幕間の物語:勇者アランの伝説 その4
文字数 9,098文字
『勇者アランの伝説』はQuest25~28の間に起きた出来事になります。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ゴキブリ退治ですね」
掲示板に貼られていた依頼書を剥がしてカウンターに持って行くと、エリーは嬉しそうに言った。
俺がゴキブリ退治をするのがそんなに嬉しいのか、と悪態を吐きたくなる。
だが、そんなことをしてもどうにもならない。
「依頼は港の近くにある倉庫です。グリンダの店で道具を買っていくとスムーズに退治できると思います」
エリーは依頼書にスタンプを押し、その上に資料を重ねた。
さらにその上に小さな紙を添える。
「何の紙だ?」
「広告ですよ」
小さな紙を手に取る。
その紙にはグリンダの店の地図とどんな商品を取り扱っているのかが簡単に記されていた。
「この店はギルドとグルなのか?」
「そんなことはありません。この広告は規定に従って配布しているだけです」
エリーはムッとしたように言った。
彼女が謝礼を受け取って広告を配布している可能性はあるが、それを口にしても仕方がない。
「頑張って下さい」
「……ああ」
アランは短く答えて冒険者ギルドを後にした。
暗澹たる気分が湧き上がってくるが、1度きりの妥協だと自分に言い聞かせる。
「店の場所は?」
地図を見ながら街を歩く。
街には様々な種族――見目麗しいエルフ、厳つい顔のドワーフ、しなやかな肉体を持つ獣人がいた。
一般人が圧倒的に多いが、職人も、売り子もいる。
もちろん、冒険者も。
冒険者は自分より羽振りがよさそうだ。
「……ここか」
目抜き通りの外れで足を止める。
グリンダの店は集合住宅の一階にあった。
窓際には服を着た人形が置いてある。
小さく溜息を吐いて店に入り、呆然と店内を見回す。
マジックアイテムを売っているような店はそれっぽい雰囲気があると聞いていたが、ここにはそれがなかった。その代わりに開放感がある。
陳列棚に並んでいる商品はありきたりな物ばかりだが、冒険者に聞いていたよりも安値が付いていた。
カウンターには見覚えのあるドワーフの女、壁際の陳列棚にも見覚えのある狐の獣人がいた。
狐の獣人はメイド服を着たベスだった。
陳列棚に薬品を補充し、こちらを見る。
「あら、いらっしゃい」
「何をしてるんだ?」
「見ての通り、売り子よ」
ベスはスカートを摘まみ、ふさふさの尻尾をくるんと回した。
「ってことは、ここが御主人様の店なのか?」
「そうよ」
ベスは誇らしげに胸を張り、ぐるんぐるんと尻尾を回した。
自分の店でもないのによくそんな態度が取れるものだと呆れてしまう。
だが、まあ、安宿の娼婦兼女給が外れとは言え、目抜き通りの店で働いているのだ。
少しくらい調子に乗っても仕方がない。
「で、何の用?」
「ギルドで依頼を受けたんだよ」
「見せて」
依頼書を差し出す。
ベスはかっ攫うようにそれを手に取り、カウンターにいるドワーフの所に持って行った。
「スカーレット、読んで」
「ゴキブリ退治、報酬は100ルラ、場所は港沿いの倉庫。と言っても漁師が倉庫として使ってるってだけで商会のじゃないわ」
文字も読めないくせによく売り子が務まるものだ。
「文字も読めないのによく今まで生きてこられたわね」
「昔は文字を読める仲間がいたのよ」
ドワーフの女――スカーレットが嫌味を言うと、ベスは拗ねたように唇を尖らせた。
「今からでも勉強すれば?」
「……勉強か」
ベスはしみじみと呟く。
「掛け持ちしてるから時間がないのよね」
「安宿の方を辞めちゃえばいいじゃない。それなりの金額を提示されてるんでしょ?」
「そうなんだけど、こっちが儲かるから辞めるのは不義理な気がするのよね」
う~ん、とベスは腕を組んで唸った。
「おい、人生相談なら俺が帰ってからにしてくれ」
「ああ、ごめんごめん」
ベスは依頼書を手に戻ってきた。
「これくらいのゴキブリ退治ならバルタン1缶で大丈夫よ」
「バルタン?」
アランが聞き返すと、ベスは陳列棚にあった赤い缶を手に取った。
「これがバルタンよ。弱い毒を持った草が入ってて火を点けると煙が上がるの。窓と扉を閉めてやれば一発よ」
「値段は?」
「10ルラよ」
ベスは人差し指を立てて言った。
「10ルラでゴキブリを退治できるんなら自分でやりゃいいのに」
「ああ、あとは火ばさみと袋もいるわね」
気付いているのかいないのか、ベスはそんなことを口にする。
「どうして、そんな物がいるんだよ」
「そりゃ、ゴキブリの死体を回収するために決まってるじゃない。それとも、ゴキブリを素手で掴むつもりなの?」
「そういうことじゃない」
思わず声を荒らげる。
「大きな声を出すのは止めて。他のお客さんもいるのよ」
「……ぐ」
アランは言葉に詰まった。
指摘が正しいと思ったからではない。
ここでベスを怒らせたらクエストに影響が出ると思ったからだ。
「いくらだ?」
「お代はいいわ。貸してあげる」
「……いいよ」
「遠慮しなくてもいいのよ。貸してあげるだけなんだから。ああ、でも、袋は返さなくてもいいわ」
アランは辛うじて舌打ちを堪えた。
「だから、いいよ」
「どうして?」
ベスは不思議そうに首を傾げた。
「……施しは受けたくない」
「施しじゃないわよ。貸すだけなんだから」
くッ、と小さく呻く。
バルタンを売ってくれるだけでいいのに、どうしてこんなくだらないことで押し問答をしなければならないのか。
何と言えば諦めてくれるのか考えていると、スカーレットが口を開いた。
「お金を取ればいいじゃない」
「火ばさみと袋は売り物じゃないわ」
「レンタルよ、レンタル。施しは受けたくないって言ってるんだから少しは気を利かせてやりなさいよ」
「レンタル代は?」
「火ばさみは1ルラ、袋は……これも1ルラでいいでしょ?」
スカーレットがこちらに視線を向ける。
「ああ、それでいい」
「やれやれね」
スカーレットは呆れたように溜息を吐いた。
「じゃあ、はい」
ベスからバルタンを受け取り、カウンターの前に立つ。
「ベス、火ばさみと袋を持ってきて」
「分かったわ」
そう言って、ベスは店の奥に向かった。
「12ルラよ」
「……」
2枚の銅貨をカウンターに置くと、スカーレットは真鍮貨をカウンターに置いた。
「お釣りは8ルラよ」
「見れば分かる」
お釣りを財布に入れると、ベスが火ばさみと袋を持って戻ってきた。
「はい、どうぞ。火を点ける道具は持ってる?」
「持ってる」
野営する時に備えて火打ち石と火口は持ち歩いている。
「じゃあ、気を付けて」
「……ああ」
アランはベスから火ばさみと袋を受け取り、店から出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇
依頼の倉庫は港の外れにあった。
歓迎されると思っていたのだが、漁師達は不満そうな表情を浮かべていた。
倉庫には何人かの漁師がいたが、アランの対応をしているのは髪が半ば白く染まっている男だった。
「アンタが冒険者ギルドの?」
「……依頼書を見た」
アランが依頼書を見せると、漁師は露骨に顔を顰めた。
「もう少し早く来てくれりゃよかったんだがな」
「俺が依頼書を見たのは今日だ」
ムッとして言い返す。
漁師にだって言い分はあるだろうが、こっちにだって言い分はある。
すぐに来て欲しければ金を積めばよかったのだ。
それなのに金をケチるからこんなことになるのだ。
「まあ、網元。来てくれたんだからいいじゃありませんか」
「ったく、うんざりだぜ」
小太りの男が年嵩の男――どうやら、網元らしい――を宥めた。
「私達はこれから家に戻るので、夕方までにゴキブリを退治して下さい」
「分かった」
「口の利き方も知らねぇのか。親の顔が見ててぇもんだ」
網元は吐き捨て、他の漁師を率いて何処かに行ってしまった。
「チッ、偉そうに」
アランは吐き捨て、倉庫を見上げた。
倉庫は木造で、大きさは安宿に劣る。
漁師が倉庫として使うには惜しい建物だ。
海に面した扉から倉庫に入り、視線を巡らせる。
倉庫と言っていたが、船小屋も兼ねているようだ。
物陰でガサガサという音がする。
「……窓は閉まってるっぽいな」
アランは倉庫の中央で跪き、バルタンを地面に置いた。
蓋を開けると、中には乾燥した草が詰まっていた。
火口を地面に置き、その上で火打ち石を打ち合わせる。
何度か繰り返すと、小さな火が火口に灯った。
口を窄めて息を吹きかけると、小さな火は瞬く間に大きくなった。
それを使って草に火を点す。
「……火の点きが悪いな」
しかし、しばらくすると煙がもくもくと上がった。
「こいつは……ゲホ、ゲホッ」
アランは激しく噎せ返りながら倉庫から出て、扉を閉めた。
毒の影響か、目の前がチカチカする。
煙に巻かれていたら死んでいたかも知れない。
「クソッ、冒険者を雇う訳だ」
100ルラで毒の煙を吸い込まず、死体の片付けをしなくて済むのだ。
懐具合に余裕があれば頼んで当然だ。
「……煙が収まるまで待ってるか」
アランは唾を吐き、その場に座り込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、アランはクエストを終えたその足で冒険者ギルドを訪れた。
カウンターで網元のサインが書かれた依頼書を渡す。
「お疲れ様です。こちらが報酬になります」
エリーは依頼書の内容を確認するとカウンターに銀貨を置いた。
お疲れ様という言葉にも、彼女が浮かべた微笑みにも悪意を感じてしまう。
「また、お願いします」
「……2度と」
「よう、新入り!」
アランが口を開いた瞬間、ジョンが声を掛けてきた。
仕方がなく――いや、こんな男でもグチを言う相手にはなるかも知れないと期待して対面の席に座る。
「ゴキブリ退治は上手くいったのか?」
「上手くいったけど、最悪だ」
網元は夕方になって戻ってきたが、別れた時と同じように顔を顰めていた。
黙ってサインをすればいいのにゴキブリの死体が片付いていないと文句を言う始末だ。
「お前は愛想がないからな」
そう言って、ジョンはグラスを傾けた。
いいことでもあったのか、今日はワインを飲んでいる。
「愛想なんて必要ないだろ」
「ああ、腕っ節があれば愛想なんていらねーよ。勇者エドワードがそうだった。ま、あいつも別格だったな」
「勇者エドワードに会ったことがあるのか?」
「興味があるのか?」
「当たり前だろ」
辺境の勇者エドワードを知らない者はいない。
3人の仲間と共に数々の偉業を成し遂げた。
まさに辺境の希望、目指すべき到達点だ。
「そんなにエドワードの話が聞きたければアイツに聞けよ」
ジョンが顎で指し示した先にはテーブル席に座るユウ、仲間殺し、魔道士がいた。
「なんで、あいつに」
「ユウはエドワードにスカウトされたって話だ」
「そ、それで受けたのか?」
「断ったって話だ」
「なんだって!?」
アランは思わず叫んだ。
辺境の勇者エドワードにスカウトされながら断るなんて正気とは思えない。
「おいおい、そんなにでかい声を出すなよ」
「どうして、断ったんだ?」
「スカウトされた頃にゃ、あいつはチームを組んでたんだ」
「……女のために蹴ったのかよ」
小さく吐き捨てる。
クソみたいな男だ。
何人の人間がエドワードのチームに加わることを望んでいるのか分かっていて断ったのだろうか。
いや、分かっているはずがない。
だから、一生に一度あるかないかの幸運を女のために棒に振れたのだ。
「怒ったんじゃないのか?」
「怒るどころか、気に入られたさ」
「なんで、また」
「俺達の中にも侠気があるって評価するヤツがいたくらいだ。断られた本人がそう感じても不思議じゃないだろ?」
「……それは」
アランは言い淀んだ。
自分ならば仲間を切り捨てる方を選ぶ。
それだけで伝説を築ける。
勇者になれるのだ。
何を迷う必要があるだろう。
「アンタもそうなのか?」
「ははっ、侠気があるとは思っちゃいねーよ」
ジョンはワインを飲み干し、グラスをテーブルに置いた。
「よっぽど具合がよかったんだろ」
くひひ、と笑う。
「まあ、でも、嫌いじゃねーよ」
ジョンは真顔で言った。
「勇者の仲間になることと自分の女を天秤に掛けて女を取っちまう。そういうヤツがいてもいいと思うぜ、俺は」
「志が低いだけだろ」
「けどよ、幸せそうだ」
ジョンはユウ達を見ながら目を細めた。
視線の先で仲間殺しと魔道士が言い争い、ユウがそれを止めようとしていた。
「……若い時分にゃ俺にも理想ってヤツがあったが」
「説教なら止めてくれ」
アランはジョンの言葉を遮り、席を立った。
理想を追うよりも現実を見ろ。
吐き気がするほど聞かされた台詞だ。
「ああ、悪かった。年寄りのグチだ」
「……俺は」
アランは何も言い返せずに冒険者ギルドを飛び出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「火ばさみは貸しただけなんだからちゃんと返しにきてよね」
「……返すよ」
アランは扉を通るなり詰め寄ってきたベスに火ばさみを押し付けた。
「その態度は何よ。折角、貸してやったのに」
「俺は頼んじゃいない!」
アランが怒鳴ると、わずかながら店内にいた客の視線が集中した。
「ちょっと、ベス!」
「私が悪いの?」
「ここはあたしが納めるから。厨房で料理を作ってきて」
リズはベスの背後に回り、背中を押した。
ベスはその気になれば抵抗することもできただろうに大人しく従った。
「嫌なことがあったんでしょ? パーッと飲んで忘れちゃお」
「……ああ」
アランはリズに手を引かれてカウンター席に座った。
しばらく俯いていると、目の前にジョッキが置かれた。
「今日は奢りじゃないからね?」
「ああ、分かってるよ」
アランはガリガリと頭を掻いた。
不安が湧き上がり、頭皮全体が疼いた。
頭がモヤモヤすると言い換えてもいいかも知れない。
「さ、飲んで」
「……ああ」
ビールを一気に飲み干すと、疼きが少しだけ治まった。
「今日の仕事はどうだった?」
「上手くいったよ」
100ルラ稼いだ。
一角兎と戦うよりも実入りがいい。
だが、自分の考えていた冒険者はゴキブリ退治なんてしない。
ガリガリと頭を掻き、残ったビールを飲み干す。
「……俺は言い返せなかった」
自分には夢がある。
伝説を築き、勇者になるという誰にも負けない夢だ。
あの時、ジョンにそう言い返したかった。
しかし、自分の現実――中古品で身を固めていることに気付いて何も言えなくなってしまったのだ。
伝説を築き、勇者になろうという人間が新品の装備を買えない。
いや、装備が買えないだけならば言い訳ができる。
「……俺には」
実力がないのだ。
子どもの頃から習っていた剣術は何の役にも立たなかった。
実力がないから金を稼げず、装備を買えない。
ここ数日で思い知った。
にもかかわらず、自分はこの期に及んで実力がないと口にすることさえできないのだ。
「はい、勇者様」
「俺は勇者なんかじゃない」
そう宣言した時、ナイフを心臓にねじ込まれるような苦しさを覚えた。
アランはその苦しさから逃れるために新しく差し出されたビールを飲み干した。
「貴方は勇者様よ」
「……」
リズの言葉はするりと心の隙間に入り込んできた。
「20ルラでどう?」
「ああ、頼むよ」
その日もアランはリズを抱いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「下水道の掃除、お疲れ様でした」
「……ああ」
アランはエリーから報酬――100ルラを受け取り、財布にねじ込んだ。
掲示板の前に移動して依頼書を眺める。
ゴキブリ退治と下水道掃除をこなしているが、依頼がなくなる気配はない。
不意に股間が痒くなり、ズボンの上から掻く。
「よう、新入り!」
「……」
アランは無言でジョンの対面に座った。
「臭ぇな」
「朝から下水道に潜ってたんだ」
下水道でバルタンを焚いてゴキブリを、剣を壁にぶち当てながら大鼠を殺した。
「死んだ魚みたいな目をしてやがるな」
「現実を見ろって言ったのはそっちだろ」
1度だけと言っていたゴキブリ退治も2度、3度と繰り返している。
妥協を覚え、心を深く沈めることを覚えれば何も感じない。
時折、どうしようもない不安に襲われることがある。
そんな時は酒を飲んで、リズを抱く。
勇者様と耳元で囁かれると、ほんの少しだけ不安が和らぐのだ。
再び股間が痒くなり、ズボンの上から掻く。
「現実を見ろとは言ったが、逃避しろとは言ってねーよ。おまけに娼婦にまで入れ込みやがって」
「なんで、リズのことを知ってるんだ!?」
「やっぱり、リズを買ってたのか」
ジョンは小さく溜息を吐いた。
「やっぱりってどういうことだよ?」
「股間を掻いてる所を見りゃ娼婦に病気を移されたことくらい分かる。それに見ろよ」
ジョンが目配せをし、釣られて周囲を見る。
自分と同じような若い冒険者が股間を掻いていた。
「お前の穴兄弟だ」
カカ、とジョンは愉快そうに笑った。
「何だよ、それ」
「アイツらもリズを買ってるんだよ。どうせ、勇者様だの言われてその気になっちまったんだろ」
「ど、どうして、そ、それを……」
アランはパクパクと口を開けたり閉めたりした。
リズがバラしたのか。
あれは自分のためだけに紡がれた言葉ではなかったのか。
「それがリズの手なんだ。目を輝かせて、勇者様って呼ぶのさ」
ジョンはニヤニヤ笑いながらジョッキを呷った。
「もしかしたら、名前を覚えるのが面倒臭いだけなのかも知れねーな。現実の壁にぶち当たった勇者様に優しく酒を勧めて股ぐらを開く女神様って訳だ」
ジョンは笑っていたが、アランはそんな気になれなかった。
まるで奈落に突き落とされたような気分だった。
自分はリズにとって特別な人間だと思っていた。
だが、彼女の勇者は股間を掻いている人間の数だけいるのだ。
大した実力を持たず、見栄だけは人並み以上にあり、少ない稼ぎを酒と娼婦に費やし、病気をもらって股間をボリボリ掻き毟る自称・勇者。
「……リズはそんな女じゃない」
「完全にイカれちまってるな」
ジョンは呆れたように溜息を吐いた。
もちろん、アランにだって彼の言い分が正しいと分かっている。
それでも、心の何処かでリズを信じたいと思っているのだ。
「……もう行くよ」
「おいおい、そんな深刻なツラをすんなよ。娼婦に入れ込んだり、病気をもらうなんざ、麻疹みたいなもんだ」
「もう放っておいてくれ」
落ち込ませたいのか、励ましたいのか、はっきりしてくれ。
そんなことを考えながら冒険者ギルドから出た。
太陽は中天に位置している。
森に行けば一角兎の1匹くらい狩れるかも知れないが、そんな気分にはなれなかった。
通い慣れた道を通り、安宿に向かう。
安宿に辿り着き、窓から中を覗くと、リズが冒険者風の若者と階段を下りてくる所だった。
リズは娼婦だ。
こういう場面に出くわすこともあるだろう。
分かっている。
にもかかわらず、胸中に渦巻いているのは激しい嫉妬だった。
リズは男の腕に胸を押し付け、嬉しそうに何かを言っている。
読心術の心得はないので、会話の内容を知ることはできない。
しかし、勇者様の部分は辛うじて分かった。
その姿を見て、ようやく自分が勘違い野郎に過ぎなかったことを実感した。
アランは安宿に背を向けて歩き出した。
どんな顔をして安宿に入ればいいのか分からなかった。
驚かれたり、言い訳をされるのならばいい。
何のリアクションもなかったら、もうおしまいだ。
考えてみればリズは朝まで一緒にいてくれたことがなかった。
つまり、それは相手にされていない――リズが股を開いている勇者達の中で価値が低いということではないか。
リズはあの男と、いや、自分以外の勇者達とどんな会話をしていたのだろう。
もし、馬鹿にされていたら、いやいや、馬鹿にされているのは確定事項だ。
何しろ、自分はとんでもない勘違い野郎なのだから。
気が付くと走り出していた。
どうすればいいのか。
簡単だ。
とんでもない勘違い野郎でなくなればいい。
森に行き、モンスターを狩る。
そんなに強いモンスターでなくても構わない。
一角兎よりも強く、金になるモンスターなら何でもいい。
少しずつ実績を積み重ねて――。
「本当の勇者になるんだ!」
アランは街から出るなり叫んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
空を見上げている。
視界は暗く、体は動かない。
火焔羆に襲われたのだから無理もない。
気が付くと、誰かが見下ろしていた。
何となく人間だと分かるし、何かを話していることも分かる。
だが、誰なのか分からないし、何を話しているかも分からない。
その時、声が聞こえた。
「……アラン、君は死ぬよ」
その声はスッと心に染み入った。
声はさらに続ける。
「アラン、君は死ぬ。それは避けられない運命だ。言い残すことはない?」
脳裏を過ぎったのは母と兄の姿だった。
もっと母の言葉を聞くべきだった。
もっと兄と話すべきだった。
ごめんなさい、とアランは言った。
そのつもりだったが、唇から零れるのはヒュー、ヒューという音だけだった。
俺は最期の言葉も遺せないのか、と絶望する。
「お母さんとお兄さんに謝っておけばいいの?」
アランは大きく目を見開いた。
届いた。
自分の言葉は届いたのだ。
涙が零れ――アランの意識は闇に呑まれた。