幕間の物語:勇者アランの伝説 その1
文字数 7,741文字
『勇者アランの伝説』はQuest25~28の間に起きた出来事になります。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「へへ、ここが冒険者ギルドか」
アランは木造二階建ての建物――冒険者ギルドを見上げ、鼻の下を擦った。
宿屋の次男坊から冒険者に生まれ変わると考えただけで得も言われぬ興奮が全身を駆け巡る。
できればもう少しこの興奮を味わっていたいが、いつまでも突っ立っている訳にはいかない。
ここは夢の第1歩に過ぎないのだ。
冒険者になって仲間を集め、クエストをこなし、ダンジョンや遺跡を探索する。
トップクラスの冒険者に登り詰め、何処ぞの姫君と結婚するのだ。
そう、勇者アランの
「行くぜ、相棒」
腰から下げた剣を撫で、ギルドに入る。
すると、視線が集中したような気がした。
無遠慮な視線に晒されて少しだけ足が竦む。
しっかりしろ。こんな所でビビってたんじゃ魔王を退治するなんてできやしない。俺は魔王を倒す男なんだから、と自分に言い聞かせる。
キッと前を見据える。
客として泊まっていた冒険者から聞いた通り、冒険者ギルドの半分は食堂になっていた。
奥にカウンターがあるのも聞いていた通りだ。
そこで手続きを済ませれば晴れて冒険者の仲間入りだ。
アランは大きく呼吸し、カウンターに向かった。
途中で少年を追い抜き、受付嬢と対峙する。
「……冒険者ギルドにようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか? クエストの依頼ですか? それとも、素材の買い取りでしょうか?」
「登録に来たんだ」
この格好を見て分からないのかよ、と内心毒づきながら愛想の欠片もない受付嬢に用件を伝える。
「登録料は100ルラです」
「……」
アランは財布から銀貨を取り出してカウンターに置いた。
銅貨で渡してもよかったが、意地のようなものだった。
「では、こちらに必要事項を記入して下さい」
受付嬢はカウンターに用紙を置くと横にスライドさせた。
どうやら、脇で書けと言いたいらしい。
アランがペンを手に取ると、さっき追い抜いた少年がカウンターの前に立った。
「エリーさん、お久しぶりです」
「ユウ君、いらっしゃい」
少年――ユウがペコリと頭を下げると、受付嬢――エリーは猫撫で声で言った。
態度が違う。
「なかなか顔を見せてくれないから心配してたんですよ?」
「すみません。お店の方が忙しくて」
ユウは申し訳なさそうに言った。
兼業か。冒険者ってヤツは生やさしい職業じゃないんだよ、と名前を書き殴る。
「今日はクエストの発注ですか?」
「久しぶりに素材を採集したので、買取をお願いします」
ユウはリュックを下ろして素材を取りだした。
カウンターに並べられたのは一角兎のものと思しき角と毛皮だ。
「魔晶石は?」
「魔晶炉に入れちゃいます」
ユウははにかむような笑みを浮かべた。
エリーは会話をしながらも素早く角と毛皮の鑑定をしている。
「この量だと100ルラですね」
「今回は薬草の採取がメインでしたから」
「書き終わったぜ」
アランが用紙を差し出すと、エリーはムッとしたように眉根を寄せた。
流石にその態度にカチンときた。
「先に来たのは俺なんだぜ」
「僕はいいですから」
アランはユウを押し退け、カウンターに前に立った。
エリーは渋々という感じで記入漏れがないか確認する。
「アラン……スミシー出身、前職は宿屋の手伝いで間違いないですね?」
「そうだよ」
大声で言われて全身がカッとなる。
田舎者と言われたようで恥ずかしかったのだ。
ふ~ん、とエリーは鼻で息を吐き、カウンターの下から大きな機械を取り出した。
「左右のプレートに手を置いて下さい」
「……ああ」
アランが左右のプレートに触れると、エリーは用紙をセットした。
光が放たれ、プレートに文字が刻まれていく。
「登録はこれで完了です」
アランは手前のプレート――認識票を手に取り、少しだけ落胆した。
アラン
Lv:1 体力:7 筋力:7 敏捷:9 魔力:1
魔法:なし
スキル:なし
「成人男性であれば体力、筋力、敏捷の平均値は10です」
「……くッ」
自分は取るに足りない子どもだと言われたような気がして小さく呻く。
魔法は仕方がないとしてもスキルは欲しかった。
「ユウ君、お待たせしました」
「いえ、そんなに急いでませんから」
どうして、こんなヤツが、とアランはユウを睨み付けた。
「ユウ、買取くらいとっとと済ませちまいなよ」
「そう、ね」
女が2人近づいてきた。
1人は見事な革鎧と剣、槍で武装した赤毛の女だ。
もう1人は見事なプロポーションを惜しげもなく晒した魔道士風の女だ。
赤毛の女がユウの肩に腕を回すと、魔道士風の女は背後から抱きすくめた。
どうやら、ユウはこの2人の仲間のようだ。
「アンタはうちのユウに用があるのかい?」
「な、何でもない、です」
赤毛の女に凄まれ、すごすごと退散する。
凄みのある美人と言えばいいのか。
その迫力に飲まれてしまったのだ。
食堂の方に行くと、無精髭を生やした男に声を掛けられた。
粗末な革鎧を身に着け、短剣を腰から下げている。
正直、あまり知り合いになりたくない手合いだ。
「よう、新入り。こっちに来いよ」
「……」
アランは無言で男の対面に座った。
酒に酔っているらしく強烈なアルコール臭が押し寄せてくる。
「何か用か?」
「おいおい、親切な先輩が情報を提供してやろうってんだ。あんまり邪険に扱うんじゃなーよ」
「別に情報なんて提供してもらわなくても平気さ」
何しろ、自分は客として泊まっていた冒険者から話を聞いているのだ。
そこらの駆け出しと一緒にしてもらっちゃ困る。
「どうせ、酒に酔った冒険者から聞いた話だろ? 俺が言ってるのは生きた情報だ」
腰を浮かせたが、生きた情報という言葉に思い直す。
自分は冒険者になのだ。
こういう輩から上手く情報を引き出さなければならない。
「どんな情報なんだ?」
「ただで情報を手に入れるつもりか?」
男は恫喝するような低い声で言った。
「いくらだ?」
「100ルラと言いたい所だが、10ルラでいいぜ」
「……情報1つに10ルラは払えない」
「しっかりしてやがんな。ま、俺だって新入りから金を搾り取ろうなんて思わねーよ。安宿の情報、素材集めの狩り場、グチも聞いてやる」
アランは財布から銅貨を取り出してテーブルに置いた。
「随分、年季の入った銅貨だな。新入り」
「新入りじゃない、アランだ」
銅貨を手にする男を睨み付ける。
「そうか、俺はジョンだ」
「よろしくジョン」
アランが左手を差し出すと、ジョンはニヤニヤと笑った。
触れる程度の力で握手を交わす。
「そう言えば見てたぜ」
「冒険者ギルドってのはこういうものなのか?」
「ま、こんなもんだ。何処に行ってもな」
「俺達がいなけりゃ成り立たないのに?」
「新入りが何を言ってるんだ」
ジョンは吐き捨てるように言ってジョッキを呷った。
「冒険者なんてのはいくらでも代わりがいるんだ。そんなヤツらにペコペコしていられねーだろ? 自分の名前でクエストを受注できるようになるまでは半人前だ」
「さっきの、ユウってヤツはどうなんだよ?」
「ああ、アイツは別格だ」
「別格?」
思わず問い返す。
どんな顔をしていたのかさえ覚えていない。
そんな印象の薄いガキが別格とはどうしても思えない。
「何と言うか、アイツは礼儀正しいんだ」
「それで別格?」
「礼儀は大事だろ?」
問い返されて言葉に詰まった。
言われてみれば自分が礼儀正しい態度だったとは言い難い。
しかし、はいそうですかと納得できるものでもない。
アランの気持ちを察したのか、ジョンはニヤリと笑った。
「それにアイツは2度も大量の魔晶石を発見した実績がある。それなのに礼儀正しいままだ。ギルドの連中に好かれると思わねーか?」
「どうせ、女どもの力だろ」
装備を見る限り、あの2人はかなりの実力者だ。
そんな2人といれば魔晶石くらい見つけられるだろう。
「アイツは女の扱いが上手いんだよ。魔道士は分からねーが、仲間殺しを上手く使いこなしてやがる」
「仲間殺しだって?」
食堂を見回し、テーブル席で呑気に茶を飲んでいる女を睨む。
仲間殺しは冒険者が禁忌とする行為だ。
「まあ、落ち着け。仲間殺しと言っても殺されて当然のヤツらだったんだ」
「殺されて当然?」
「田舎娘を騙して使い潰すようなヤツらだ。殺されて当然だとは思わねーか?」
「それは、まあ……でも、仲間殺しはいけないことなんだろ?」
「ケースバイケースさ。殺されたヤツらがクズだってことは皆が知ってる。ギルドの連中だって問題にしてない」
「だったら、何が問題なんだ?」
「厄介な女だってことさ。アイツはそんな女を上手く使って、ほんの数ヶ月で自分の店まで持っちまった」
「……そんなこと、俺にだってできるさ」
「そうか?」
ジョンは茶化すように言った。
「ま、まあ、アイツが別格ってのは分かったよ。それで、どうして、アイツの話をするんだ?」
「アイツの話をしたのはお前だろ?」
ジョンはニヤニヤ笑いながら問い返してきた。
言われてみればユウと対応が違うと憤っていたのは自分だった。
「要するに実力があって、礼儀正しければギルドの連中も相応に扱ってくれるってことだろ?」
「俺はそんな話をしたつもりはないぜ」
そう言って、ジョンは再びジョッキを呷った。
「他にはどんな情報があるんだ?」
「駆け出しは簡単な仕事から始めるってことだな」
「簡単な仕事?」
「ゴキブリ退治だな。グリンダの店で殺虫剤を10ルラで売ってる。それほど広くない家ならそれで十分だ」
「……ゴキブリ退治」
アランは顔を顰めた。
何が悲しくてゴキブリ退治なんてしなければならないのか。
そんな仕事をするために冒険者になったのではない。
「あとは隊商の護衛だな。新入りならギャレー商会だな」
「ギャレー商会か」
そこならばアランも知っている。
そこそこ大きな商会だ。
「もっと冒険者らしい仕事はないのか? たとえば――」
「たとえばダンジョンの探索か? 無理だな。何の実績もない駆け出しにダンジョンを探索させるほどギルドも馬鹿じゃねーよ」
「できないのか?」
「できねーよ。まず、許可が下りない」
チッ、と舌打ちをする。
あれもダメ、これもダメ。
もっと自由な職業だと思っていたのにがっかりだ。
「せめて、ゴブリン退治くらい」
「ゴブリン退治?」
今度はジョンが顔を顰める番だった。
ゴブリンは最弱のモンスターだ。
知力と体力は人間の子ども程度、臆病な性格ですぐに逃げる。
「何だよ、俺はゴブリンにも勝てないってのか?」
「悪いことは言わない。止めとけ」
「ゴブリンは最弱のモンスターだろ?」
はぁ~、とジョンは呆れ果てたと言わんばかりに溜息を吐いた。
「確かにゴブリンは最弱のモンスターだ」
「だろ?」
「ただし、1匹ならだ。群れになったゴブリンは怖い。分かるか? 最弱のモンスターを群れにするようなリーダーに率いられてるんだ。はぐれなのか、斥候なのか、それでお前の運命は決まる」
「……それは」
アランは口籠もった。
それはジョンが真剣な表情だったからだ。
そんな表情で告げられた言葉を流せるほど自分は馬鹿ではない。
「あとは安宿の情報だな」
「……ああ」
アランは静かに頷いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ここが宿か」
アランはジョンに紹介された宿を見つめ、深々と溜息を吐いた。
要領を得ない説明のせいで夕方になってしまった。
折角、森で冒険をしようと思ったのにこれでは無理ではないか。
いや、と頭を振る。
冒険をできないのは残念だが、そういうものだ。
冒険は予定通りにいかない。
どんなに準備を整えても想定を上回る事態は起きる。
そう冒険者達も言っていた。
「……それにしてもボロいな」
通りを2つも、3つも中に入ったそこは場末の宿という言葉がぴったりだった。
これならば実家が高級店に見える。
もう少しいい宿に泊まりたいが、ここから伝説が始まると思えば耐えられる。
勇者になった暁には自分も場末の宿に泊まっていたと語ってやるのだ。
ギシギシと軋む扉を開けて中に入ると、1階は食堂になっていた。
まだ賑わう時間ではないらしく客はまばらだ。
「いらっしゃいませ!」
威勢のよい声が響き、狐の獣人がカウンターから出てきた。
場末の宿に相応しくない美人の獣人だった。
「お食事ですか? お泊まりですか? それとも……」
「……ゴクリ」
狐の獣人が蠱惑的な笑みを浮かべたので、アランは思わず生唾を呑んだ。
こういう場末の宿は売春宿を兼ねていると聞いたことがある。
これだけ器量のいい女を端金を好きにできると考えただけで下半身が熱くなる。
「いくらだ?」
「ごめんなさ~い! 私は売りをやってないの」
そう言って、狐の獣人は戯けるように肩を竦めた。
「むふ、今の御主人様がそういうの嫌いなのよね」
狐の獣人は自分の体を掻き抱くと身をくねらせた。
豊かな胸が両腕に押し潰され、窮屈そうに拉げる。
「その格好は駆け出しね」
「……そうだ」
アランはわずかに視線を下げた。
革鎧と長剣は実家の物置から出てきたものだ。
見窄らしく見えるかも知れない。
だが、剣を見つけた時は運命だと思った。
「君くらいの身長だと中古で槍を買った方がいいわね」
「別にいいだろ」
何が悲しくて場末の宿屋で雇われている給仕にアドバイスを受けなければならないのか。
「泊まらせるのか、泊まらせない――」
「いらっしゃ~い! 御主人様!」
狐の獣人はアランの脇を擦り抜けて扉に向かった。
肩越しに背後を見ると、そこにはユウが3人の女と立っていた。
2人は冒険者ギルドにもいた仲間殺しと魔道士だ。
もう1人は子ども――いや、ドワーフの女だ。
「お食事? お泊まり? それとも私?」
「食事に決まってるだろ、食事に」
狐の獣人はユウを抱き締め、ぐいぐいと豊かな胸を押し付けた。
そこに仲間殺しが割って入り、2人を引き剥がした。
「ったく、アンタなんか買ってどうするんだい」
「売るんじゃなくてあげるの。もう1人分、大きなおっぱいがあってもいいわよね?」
狐の獣人は前傾になると胸を強調するように腕を組んだ。
「……ただなら欲しいかな?」
「馬鹿言ってるんじゃないよ! ただより高いものはないんだよ!」
ユウが鼻の下を伸ばして言うと、仲間殺しはヒステリックな声を上げる。
チッ、とアランは舌打ちをした。
自分には売らないのにユウにはあげるとほざくのだ。
いや、それ以前にこっちの方が早く宿屋に来たのだ。
それなのに自分を放っておくなんてどうかしている。
場末の宿屋とは言え、碌でもない対応だ。
すぐにでも出て行きたい所だが、ジョンの話ではここより安い宿はないらしい。
だったら、待つしかないではないか。
不意にユウがこちらを見た。
「ベスさん、お客様が待ってますよ。僕らは適当に座っておくんで」
ユウが手近な席に座ると、3人の女もそれに従った。
「もちろん、おごりよね?」
「割り勘に決まってるだろ、割り勘に」
チェッ、とドワーフの女が舌打ちをする。
セコいヤツだ。
まあ、仲間殺しをするヤツなんてそんなものかも知れない。
「何に乾杯をする、の?」
「ちょっと遅くなったけど、お店の開店祝いと開店を乗り切ったお祝いですね」
「は~、地獄みたいな3日間だったわ」
なんだ、自分の店って言っても3日間しか営業してないんじゃないか、とアランは心の中で吐き捨てた。
狐の獣人――ベスは指を3本立てた。
「……1泊30ルラよ」
「飯は付かないのか?」
「今はやってないわ。どうするの?」
「分かった、泊まるよ。どうせ、ここより安い宿はないんだろ?」
「まあ、そうね」
含みのある言い方だったが、詮索しても仕方がない。
「取り敢えず、3日間」
「毎度ありがとうございます」
アランは宿代をベスに渡した。
「部屋は階段を上がってすぐよ。それと、ここの店の娘に声を掛けられても買っちゃダメよ?」
「何でだよ?」
「病気を移されたいなら好きにすればいいわ」
「ご忠告、痛み入るよ」
アランは吐き捨てて階段を登り、すぐ目の前にある部屋に入った。
「……案外、普通の部屋だな」
アランは部屋を見渡して呟いた。
部屋には最低限の家具しか置いてない。
ベッドとテーブル、イスがあるだけの殺風景な部屋だが、掃除は行き届いている。
革鎧を脱ぎ、剣帯を外し、テーブルの上に置く。
ベッドの縁に腰を下ろし、認識票を見つめる。
アラン
Lv:1 体力:7 筋力:7 敏捷:9 魔力:1
魔法:なし
スキル:なし
当たり前と言えば当たり前のことだが、レベルは上がっていないし、魔法とスキルは増えていない。
「……勇者エドワードは登録した時点でレベル5だって話なのに」
自分が宿屋の息子だからだろうか。
ふと実家――ヘカティアから3日ほどの距離にあるスミシーの街を思い出した。
日に何度も同じヤツと鉢合わせするつまらない街だ。
母は口を開けば手に職を付けろとしか言わない。
兄は自分の人生などこんなものだと諦めてしまっているかのように母の言葉に従っている。
仲間もそうだ。
昔は冒険者の話に目を輝かせていたくせにいつの頃からか現実を口にするようになった。
挙げ句の果てには現実を見ろと説教を垂れる始末だ。
そのたびに現実を見ているから冒険者を目指すんじゃないかと言い返した。
腕っ節一つで上を目指せる世界がある。
それなのに職人を目指したり、家業を継ごうとしたり、兵士になろうとしたりしているのだ。
「……要するにあいつらは意気地なしなんだ」
自分は違う。
小さい頃からの夢を叶えて冒険者になった。
そして、明日から大冒険の日々が始まるのだ。
「そうだ。俺の伝説はここから始まるんだ」
そう考えると、レベル1も悪くないような気がした。
勇者アランはレベル1から英雄に登り詰めた。
こっちの方がずっと格好いいじゃないか。
「よし、寝るぞ」
アランは服を脱ぐとベッドに潜り込んだ。