Quest14:Gを駆逐せよ
文字数 6,788文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
朝――優とフランは狩りに行く前に冒険者ギルドに顔を出すことにした。
目的は名指しの仕事が入っていないかの確認だ。
冒険者ギルドに入ると、エリーが依頼書を片手に走り寄ってきた。
その姿に冒険者達がどよめく。
職員が駆け出しの冒険者に依頼書を持っていくことは二重の意味で衝撃を与える。
駆け出しに出し抜かれたという意味も含めれば三重の衝撃か。
「ユウ君、指名の仕事が入ってますよ!」
「本当ですか!」
優はエリーから依頼書を受け取り、その内容に落胆した。
ゴキブリ退治の依頼だったのだ。
前回は倉庫だったが、今回は屋敷である。
嫌な予感しかしない。
「……エリーさん」
「そんな顔をしないで下さい。華々しくない仕事ですけど、報酬は前回と同じ2000ルラですし、依頼主のバーソロミューさんは伯爵様なんですよ」
金貨2000ルラ稼げる上、貴族とお近づきになれる。
断る理由を探すのが難しいくらいおいしい仕事だ。
まあ、優がゴキブリ嫌いでなければ――。
「……ユウ」
「分かりました」
優はフランに肩を叩かれ、ゴキブリを退治する決意を固めた。
踵を返した直後、軽い衝撃を受けた。
そして、柔らかな感触が腕に触れた。
恐る恐る隣と見ると、メアリがはにかむような笑みを浮かべ、自分の胸を優の腕に押し付けていた。
「いきなり指名の仕事がくるなんてユウは凄いんだね」
「いや、そんなことないです」
「そんなことあるよ」
メアリはグイグイと胸を押し付けてくる。
腕に当たるちょっと固めの感触は――。
「ユウのこと、もっと知りたいな」
「あたしらはこれから仕事なんだけどね」
フランが不機嫌そうに言うと、メアリは優から離れた。
唇を尖らせているので、仕方がなく離れたという所か。
止めて、僕のために争わないで! というヒロインチックな気持ちは次の瞬間、消し飛んだ。
「え~、私は冒険者仲間としてユウの話を聞きたかっただけですけどぉ」
「仲間なんて言葉を簡単に使うんじゃないよ。いざって時は協力するけどね、冒険者ってのは基本的にライバルなんだよ」
メアリは興味なさそうに髪の毛を指に巻き付けている。
何と言うか、ギャルっぽい。
「そういう考え方って古いと思うんですけどぉ。あ、ごめんなさい。ババアっていう意味でも、歳の差を考えろって意味じゃなかったんですぅ」
「ハン、やっすい挑発だねぇ」
フランが優を抱き寄せると、メアリは鬼のような形相でフランを睨み付けた。
優は緊張のあまり息を呑んだ。
次の瞬間にも殺し合いが始まるのではないか。
そんな一触即発めいた空気を感じ取ったのだ。
「……ユウ」
フランが優しく名前を呼ぶ。
優しげな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
「ユウ、こんなのに構わずに仕事に行くよ」
「……は、はひ」
黙って頷くだけで精一杯だ。
優はフランに引き摺られるようにして外に出た。
フランは鼻歌を歌っている。
それが恐ろしくて堪らない。
フランは冒険者ギルドが見えなくなった所で優から離れた。
「あのションベンガキ! 誰がババアだっての! まだ、あたしは20歳だ!」
今、明かされるフランの年齢。
すみません。
もっと年上だと思ってました。
「フランさん、落ち着いて。どう、どう」
「あたしは落ち着いてるよ!」
フランはガンガンと塀を蹴った。
ブーツに金属でも仕込んであるのか、塀の表面がどんどん削れていく。
しばらくして塀を蹴るのを止める。
まあ、その頃には大きな穴が空いていたが。
「……行くよ」
「はい」
優は慌ててフランの後を追った。
「ユウ、あの女には気を付けな」
「どうしてですか?」
我ながら間抜けな質問だと思うが、普段のメアリは気さくに声を掛けてくれるいい娘なのだ。
「あの女はアンタを利用しようとしているんだよ」
「僕に利用価値なんてあるんですか?」
優にできることと言えば魔法を使ったり、神代文字で書かれた本を翻訳することくらいである。
フランは呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。
「本当に鈍いねぇ。50匹のゴブリンを皆殺しにした魔法、エドワードに一目置かれる実力、バーミリオンから買った装備、さらに冒険者ギルドに所属してから1ヶ月かそこらで名指しで依頼されるようになったんだ。女の武器を使ってでも引き止めたいと思うヤツがいても不思議じゃないだろ?」
「そんなもんですかね」
魔法を使えるのはグリンダのお陰だし、エドワードに一目置かれたのは運良く大毒蛇を倒せたからだ。
バーミリオンに気に入られた理由は自分でも分からないし、名指しで依頼されるようになったのだって偶々だ。
「フランさんは……ど、どど、どうなんですか?」
「女の武器を使うかは別として逃がしたかないね」
どうやら、フランとメアリは優のことを高く評価してくれているようだ。
評価される当人としては非常に申し訳ない気持ちの方が強いのだが。
◆◇◆◇◆◇◆◇
バーソロミューの家は川沿いにあった。
白い漆喰が印象的な3階建ての建物だ。
庭はそれほど広くないが、手入れが隅々まで行き届いている。
何故か、バーソロミュー――サロンで最初に声を掛けた恰幅のいい男性だ――は外で待っていた。
「おお、ユウ君。待っていたぞ!」
「お待たせしました」
優はバーソロミューと握手を交わした。
「ウィリアムから君がゴキブリ退治のスペシャリストと聞いてな」
「はぁ、恐縮です」
別にゴキブリ退治のスペシャリストになったつもりはないのだが、フランと言い、メアリと言い、ウィリアムと言い、過大評価は止めて欲しい。
とは言え、引き受けてしまった以上、きちんと仕事をこなさなければなるまい。
「術式選択、地図作成、反響定位、敵探知――うげッ!」
優は魔法を起動して呻いた。
屋敷中が黄色の三角形で埋め尽くされていたのだ。
何匹いるのか見当も付かない。
「ヤツらは何処からともなくやって来て、屋敷を占拠してしまったのだ」
バーソローミューは悲愴感漂う声音で言った。
「頼む! 先祖代々受け継いできた屋敷をヤツらから取り戻してくれ!」
「多少、屋敷が壊れるかも知れませんが?」
「霜で覆われることくらい、どうということはない」
「分かりました。全力を尽くします」
バーソローミューはホッと息を吐いた。
「ありがとう。申し訳ないが、私はこれから仕事なんだ。夕方には戻るからそれまでには算段を付けておいてくれ」
そう言って、バーソローミューは箱馬車に乗り込んだ。
「フランさん、どうします?」
「取り敢えず、状況把握だろ」
「ええ~、中に入るんですか?」
「どんな風に分布してるのか地図だけじゃ分からないんだから仕方がないだろ」
フランは門を開けて中に入っていく。
その時、閃くものがあった。
「ちょっと待って下さい」
「また、怖じ気づいたのかい?」
「いえ、そうではなくて」
優は地図を視界の中央に移動させた。
「地図を移動させてどうするんだい?」
「ずっと、不思議に思っていたことがあるんです」
どうして、平面の地図に大毒蛇やゴキブリが表示されているのか。
それは優が地図を平面として認識しただけで実際は立体的に把握していたからではないか。
優は地図を掴んで前に倒すと、ワイヤーフレームの屋敷が表示された。
「これなら最小限の手間で済みますよ!」
「アンタは自分の魔法も把握してないのかい」
フランは呆れ顔だが、グリンダに詳細な説明を受けていないのだから仕方がない。
「でも、こりゃ便利だね」
「そうですね」
優は胸を撫で下ろした。
平面で見た時にはゴキブリに埋め尽くされているように見えたが、立体で見るとそうでもなかったのだ。
「見た所、厨房が原因みたいだね」
「下水からゴキブリが這い上がってきているってことですね」
つまり、屋敷と下水道はパイプ一本で繋がっているということである。
元の世界ならば排水トラップがあるのだが、この世界にはないようだ。
「じゃあ、先にゴキブリの密集地帯を制圧して、排水パイプ内に潜んでいるゴキブリを河に流しちゃいましょう」
「流すって、どうやるんだい?」
「水生成で大量の水を流すんです」
「なるほどねぇ、冴えてるじゃないか」
「それほどでもないです」
優は小鼻を膨らませた。
努力せずに手に入れた力を誉められると申し訳なさが先に立つが、アイディアを誉められるのは素直に嬉しいものだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
玄関から入るのは愚策――何も正面突破する必要はないだろ? という理屈により、庭伝いに厨房に向かう。
優は窓から厨房を覗き込み、その場に座り込んだ。
「やっぱり、帰りたい」
「ったく、いきなりへこたれるんじゃないよ」
「だってぇ」
「だってじゃないよ!」
「でもぉ」
ゴキブリが厨房を占拠していることはなかったのだが、目に見えるだけでも10匹はいるのだ。
「ん、窓は開けるよ」
「フランさ~ん」
「あたしが窓を開けたら、アンタが魔法をぶち込む。それで解決だよ。ぶち込む魔法は氷弾×100だよ。分かったね?」
「うう、母さんより酷い」
「誰が母親だい! そんなに歳は離れていないはずだよ!」
フランは顔を真っ赤にして吠えた。
まあ、6歳を大きいと見るか、小さいと見るかは意見が分かれる所だろう。
「いいかい? 窓を開けるよ? 魔法をぶち込まなかったら蹴りを入れるからね」
「……はい」
「今だよ」
「術式選択! 氷弾×100!」
フランが少しだ窓を開け、優はすかさず魔法をぶち込んだ。
厨房が一瞬で白く染まり、ゴキブリを示す黄色の三角形があっと言う間に消えていく。
MPは89%。
どうやら、×10で1%、×100で10%の魔力を消費してしまうようだ。
黄色の三角形が全て消えると、フランは窓から厨房に入った。
「ほら、グズグズしてないでさっさと入りな」
「は~い」
ゴキブリがまだ生きているのではないかという恐怖は拭いがたい。
だが、そんなことを言ったら女々しいと言われてしまう。
優は窓から厨房に入り、床に転がっているゴキブリの死体を見ないようにしながら流し台の前に移動する。
視界に表示された屋敷を見る限り、下水道にはゴキブリがまだまだ沢山いる。
「術式選択! 水生成×100!」
大量、高圧の水を排水溝に流し込む。
厨房がゴゴゴゴッと振動する。
多分、パイプの振動が伝わっているのだろう。
「……あとは残敵の掃討ですね」
気の滅入る作業だが、一番大変な所は終わったのだ。
胸を撫で下ろしかけたその時、外から悲鳴が聞こえてきた。
「どうしたんでしょう?」
「そりゃあ、ゴキブリどもを河に流したんだから……」
優は厨房を飛び出し、屋敷の裏手を流れる河に向かった。
そこでは阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。
やや遅れて、フランがやってきた。
バツが悪そうに頭を掻いている。
「……賠償金を請求されないでしょうか?」
「まあ、その辺は冒険者ギルドに任せりゃいいだろ」
次があったら下水口に網を張ろう、と優は他人事のように目の前で展開される地獄絵図を見ていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「おおっ! 流石、ゴキブリ退治のスペシャリスト!」
「はぁ、どうも」
夕方、屋敷の戻ってきたバーソロミューにゴキブリを駆除したことを伝えると、彼は感涙しながら優を抱き締めた。
MPは9%――ゴキブリを川に流してからが長かった。
黄色の三角形を確認しながら物陰に隠れたゴキブリに魔法を撃ち込み、死体を回収する。
屋敷に火ばさみとズタ袋があったお陰で余計な出費を強いられずに済んだが、10袋分のゴキブリと戦うのは精神的にキツかった。
「この話はサロンで宣伝させてもらうよ」
バーソロミューは優から離れると人の好さそうな笑みを浮かべて言った。
これ以上、ゴキブリ退治はしたくなのだが、善意を拒絶するのは憚られる。
「ウィリアムさんの倉庫もそうだったんですけど、下水道からゴキブリが侵入したみたいです。だから、侵入してこないようにパイプの形を変えてはどうでしょう?」
「どんな形にすればいいんだ?」
「ゴキブリを水で足止めできるように1部をU字にしたりするんですよ」
「ほ、ほぅ」
バーソロミューの瞳が剣呑な光を放つ。
独占すれば莫大な利益を得られるとでも考えているのだろう。
「ユウ、そういうアイディアは人に教えるものじゃないだろ」
「僕が作っても儲からないですよ、きっと」
この世界に特許の概念が存在するとして、何の後ろ盾もない優には特許申請の方法も、権利を守る方法も分からない。
しかし、バーソロミューならそれができるはずだ。
「済まないな。自分のことばかり考えてしまった。万が一、私が君のアイディアを形にした場合、どれくらい報酬を払えばいいんだ?」
「いらないです」
「アンタ、自分が何を言ってるのか分かってるのかい!?」
フランが優の胸倉を掴んだ。
「ふ、フランさん、苦しいから放して下さい」
「ああ、悪かったね」
優が手首を叩くと、フランは素直に手を放した。
「その金で下水道をしっかり掃除して下さい」
恐らく、今回ゴキブリが大発生したのは下水道の管理をキチンとしていないせいだ。
下水道の管理を徹底していれば防げたはずだ。
「ユ~ウ、そんなにゴキブリ退治をしたくないのかい?」
「それもありますけど、このままゴキブリを放置したら病気が蔓延しますよ」
加えて、この世界のゴキブリは人間に襲い掛かってくるのだ。
ホラー映画は好きな方だが、人間がゴキブリに襲われる光景を目の当たりにしたいとは思わない。
これでもリアルとフィクションの区別は付く方なのだ。
まあ、異世界に召喚されたくせに何を言ってるんだと自分でも思うのだが。
「分かった。利益が出たら下水の管理を徹底する。それでいいな?」
「ありがとうございます」
優が礼を言うと、バーソロミューは微妙な表情を浮かべた。
「だが、君から一方的に搾取するのは気持ちが悪い。そこでこれを受け取ってくれないだろうか?」
バーソロミューは右手の人差し指と中指に付けていた指輪を外した。
複雑な模様が施された銀色の指輪である。
「これは抗魔の指輪……魔法に対する抵抗力を上昇させるマジックアイテムだ。1つでも効果はあるが、2つなら効果は2倍だ」
「そんな高そうなもの頂けません」
「いや、受け取ってもらわねば男が廃る」
バーソロミューは優の手を取ると指輪を握らせた。
「受け取っときなよ」
「分かりました。大切に使います」
優が頭を下げると、バーソロミューはホッと息を吐いた。
男の面子を守るのは大変なんだな~と思わなくもない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
冒険者ギルドへの帰り道、フランは何度も指に填めた抗魔の指輪を見返していた。
「本当にもらっちまってよかったのかい?」
「もちろんですよ」
優は軽く手を上げ、自分の指輪を見せる。
ステータスを見れば一目瞭然だが、フランはパワーファイターではない。
当然、不破の盾ことベンのような金属鎧は装備できない。
装備できても敏捷性を殺してしまう。
しかし、現状ではフランが盾役を務めざるを得ない局面も出てくる。
だったら、マジックアイテムを使って耐久力を底上げしなければと考えたのだ。
「戻りました」
「ユウ君! また、指名の仕事がきてますよ!」
冒険者ギルドに入ると、またしてもエリーが依頼書――しかも、今回は1枚ではない――を手に駆け寄ってきた。
「えっと、依頼内容は?」
「……ゴキブリ退治」
エリーは申し訳なさそうに言った。
装備を一新したのは割のいい仕事をしたいからでゴキブリ退治をしたいからではないのだが。
「でも、これは凄いことなんですよ! フランさんなんて5年も冒険者をやっているのに名指しの依頼が来ないんですから!」
「余計なお世話だよ」
フランは吐き捨てるように言った。
「……分かりました。引き受けます」
「依頼は8件ありますから、頑張りましょうね!」
はい、と優はガックリと頭を垂れた。