Quest23:妖蠅を討伐せよ その1
文字数 9,063文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
ヘカティアダンジョン5階層――2人の冒険者が走っていた。
1人は中年、もう1人は青年だった。
「ここまで逃げれば大丈夫だろう。それにしてもアイツは何だったんだ」
「……う、腕が」
青年が腕を庇いながらその場に跪く。
中年はマントを腕に巻いている様子を見て、敵の攻撃を受けたことを思い出した。
「見せてみろ」
青年がマントを解き、中年は顔を顰める。
青年の腕は酸を掛けられたかのように焼け爛れ、骨が露出している部分もあった。
しかも、未だに白煙が上がり、その中で肉が崩れていくではないか。
「酸か?」
「知らねぇ、知らねぇよ! 何とかしてくれよ!」
青年は泣き喚いた。
「まずは酸を洗い流すぞ」
中年が青年の腕に水筒の水を掛けると、大量の白煙がもうもうと立ち上る。
痛みによってか、青年は悲鳴を上げる。
「声を出すな、ヤツに気付かれる!」
中年は青年の口に自分の腕を押し込み、悲鳴を封じる。
どれほどの激痛なのか、青年は腕の肉を食い千切らんばかりに力を込める。
やがて、煙が収まり、青年の体から力が抜ける。
それと同時にアンモニア臭が鼻腔を刺激する。
あまりの痛みに失禁したのである。
「今、水薬を掛けてやる」
「ち、畜生。冒険者になる時に覚悟はしてたんだ」
青年は涎と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら体を震わせる。
「あまり動くな。腕が落ちるぞ」
「け、けどよ、こ、こんな死に方って――」
「馬鹿を言うな。お前は死なない。これ以上、死なせるものか」
中年がポーチから水薬を取り出したその時、ダンジョンの奥から音が聞こえてきた。
「ち、畜生! ヤツが来た!」
「自棄になるな!」
青年が剣を抜き、中年は制止する。
しかし――。
「どうせ、殺されるんだ!」
青年は中年の制止を振り切って、ダンジョンの奥に向かって走る。
戻ってこい! と中年は口を開き、驚愕に目を見開いた。
黒い靄の中で青年が踊っていた。
いや、悶え苦しんでいた。
青年は瞬く間に血塗れになり、グズグズと崩れ落ちていく。
「クソッ!」
中年は立ち上がって逃げ道を探すが、来る時に使った横道は黒い靄で覆われていた。
その間に青年は半ば白骨化していた。
骨が剥き出しになっている所もあれば、内臓が剥き出しになっている所もある。
秒単位で青年の体は失われていく。
正面の道は通れないと分かっている。
背後は――。
中年は正面の道を見据え、歯を食い縛った。
「いと猛々しき戦神よ! 我に加護を与え給え!」
中年は神に祈りを捧げ、正面の道に飛び込んだ。
がむしゃらに走り、肩越しに背後を見ると、青年だったものが崩れ落ちる所だった。
「すまない、すまないッ!」
中年は死んだ仲間に詫びながらダンジョンを走る。
その時、何かが顔に引っ掛かった。
「俺は死なんぞ! 生きて帰って、仇を取るんだ!」
中年は足に力を込めた。
だが、彼の祈りは戦神に届かなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「術式選択、岩弾×10!」
グリンダは杖を4匹の大螻蛄に向けて叫ぶ。
杖の先端――正確には先端から少し離れた空間から10個の岩弾が飛び出した。
高速で撃ち出された岩弾はいとも容易く大螻蛄の体にめり込んだ。
これで4匹中3匹が絶命して塵と化す。
生き残った大螻蛄も瀕死の状態だった。
ダンジョンの壁に当たって砕けた岩弾が散弾のように襲い掛かったのだ。
「術式選択、岩弾」
グリンダが再び魔法を放つ。
岩弾は見事に直撃し、すでに瀕死だった大螻蛄の頭を半分以上吹き飛ばした。
それでも、大螻蛄は立っていたのだが、しばらくすると頽れて塵と化し始めた。
「凄い威力だねぇ」
フランは目を丸くして言った。
一角兎を狩った時にも思ったが、岩弾はかなりえげつない威力を持っている。
ダンジョンではそのえげつなさに拍車が掛かる。
当たれば必殺、当たらなくても破片で大きなダメージを与えられる。
「けど、ダンジョンで使うんじゃないよ」
「どうし、て?」
グリンダが不思議そうに首を傾げると、フランは大きな溜息を吐いた。
「あたしに当たったらどうするつもりだい!」
「当てないようにする、わ」
当たり前のことをと言わんばかりの口調だが、これが気に障ったらしくフランは柳眉を逆立てた。
「流れ弾が他の連中にあたったらどうするんだい! あたしゃアンタのせいで村八分になるなんて嫌だからね!」
「やっぱり、そういうのあるんですね」
優は自分でも緊張感に欠けると思う口調で言った。
まあ、出る杭が打たれるくらいだから、仲間殺しをすれば村八分にくらいなるだろう。
「そりゃあるさ。忠告しておくけどね。冒険者の嫌がらせはえげつないよ。アンタだって素っ裸で裏路地に転がされたかないだろ?」
「……そう、ね」
フランが凄むと、グリンダは少し間を置いて答えた。
「う~ん、グリンダさんの魔法ってフランさんに当たるんですか?」
「藪から棒に何を言ってるんだい?」
「僕の魔法はフランさんに当たらないし、当たっても効果がないじゃないですか。だから、グリンダさんの魔法も当たらないんじゃないかなって」
フランは思案するように腕を組んだ。
「どうだろうねぇ?」
「……術式選択、岩弾×1/10」
グリンダがボソボソと呟き、フランは驚愕に目を見開いた。
杖の先端から石の礫が飛び出した。
岩弾はフランの手前で制止し、砕け散った。
「な、何をするんだい!」
「確かめたの、よ」
フランは顔を真っ赤にしてグリンダの胸倉を掴んだ。
まあ、いきなり魔法をぶっ放されたら誰だって怒るだろうが。
「方法ってもんがあるだろ、方法ってもんが!」
「これで私の魔法が貴方に効かないことが証明された、わ」
チッ、とフランは舌打ちしてグリンダを突き飛ばした。
「こっちも試しておくわ、ね。術式選択、岩弾」
グリンダが優に杖の先端を向けて魔法を放った。
次の瞬間、ガンッ! という凄まじい音がダンジョンに響き渡った。
何かが鉄塊にぶつかったような音だが、そんなことを考えている場合ではない。
岩弾は優の腹部に直撃したのだ。
「――ッ!」
優は悲鳴を上げることもできずに吹き飛ばされた。
ダンジョンの床に背中から叩き付けられて二転三転、最後に腹から叩き付けられて地面を滑った。
「お、お――ッ!」
息もできないとはまさにこのことだ。
これで痛みがあればまだ安心できたのだが、何も感じなかった。
「ば、馬鹿! 何をやってるんだい!」
「――ッ!」
フランは呆然とするグリンダを突き飛ばし、駆け寄ってきた。
その必死さが堪らなく嬉しい。
「ほら、水薬を飲みな」
「あ、ありが、とうござい、ます」
優は水薬を受け取り、一気に呷った。
だが、腹の感覚はないままだ。
これでは効いているのかさえ分からない。
「こうなりゃ帰還のマジックアイテムを……チッ、こんな時に」
地図を見ると、黄色の三角形がこちらに近づいていた。
数は5つ。
それでも、冷静に対処していればマジックアイテムを使えただろう。
しかし、フランは優とモンスターに気を取られて貴重な時間を浪費してしまった。
「フランさん、3階層と4階層を結ぶ坂に行きましょう。幸い、すぐ近くにありますし、あそこならモンスターも近づいてこないはずです」
「分かった」
そう言って、フランは優を担ぎ上げた。
「グリンダ! いつまでもボーッとしてるんじゃないよ!」
「分かった、わ」
フランはグリンダを先導するように走り始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フランが滑り込むように、グリンダは倒れ込むように坂に入った。
5匹の大螻蛄は坂を覗き込んでいるが、何かに警戒しているように動かない。
「術式選択! 氷弾×10!」
グリンダは大螻蛄の隙を突き、氷――冷気を浴びせかけた。
5匹の大螻蛄は為す術もなく冷気に呑み込まれて塵と化す。
「ユウ、下ろすよ!」
フランは跪くと、優を優しく床に下ろした。
「痛ッ!」
思わず声を上げる。
麻痺していた神経が元に戻ったのか、岩弾を喰らった箇所がズキ、ズキと痛み始めた。
「今、水薬をやるからね」
「私の水薬では破裂した内臓を治すことはできない、わ」
「んなこと、やってみないと分からないだろ! 大体、アンタがあんなこと……」
「……フランさん」
優はフランの腕に優しく触れた。
きっと、そうしなければグリンダに殴り掛かっていただろう。
喧嘩を止めたかった。
もちろん、その気持ちはあるが、それ以上に今責めるのは酷だと思ったのだ。
グリンダは顔面蒼白で今にも泣き出しそうな表情を浮かべているのだから。
「ごめんなさ、い」
グリンダは優の傍らに跪くとポロポロと涙を零した。
それでもう打つ手がないんだなと分かってしまった。
こんな馬鹿みたいなことで人生が終わってしまうなんて夢にも思わなかった。
まさに一寸先は闇とはこのことだ。
「何でもするから許し、て」
「じゃあ、フランさんと仲良くして下さい」
「そんなことでいい、の?」
「そんなことじゃないですよ」
何しろ、自分はこれから死ぬのだ。
「フランさんも約束して下さい」
「……ああ、分かったよ」
フランは吐き捨てるように言った。
それが難しいことは優にだって分かる。
けど、愛した2人に傷つけ合って欲しくなかったのだ。
「僕の貯金は2人で分けて下さい。どうせ、家族も……ああ、僕の家族に会えたら僕がダンジョンで死んだとは言わないで下さい」
家族が生きている可能性は低いけれど、優が家族を探すために死んだと知られたら重い十字架を背負わせることになる。
「……こんな時になって、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったって思っちゃうんですよね」
ああ、死にたくないな、と優は目を閉じた。
泣き喚いてしまいそうだったけれど、自分の女に格好悪い所を見せたくなかった。
安っぽい考えだと思うが、それだって貫き通せばプライドになりうる。
幸い、メッキが剥がれる時間は残されていない。
このプライドを胸に死ぬ。
それは向こうの世界では望むべくもない最高の死に様のように思えた。
優は目を閉じたまま天に召される瞬間を待った。
だが、意識ははっきりとしている。
マズいと思った。
心なしか痛みが薄れている。
いや、ちょっとヒリヒリするくらいにしか痛みを感じなくなっている。
片目を開けると、フランとグリンダはさめざめと泣いていた。
本当にマズい。
大丈夫だったみたいです、と言い出せる雰囲気ではない。
しかし、このまま黙っていたら取り返しの付かないことになる。
それだけは避けなければなるまい。
「フランさん、痛みが治まってきたんですけど、お腹を見てくれませんか?」
優は目を開けて頼んだ。
「……あ、ああ、分かったよ」
フランは辛そうに目を伏せ、ゆっくりと服を捲し上げた。
もしかしたら、死を間近にして混乱していると考えたのかも知れない。
フランは大きく目を見開き、怒っているのか、真っ赤になった。
「傷一つないじゃないか!」
「本当ですか?」
体を起こして腹を見ると、そこには傷一つなかった。
擦り傷や痣くらい残っていてもよさそうなものだが、それさえない。
「ったく、心配させるんじゃないよ」
「痛ッ!」
フランはポカリと優の頭を叩いた。
こっちは被害者なのに理不尽だ。
そう思うが、涙で潤んだ目を見たら何も言えなくなってしまった。
「よかった、わ」
「うわっ!」
思わず声を上げる。
グリンダが抱きついてきたのだ。
いつもと変わらぬ口調だったが、情熱的に胸を押し付けてくる。
窒息死させようとしているのではないかと勘繰りたくなるような抱擁だ。
筋力値に2倍の差があるので、実際に絞め殺せるだろう
岩弾の直撃を受けても死ななかったのにこれで死んだら笑い話にもならない。
そこで二の腕をタップした。
ほんの少しだけ力が緩む。
「ぷはッ!」
死の抱擁から抜け出し、空気を肺に取り込む。
「ごめんなさ、い」
「いいんですよ。でも、二度と同じことをしないでくださいね?」
「肝に銘じる、わ」
ふとグリンダの言葉を思い出す。
「えっと、さっきの何でもするから許してって言葉なんですけど、今も有効ですか?」
「……」
考え込んでいるのか、グリンダはパチ、パチと目を瞬かせた。
もちろん、優にだってあれが動転して口走った言葉だと分かるのだが――。
「……今も有効、よ」
「嘘!? マジでっ!」
ッシャー! と思わずガッツポーズ。
ここは自分を大切にしなきゃダメですよと言うべきなのだろうが、そんな気遣いをやりたい盛りの中学生に求めても無駄だ。
「も、もも、もしかして、胸とか、口とか、お尻とか、お風呂プレイとか、SMもありですね!? 凄いことしちゃっていいですかッ!」
「貴方が望むようにすればいい、わ」
天使、いや、女神だ。
女神は天上ではなく、目の前にいた。
「こんな所でサカってるんじゃないよ!」
「……」
フランが乱暴に優とグリンダを引き剥がす。
グリンダは突き飛ばされて尻餅をつき、その拍子にスカート部分が捲れ上がった。
見事な脚線美だ。
「何をする、の?」
「今すぐナニを始めそうなのを止めてやったんだよ!」
「しない、わ。それに私はサカっていない、わ」
「はっ、どうだかね!」
フランは立ち上がり、吐き捨てるように言った。
「ったく、
「違う、わ。彼を愛している、の」
グリンダが睨み付けると、フランは鼻白んだ。
「は、はあ? 1回ヤッただけの男にどれだけ入れ込んでるんだい!」
「初めての相手、よ。いくらでも入れ込む、わ」
ぐ、とフランは呻いた。
「毎日でも愛して合いたいと思っている、わ」
「ま、毎日ですかっ!」
「嬉しそうにするんじゃないよ!」
フランは優の頭に拳を振り下ろした。
視界が涙で滲むほど痛い。
だが、こんな2人の美人が自分を取り合っていると思うと嬉しい。
「これは私とユウの問題、よ。関係ない人は引っ込んでい、て」
「何が『私達は上手くやれる、わ』だよ。結局、こんなことになっちまったじゃないか」
「前提が違うも、の。私とユウは恋人同士だけれ、ど……」
「――ッ!」
グリンダがクスリと忍び笑いを漏らすと、フランは小さく呻いた。
「はっ、アンタが恋人なら、あたしは嫁さんだよ、嫁さん」
「本当な、の?」
グリンダは優を見つめて言った。
フランが言っちまったと言わんばかりの表情を浮かべているのだが、気付いていないようだ。
「本当さ。ユウはあたしに所帯を持とうって言ってくれたんだよ」
「貴方には聞いていない、わ」
グリンダがピシャリと言い放つ。
フランはすぐに後悔しているかのような表情を浮かべたが、グリンダは気付いていないらしい。
「え、ええ、そうです」
「そうな、の」
「も、もちろん、グリンダさんのことも好きですよ。グリンダさんさえよければ僕の2人目のお嫁さんになりませんか?」
我ながら凄いゲスな台詞だ。
どうやって、一夫多妻制の国の人は2人目以降の嫁さんにプロポーズしているのだろう。
「いい、わ」
「マジですか!」
思わず叫ぶ。
グリンダは優がフランと肉体関係を持っていると知った上で迫ってきたのだから勝算は高いと踏んでいたが、実際に了承されると驚いてしまう。
「平等に愛し、て」
「もちろんですよ!」
優は笑顔で答えた。
倫理的にどうかとも思うのだが、ここは現代日本ではなく、重婚の認められている異世界なのだ。
郷に入っては郷に従え――現代日本の常識は捨てて、こちらの世界の常識に染まるべきだろう。
いや、染まらなければならない。
「貴方もいいわ、ね?」
「あ、ああ、いいよ。あた、あたしはそれで」
こんな展開になると思っていなかったのか、フランは言葉を詰まらせながら答えた。
目が忙しなく動いていて挙動不審気味だ。
「よかった、わ。きっと、私達は上手くやれ、る」
「そ、そうだね」
フランの状態を一言で表現するのならば『やっちまった』だろうか。
「そ、それで、これからどうするんだい?」
「来たばかりですから予定通りに4階層を探索しませんか?」
「私も同じ意見、よ」
「じゃ、探索を継続するよ」
フランは話題に区切りを付けるように宣言した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「術式選択、氷弾×10!」
「術式選択、氷弾×10!」
優とグリンダの声が唱和し、冷気の嵐がダンジョンに吹き荒れる。
こちらに近づいてきた大螻蛄は為す術もなく凍りつき、足下を這っていた大芋虫も同じように凍りつく。
「楽なのはいいんだけどねぇ。瞬殺しちまうと暇で仕方がないよ」
そう言いながらフランは油断なく槍を構えている。
敵探知と反響定位の魔法を起動しているので、不意打ちされる可能性は低いが、万が一に備えているのだ。
「グリンダはあたしと一緒に周囲を警戒、優はさっさと魔晶石と糸を拾っとくれ」
「分かりました」
優はリュックを下ろし、魔晶石と糸を放り込む。
MPを確認する。優は96%、グリンダは92%だ。
「魔晶石のある所まであと少しだね」
「そう、ね」
未探索になっている領域は7割ほど。
魔晶石を示す水色の部分は2、3階層とそれほど変わらない。
多くて5万ルラくらいか。
「う~ん、グリンダの魔力が回復しないねぇ」
「仕方がない、わ。魔力はそう簡単に回復しないものだも、の」
「ユウは回復してるじゃないか」
「普通はあんなに早く回復しないの、よ」
グリンダはフランに言い返した。
魔力探知×10を使った後、魔力を回復させるために休んでいたら驚かれたので、本当に有り得ないことなのだろう。
「グリンダの魔力が早く回復するようになればもっと余裕が出てくるんだけどねぇ。そういう水薬は作れないのかい?」
「滋養強壮に効く水薬はあるけれど、気休め程度、よ」
「気休め、ね」
う~ん、とフランは唸る。
魔力値が限界突破している魔道士を2人も抱えていることを思えば贅沢な悩みだ。
無い物ねだりと言うか、満腹の状態でさらに食べる方法を探しているようにも見える。
「ま、気休めでもないよかマシだろ。機会があったら作っとくれ」
「分かった、わ」
グリンダは小さく頷いた。
優は2人の遣り取りを横目に見ながらリュックを背負う。
フランが口を開いた。
「さて、魔晶石は目と鼻の先だ。油断せずに行くよ」
「分かりました」
「もちろん、よ」
フランが先頭に立ち、グリンダ、優の順で魔晶石のあるエリアに向かう。
幸い、途中でモンスターと遭遇することなく、目的地に辿り着いた。
小さな小部屋のようになったダンジョンの壁や天井から魔晶石が突き出している。
グリンダは魔晶石に吸い寄せられるように部屋の中央に立つと目を瞬かせた。
「ビックリした、わ」
「そうだろそうだろ」
フランは自慢気に頷いた。
「低階層は掘り尽くされていると思ったのだけれ、ど」
「きっと、皆がそう思ってるんですよ」
だから、こういう見落とされた箇所があるのだ。
優はリュックを下ろし、ナイフの柄で魔晶石をぶっ叩いた。
根元から折れた魔晶石をリュックに収める。
「調べたいことがあるのだけれ、ど?」
「はぁ、好きにしな」
フランは溜息交じりに答えた。
ダメだと言っても注意力散漫になるだけ。
だったら好きなようにさせようと考えたのかも知れない。
グリンダはやや興奮した面持ちで落ちている石ころを拾い上げたり、ダンジョンの壁に触れたりしている。
「何をしてるんだい?」
「鉱石がないか確かめているのよ」
グリンダは石ころをポーチに収め、次に握り拳大の石を持ち上げた。
「んなもん、壁から突き出してるだろ?」
「そうでないものもあるの、よ」
ふ~ん、とフランは興味なさそうに頷いた。
グリンダは短剣を抜き、ガッ、ガッとダンジョンの壁を削り始めた。
「もったいないことをするんじゃないよ。刃がボロボロになっちまうよ」
「ユウ、それを貸し、て」
「まあ、いいですけど」
優は魔晶石の採取を止めて短剣を差し出した。
「術式選択、
グリンダは短剣を手に取って壁に突き立てた。
青白い光が放射状に広がり、壁がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
その下から出てきたのは水色がかった無数のラインだった。
「何だい、こりゃ?」
「魔法銀の鉱脈よ」
「へ~、こいつが……どれくらいの価値があるんだい?」
「それほど価値はない、わ」
「え? でも、魔法銀の鉱石なんですよね?」
優は思わず尋ねた。
「ここはダンジョンだも、の。もっと下の階層に行けば結晶が見つかる、わ」
「まあ、確かに手間の掛かる物の価値は低くなりますよね」
道理ではあるが、それだと技術が衰退の一途を辿りそうだ。
グリンダは短剣で魔法銀鉱石を削り取った。
「価値はないんだろ?」
「私にとってはある、わ」
グリンダは鉱石をポーチに収めながら答えた。
「魔法銀を抽出する実験に使いたい、の」
「どうして、そんな真似をするんだい?」
「技術開発のため、よ」
「好奇心の間違いだろ?」
「否定しない、わ」
フランは意地悪な質問をぶつけたが、グリンダは静かに答えた。
きっと、こういう人が世の中をよくするんだろうな、と優は考えた。