第二十章 第三節 なつやすみ(後)

文字数 4,262文字

 時は前後して。
 それはミユキにとって初めて、遅くまで起きていることが許された夜になったから、忘れられない。世間は、いわゆる盆休みがいよいよはじまるころ。その夜、中谷(なかたに)家に緊迫(キンパク)が走った。

 いや、中谷家だけではない。
 全国に衝撃が走った夜。

「おまえ、エラいことなっとるぞ」
 三人で夕食を済ませ、テレビをみていた父親タカユキが速報を目にした。気が動転し、あふれかえる動揺(ドウヨウ)を隠しおさえる様子で、少し(ふる)える声を妻にかける。ガチャガチャガチャ。ダイアルを回してチャンネルを変えながら情報を探している。片づけが終わるとケイコもテレビを注視しはじめた。
「大変なことになった……」

 テレビで報じていたのは、その夜はもちろん、何十年経っても毎年話題になっている。
 ――日本航空ジャンボ機墜落(ツイラク)事故。
 日本航空、略して日航(ニッコウ)JAL(ジャル)ボーイング()747型旅客機が墜落した事故だ。
 B747は、ジェットエンジンを四発も備えた、当時としては巨大で、世界中で活躍していた航空機。今となってはジェット燃料のムダ遣いといわれ続々と廃止されていったが、当時は石油の浪費も気にせず産業の拡大に突っ走り、華やかな将来を疑うことなく夢見ていたのだから。そして、このB747型機は「ジャンボジェット」と呼ばれていたのである。東京国際空港、通称「羽田」はもちろんのこと、大阪国際空港「伊丹」でも頻繁(ヒンパン)に離発着していたから、ミユキにもなじみがある。なにせ「大淀のおじいちゃんの家」の近くの上空を、轟音(ゴウオン)をたてて度々(たびたび)飛んでいる。定員数も多い、ときには客席が二階建てにもなるようなジャンボ旅客機。
 東京羽田発大阪伊丹行のジャンボ旅客機、JAL123便。太平洋側を飛び、和歌山県の串本町(くしもとチョウ)の上空を旋回して伊丹に着陸する予定だった。しかしそれは、伊丹どころか串本に到達することすらなかった。制御を失った機体はさまよい、飛行予定とはまるで反対側、群馬県の上野村(うえのむら)の山中というとんでもないところに墜落したのである。
 テレビではキャスターが、公開された乗客名簿を読みあげはじめた。
 当時は、航空機で移動するのはまだまだ贅沢(ゼイタク)なこと。運賃も高額。乗るのは、いまでいうエグゼクティブや、芸能人、かなりの急ぎの用がある人や、特別な旅行をしている人が多い。ミユキが産まれる前には両親も新婚旅行で乗ったが、それから五年以上たってもまだまだ「空の旅」はめずらしいものだった。
 そんなだから、このジャンボ機の乗客にも、いわゆる財界人、大企業の重役(ジュウやく)の出張や、芸能人、盆休みのために急いで移動する人や観光旅行をする人が乗ったり、乗る予定だったりで、席がギッシリ、名簿もビッシリ。例えば東京ディズニーランドからの帰りという家族だとか。連休の時期なので当然のことである。どの便もほぼ満席。希望の便に乗れずにこの日航機に乗った人も多かったようである。
 個人情報保護とかプライバシーとかの意識がまるでなかった時代だから、テレビで名簿を平気で読みあげていた。

「知ってる人はおらへんか?」
 二人して、ソファーに並んで座ったまま前のめり。目を皿のようにして、耳を()()ませて、確認しつづける。
 二人とも、寝るつもりがなさそうだった。タカユキは会社が盆休みになるところで、明日は休日。
「おまえも今日は夜更(よふ)かししてエェぞ」
 父親から許可が出た。ミユキも夏休みの真っ最中だから、翌朝早起きしなければならないこともない。しかしなにせ、両親とも、ミユキのことを気にかけている余裕が全くない。寝ようという(ひま)がない。
 各テレビ局も繰返しくりかえし、読みあげている。やがては、映画のエンドロールみたいに名簿が流れはじめた。そうしてそのたびに二人は、再度確認する。
 確認しないといけないのである。仕事で見知った人が乗っているかもしれない。取引先の人だとか、会社の偉い人だとかが、乗っているかもしれない。
「おらへんみたいやな……」
 そうしてほとんど確信するまで何回やっただろう。

 乗客名簿には、各界(カッカイ)の著名人の名も載っている。その氏名を目にして、テレビが、全国の視聴者が。ざわつく。財界人。芸能人。テレビで特定される。
 名簿にあるからといっても、実際に乗ったかというとそれは別だ。ただ、実際には乗らなかったとなれば「無事だ」という情報がテレビ局に入ることもある。反対に、乗っていたらしいということになるとどうか。まだ生死はわからない。けれども、飛行機で墜落と聞いたら誰もが、ほぼ絶望視していただろう。
 著名人でなくともそうなのだが、いちいち「乗っていませんでした」ということは確認して、可能性からは消していかねばならない。
 そうして「乗っていませんでした」情報に安堵する一方で、「乗っていたらしい」というほうも確度があがっていく。
 現地は夜の山中で暗い。分け入るのも難しい。捜索は遅れ、一晩、状況が全く判らなかった。名簿に載っていようが、その夜は生死の確認のしようがなかった。

 だからただ、こうだ――「坂本(キュウ)が、乗っとったらしい」
 坂本九氏といえば、歌に映画の出演にと大スター。音楽活動の最初期には、のちにコミックバンド、コントグループで有名になるザ・ドリフターズに所属していたが脱退、ソロ活動へ進んで大売れした。永六輔(えいろくすけ)氏作詞の『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』、青島幸男(ゆきお)氏作詞の『明日(あした)があるさ』が有名。『上を向いて歩こう』にいたっては『スキヤキ(SUKIYAKI)』のタイトルで世界的にヒット。それにNHK教育『たんけんぼくのまち』で歌っていたので、そこでもミユキは耳にしていたはず。
 さてそうした人気もひと段落して、テレビ番組の司会者の道に進みはじめたところだったのである。その彼とマネージャーの氏名も名簿にあったのだ。芸名ではなく戸籍名で、だが。オオシマヒサシ。マネージャーの氏名と並んでいたから判ったのである。「九」は「ひさし」と読むらしい。そもそも戸籍に読みは載らないので、「ひさし」でもいずれにしても、それどころか誰しも、自称でしかないのだが。
 夜中だというのに、全国が眠れない。震撼(シンカン)していた。
「たぶん、アカンやろう……」タカユキが言わなくたって、みんなうすうす感づいている。認めたくはなかったけれど思っていた。乗っている飛行機が()ちたら助かりようがない。思いたくはないけれど、残念ながら、ダメだろう……。

 翌朝になって現地に捜索が入り状況が伝えられてくる。ちなみにマスコミが「御巣鷹山(おすたかやま)」と報じたが誤報で、本当は「高天原山(たかまがはらやま)」というらしい。誤報のほうがあまりにも定着したものだから、「御巣鷹の尾根」と上野村が公式に命名してしまったほどである。
 そしてようやく昼まえ、フジテレビが山中に分け入って一番にテレビ中継を実現した。大阪では同じくVHF8チャンネル関西テレビが放送している。ここまで時間がかかりすぎて、夜更かししたのにミユキももう起きている。
 墜落現場は見るも無惨。機体は壊れ、燃えて焼けている。原形がまるで判らない。そんな中からである。生存者が見つかったという。奇跡の生還――フジテレビがセンセーショナルに報ずる。生存者が吊り上げられてヘリコプターに乗せられていく映像。
 生存者は、四人。
 そんな緊迫した流れからいきなり、テレビでは『森田一義アワー笑っていいとも!』がはじまった。鷺巣(さぎす)詩郎(しろう)氏のビッグバンドジャズサウンドでウキウキウォッチング(WATCHING)。落差に力が抜けてしまう……。そう思った途端、タモリ氏がフジテレビのスクープをスタジオの観覧者に速報。事故の生存者の話題で引き戻された――。

 遺体の身元特定も、日数がかかった。あまりにも損傷が激しかったから。坂本九氏にしても遺体が特定されるまで日数がかかり、そのあいだはテレビ番組も「無事をお祈り」で放送していたくらい。いままでにも、例えば堺正章(さかいまさあき)氏のようにテレビ番組の司会に転身したミュージシャンはほかにもある。彼も生きていたならば、同じように活躍し、何十年にもわたってテレビでおなじみの顔になっていたのだろう。
 テレビでは大々的に、坂本九追悼(ツイトウ)番組を放送。()りし()の彼の歌や映像がくりかえし流れた。映画での姿、直前まで出ていた司会での姿――。

 事故原因の調査には、さらにずっと長い期間がかかった。
 事故機は以前には大阪国際空港でも事故を起こしていた。その際の損傷部の修理に間違いがあったために、飛行中に破損したのだと、結局は推定されている。
 伊丹での事故は、ミユキが産まれる何か月か前のことで、だから事故機は修理不良のまま、ミユキのそれまでの人生とおんなじ分だけ飛んでいたということだ。ミユキが小学生になるまで。
 五年以上もの間この事故機は多くの人々を乗せ続けていたのである。どれほどのエグゼクティブや著名人や一般人が乗ってきたことだろう。それがたまたまこの夜に、壊れただけのことだ。

 ところで、この手の事故が国外であると、「乗客に日本人はいませんでした」と報じられることが数え切れないくらいある。それはもともと、日本人がいなくてよかったね、という意味ではない。
 もしも知合いが乗っていたならば、その視聴者は大変だからだ。
 実際に、日航ジャンボ機墜落事故では財界人も乗っていた。ハウス食品工業の社長であったり、ミサワホームの専務であったり、証券会社の社長であったり。そうなると、その企業の関係者、取引先、友人知人、多くの人が対応しなければならない。会社の従業員が乗っていたら、会社は対応しなければならなくなるだろう。大学の研究者が乗っていたら、大学も学会も揺るがすことになる。
 このように、見知っている人が乗客にいるかどうかは、視聴者にとって一大関心事なのである。すぐさま連絡をとったり、明日明後日にも葬儀告別式に参列したり電報などを送ったり。そんな手はずをととのえなければならない。

 ――しかしこの二一世紀の国際化の時代には、「日本人はいませんでした」だけでは済まないのだろう。視聴者の友人知人の国籍なんて、さまざまだ。

 ところで、この日航機に乗って亡くなった人のなかに中埜(なかの)(はじむ)という人がいた。阪神タイガースの球団社長。
 直前には選手達が、同じ機体を使った福岡発東京羽田行の便で移動していたという。この機体が羽田から伊丹に向かうときに墜落したのだ。彼ら選手達は偶然にも事故に遭わず、社長は偶然にも、事故で亡くなった。

 阪神タイガースはこの年、セントラルリーグ、そして日本シリーズで優勝し、日本一になった。
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