Quest2:ダンジョンから脱出せよ
文字数 4,855文字
優はフランに先導されて洞窟を進む。
幸いというべきか、他のモンスターには遭遇していない。
洞窟の様子を確認する余裕がある。
変なの、と優は乾いた岩肌に触れる。
この洞窟は過ごしやすいのだ。
温度は低すぎず高すぎず、湿度は低くて水溜まりもない。
空気の対流もあり、何処にいても新鮮な空気が吸える。
学校の遠足で鍾乳洞に行った程度の経験しかないが、洞窟とはもう少し過ごしにくいものではないだろうか。
理解できないことばかりだが、優は今の状況を説明する言葉なら知っている。
「……異世界転移」
優は小さく呟いた。
異世界転移はライトノベルでよく扱われるジャンルだ。
異世界に転移した主人公がチート能力を武器に無双をしたり、現代知識を駆使して国を栄えさせたりする。
もし、自分が異世界に転移したら――、とそんな妄想したことはある。
だが、こんな異世界転移は望んでいなかった。
もしかしたら、チート能力が身に付いているかも、と優は自分の手を見下ろした。
「ふぁ、ファイア」
手を突き出してみたが、何も起きなかった。
「何をしてんだい?」
「な、何でもないです」
優は手を後ろに回しながら答えた。
「あんまりボーッとしてるんじゃないよ」
「はい、分かりました」
優はしょんぼりフランの後に付いていく。
しばらく進むと、道が二手に分かれていた。
フランは立ち止まり、そっと横道を覗き込んだ。
「アンタはここで待ってな」
フランは一気に数メートルを駆け抜け、壁に背中を預け息を吐く。
先程と同じように横道を覗き込み、手招きする。
「……今だ、早くこっちに」
「はい!」
優もフランに倣って数メートルを駆け抜ける。
その時、視界の隅に巨大な――しかも、二足歩行の――蟷螂が映った。
優はフランを見つめた。
「あれは何ですか?」
「
「モンスターを産む?」
「え、いや、ちょっと待って下さい」
この洞窟はダンジョンで、モンスターを産む母体の役割を果たしている。
それも虫系のモンスターを産む。
ということはダンジョンは生物なのだろうか。
いや、それ以前に――。
「じゃあ、あのオーガは?」
「う~ん、このダンジョンにいるはずのないモンスターなんだけどねぇ。いや、もっと下の階層にいる可能性はあるか」
「階層?」
「ああ、ここはダンジョンの第2階層さ。そんなことも知らないなんて何者だい?」
「そ、それは……」
優は言葉に詰まった。
自分でも異世界に転移したことを信じられないのに出会ったばかりの人が信じてくれるだろうかと思ったのだ。
しかし、優は事実を打ち明けようと思った。
フランが助けてくれなければ自分はオーガに殺されていたのだ。
恩義には誠実さで応えるべきだ。
「僕は信じてもらえないかも知れないけど、異世界の人間で……光に包まれて気が付いたらここにいたんです」
自信がどんどんなくなり、それに比例して声が小さくなっていく。
駄目だ、こんな説明じゃ信じてもらえない、と優は俯いた。
しかし――。
「驚いた。アンタは勇者と同じ異世界人なんだね」
「信じてくれるんですか?」
「そりゃ、勇者の中に異世界出身ってヤツがいりゃね。本当か嘘かは分からないけど、そういうこともあるだろうって気にはなるさ」
「よかっ――ッ!」
優は胸を撫で下ろし、モンスター――大蟷螂が横道からこちらを覗き込んでいることに気付いた。
「ふ、フランさん」
「分かってるよ。ちょいとばかり長く話しすぎたみたいだ」
フランは剣を抜き、大蟷螂に向き直った。
外見は蟷螂そのものだが、背は優よりも高い。
「Sigyaaaa!」
「遅いッ!」
大蟷螂が前肢を繰り出し、フランは盾を構えながら突進した。
大きく足を開き、沈み込むように剣を一閃させる。
切っ先が胸部を掠め、紫色の血が溢れる。
「Sigya! Sigya!」
大蟷螂は距離を取ろうとするが、フランは逃がさない。
攻撃を警戒してか、正面に立たないように位置を変えながら剣で斬りつける。
優には大蟷螂の距離を取ろうとする行動そのものが悪手に見えた。
逆に距離を詰めてしまえばフランは満足に剣を振れなくなるのに――。
「あれ?」
優は目を擦った。一瞬だけフランと大蟷螂が半透明のヴェールのようなものに包まれているように見えたのだ。
ちなみにフランは青、大蟷螂は黄色だった。
「Sigyaaaa!」
「甘いんだよ」
大蟷螂は翅を広げたが、フランは背後に回り込んで斬りつけた。
翅が地面に落ち、大蟷螂はその場に頽れた。
フランは大蟷螂を踏み付け、背中に剣を突き刺した。
大蟷螂は大きく震え、オーガと同じように塵と化し、小指の爪ほどの結晶を残した。
大事なものなのか、フランは結晶を拾うとポーチに収めた。
「前に進むよ」
「はい」
フランが歩き出し、優はその後を追った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
優達はダンジョンの壁に背を預け、腰を下ろした。
「ほら、水だよ」
「ありがとうございます」
優はフランから革製の水筒を受け取る。
容器は渡されていないので、飲み口に口を付けるタイプなのだろう。
一口飲んで水筒を返すと、フランは躊躇う素振りを見せずに口を付けた。
喉が上下に動く様は得も言われぬ色気を感じさせた。
間接キスだ、と回し飲みをしたことのない優は恥ずかしくなって俯いた。
「こ、こんな所でのんびりしてて大丈夫なんですか?」
「ああ、ここでモンスターに襲われることは滅多にないよ」
「そうなんですか」
優は視線を巡らせた。今いるのは第2階層と第1階層を繋ぐ坂道だ。
「……フランさん」
「何だい?」
「さっきの結晶は何ですか?」
「結晶? ああ、魔晶石のことだね」
フランはポーチから小指の爪ほどの結晶――魔晶石を取り出した。
「こいつは魔力の結晶でね。冒険者ギルドに持っていくと買い取ってくれるんだよ」
「冒険者ギルドがあるんですね」
「ああ、アンタ達の世界にはないんだね。冒険者ギルドってのは仕事を斡旋したり、魔晶石やモンスターの毛皮とかを買い取ったりしてくれるんだよ」
「モンスターの毛皮? さっきの蟷螂は消えちゃいましたけど?」
「ダンジョンのモンスターは死ぬと塵に帰って、地上のは死体が残るんだよ。ま、ダンジョンのモンスターでも体の一部を残すことはあるけどね」
「……なるほど」
どうやら、この世界の冒険者ギルドは優がイメージするそれと変わらないようだ。
「ところで、魔晶石は何に使うんですか?」
「そりゃ色々さ。そこそこ大きい結晶ならマジックアイテムに加工できるし、こんな屑でも纏めて魔晶炉に放り込めば照明を点けたり、冷蔵庫を動かしたりできる」
照明を点けたり、冷蔵庫を動かしたりという言葉から察するに魔晶石は電気のようなものなのだろう。
「でも、モンスターと戦ってこれっぽっちじゃ」
「確かに割に合わないね。けど、あたしが狙っているのはもっと大物さ」
「大物?」
「ダンジョンには魔晶石や鉱物の結晶が生えるんだよ」
「生える?」
「ああ、ダンジョンは大地に流れる魔力を分断してるらしくてね。そのせいで、魔力が結晶化するんだよ」
へ~、と優は感嘆の声を漏らした。
元の世界では電気を得るために複雑な工程を経なければならないが、この世界では簡単にエネルギーを得られるのだ。
流石、異世界としか言いようがない。
「あとは……万が一、いや、億が一の幸運に恵まれれば人造魔剣を手に入れられるかも知れないけどね」
「人造魔剣?」
「ああ、大昔の魔道士がこのダンジョンに隠したと言われている魔剣さ。ま、誰も見たことがないから与太話の類かね」
それで『言われてる』なのか、と優は頷いた。
人造魔剣という言葉に厨二心をくすぐられる。
だが、実在するかも分からない魔剣について質問しても仕方がない。
「フランさんは魔晶石を採取して生計を立てているんですか?」
「普段はモンスターを討伐したり、隊商の護衛をしたりしてるよ。ある程度、金が貯まったら今日みたいにダンジョンの探索だね」
フランは苦笑いを浮かべた。
恐らく、普段はカツカツの生活を強いられているのだろう。
それなのに優を助けるために散財させてしまったのだ。
「すみません」
「藪から棒にどうしたんだい?」
「あの、いえ、散財させてしまったので」
「気にしなくていいさ」
フランは軽く肩を竦めた。
「もう1ついいですか?」
「ああ、構わないよ」
「どうして、僕を助けてくれるんですか?」
「う~ん、乗りかかった船ってのかね? 助けちまったもんだから最後まで面倒を見なきゃみたいな感じだね」
フランは腕を組み、難しそうに眉根を寄せた。
どうやら、自分でも助けた理由が判然としないようだ。
しかし、そんなものかも知れないと思う。
子どもが命の危険に曝されている時に体が動いてしまう。
それは理屈ではなく、その人の精神性に基づく行動なのだろう。
「フランさんはいい人なんですね」
「よしとくれよ。あたしはそんな立派な人間じゃないよ」
照れ臭いのか、フランはそっぽを向いた。
「……最後にいいですか?」
「うん? ああ、いいよ」
「億が一の幸運に恵まれて人造魔剣を手に入れたらどうします?」
「そりゃ、売り払うさ」
「売っちゃうんですか?」
「あたしは勇者様じゃないんでね」
そう言って、フランは大仰に肩を竦めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
数時間後――優達はダンジョンの第一階層にいた。
大蟷螂と戦ってから戦闘らしい戦闘は行っていない。
フランは何も言わなかったが、優は徹底的に戦闘を避けた結果だと気付いていた。
「そろそろ、地上だよ」
「はい」
フランは慎重に歩を進める。
「あれ?」
「どうしたんだい?」
フランは立ち止まり、優を見つめた。
「いえ、何でもありません」
「そうかい。あと少しだけど、油断するんじゃないよ」
フランが再び歩き始め、優は目を擦りながら歩き始めた。
また、あのヴェールのようなものが見えたのだ。
最初に見たヴェールは青だったが、今回は黄色になっていた。
目を凝らすのを止めると、ヴェールは消えてしまった。
「……そう言えば」
ふと蟷螂型のモンスターを思い出した。
あのモンスターは黄色のヴェールに包まれていた。
オーラみたいなものかな? と優は推測する。
そう考えれば傷を負っていたモンスターのヴェールが黄色だったことに説明が付くような気がした。
「フランさん、体調はどうですか?」
「ちょっとばかり疲れてるけど、それがどうかしたのかい?」
「……いえ」
当たりだ。推測通り、あのヴェールは体調を反映しているようだ。
「アンタはどうだい?」
「僕は大丈夫です」
「へ~、見かけによらずタフなんだね。ま、もうちょいだから頑張っとくれ」
言われてみれば、と優は自分の手を見下ろした。
ヴェールは見えないが、自分が疲れているか疲れていないかは分かる。
何時間も歩いているのに全然疲れていない。
運動部ならまだしも文化部の優が疲れていないなんてありえない。
優は顔を上げ――ハッと自分の手を見下ろした。
乾いた血がこびりついているが、それだけだ。
割れたはずの爪が治っていた。
「見えてきたよ」
フランが立ち止まり、天井を指差した。
天井から光が降り注ぎ、地上に通じる坂道を照らしていた。