Quest31:勇者を撃退せよ
文字数 7,158文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
優が目を覚ますと、そこは部屋の中だった。
天井も、壁も、床も石でできていた。
体を起こし、立ち上がる。
体が軋むように痛んだ。
「……ここは?」
部屋から出ると、そこは通路になっていた。
同じような部屋がいくつも並んでいるが――。
「ダンジョン?」
優は呟いた。
外観は異なるが、空気が似ている。
だが、ここがダンジョンだとすれば誰かが手を加えたことになる。
一体、誰がこんなことをしたのか。
幸いと言うべきか、優は答えを知っていた。
「……狂える魔道士」
小さく呟く。
人造魔剣を作り、ダンジョンに隠したという魔道士。
フランは与太話と言っていたが、そこには事実が含まれていたのだ。
人造魔剣が実在するかは別として――。
「……何とかして脱出しないと」
体を動かすと軋むように痛むが、歩けないほどではない。
優は壁に手を付き、歩き出した。
道なりに進むと、通路が二手に分かれていた。
何となく左に進んだ方がいいような気がして左に進む。
その後も通路は分かれていたが、全て左に進む。
やがて、広い空間に出た。
直径50メートルほどの空間だ。
床は透明な素材で作られている。
だが、特筆すべきはその表面に描かれたものだろう。
恐ろしく、緻密で巨大な魔法陣が床に描かれていた。
優は唾を飲み込み、魔法陣の上を歩く。
「やっぱり、ここに来たな」
「――ッ!」
背後から声が聞こえ、優は振り返った。
入口に立っていたのはタケルだった。
「やっぱりってどういうことですか? それにここは?」
「ここは人造魔剣が生まれた場所だ」
タケルが歩き出し、優は後退った。
聞いてはいけない、と頭の片隅で誰かが囁いている。
「第30階層だ」
「ダンジョンは29階層までしか踏破されていないはずです」
あのエドワードが仲間と一緒に挑んでようやく第29階層に到達したのだ。
単独のタケルが第30階層に到達できるとは思えなかった。
だが、彼は勇者だ。
不可能とは言い切れない。
「そうだな。だから、俺が新記録を作ったってことになる。どうでもいいけどな」
「なら、どうして?」
「お前に記憶を取り戻させたかったんだよ。ユウ、いや、人造魔剣」
「人造魔剣? 僕が?」
問い返しながら後退る。
「僕は人間です!」
「いや、お前は人造魔剣だ」
「一体、何を根拠に……」
「迷宮女王蟻を倒したあれは何だ?」
「あれは……」
優は口籠もった。
グリンダが仕込んだ魔法と言いたかったが、そうでないのは分かっている。
あれは自分の力だ。
「使ったのは1回じゃないよな。隊商がゴブリン共に襲われた時も使っている」
「それは……」
「擬神の時はどうだ? お前の女どもがピンチの時に何処からともなく魔剣が現れるなんて都合がよすぎると思わねぇか? しかも、その時にお前はいないときてる」
「そういうことも――」
「ねーよ。この世界はクソだ。都合のいい奇跡なんざ起きねぇ」
タケルはムッとしたように言った。
「それなら、これはどうだ?」
タケルが右手を上げると、光のリングが手首を中心に回っていた。
「マジックアイテムですよね?」
「これは機械だ。今使える機能は限られてるが、通話機能もあるし、ネットに接続もできる」
「SFみたいだ」
「SF、な」
優が呟くと、タケルは口角を吊り上げた。
「お前はいつ生まれだ?」
「そんなこと――」
「答えろ」
タケルは苛立ったように言った。
「平成――」
「確定だ」
「まだ何も言ってませんよ」
「言っただろ、平成って」
「……」
優は押し黙った。
何を言っても無駄なような気がしたのだ。
「俺は西暦2169年の日本からこの世界に召喚された。なんで、俺の方が早く召喚されて、お前が遅いんだ?」
「それは……時空の歪みとか?」
「時空の歪みな」
ふん、とタケルは鼻で笑い、懐から符を取り出した。
符が燃え上がり、タケルの姿が消えた。
そう思った次の瞬間、タケルは目の前にいた。
胸が熱い。
短剣で刺されたのだ。
優はタケルを突き飛ばし、その場に蹲った。
やられた。
致命傷だ。
このままでは死んでしまう。
嫌だな、と優は目を閉じた。
だが、死の瞬間は訪れなかった。
体を起こし、刺された箇所を見下ろす。
服には穴が空いている。
にもかかわらず、血は一滴も流れていない。
「念のために言っておくが、俺はきちんと刺した。刃が肋骨の間を通って、心臓を貫くようにだ。なのに、どうして生きてる?」
「なんでって……」
それは人間ではないからだ。
分かっている。
分かっていた。
ダンジョンで目を覚ました日、優はオーガに襲われた。
あの時、数え切れないくらい殴られたにもかかわらず死ななかった。
擬神と戦った時もそうだ。
「僕は人ぞ――」
「見つけたよ! この人攫いが!」
優の言葉を慣れ親しんだ――フランの声が遮った。
タケルの背後にフランとグリンダが立っていた。
「術式選択! 魔弾×10!」
「チッ!」
グリンダが魔法を放ち、タケルが優から離れる。
魔弾が優の頭上を通り過ぎ――。
「縮地(アクセラレーション)!」
フランが目の前に現れ、次の瞬間には抱き上げられていた。
「どうして?」
「地図を調べれば居場所なんて一発で分かるよ! もっと強く捕まりな!」
優はフランを強く抱き締めた。
この温もりを失いたくない。
このまま人間でいたい。
人間であることをやめてしまったら――。
「縮地!」
「逃がすかよ! 加速符!」
時間が緩やかなものに変わり、空気が煮込んだシチューのように体に絡み付く。
武技の効果だろうか。
それとも、人間でないから高速移動している最中でも知覚できるのか。
武技の効果が切れ――。
「術式選択! 魔弾!」
「防御符!」
グリンダが魔法を放ち、タケルが符術で防ぐ。
「爆裂符!」
「――ッ!」
タケルが符を放つ。
符は矢のように飛び、グリンダの間近で炸裂した。
グリンダは悲鳴を上げる間もなくその場に頽れた。
2人ともボロボロなんだ、と今更のように思う。
自分がどれくらい気絶していたのか分からない。
だが、傷や疲労が全快するほどの時間ではないことは確かだ。
「グリンダ!」
「どっちを見ていやがる!」
タケルが剣を抜き、斬りかかってくる。
フランは剣――サブ・ホイールを抜こうとした。
だが、タケルの剣の方が速かった。
刃がフランの左肩から右脇腹までを深々と斬り裂いた。
フランが倒れ、優は床に投げ出された。
「アンタ、手を抜いてたね?」
「敵になるかも知れねぇヤツに手の内を見せる馬鹿が何処にいるんだよ」
フランが苦痛に顔を顰めながら言うと、タケルはうんざりしたように言った。
「ユウ! 逃げるんだよッ!」
「でも!」
「狙いは――」
「おい、俺がお前らを殺さないとでも思ってるのか?」
フランの言葉をタケルが遮った。
「どんだけめでてぇんだ? お前らはこの世界の住人だろう? このクソみたいな世界の連中がそんな甘っちょろいことを抜かしてるんじゃねぇよ」
そう言って、フランの頭を踏み付ける。
何処かで歯車が噛み合った。
「……フランさんから」
力が湧き上がり、優は立ち上がった。
体の内側からパキパキという音がする。
腕から何かが落ち、ガラスの砕けるような音が響いた。
落ちたのは右腕だった。
右腕が落ちて砕けたのだ。
「フランさんから離れて下さい!」
「流石、人造魔剣だ。マスターの危機には保護機能が働くって訳だな」
「……」
優は何も言い返せなかった。
「よく見ろよ。こいつは人間じゃねぇ。命を懸ける価値なんざねーよ」
「そんなこと知らないよ」
「何だって?」
フランが吐き捨てるように言い、タケルは問い返した。
「ユウが人造魔剣だから何だってんだい! そいつはユウだ! あたしの……恋人だ。あたしを助けてくれたんだ」
「だから、それはこいつが人造魔剣だからだよ。って言っても無駄か」
やれやれ、とタケルは頭を掻き、符を取り出した。
爆裂符という声に反応して矢のようにこちらに飛んでくる。
符は優の間近で炸裂し、左腕を、両脚を砕いた。
「ユウ!」
「そんなに叫ぶなって」
タケルは優に歩み寄ると胸を踏み付けた。
そして、懐から符を取り出した。
「契約符。俺のオリジナルだ。効果は強制的に契約を結ぶ」
「僕は……」
「お前の意思なんざ関係ねーよ」
契約符が燃え上がった次の瞬間、バシッという音が響いた。
どれほどの衝撃だったのか。
タケルは一歩、二歩と後退った。
「くそッ、二重契約はお断りってか。だったら……」
タケルはフランに向き直った。
殺すつもりだ。
「や、止めて下さい!」
「……ふぅ」
タケルは小さく溜息を吐き、フランに歩み寄った。
ゆっくりと剣を振り上げたその時、何かが壊れる音が響いた。
記憶が――溢れ出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
優はトンネルの中で光に包まれた後の出来事を思い出す。
この世界に優達を引き込んだのは神――地神だった。
当時は神々が覇を競っていた。
天を焦がし、地を砕き、海を割り、呪いを撒く。
そんな戦いが続いていた。
ある時、地神は考えた。
神々の力は異なる世界の人間に及ばない。
ならば異なる世界の人間を器にすれば覇者となれるのではないかと。
実験が開始された。
父も、母も死んだ。
両親以外にも何百人、何千人もの死を見た。
それで心が壊れた。
妹――優美を守ろうとも思えなかった。
神に対して14歳の子どもが何をできると言うのか。
やがて、優の番がやってきた。
当然のように実験は失敗した。
神の肉体――聖晶石を受け入れることさえ並の人間には難しいのだ。
神の魂――神核を受け入れられる者などいない。
地神に誤算があるとすれば優が死んでいなかったこと。
神々の横暴に異を唱えるべく戦う人間達がいたことだ。
優は彼らに助けられ、魔剣に変えられた。
ああ、と優は声を漏らした。
彼は泣いていた。
泣いて詫びていた。
すまない、すまない、と。
これ以外に助ける術がない、と。
憎んでくれ、と。
呪ってくれ、と。
神々を滅ぼしてくれ、と。
家族の仇を取ってくれ、と。
もう二度と自分達のように神々に踏みにじられる者が現れないように、と。
その言葉を最後に彼は蒸発した。
地脈を操作して人々の――この世界に存在する負の感情を集めた結果だった。
わずかに逆流する力でさえ人の身を蒸発させるには十分だったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……フランさん」
ユウの声がフランの耳朶を打った。
静かで、悲しげな、覚悟を秘めた声だった。
嫌な予感がした。
「ユウ、止めるんだよ!」
「僕が魔剣になっても売らないで下さいね」
ユウが静かに目を閉じた次の瞬間、光が溢れた。
光の中でユウは変わっていく。
美しい一振りの剣に。
「……人造魔剣」
タケルがユウ――人造魔剣に手を伸ばす。
だが、触れることはできなかった。
人造魔剣は空中を移動し、フランの目の前で停止した。
フランは満身創痍の体で立ち上がり、人造魔剣の柄を握り締めた。
瞬間、全身が熱くなった。
痛みが消え、力が湧き上がってくる。
「何だよ、そりゃ」
吐き捨てるように言ったタケルにフランは視線を向けた。
タケルは憎悪に満ちた目でこちらを見ている。
「何だよ、それは! なんで、そうなるんだ? なんで、そんな都合のいいことが起きてるんだよ! おかしいだろうが!」
タケルは一気に間合いを詰め、剣を振り下ろしていた。
普段の自分であれば反応もできずに斬られていただろう。
だが、フランは何かに操られるかのように体を動かし、攻撃を受け止めていた。
「何だよ! なんで、俺の剣を受け止めてやがるんだ!」
「そんなのあたしが知る訳ないだろッ!」
タケルが剣を押し込んでくるが、フランは渾身の力で押し返した。
タケルが吹っ飛ぶ。
いや、自分から後ろに跳んだのだ。
フランはタケルを追いかける。
タケルが符を放つ。
「爆裂符!」
「防御は任せたよ!」
符が鳥の群れのように飛来するが、フランはスピードを緩めなかった。
至近距離で符が爆発する。
だか、フランには何の影響もない。
人造魔剣の展開した障壁が爆発を遮ったのだ。
「防御符!」
「ハァァァァァッ!」
タケルが符術で防壁を作り出すが、フランは構わずに剣を振り下ろした。
人造魔剣が防壁を斬り裂く。
まるで紙のようだ。
だが、タケルには届いていない。
「加速符!」
タケルの姿が掻き消える。
次の瞬間、10メートルほど離れた場所に立っていた。
「どうだい?」
「借り物の力で勝ち誇ってるんじゃねぇ!」
ふぅぅぅ、とタケルは静かに息を吐いた。
「決めた。出し惜しみはなしだ」
タケルは懐から符の束を取り出した。
それらがひとりでに浮かび上がり、タケルの周囲を回り始める。
「加速符!」
符ごとタケルの姿が掻き消え、次の瞬間には目の前に移動していた。
タケルが剣を振り上げ、フランは人造魔剣で迎え撃つ。
「強化符!」
符が燃え上がり、人造魔剣が弾かれる。
「爆裂符六連!」
「縮地!」
飛来する符から逃れるために武技を使い、距離を取る。
符が爆発し、その奥で何かが光る。
あっと思った時には手遅れだった。
「雷撃符!」
「――ッ!」
迫る雷撃を防御壁が弾き、やや遅れて符が飛来する。
符が防御壁に接触した。
防御壁が砕け――。
「加速符! 強化符ッ!」
「くッ!」
突然、姿を現したタケルが剣を振り下ろす。
何とか人造魔剣で受け止めるが、じりじりと押される。
いくら人造魔剣のバックアップがあるとは言え、相手は勇者だ。
農民の娘が相手にするには荷が勝ちすぎる。
逆転の方法を考えたその時、タケルの憎悪に満ちた目を思い出した。
「おらぁぁぁッ!」
「――ッ!」
タケルが力任せに剣を振り、フランは吹き飛ばされた。
ギャンブルは嫌いなんだけどね、と唇を舐める。
だが、このままでは勝ち目がない。
仕方がない、と自分に言い聞かせながら口を開く。
「アンタ、何に苛ついてるんだい?」
「何だと?」
タケルがあの憎悪に満ちた目で睨み付けてきた。
「はは~、自分の時は都合のいいことが起きなかったのにって妬んでるんだろ?」
「……」
タケルは無言だった。
「図星かい? 仲間が死んだのかい? それとも、仲間にでも裏切られたのかい? 善人面したヤツに騙されたのかい?」
「……黙れよ」
タケルは低く押し殺したような声音で言った。
多分、当たりだ。
「はは~ん、惚れた女を寝取られ……いや、強姦されたんだろ?」
「黙れぇぇぇぇぇぇッ!」
タケルの叫びがダンジョンに響き渡る。
もちろん、それだけではない。
符が流星のように飛来する。
炎が、氷が、風が、雷撃が押し寄せる。
符が爆発し、視界を遮る。
炎を突き破り、タケルが剣を振り下ろす。
フランは人造魔剣で攻撃を受ける。
骨まで痺れるような強烈な斬撃だ。
「お前に俺の、俺達の何が分かる!」
タケルは無茶苦茶に剣を振り回した。
単純な軌道ながら符を消費しながら繰り出される攻撃は苛烈だ。
「俺達は、望んでもいないのにこの世界に召喚された!」
「あたしの知ったことか!」
「お前達の世界だろ! 異世界の人間に迷惑を掛けるな!」
フランは攻撃をいなしながら距離を取る。
再び符が飛来する。
どれも強力な力を秘めた術だが、狙いが甘くなっていた。
「皆、皆、死んだ! 俺はアイツを許さねぇ! 仇を取らなきゃいけねーんだよ! そのために人造魔剣が必要なんだよ!」
タケルの動きが加速する。
剣を打ち合わせるたびに、際限などないかのように加速していく。
だが――。
「――ッ!」
スピードが急激に落ち、タケルは血を吐き出した。
それだけではない。
血の涙を、鼻血を流している。
「悪いね! アンタの負けだよ!」
フランはタケルが振り下ろした剣を弾き飛ばした。
もう柄を握る力も残っていなかったのだろう。
手からすっぽ抜けた剣が何処かに飛んでいく。
「歯ぁ、食い縛りな!」
「クソクソクソクソッ!」
フランはタケルの顔面に拳を叩き込んだ。
タケルは吹き飛び、背中から地面に叩き付けられた。
我ながら惚れ惚れするような一撃だ。
「……殺せ」
「いい覚悟だと言いたいけど、あたしにそのつもりはないよ」
フランは溜息を吐き、人造魔剣を担いだ。
タケルの境遇に同情していることもあるが、人造魔剣で人を斬りたくない。
「……俺は諦めない。絶対に人造魔剣を俺の物にしてやる」
「そうかい」
フランはうんざりした気分で言い、グリンダの下に向かった。