって関係がますます緊迫していた。ケイコのお腹の子を我が孫だと思っていないカズコは、本気で流産させたいつもりのようだ。
ケイコにはあまりにも耐えられない。子どもができる前までならば、自分ひとりが辛抱すれば済むことだと思っていた。しかし今はそうではない。自分のことだけではなくむしろ、お腹の子のことが大事だから。
それと、入会の勧誘。
「タカユキさんには『入らんでええ』と云われてますから」
そう断るのだが、
「ただの言いなりなんか。アンタはどう思うとるんや」
こうなる。
「私には、よう解りませんので……」
頭の悪いふりをして、その場をしのぐ。
タカユキは、何もなければ帰りが早い。そして時々ある何かというのは、残業や宴会といったことである。帰りが遅くなるときにかぎっては、事前に妻に一報をする。とはいえ、当日に電話をかけるのならば一瞬だけ用件を話して終わりであるが。
それとケイコが妊娠してからは、会社に出かける前に「今日はなんか買って帰ってくるもんあるか?」と尋ねるようになった。
そして会社から帰ってくる時間帯が判っているから、そろそろ帰ってくる頃やとなると、ケイコはそわそわする。タカユキは玄関の
「ただいま。いま帰ったぞ!」
そうあからさまに、大げさなまでに帰宅報告をする。
ケイコは出迎えて、部屋で着替えるタカユキに尽くして、ふんっと渡される洗濯する物やらを受けとる。それは仕事場の作業着などである。会社の研究所で実験作業をしているから。
帰ってきたタカユキは、
「調子はどうや」「今日は何かなかったか?」
そうやって報告を求める。
だがそれもすぐすると、会社のグチやらに替わっていく。
毎晩はそんな感じであり、食事もケイコが用意したし。そして妊娠が判明してからというもの、
夜の生活
はない。ケイコはあいかわらず家事をして、夫が着る服にピリッとアイロンをかけたりすることにも余念がなかった。夫に恥をかかせるわけにはいかないし、夫には出世してもらわないといけない。
そうしたところ、よその家に
それに実のところは、ケイコが
こうなるとカズコとマサコのあいだで、表面的には平和を装った、社交的な関係が展開される。さすがのカズコも、「アンタの娘はよそのオトコと寝た、なんと
ふしだら
な娘か」とは云えないようだ。ケイコをイジメ倒してきたのにしてもそうである。イジメています、とあからさまに判るような振る舞いをしてさとられるわけにはいかない。あくまでも教育指導であり、妊娠した嫁の面倒――そういう名目になる。
それでもやはりなお、ケイコは我が子を抱えているものだから繊細鋭敏で、カズコと二人きりでいるときはヒステリックだった。きいぃーっ、と声を噛み殺す。
明日は実家に顔を出しますんで。明日は
そして、実母とのひとときは短い間でもホッと息のつける大切な時間で。そしてあくまでも明るい。お腹にひとり抱えているのも大変だし、出産も命がけだからナーヴァスだ。食べ物のこと、これからどうなっていくのか、体調、
「男の子やったらええね」
大きくなっていくお腹。
夫は家事を
手伝う
ようになった。もともと独り暮らしだった身である。夕食を買って帰るようになり、「店屋もんでもとろか」と出前をとることもある。そのことに、なんだか申しわけなくなる。罪悪感。実母はますます家に来てくれるようになった。ケイコのほうが行かなくてよい。そして、昼食もこしらえてくれる。
カズコはイジメに来る。順調に見える経過。思いどおりにいかないことに、この姑はキゲンが悪い。
ケイコはあとで、気づかれないところで独り、叫びを噛み殺し、哀しみにうちひしがれていた。
おなかをさする。
――実の祖父母から望まれてない子。
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