Quest15:借金を返済せよ
文字数 7,326文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、安宿に戻ってきた優は空いている席に腰を下ろすとそのままテーブルに突っ伏した。
「……疲れました。もうゴキブリ退治は嫌です」
「その分、稼げたじゃないか」
「それはそうですけど」
フランは対面に席に座ると頬杖を突いた。
ウィリアムから始まり、今日までに10件の依頼をこなしたことになる。
やり方はバーソロミューの屋敷と同じ。
厨房のゴキブリを殲滅し、あとは1匹ずつ退治していくという方法だ。
「けど、これでダンジョンを探索する算段は付いただろ? あとは魔道士ギルドでマジックアイテムを買って、ダンジョンに挑むだけだ」
「……そのことなんですが」
優は身を乗り出した。
手元には1万6800ルラがある。
ゴキブリ退治と狩り、翻訳で稼いだ金だ。
「先にフランさんの借金を返しませんか?」
「は?」
フランは問い返してきた。
確かにこの金を使えばダンジョンの探索が楽になることは間違いない。
しかし、いきなり強いモンスターと遭遇する可能性だってゼロではないのだ。
そこでマジックアイテムを使ったら手元には何も残らない。
「ダンジョンはどうするんだい?」
「フランさんは借金を返して、ダンジョンに挑戦する資金は僕が出します」
フランは渋い顔をしている。
「そいつは軽々しく頷けないね。装備を一新した件と言い、ゴキブリ退治の件と言い、ユウの世話になりっぱなしだ」
「そんなことはないと思いますけど?」
世話になりっぱなしと言っているが、ゴキブリ退治の作戦を立てる時や残ったゴキブリを掃討する時に十分過ぎるほど力を貸してくれた。
「気持ちの問題さ、気持ちの」
フランは自分の胸を軽く叩いた。
「でも、これだけのチャンスは滅多にないって言ってましたよね?」
「だから、このチャンスを活かすんだろ?」
「それはギャンブラーの思考ですよ」
さも当然のように言うが、ギャンブルで稼いだお金を元手にギャンブルをすれば一文なしになるのが関の山だ。
一文なしになるだけならまだしも、失敗を取り返そうとしてドツボに嵌まったら目も当てられない。
投資家は利益を確定させるものである。
「ちゃんと借金を返済して綺麗な体になってダンジョンに挑んだ方が気持ちいいじゃないですか」
「……綺麗な体って」
フランは何か言いたそうに口をモゴモゴと動かしている。
「それに借金を返しておけば妹さんに生活費を多く渡せるじゃないですか」
「……けど、気持ちの問題が」
「気持ちより妹さんの生活費です」
気持ちは大事だが、気持ちだけで生きてはいけないのだ。
「綺麗な体になって、僕と一緒に人生をやり直しましょう!」
ガタッという音が響いた。
見ればフランは自分の体を抱き締め、怯えにも似た表情で優を見ている。
「そういう意味じゃないですからね?」
「ホントかねぇ」
フランは胡散臭そうに優を見ている。
「そんなに悩む必要はないんじゃないですか?」
「そうは言うけど、人に借りを作るのは嫌なんだよ」
「じゃあ、ダンジョンに挑戦する時の費用は僕が立て替えると言うことにして、利益が出たらフランさんの取り分から精算するのはどうです?」
う~~ん、とフランは唸った。
「そこまで悩むのなら契約書でも何でも書きますよ?」
う~~~ん、とフランは唸り続けている。
やはり、一度手酷い裏切りを受けているだけに他人を信じられなくなっているのだろう。
「利子はなしだよ?」
「もちろんです」
優は請け負った。
「儲けが出なくても催促しないね?」
「しません。催促なしのある時払いで結構です」
なかなか自分本位な要求をしてくるが、これを借りとは考えないらしい。
とは言え、悩むということは借金を返すことに魅力を感じているからだろう。
「ホントだね?」
「本当です」
「……分かった。借金を返すよ」
何故か、フランは悲愴な表情を浮かべている。
「幸い、明日は依頼が貼り出される日ですし、今からエリーさんに頼んできますね」
「ちょ、ちょい……」
優が立ち上がると、フランはイスから腰を浮かせた。
「何か問題でも?」
「な、何でもないよ」
フランは拗ねたように唇を尖らせ、イスに座り直した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
2日後の夕方――優とフランは村に到着した。
今回はゴブリンの襲撃もなく、非常に穏やかな旅だった。
優はウィリアムを見つけると走り寄り、深々と頭を下げた。
「ウィリアムさん、お疲れ様です」
「ユウ君こそ、お疲れ様。君がいてくれると周囲を警戒しなくていいから助かるよ」
ははっ、とウィリアムは笑った。
「この前と同じように1日休息を取ってからヘカティアに戻るけど、宿は決まっているかい? もし、決まっていないようなら宿を取るが?」
「ありがとうございます。けど、フランさんがこの村の出身なので、村長さんの家に泊めてもらえると思います」
「そうか。もし、村長の家に泊めてもらえなかったら言って欲しい」
「ありがとうございます」
優は重ねて頭を下げた。
「それと、君の相棒は少し元気がないようだけど、大丈夫かい? もし、よければ薬を渡すが?」
肩越しに背後を見ると、フランが弱々しい足取りで近づいてきた。
優の斜め後ろに立ってマントを掴む。
道中、フランはずっとこの調子だった。
いや、もっと酷かった。
ヘカティアを出た時はいつも通りだったのだが、村が近づいてくると、急に無口になったり、多弁になったりと落ち着きがない。
「ちょっと色々あってナーバスになっているんです」
「ナーバス……ああ、なるほど。私にも妻がいるけれど、こういう時に女性はナーバスになるものなんだ」
生理だと思っているのだろうか。
「ユウ君がしっかり支えてやるんだよ」
ウィリアムは優の肩に優しく触れると宿に向かって歩き出した。
彼の背中に一礼してフランの手を取る。
「フランさん、悪いことをしている訳じゃないんです。堂々といきましょう」
ウィリアムさんは勘違いしてたみたいだけど、確かに僕がフランさんを支えてあげないとダメだよね、と優は自己完結して村長宅に向かって歩き始めた。
「失礼します!」
優は村長宅の扉を開けると大声で叫んだ。
ドタバタという音が響き、玄関に出てきたのは村長そのひとである。
「お久しぶりです」
「おお、2人とも……随分、見違えたじゃないか。特にフランは」
恥ずかしいのか、フランは顔を真っ赤にしてモジモジしている。
「もちろん、今日も泊まっていくんだろう?」
「はい、お願いします。でも、その前に……フランさん」
フランは俯いたまま村長の前に立ち、腰のポーチから小さな布袋を取り出した。
「金を、お金を返すのが遅くなっち、遅くなってごめんなさい」
「ある時に返してくれればいいと言っただろう」
村長はフランが差し出した布袋を受け取り、その重さに驚いたのか、大きく目を見開いた。
慌てふためいた様子で袋を開くと、中から出てきたのは10枚の金貨――1万ルラだ。
「どうやって、こんな大金を!」
「僕とフランさんが一緒に稼いだお金です。偶然、纏まったお金が手に入ったので、まずは借金を返そうってことになったんです」
悪いことをして稼いだと思われては堪らないので、優はフランに代わって答えた。
「フラン、これで親父さんの借金は完済だ。よくやったな」
「――ッ!」
村長の言葉がとどめになったのか、フランはポロポロと涙を零した。
今度は優が慌てる番だった。
優は自分でも訳が分からないままフランを抱き締めた。
「フランさん、泣かないで下さいよ。これでようやく綺麗な体になったんです。気持ちを切り替えて、一緒に冒険をしましょう」
慰めても涙が止む気配はない。
考えてみればフランは5年も借金に苦しめられてきたのだ。
色々な感情が一気に吹き出しても不思議ではない。
ポン、ポンとフランの背中を優しく叩く。
身長差があるので、サマになっていないのは分かっているが、今はこれが必要だと思った。
どれくらいそうしていただろうか。
フランは泣き止むと、ちょっとだけ乱暴に優を引き剥がした。
「……格好悪い所を見せちまったね」
「フランさんが赤ん坊みたいに泣き出したからビックリしました。鬼の霍乱ってヤツですね」
「誰が鬼だって!」
フランはバシッと優の頭を叩いた。
軽口の返礼は暴力だった。
これならもっとナーバスでいて欲しかった。
「……ユウ君」
「はい?」
振り返ると、村長は優の両肩を掴んだ。
どういう訳か、涙ぐんでいる。
「フランを支えてくれてありがとう。これからもよろしく頼む」
「もちろんですよ。僕はフランさんのパートナーですから」
優は胸を張って答えた。パートナーは言いすぎかな? と思ったが、これから対等な関係を築けばいいのだ。
「今日はとてもめでたい日だ。大した物は用意できないが、村人を呼んで盛大な宴を開くとしよう」
「いえ、そんなに気を遣わないで下さい。あまり盛大にやると、フランさんも気にするでしょうし」
借金を完済して宴を開かれたらまた泣き出してしまうかも知れない。
「う~む、なら身内だけのささやかな宴にしよう。準備が整うまで前回泊まった部屋で待っていてくれ」
「ありがとうございます!」
「母さん! 母さん、大ニュースだ!」
村長は優から離れると奥の部屋に走り去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
勝手知ったる何とやら。
優とフランは2階の客室に入るとマントを脱ぎ、ハンガーに掛けた。
「村長さんはいいひとですね」
「ああ、そうだろ」
優はベッドに腰を下ろし、フランが鎧を脱ぐ様子を眺めた。
熱が籠もるのか、服の背中が汗で濡れている。
「……それにしてもフランさんが泣き出すとは」
「うっさいね! お金を返したら、今までの苦労が脳裏を横切って泣けてきたんだよ!」
フランは耳まで真っ赤にしながら革鎧を脱ぎ、テーブルの上に置いた。
やや荒々しい足取りで近づいてきて優の隣に腰を下ろした。
距離を詰めようとしたら詰めた分だけ離れられた。
「フランさん、それはあんまりじゃないですか?」
「何があんまりなんだい?」
「……何でもありません」
優はガックリと頭を垂れた。
「でも、清々しい気分だよ。あたし一人じゃ借金を完済するのに何年掛かっていたことやら」
フランは腕を組み、小さく溜息を吐いた。
「一人でも返せたんじゃないですか?」
「冒険者ってのは不安定な仕事だからねぇ」
「一角兎は安定して狩れましたよ?」
普通に狩って1日400ルラ、早起きして1日600ルラ稼げていたのだ。
「そりゃ、アンタの魔法のお陰さ。普通は200ルラ稼げりゃ御の字なんだよ」
エドワード一行が大毒蛇を見つけるのに1週間掛かったことを考えると、優の魔法――敵探知は破格の性能に違いない。
「とにかく、アンタのお陰で助かったよ」
フランが自分の手を優のそれに重ねる。
父さん、母さん、優美――ごめんなさい。3人のことを忘れている訳じゃないんだけれど、僕は大人になります、と目を閉じたその時、扉を叩く音が響いた。
「ですよね! そんなことだと思ってましたよ!」
「アンタ、何を期待してたんだい」
優がベッドの上で身悶えしている間にフランはとっととベッドから立ち上がり、扉を開けた。
すると、そこにはフランの妹が立っていた。
「姉さん、おめでとうございます!」
「あ、ああ」
フランは戸惑いながらも頷いた。
この場合、おめでとうではなく、お疲れ様でしたが正しいのではないだろうか。
「あちらが姉さんの?」
「ああ、そうさ。見た目はちと頼りないけどね」
フランは優に向き直り、妹を手の平で指し示す。
「まだ、紹介していなかったね。これが妹のシスだよ」
「シスです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。僕は小鳥遊優と申します」
妹――シスがお辞儀したので、優は立ち上がり、頭を下げた。
「姉さんのことをよろしくお願いします」
シスは瞳を潤ませながら言った。
「私は料理の手伝いに行ってきます」
「あたしも手伝おうか?」
「いえ、姉さんは今日の主役ですから部屋で待っていて下さい。準備ができたら迎えに来ますから」
シスはもう一度頭を下げて扉を閉めた。
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シスが迎えにきたのは2時間後のことだった。
先導されて1階下りると、村長の家族はすでに席に着いていた。
お孫さんが料理に手を伸ばして叱られていたが、テーブルの上には美味しそうな料理が所狭しと置いてあるのだから我慢しろという方が無理だ。
優とフランが席に着くと、乾杯の音頭を取るつもりか、村長は立ち上がった。
「本来ならば村人総出で祝う所だが、2人の希望で身内だけのささやかな宴を開くことにした」
村長はそこで言葉を句切り、フランを見つめた。
「フラン、おめでとう。幸せになるんだよ」
おかしい、と優は何度目かの違和感を抱いた。
同じ違和感を抱いているのか、フランは怪訝そうな顔をしている。
しかし、質問する訳にもいかない。
質問したら命はない。
そんな予感が胸を支配していた。
「では、乾杯!」
村長が杯を掲げ、優とフランを除く全員がそれに倣った。
シスは杯に口を付けると、すぐに優に近づいてきた。
手には大きな徳利を持っている。
「
優はそう呼ばれた瞬間、電光石火で全てを理解した。
どうやら、フランもこの宴が結婚を祝うために催されたと気付いたらしく陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせている。
考えてみれば当然のことである。
村を出て行った娘が男を連れて戻ってきた。
それもお揃いの指輪を付けて。
ここまでなら誤解を解く目もあった。
結婚? いやいや、ないですよ、と笑い話にすることもできたはずだ。
優は何をしただろう。
泣いているフランにハグして、パートナーを名乗った。
やってしまった。
これでは誤解するなと言う方が無理だ。
今からでも誤解を解けないものか。
「さあ、義兄さん。お酒が飲めないのなら口を付けるだけでいいですから」
「あ、ありがとうございます」
トク、トク、トクと空の杯に金色の液体――多分、ビールだ――が注がれる。
「ユウ君、改めて乾杯だ」
はあ、と優は村長と杯をぶつけ合った。
「まさか、君がフランと所帯を持ってくれるとは」
ないです、所帯を持つ気はないです。
「……綺麗な体になって、一緒に冒険をしよう。その言葉を聞いた時、私は君の強い意志を感じだよ」
「ど、どうも」
そんな意志はありませんでした。
もし、その言葉を口にすれば優は無残に飛び散るだろう。
優は恐る恐るビールに口を付けた。
苦みが口に広がる。
隣ではフランは杯を呷っていた。
このままの流れに沿って死のう、と優は杯を呷った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、優が目を覚ますとフランに腕枕をされていた。
一体、何が起きたのか、2人とも下着姿である。
「フランさん、朝ですよ」
蚊の泣くような声で囁いたが、フランは目を覚まそうとしない。
視線を落とすと、ブラジャーに包まれた膨らみが視界に飛び込んできた。
ゆっくりと鼻で呼吸をする。
汗の臭いが鼻腔を刺激するが、決して不快ではない。
引き寄せられるような臭いだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
優は荒い呼吸を繰り返しながらフランの胸に手を伸ばした。
あと少しで触れられる。
そんなタイミングでフランが目を覚ました。
「……何をしようとしてるんだい?」
「何もしようとしてません」
「ふん、どうだかね」
そう言って、フランは体を起こした。
「あ~、久しぶりに飲み過ぎちまったねぇ」
フランはベッドの上で体を伸ばした。
体力が基本の冒険者だけあり、見事なプロポーションだ。
特にお腹の辺りが素晴らしい。
バッキバキに割れてはいない。
筋肉を浮かび上がらせない程度にうす~く贅肉があるのだ。
エロティシズムを感じさせる罪造りな腹筋だった。
「昨夜は何があったんですか?」
「アンタの期待してることは1つも起きちゃいないよ。パカパカ酒飲んで、半分寝てたから2階に運んできて寝かせただけさ」
「どうして、同衾してるんでしょうか?」
「アンタが一緒に寝て欲しいって駄々をこねたからだよ」
フランは溜息交じりに言った。
「その先は?」
「責任を取りますって言いながらしがみついてきたから……」
「きたから?」
「目を閉じたらいいことをしてやるって言ったら、素直に目を閉じて朝まで直行だよ。チョロいね」
大人は卑怯だ、と優は拳を握り締めた。
だが、責任を取りますと口走っていたことを考えればフランの機転を褒め称えるべきかも知れない。
「ところで、誤解は解けたんですか?」
「誤解を解ける雰囲気だったと思うのかい?」
質問を質問で返されてしまった。
「無理ですよね」
「あの雰囲気の中で本当のことを告白する度胸は流石にないよ」
フランは深々と溜息を吐いた。
「じゃあ、どうするんです?」
「そりゃ、タイミングを見計らうしかないだろ」
ますますドツボに嵌まりそうな気もするが――。
「……村長にフランさんを裏切ったら殺すとまで言われてるんですけど?」
「そいつは、難儀だねぇ」
優とフランは顔を見合わせて深々と溜息を吐いた。