Quest29:不機嫌な勇者を接客せよ
文字数 10,459文字
第8階層――3匹の迷宮蟻が1列になって襲い掛かってくる。
「
「術式選択! 氷弾×10!」
「術式選択、氷弾×10」
フランが
1匹目と2匹目の迷宮蟻が氷の彫像と化し、瀕死の3匹目がその陰から歩み出る。
「アンタの顔も見飽きたよッ!」
フランが剣を振り下ろす。
剣――サブ・ホイールが頭部から胴の半ばまでを斬り裂くが、迷宮蟻は体液を撒き散らしながら暴れた。
凄まじい生命力だ。
だが、それも長くは続かない。
まるで糸が切れたかのように迷宮蟻は動きを止め、塵と化す。
「ハッ、楽勝!」
フランは愉快そうに笑った。
優はそんなフランを横目に迷宮蟻の魔晶石を拾う。
「あれだけ逃げ回っていた相手も今は楽勝ですね」
「逃げ回ったなんて人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。あれは戦術だよ、戦術」
優が以前――迷宮蟻から必死に逃げたことを思い出しながら言うと、フランはムッとしたように言い返してきた。
「調子に乗りすぎ、よ」
「あたしは調子に乗ってなんかいないよ」
グリンダがボソボソと呟き、やはり、フランはムッとしたように言う。
「あの台詞は何かし、ら?」
「あの台詞?」
「アンタの顔も見飽きたよ、よ」
「そ、それは」
恥ずかしいのか、フランは顔を真っ赤にして口籠もった。
「火炎羆を討伐した時も言っていたけれど、気に入ったのかし、ら?」
「グリンダさん、そんなことを言っちゃ駄目ですよ」
「純粋に気になったのだけれ、ど?」
優が割って入ると、グリンダは可愛らしく首を傾げた。
「気持ちは分かります。ですが、世の中には突っ込んじゃいけないことがあるんです」
「そうな、の?」
「そうなんです。特に厨二病的なアレには触れちゃいけません」
「厨二びょ、う?」
グリンダは困惑したような表情を浮かべた。
「ええ、14歳前後の子どもが罹る病気です。患者はある種の誇大妄想に取り憑かれ、目や腕が疼くと言い出したりします」
ここがファンタジーな世界であることを差し引けば、決め台詞を叫んでしまったフランは比較的軽症だと思う。
「グリンダさんはどうでした?」
「私はそんな異常者じゃない、わ」
にべもないとはこのことか。
「グリンダさん、厨二病の患者は異常者じゃありません」
「そう、ね。近くに患者がいるのに配慮が足りなかった、わ」
「で、どうでした?」
「……私はない、わ」
グリンダはやや間を置いて答えた。
「意外ですね」
「そんな暇なかったも、の」
フランを見ると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
まあ、暇人扱いされればそうなるだろう。
「治るのかし、ら?」
「ええ、時間が経てば必ず」
「罹患していた時の記憶は残る、の?」
「ええ、本人の中で語りたくない過去……所謂、黒歴史として残ります」
「フランは14歳じゃない、わ」
グリンダはフランを流し見る。
「個人差があるんですよ」
「気の毒、ね」
「だから、触れちゃいけないんです」
「よく分かった、わ」
今は格好いいと思っても後悔する日が必ずやってくるのだ。
「好き放題言ってくれるじゃないか!」
「貴方は病気なの、よ」
フランが気色ばんだ様子で言い、グリンダは憐れんでいるかのような表情を浮かべた。
「あたしは病気じゃない!」
「なら、どうして決め台詞を叫んだ、の?」
「そ、それは……格好いいと思ったんだよ」
「自覚症状がないの、ね」
「うっさいね! もういいじゃないか!」
「分かった、わ」
グリンダは指先でそっと目尻を拭った。
「なんで、目尻を拭ったんだい?」
「安心し、て。私は味方、よ」
「こ、この……」
ぐ、ぐぅ、とフランは呻き、項垂れた。
「モンスターが1匹近づいてます」
「
「それにしてはスピードが遅いですよ」
妖蠅は猛スピードで近づいてくるが、地図に表示されている三角形のスピードは比較的緩やかだ。
単独で行動していることから迷宮蟻である可能性は低い。
「どうだっていいよ。ぶちのめしてやる」
「決め台詞は……いいえ、止めておく、わ」
「言いたいことがあるんなら言いな!」
「決め台詞は駄目、よ」
「またそれかい!」
「あなたが言ったこと、よ」
フランが声を荒らげ、グリンダは拗ねたように唇を尖らせた。
「二人とも喧嘩は止めて下さいよ。ほら、モンスターが来ましたよ」
「あたしのせいじゃないだろ」
「私のせいでもない、わ」
フランが睨み付けると、グリンダは視線を背けた。
バッサ、バッサという音と共に現れたのは――。
「モ●ラだ」
「あれは
グリンダが訂正するが、優にはモ●ラにしか見えなかった。
モ●ラ――もとい、妖蛾は羽ばたきながらこちらに近づいてくる。
天井付近を飛んでいるので剣で倒すのは難しいだろう。
「初めて見るモンスターだね。弱点はあるのかい?」
「弱点は特にない、わ」
「それだけ分かってりゃ十分さ!
フランは武技を発動、ダンジョンの壁を蹴りながら妖蛾に迫る。
「けど、毒の鱗粉を撒き散らす、わ」
「なんだって!?」
スピードがガクッと落ち、フランが壁から落下した。
妖蛾はその隙を突き、こちらに腹を向けるようにしてホバリング。
金色に輝く鱗粉を放った。
「毒鱗粉だ。吸うんじゃ――クシュッ!」
「それはもう説め――ヘクチッ!」
フランとグリンダが可愛らしいくしゃみをした。
くしゃみだけではなく、大粒の涙をポロポロと零している。
目や鼻がムズムズするような気はするが――。
「術式選択、氷弾×10!」
「Pigii!」
優が魔法を放つと、妖蛾は一瞬にして凍り付いた。
そのまま地面に落ちて砕ける。
「2人とも大丈夫ですか?」
「ああ、ちょいと面を食らっちまったけどね」
「本当なら面を食らう程度では済まないのだけれ――ヘクチッ!」
ズズ、とグリンダは鼻を啜った。
「啜ってるんじゃないよ。それでも、女かい。ほら、ちり紙をやるからチーンしな、チーン」
フランがポーチからちり紙を取り出して突き出すと、グリンダはそれを受け取り、優に背を向けて鼻をかんだ。
「ああ、もうへたくそだね! 片っぽを押さえるんだよ、片っぽを!」
「鼻くらい好きにかませ、て」
グリンダは不満そうに唇を尖らせ、ちり紙を地面に捨てた。
「ゴミを捨てるんじゃない!」
「ダンジョンが分解する、わ」
「本当かい?」
フランは訝しげに眉根を寄せた。
死体や装備はそのままなのにちり紙が分解されるのだろうかという疑問が湧き上がるが、そこは指摘しない方がいいだろう。
「本当、よ」
「嘘を吐いたら後でひどいよ?」
「本当、よ」
「それならいいけどね」
フランは背を向けて歩き出す。
「……ババ、ア」
「悪口は陰で言いな!」
グリンダがボソリと呟くと、フランは振り返って怒鳴った。
「分かった、わ」
「だからって、ユウの陰に隠れて言うんじゃないよ」
「分かった、わ」
グリンダが渋々という感じで頷き、フランは歩き始めた。
「怒られた、わ」
「そりゃ、怒られますよ」
「合理的に判断した結果なのだけれ、ど」
「そっちじゃないです」
フランはババアと言われたことに怒ったのであって、ちり紙を捨てたことにはそれほど腹を立てていなかったように思う。
「私は子どもじゃない、わ」
「はいはい、子どもじゃないんだったら1人で鼻をかめるようになりな」
「……」
グリンダは無言だったが、ムッとしたような表情を浮かべている。
しばらく進むと、道が二手に分かれていた。
「右に進むと魔晶石、よ」
「モンスターだよ!」
「このスピードだと妖蛾、ね」
「――ッ!」
フランが息を呑む。
それもそのはず、地図上の道を埋め尽くすほどのモンスターが迫っているのだ。
「こっちだ!」
フランが横道に飛び込み、優とグリンダもやや遅れて飛び込む。
「グリンダ!」
「分かってる、わ! 術式選択! 土壁!」
地面がぐにゃりと歪み、壁が道を塞いだ。
次の瞬間、モンスターを示す黄色の三角形が目の前――正確には壁の向こうだが――を通り過ぎて行く。
フランはホッと息を吐いた。
「
「勘弁しとくれよ。あんな魔法を使ったら生き埋めになっちまうよ」
「大丈夫だと思うけれ、ど」
「でも、ダンジョンは埋まりますよね」
「……そうかも知れない、わ」
グリンダは間を置いて答えた。
氷砲は標的の真下で発動するので生き埋めになることはないと思うが、ダンジョンが壊れる可能性はある。
「それにしても、どうしてモンスターが?」
「何かに追い立てられたんじゃないかし、ら?」
「何かって何だい?」
「分からないわ」
フランが問い返し、グリンダは首を横に振った。
「強いモンスターじゃなけりゃいいんだけどねぇ」
「モンスター同士は殺し合わないんじゃないかし、ら?」
「妖蛆は迷宮蟻に寄生してましたよ」
「それもそう、ね」
妖蛆が迷宮蟻に寄生することを思えばモンスター同士で殺し合っても不思議ではない。
「は~、嫌になるね」
「とても興味深い、わ」
フランはうんざりしたように溜息を吐き、グリンダは子どものように目を輝かせた。
こんな所にも性格の違いが出ていて面白い。
「仕方がない。今日はこの先にある魔晶石を回収して帰るよ。ついでに明日はオフだ」
「どうし、て?」
「あんな数のモンスターと戦いたいのかい?」
「人生守りに入ってるわ、ね」
「堅実と言っとくれよ。さあ、行くよ」
フランはダンジョンの奥を指差した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰る途中、フランは小さく息を吐いた。
「は~、今日の稼ぎは塩っぱいね」
「今日は早めに切り上げましたからね」
空を見上げると、太陽がやや西に傾いていた。
普段の帰宅時間に比べればずっと早い。
「貴方が決めたこと、よ」
「そりゃ、分かってるさ。けど、ぼやきたくなるのが人情ってもんなんだよ」
「処置なし、ね」
フランが言い訳がましく言うと、グリンダは小さく息を吐いた。
「偶にはこんな日も悪くないですよ」
「そう、ね。時間がたっぷりある、わ。どう過ごすつも、り?」
「久しぶりに料理を作ってみたいねぇ」
「貴方には失望した、わ」
フランは嬉しそうに唇を綻ばせたが、グリンダの評価は辛かった。
「そんなことはいつでもできる、わ」
「いつでもできる訳ないだろ」
フランはうんざりしたような口調で言った。
スカーレットを雇ったのは家事負担を減らすためでもある。
それだけ冒険者稼業はハードなのだ。
「で、アンタはどうするんだい?」
「ユウと――」
「どんだけ色ボケしてるんだい、アンタは」
ビィィィィッチと叫ぶかと思いきや、フランは溜息を吐いただけだった。
「色ボケじゃなくて愛、よ。こういう時にこそ愛を確かめ合うべきだと思う、の」
「水薬を作ったり、人造魔剣について調べたりとかあるだろ?」
「水薬はしばらく保つ、わ。人造魔剣については手詰まり、ね」
今度はグリンダが溜息を吐く番だった。
「手詰まりってのは?」
「文字通りの意味、よ。文献を集めてみたのだけれど、狂える魔道士が作ったこと、負の感情で鍛えられたこと、ヘカティアダンジョンに隠されていると言われていることしか分かってない、わ」
「街の噂と変わらないじゃないか」
「でも、文献で確認できただけでもよかったじゃないですか」
この3つの情報は文献で確認できる程度に信憑性が高いということだ。
まあ、とんでもない昔から伝わっている嘘という可能性もあるが。
「これだけの情報にいくら費やしたんだか」
「大金を投じた、わ」
えへん、とグリンダは胸を張った。
「偉いよ、偉い偉い」
「誉められている気がしない、わ」
「気のせいだよ、気のせい」
「ならいいのだけれ、ど」
グリンダは釈然としていないようだ。
実際、ちっとも誉めていないのだが、指摘しても仕方がないと思ったのだろう。
「けど、それだけ調べても大した情報がないってことはガセなのかねぇ」
「そう決めつけるのはまだ早い、わ。私に入手できる文献に載っていないだけかも知れないも、の」
「まあ、確かに」
優は頷いたが、ガセの可能性だってある。
「金は出さないよ」
「分かっている、わ」
グリンダの口調は何処か不満げだ。
「王家が所有しているかも知れない、わ」
「止めとくれよ」
フランは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「どうし、て?」
「王家とコネを作るだけでどれだけ金が掛かると思ってるんだい。そんなことをするくらいならダンジョンをくまなく探した方がマシってもんさ」
「勇者エドワードに頼めばいいじゃな、い」
「エドワードに?」
フランは顔を顰めた。
武技の習得で世話になっているし、これ以上頼りたくないのだろう。
「ユウのために何でもすると言っていた、わ」
「ピンチの時に駆けつけるって言ったんだよ」
「同じこと、よ」
フランが訂正するが、グリンダは受け流した。
「でも、エドワードさんは仕官を固辞してますよ?」
国王が直々に仕官を要請したわけではないだろうが、面子を潰してしまったことは間違いない。
「頼むだけならただ、よ」
「多分、ただじゃないです」
流石に無償という訳にはいかないだろうし、エドワードが仕官を強要されたら目も当てられない。
「駄目かし、ら?」
「ちょっと頼みづらいです」
「……そ、う」
グリンダはしょぼんと頭を垂れた。
「ま、これで文献を買い漁るのは終了だね」
「これからも続ける、わ」
「なんだって?」
フランはギョッとグリンダを見つめた。
「これからも続けると言ったの、よ。人造魔剣に関する記述はなくても知識は無駄にならない、わ」
「そんなもんかね」
「そんなもん、よ」
フランは今一つ納得していないようだったが、無駄にならないと言われては突っ込むこともできない。
多分、研究とはそういうものだ。
「取り敢えず、今日はのんびりするよ」
家――グリンダの店が見えてきて、フランは話を打ち切った。
扉を開けると、カランカランという音が響く。
「いらっしゃい――って、お帰りなさい」
ベスは営業スマイルで出迎え、優達だと分かるや否や素に戻った。
「凄い変わり身の速さだねぇ」
「メリハリを付けてるって言って」
フランが呆れたように言い、ベスはくるんと尻尾を回した。
「いつもこんな感じかい?」
「この時間帯はね」
フランは不安そうに客のいない店内を見回し、ベスは苦笑しながら応じる。
出入りの邪魔になってはいけないので、優達は店の奥――玄関に移動する。
「スカーレット、お疲れ様」
「嫌味?」
カウンターに座っていたスカーレットは刺繍を止め、上目遣いで睨んできた。
「違うよ」
「念のために言っておくけど、暇って訳じゃないのよ?」
「分かってるよ」
これでも帳簿には目を通しているのだ。
どれくらい売上があるのか把握している。
優はカウンターの裏手に移動し、リュックを下ろした。
「魔晶石は炉に入れちゃっていいですか?」
「ああ、構わないよ」
優は魔晶炉の蓋を開け、魔晶石を中に入れる。
蓋を閉じ、大きなリュックが置いてあることに気付いた。
「誰のリュックですか?」
「ベスのよ」
答えたのはスカーレットだ。
「実は……相談があるんだけど」
ベスは扉の陰から身を乗り出し、チラチラとこちらを見ている。
「何ですか?」
「えっと、今日から住み込みで働かせてもらおうと思って」
「それは構いませんよ」
「よかった」
ベスは胸を撫で下ろした。
「ほら、心配することなかったじゃない」
「それはそうだけど、こういうのは緊張するの」
スカーレットが勝ち誇ったように言うと、ベスは少しだけムッとしたような表情を浮かべた。
「何かあったんですか?」
「……言わなきゃ駄目?」
「厄介事は御免だよ」
「そう、ね」
そんなことを言いながらフランとグリンダは玄関に座ってブーツを脱ぐ。
ベスは不満そうに2人を見つめた。
気持ちは分かる。
「実は、その、宿の先輩と喧嘩しちゃって」
「殴ったりしてないですよね?」
「当たり前でしょ」
「よかった」
優は胸を撫で下ろした。
引退したとは言え、ベスは高名な冒険者だったのだ。
そんな彼女に殴られたら死んでしまう。
「どうして、喧嘩をしたんですか?」
「それも言わなきゃ駄目?」
「言いたくなければいいですよ」
誰にでも言いたくないことの1つや2つあるものだ。
「言わなきゃ駄目に決まってるだろ」
「必要だ、わ」
「2人とも自分のことを棚に上げてよく言うわね」
ベスが睨み付けると、フランはそっぽを向いた。
グリンダはと言えば不思議そうに目を瞬かせている。
「……アランって子のことで喧嘩をしたの」
「ああ、あの人ですね」
娼婦に入れ込み、火炎羆に食い殺された彼だ。
「駆け出しを騙すような真似は止めなさいって言って、その後は売り言葉に買い言葉で」
「シェスさんは?」
「あの人は……こんな所にいないで、さっさと自分のいるべき場所に戻れって」
なるほど、と優は頷いた。
どちらかと言えば安宿の女主人に後押しされたことが大きいようだ。
「だから、お願い!」
「僕は構いませんよ」
「よかった!」
パンッ、とベスは胸の前で手を打ち合わせた。
よほど嬉しかったのか、尻尾をブンブン振っている。
「あたしには聞かないのかい?」
「私に、も」
「……アンタ達も居候でしょ」
ベスは呆れたような表情を浮かべ、フランとグリンダを見つめた。
「私は嫁だも、の」
「何を抜け駆けしてるんだい!」
グリンダがボソリと呟き、フランが声を荒らげた。
「してない、わ」
「してるじゃないか!」
「してない、わ」
フランとグリンダは真っ向から睨み合った。
割って入るべきか悩んでいると、カランコロンという音が響いた。
次の瞬間、室温が一気に下がったような感覚に襲われた。
フランは剣を、グリンダは杖を握り締める。
剣を掴もうとしてか、ベスは腰に手を伸ばし――優を庇うように立った。
「よ、ようこそ、グリンダの店に」
「ユウってヤツに会いにきた」
壁越しにスカーレットと男の声が聞こえてきた。
スカーレットの声は可哀想なくらい震えている。
無理もないと思う。
フラン、グリンダ、ベスの3人が戦闘を覚悟するほどの雰囲気を漂わせる人物だ。
むしろ、よく耐えている。
「いないのか?」
「え、それは……」
「はっきり言ってくれ」
「ひッ!」
「はいはい、ここにいますよ!」
スカーレットが息を呑み、優は声を張り上げた。
フラン、グリンダ、ベスの3人がギョッとこちらを見るが、スカーレットを矢面に立たせるのは雇い主としてどうかと思うし、このままでは刃傷沙汰になりかねない。
ここは優が出て行くべきなのだ。
店に出ると、カウンターの前に青年が立っていた。
この辺りでは珍しい彫りの浅い顔立ちだ。
ブラウンの髪は肩に掛かるほどの長さだが、伸ばしているのではなく、伸びるに任せたという印象を強く受ける。
背は高く、体型はスマートだが、エドワードに比べると弱々しく、いや、脆そうに見える。
余分なものを徹底的に削ぎ落とそうとした結果、必要なものまで削ぎ落としてしまったと言うべきか。
どれほどの戦闘を潜り抜けてきたのか、身に着けた装備は傷だらけだ。
白銀の胸甲冑、籠手、脚甲はヤスリで研がれたように艶を失い、腰から提げた剣の柄は血でどす黒く染まっている。
「エドワードから聞いているかも知れないが、俺はムラカミ タケルだ。多分、お前と同じ日本から召喚された」
「ムラカミ、タケルさん……えっと、どんな字ですか?」
優がペンとメモ帳を差し出すと、タケルはサラサラと名前を書いた。
そこには『村上猛』と書かれていた。
「僕は……」
優はメモ帳の裏に自分の名前を書いて差し出した。
「日本人みたいだな」
「そうですね。今日は何の用ですか?」
「魔剣の話を聞きにきた」
「魔剣ですか?」
「擬神を葬った魔剣の話だ。知らないとは言わせない」
優が問い掛けると、猛は顔を歪めて言った。
辛うじて激情を抑えていると容易に分かる。
「ユウに聞いても無駄だよ。あたしが魔剣を使っていた時、ユウは森をさまよってたんだからね」
振り返ると、フランが佇んでいた。
非常にリラックスした様子だが、その手は剣に添えられている。
「お前は?」
「あたしはフラン、ユウの……恋人だよ」
猛は軽く目を見開き、フランと優を見比べた。
多分、年齢について考えているのだろう。
「どうやって、魔剣をどうやって手に入れた?」
「知らないよ。あたしがピンチの時に何処からともなく飛んできたんだよ」
「飛んできた、だと?」
何故か、猛は顔を歪めて言った。
「そうだよ。エドワードに聞いてるかも知れないけど、女好きな魔剣でね。多分、女のピンチに反応したんだろ」
「……フランさん」
優は思わず名前を呼んだ。
2人とも喧嘩腰でハラハラする。
「お前が手にした魔剣はこいつか?」
猛はポーチから紙を取り出し、フランに突き付けた。
ポーチの中には細長い紙の束が入っていた。
「ああ、こいつだよ」
「そう――」
「私にも見せ、て」
グリンダが飛び出し、猛の手から紙を奪い取った。
魔道士とは思えないスピードだった。
「少し意匠が違っているけれど、あの魔剣に似ている、わ」
「……おい」
「あたしにはそっくりに見えたんだよ」
猛が睨み、フランが睨み返した。
「どうやって、知った、の?」
「それを言う必要があるのか?」
「あるに決まってるでしょ。自分だけ情報を手に入れておしまいなんて筋が通らないわ」
答えたのはベスだ。
武器にするつもりか、箒を持っている。
猛は深々と溜息を吐いた。
「……俺はヌンキ王国の勇者だ。先代はともかく、今の国王とは上手くやっている。それで人造魔剣に関する資料を見せてもらった。この絵は失敗作を書き写したものだ」
「失敗さ、く?」
グリンダが身を乗り出すと、猛は後退った。
巨乳に圧倒されたのかも知れない。
「ああ、ヌンキ王国には人造魔剣の失敗作とされる武器が保管されていた。壊れてたけどな」
「再現できるかし、ら?」
「大量虐殺する覚悟があるんなら」
猛は吐き捨てるように言った。
「どうい――」
「人造魔剣が負の感情を集めて作られてるってのは事実らしい。それで、先代ヌンキ国王……あのクソ野郎はどうすれば効率よく負の感情を集められるか確かめていやがった」
猛はグリンダの言葉を遮って言った。
どうやら、先代のヌンキ国王は色々とやらかしているらしい。
「じゃ、俺は行くぜ。世話になったな」
猛が紙を掴むが、グリンダは手を放そうとしない。
その時、緑色に光るリングが浮かび上がった。
それは猛の手首を中心に回っている。
優はびっくりしたのだが、グリンダは紙を掴んだままだ。
「それって、マジックアイテムですか?」
「あ? ああ、そんなもんだ」
猛が手首をさすると、リングは消えた。
「そいつはやるよ」
「もらった、わ」
「アンタって女は」
グリンダは嬉しそうに言ったが、フランは呆れているかのような表情を浮かべた。
猛は背を向けて歩き出す。
「猛さん! 人造魔剣を手に入れてどうするつもりですか?」
「決まってる。俺と先生……ダチを裏切ったクソ野郎を殺すんだよ」
猛は扉の前で立ち止まり、地の底から響くような声で言った。
クソ野郎とはエドワードが言っていた裏切り者のことだろう。
「俺はしばらくこの街に留まって人造魔剣について調べる」
「何かあったら教え、て」
「……ああ」
グリンダの言葉に頷き、タケルは出て行った。
タケルの姿が見えなくなった頃、プハッとフランは息を吐いた。
「アイツは何だい?」
「僕と同じ異世界人ですよ」
「同じ? ユウとアレが同じなら鼠と猫だって同じだよ」
「言いたいことは分かります。猛さん……バーミリオンさんの所に行ったりしないですよね?」
「ど、どうして、あたしの家に来るのよ!」
スカーレットが悲鳴じみた声を上げた。
「バーミリオンさんは凄い剣を作っちゃったから」
「そんな~」
スカーレットは今にも泣きそうな表情を浮かべ、カウンターに突っ伏した。
「……今日、泊めてくれる?」
「淫獣の住処でよければ」
「ぐ、ぐぅぅぅぅ」
スカーレットは懊悩するように唸り――かなり経ってから淫獣の住処に泊まることを決断した。