Quest30:迷宮女王蟻を退治せよ【後編】
文字数 12,192文字
グリンダの魔法が完成し、優は浮遊感に包まれた。
目を閉じた次の瞬間、それは落下感に変わる。
柔らかな何か――多分、ベッドだろう――に跳ね返されて目を開ける。
すると、フランとグリンダが宙に浮いていた。
人間が宙に浮いていられるはずもなく、二人は優の上に落下した。
目の前が一瞬だけ真っ白になり、次の瞬間に真っ暗になった。
多分、どちらかが顔の上に載っているのだろう。
見えないが、筋肉質な感じなのでフランに違いない。
しばらくギシギシという音が響く。
ベッドが軋んでいるのだ。
「ゆ、ユウ! 大丈夫かい!?」
「そう思うのならさっさと退(ど)いたらどうかし、ら?」
「そっちこそ、さっさと退けばいいじゃないか」
「貴方が退いたらそうする、わ」
「何だって?」
二人は優の上で言い合いを始めた。
「ふ、二人とも、お、重いです」
「悪かったね」
突然、目の前が明るくなる。
フランが退いてくれたのだ。
「大丈夫かい?」
「ええ、何とか」
「そりゃ、よかった」
そう言って、フランは隣――優の上に座っているグリンダを見た。
「アンタはいつまで座ってるんだい。さっさと優の上から降りな」
「もう少しこうしていたい気分なの、よ。もう少しいいわよ、ね?」
「あたしが降りたら降りるって言ったんだからさっさと降りな!」
「退くと言ったの、よ。降りるじゃない、わ」
「どっちでも同じことだろ!」
「分かった、わ」
グリンダは渋々という感じで優から降りるとブーツを脱いだ。
「貴方も脱い、で。床が汚れる、わ」
「はいはい、分かったよ」
その時、ドタドタという音が廊下から響いてきた。
勢いよく扉が開く。
扉を開けたのはスカーレットだった。
「な~んだ、やっぱりアンタ達だったの。で、どうだったの?」
「見ての通りだよ」
「這々の体で逃げ出してきた所、よ」
フランがムッとしたように言い、グリンダが拗ねたような口調で言う。
「でも、よかったじゃない」
「何がよかったんだい」
「怪我したようには見えないもの」
「まあ、そうだね」
フランはバツが悪そうに頭を掻いた。
彼女は無事を喜ばれて不機嫌さを持続できる人間ではない。
要するに善人なのだ。
「じゃ、あたしは店番を続けるから」
スカーレットは扉を閉めようとしてそのまま動きを止めた。
「だからって、やらしいことは駄目よ」
「あたしらを何だと思ってるんだい」
「……」
フランは溜息交じりに言ったが、グリンダは無言だ。
「なんで、黙ってるんだい?」
「どうして、そんなことを聞く、の?」
フランの言葉にグリンダは可愛らしく首を傾げた。
「夜まで待ちな」
「何を言っているのか分からない、わ」
「待ちな」
「命の危機だったの、よ? 生存本能を刺激されても仕方がない、わ」
「ったく、アンタってヤツは」
フランは呻くように言ったが、グリンダは何処吹く風だ。
図太すぎるんじゃないかとも思うが、敗戦のショックに打ち拉がれるよりマシか。
「とにかく、分かったわね!」
スカーレットは念押しして扉を閉めた。
フランは無言でグリンダを睨んだ。
「さっさとブーツを脱いだ、ら?」
「分かってるよ」
フランはベッドに座ってブーツを脱ぎ、深々と溜息を吐いた。
「は~~~、負けちまったね」
「命があっただけ儲けもの、よ」
「そうなんだけどねぇ。今までなんだかんだと何とかなってきたからねぇ」
「そうですね」
優はブーツを脱ぎ、ベッドから身を乗り出して床に置いた。
「ユウは落ち着いてるんだね。悔しくないのかい?」
「ユウは貴方とは違うの、よ」
「うっさいね」
フランはグリンダの言葉に顔を顰めた。
「で、どうなんだい?」
「別に悔しくはないですね」
やられたという気持ちはあるが、グリンダの言った通り命があるだけで儲けものだ。
生きている限り、負けではない。
「次は勝ちます」
「へ~、言うねぇ」
フランはニヤリと笑った。
「それでこそ、男の子だよ。それで、どうやって勝つつもりなんだい?」
「魔法の効果も薄かったし、武技も効いているようには見えなかった、わ。まあ、フランの武技は未完成だけれ、ど」
「うっさいね。そんなことはあたしが一番分かってるんだよ」
フランはムッとしたように言った。
「けど、有効な攻撃手段がないって部分にゃ同意見だ」
「そうなんですけど……そう言えばグリンダさん?」
「何かし、ら?」
「対抗魔法って言ってましたけど、対抗魔法って何ですか?」
「魔法の威力を弱める魔法、よ」
「へ~、そんなのがあるんですね」
「あるけれど、効率はよくない、わ」
「そうなんですか?」
「そう、よ。ある程度の防御力を持つ障壁を張るにはそれなりの魔力が必要だし、維持するだけでも魔力を消費する、の」
「あれ? でも、グリンダさんは防御魔法を開発してましたよね?」
「攻撃を受け続けたら魔力が枯渇するから自分の足で逃げ回ることを前提とした……」
グリンダは言葉を句切り、天井を見上げた。
蜘蛛でもいるのかと思ったが、そこには何もない。
「避けきれなかった攻撃を防ぐため、の……保険みたいなもの、ね」
「なるほど」
優は頷いた。
自分で走り回った方が効率的というのは少しだけ切ない。
「でも、勝つ方法は見えてきた感じですね」
「ふ~ん、どうやって勝つつもりなんだい?」
「消耗戦に持ち込みます。グリンダさんの言う通り、迷宮女王蟻は対抗魔法を使っていると思うんですよ」
「だから、それをどうやって――」
「話の途中、よ」
「分かったよ」
グリンダの言葉にフランは渋々という感じで従った。
「続けとくれ」
「ありがとうございます」
優は咳払いをした。
「対抗魔法は魔力の消費が激しい。ですよね?」
「その通り、よ」
「それなのに、どうして迷宮女王蟻が対抗魔法を使い続けられるのか? 多分、迷宮女王蟻には魔晶炉みたいなものがあって、魔晶石を魔力に還元しているんです」
「なるほ、ど」
グリンダは小さく頷いた。
「本当かい?」
「筋は通る、わ。文献には載っていなかったけれ、ど」
「なんだ、伸るか反るかじゃないか」
フランはうんざりしたような口調で言った。
「博打は嫌、い?」
「好きじゃないね。博打ってのは胴元が儲かるようにできてるもんだからね」
「安心し、て」
「何がだい?」
「今回の博打に胴元はいない、わ」
「博打そのものが嫌いなんだよ」
「最初からそう言えばいいじゃな、い」
フランがムッとしたように言うと、グリンダは拗ねたように唇を尖らせた。
「まあまあ、2人とも」
「話の腰を折って悪かったね」
「悪かった、わ」
フランはバツが悪そうに頭を掻き、グリンダは視線を逸らした。
多分、グリンダは自分が悪いとは思っていない。
まあ、そういう子どもっぽい所も好きなのだが。
「とにかく、魔力を消耗させれば勝てます」
「ユウ、1つ忘れちゃいないかい?」
「何です?」
「あたし達は3人掛かりで負けたばかりじゃないか。とてもじゃないけど、迷宮女王蟻を消耗させるなんざ無理だよ」
「脳筋、ね」
「何だって?」
グリンダの挑発にフランが柳眉を逆立てる。
「ユウは私達だけで戦うなんて言っていない、わ」
「そうなのかい?」
「その通りです。皆の力を借りましょう」
「3人でリベンジするとばかり思ってたんだけどね」
「それじゃ何年も掛かりますよ」
できればそうしたいけど、と優は小さく息を吐いた。
「相手は規格外のモンスターなんです。数の力で対抗しましょう」
「で、誰の力を借りるんだい?」
「だから、皆ですよ」
「そいつは……ギルドにいる冒険者達ってことかい?」
「そうです」
フランは顔を顰めた。
「あたしが力を貸してくれって言って貸してくれるのかね」
「好かれていないもの、ね」
「そーだよ」
グリンダの言葉にフランはムッとしたような口調で答えた。
「大丈夫、よ」
「何の根拠があって言ってるんだい?」
「女の勘、よ」
「ますます自信がなくなってきたよ」
「貴方は自分で思っているほど嫌われていない、わ」
「好かれていないって言ったばかりじゃないか」
「今の2つは両立する、わ」
「そーかい」
「そう、よ」
フランは不機嫌そうだが、グリンダは淡々としている。
「……断られたらどうするんだい」
「その時はその時に考えればいいんですよ」
それに、と優は続ける。
「頼むだけならただですからね」
「しっかりしてるね」
「私達が駄目人間だから、よ」
「……ぐッ」
グリンダが突っ込み、フランは呻いた。
「じゃあ、ギルドに行きましょう」
「今からかい?」
「善は急げって言うじゃないですか」
「急がば回れとも言うだろ」
「駄目人間の戯れ言、よ」
「誰が駄目人間だい!」
「なら貴方はここで待っているといい、わ。ギルドには私とユウで行ってくるか、ら」
そう言って、グリンダは立ち上がった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ギルドの食堂はそれなりに賑わっていた。
擬神に率いられたゴブリン軍団の件も一段落して暇なのだろう。
そのせいだろうか。
「よう、フラン。儲け話はねーか?」
革鎧を着た冒険者――ジョンがジョッキを片手に近づいていた。
酔っているように見えるが、足取りはしっかりしている。
もしかしたら、さほど酔っていないのかも知れない。
「杞憂だったわ、ね」
「そうだね」
グリンダが呟き、フランは顔を顰めた。
「何の話だ?」
「こっちの話だよ」
「で、儲け話はあるのか?」
「あるっちゃあるね」
ふ~ん、とジョンは相槌を打った。
あまり興味がなさそうだが――。
「立ち話もなんだ。河岸を変えようぜ」
「ああ、分かった」
優達はジョンの後に続く。
ジョンに案内されたのは食堂の一角――円形のテーブルだった。
普段使うテーブル席と違って高さがある。
イスに座るのも一苦労だ。
「ビールを追加で頼む!」
「自腹だろうね?」
ジョンが大声で注文すると、フランは顔を顰めた。
「話を聞いてやるんだ。ビールの一、二杯飲んでもバチは当たらねーだろ」
「チッ、分かったよ」
「で、どんな話なんだ?」
「ちょいと長くなるんだけどね」
そう言って、フランはかいつまんで事情を説明した。
すると、ジョンは腕を組んで唸った。
「そいつは難儀な仕事だな」
「じゃなきゃ頼まないよ」
「そりゃ、そう――」
「お待たせしました」
「お、来た来た」
ウェイトレスからビールを受け取り、ジョンは相好を崩した。
「こんな大人になるんじゃないよ」
「お酒は控え目に、ね」
「分かりました」
多少の憧れはあるが、優は素直に頷いた。
「おいおい、人生の楽しみを奪ってどうするんだ?」
「飲んべえになるよりマシだよ」
「ああ、嫌だ嫌だ」
そう言って、ジョンはビールを呷った。
プハー、と酒臭い息を吐き、ジョッキをテーブルに置く。
「どうなんだい?」
「協力するのは吝かじゃねーけどな」
「けど?」
フランの言葉にジョンは溜息を吐いた。
「それでも、冒険者かよ。金だよ、金。マネーの話」
「やっぱり、そうくると思ったよ」
「そう思ってるんならはぐらかそうとするなよ。こっちは命を懸けるんだぞ」
確かに報酬の話をせずに戦ってもらおうなんてのは虫がよすぎる。
フランがこちらに視線を向ける。
「それなら魔晶石でどうでしょう?」
「魔晶石か」
ジョンは渋い顔をした。
「その、迷宮女王蟻ってのは魔晶石を消費してパワーアップしてるんだろ? 倒した時に残ってるのか?」
「それは問題ないと思う、わ。魔晶石がないと自重で潰れてしまうか、ら」
「どういうことだ?」
ジョンは首を傾げたが、優にはグリンダが言わんとしていることが分かった。
たとえば鯨だ。
大きな鯨は陸に打ち上げられると死んでしまう。
と言うのも自重で骨や内臓が押し潰されてしまうからだ。
「つまり、モンスターは生きるために魔晶石を必要としているってことですよ」
「なるほど、そういうことか」
「そう言った、わ」
ジョンが合点がいったとばかりに頷くと、グリンダは不満そうに唇を尖らせた。
「……最低限の報酬は確保できてるってことか」
「10階層までは魔法でひとっ飛びだから悪い話じゃないと思うけどね」
「よし、乗った! と言いたい所だが……」
「ぬか喜びさせるんじゃないよ、ったく」
「悪ぃ悪ぃ。けど、俺一人が助太刀しても焼け石に水だろ?」
「人が集まらなかったらやらないってことかい?」
「そういうことだ。悪く――」
「迷宮女王蟻の討伐には俺も参加できるのか?」
ぞっとするほど冷たい声がジョンの言葉を遮った。
声のした方を見ると、テーブルから少し離れた場所に男が立っていた。
不機嫌そうな青年――勇者タケルだ。
「あ、ああ、もちろんだよ」
「なら参加する。討伐はいつだ?」
「あ~、それは――」
「取り敢えず、明日って所だな」
タケルの問いかけに答えたのはジョンだった。
「明日の何時だ?」
「人数が集まりゃ昼前には出発するさ」
「分かった」
そう言って、タケルはギルドから出て行った。
「助かったよ」
「いいってことよ。それにしてもすごかったな」
ジョンはわざとらしく汗を拭った。
「嫌な目、ね」
「あまり関わりたくないねぇ」
優は格好いいと思ったのだが、女性陣――フランとグリンダの評価は芳しくない。
男と女では評価するポイントが違うのだろう。
ぶっきらぼうな態度はいけない、と心のメモに書き留めておく。
「逃げちまうかね」
「止めとけ。ああいうタイプは執念深いぜ」
「分かってるよ」
フランはうんざりしたように言った。
「あとのことは任せていいかい?」
「ん、ああ、人集めだな」
「……ふぅ」
フランは小さく溜息を吐き、100ルラをテーブルに置いた。
ジョンが軽く目を見開く。
「手間賃だよ」
「悪ぃな」
ジョンは嬉しそうに100ルラを手に取った。
「さて、家に帰って明日のために英気を養うかね」
そう言って、フランは立ち上がった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日――優達が冒険者ギルドに行くと、5人の冒険者が集まっていた。
と言っても見知った顔はジョンとタケルしかいない。
あとは戦士風の男が3人だ。
いかにもベテランという感じがして頼もしいが、欲を言えば魔法使いが欲しかった。
「魔法使いはいないのかい?」
「腕っこきの魔法使いは――」
「一応、使える」
「「何だって?」」
フランとジョンがタケルを見た。
タケルは小さく溜息を吐き、懐から紙を取り出した。
お札だろうか。
「……光明符」
タケルがぼそりと呟くと、お札が光を放った。
三十秒ほどお札は光を放ち、燃え尽きた。
「符術、ね」
「知っているのか?」
タケルは軽く目を見開いた。
符術――マンガやラノベなんかでよく見かけるが、詳細はよく分からない。
お札を消費して魔法を使うみたいなイメージがある。
わざわざ問い質したということはこの世界ではマイナーな技術なのだろう。
「実際に見るのは初めて、よ。魔力が乏しくても使えるらしいけ、ど」
「そうだよ」
タケルはぶっきらぼうな、何処か拗ねたような口調で言った。
「俺は魔力値が高くないし、武技も使えねぇ。だから、符術を身に付けたんだ」
「おいおい、勇者なのに武技が使えねぇのか?」
「だから、そう言っただろ」
ジョンの言葉にタケルは苛立った様子で応じた。
余裕のなさが伝わってくるようだ。
いや、実際に余裕がないのだろう。
魔法も、武技も使えない。
圧倒的なハンディを埋めるために必死なのだろう。
魔剣を求めたのもそのためだ。
どうして、そこまでするのか。
そんな疑問が湧き上がるが、他人の人生に踏み込むつもりはない。
「強けりゃ文句ねーだろ」
「まあ、そりゃな」
ジョンはニヤニヤと笑った。
多分、若者が四苦八苦しているのが楽しいのだろう。
捻くれているとは思うが、フランに首を絞められた時に助けてもらった恩義がある。
そう考えると、捻くれているだけで悪い人ではないのかも知れない。
「さっさと行こうぜ」
「分かった、わ。術式選択、転移、座標指て、い……」
グリンダが魔法を使うと、浮遊感に襲われた。
優は浮遊感から解放されると、坂道だった。
「術式選択、地図作成、敵探知、反響定位起動」
ぼそりと呟くと、地図が表示された。
ホッと息を吐く。
どうやら、ちゃんと第10階層に続く坂道に辿り着いたようだ。
「ここが10階層か」
「そうみたいだな」
顎を撫でさすりながら呟くジョンにタケルが答える。
見ると、手首を中心に光の輪が回っていた。
魔力値が高くないと言っていたが、ちゃんと魔法が使えるようだ。
「便利な魔法ですね」
「……そうだな」
優の言葉にタケルは少しだけ間を置いて答えた。
変なことを言ってしまっただろうか。
もしかしたら、マジックアイテムなのかも知れない。
謝るべきか迷っていると、タケルは光を消し、フランに視線を向けた。
「これからどうするんだ?」
「あたし達が先導するよ」
フランが歩き出し、優はグリンダと共に後を追った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フランに先導され、優達はダンジョンを進む。
そろそろ迷宮女王蟻がいる空間だが、迷宮蟻とは遭遇していない。
流石にいい予感はしない。
ジョンが口を開いたのはそんな時だった。
「作戦はどうするんだ?」
「迷宮女王蟻の所まで行った後は出入口を塞いでって所かね」
「土壁で塞げる、わ」
「土ねぇ」
何やらジョンは渋い顔だ。
気持ちは分かる。
所詮、土壁は土壁だ。
時間を稼ぐことはできるが、いずれ突破される。
「どうにかできねーか?」
「なんで、俺に聞くんだ?」
ジョンが問いかけ、タケルは渋い顔をした。
「そりゃ、勇者様だからな」
「……チッ」
タケルは舌打ちし、懐から符を取り出した。
「それにはどんな効果があるんだ?」
「防御符だ。一時的に防御力を上げられる」
「一時的にか」
「これで足りないんなら結界を張る」
タケルは渋い顔をした。
自分の戦闘方法を明らかにしたくないのだろう。
彼は戦闘手段の乏しさを補うために符術を身に付けたのだ。
わざわざマイナーな術を身に付けたのは初見殺しを狙ってのことかも知れない。
そう考えると、渋い顔をするのも頷ける。
とは言え、手の内を明かしてしまうのだから根っこの部分はお人好しなのだろう。
「じゃ、それでいくか」
「分かった」
ジョンが軽い口調で言い、タケルは溜息交じりに符を懐に戻した。
「そろそろだよ」
「おう」
フランがぼそりと呟き、ジョンは表情を引き締めた。
優は地図を見る。
迷宮女王蟻のいる所に続く通路はモンスターを示す三角形で埋め尽くされていた。
こちらには気付いていないのか、全て黄色表示だ。
「グリンダが炎砲(フレイム・カノン)をぶっ放したら突っ込むよ」
「呼吸をしないように――」
「防御符」
ジョンの言葉をタケルが遮った。
符がふわりと浮き上がり、緑色の光を放つ。
光を放ち終えた符は燃え尽きる。
「今の、は?」
「防御符だよ」
グリンダの質問にタケルは素っ気なく答えた。
「これでダメージを軽減できるが、熱気を吸ったらどうなるか分からねぇ」
「それで十分だ」
ジョンがニヤリと笑う。
「さあ、頼むぜ」
「任せ、て」
グリンダは髪を掻き上げ、迷宮蟻がひしめく通路に飛び出した。
地図に表示されていた三角形の色が変わる。
黄色から赤へ。
まるで波紋が広がるように。
「Gi、Giiiiiiiiiii!」
「Gi、Gi、Giiiiiiiii!」
迷宮蟻が動き出すが――。
「術式選択! 炎砲(フレイム・カノン)×10!」
グリンダが魔法を放つ方が速かった。
赤い光が杖の先端に灯り、炎が濁流のように溢れ出す。
それは迷宮蟻の群れを呑み込んだ。
炎は迷宮蟻を塵に変え、それでは足りぬとばかりにダンジョンの壁を溶かす。
炎が消えても熱された空気は揺らめいていた。
優は唾を飲み込んだ。
「行くよ!」
「は、はい!」
フランが駆け出し、優は慌てて後を追う。
グリンダ達もだ。
その時だ。
通路の奥から耳障りな声が響いた。
嫌な予感がした。
「縮尺変更!」
優は地図を広域に切り替えた。
赤い三角形がこちらに迫っている。
「フランさん! 迷宮蟻が近づいてます!」
「敵が来たよ! 駆け抜けるよ!」
フランがスピードを上げると、正面に三角形が――いや、地図で確認するまでもない。
3匹の迷宮蟻がこちらに向かっていた。
フランは剣――サブ・ホイールを抜いた。
「
フランの姿が掻き消える。
次の瞬間には迷宮蟻の背後に移動していた。
迷宮蟻が頽れ、塵と化す。
「早くしな!」
フランが叫び、優達は一丸となって迷宮女王蟻のいる――女王の間に飛び込んだ。
振り返ると、迷宮蟻の群れが迫っていた。
「術式選択! 土壁!」
「防御符! 結界符ッ!」
グリンダが通路を土壁で塞ぎ、タケルが符で強化する。
ドン! という音が響くが、それだけだ。
優はフランを見た。
フランは女王の間の奥――迷宮女王蟻を睨んでいた。
「さあ、再戦だ」
「Goooooooooo!」
フランの言葉を理解していた訳ではないだろうが、迷宮女王蟻が吠えた。
ダンジョンの床が割れ、その中から迷宮蟻が姿を現す。
数は3体。
「術式せ――」
「おら!」
優が魔法を使うよりも早くジョンが迷宮蟻に斬りかかった。
迷宮蟻が鉤爪を繰り出すが、ジョンは剣でいなす。
「ユウとグリンダは魔法をぶっ放し続けな! 前衛はあたしとジョン、タケルが引き受けた! あとの2人はユウとグリンダの護衛だ!」
フランが矢継ぎ早に指示を出し、優はジョンが迷宮蟻に斬りかかった理由に気付けた。
迷宮女王蟻を消耗させるつもりなのだ。
「チッ、前衛かよ」
「文句を言うんじゃないよ! 勇者なんだろ!」
「ああ、そうだな」
フランの言葉にタケルは顔を顰めたが、素直に剣を抜き、迷宮蟻に斬りかかった。
甲高い音と共に剣が跳ね返され、迷宮蟻が鉤爪を繰り出した。
チッ、とタケルは舌打ちをしつつ、距離を取る。
迷宮蟻が距離を詰め、そこにタケルの蹴りが突き刺さる。
どれほどの威力があったのか。
迷宮蟻がよろよろと後退する。
どうやら、タケルは剣術と体術を組み合わせて戦うタイプのようだ。
ああ、符術もか。
「見惚れるなよ」
「す、すみません」
中年の冒険者に指摘され、優は頭を掻いた。
「いいってことよ。俺がお前を守ってやるから安心して魔法をぶっ放せ」
「ありがとうございます!」
中年の冒険者が盾を構え、優はその陰に移動する。
すぐ隣ではグリンダが同じように控えている。
「いいかし、ら?」
「いつでもどうぞ!」
優が叫ぶと、グリンダは杖を構えた。
「術式選択! 岩弾×10!」
「術式選択! 氷弾×10!」
「Goooooooooo!」
優とグリンダが魔法を放つと、迷宮女王蟻は雄叫びを上げた。
岩弾と氷弾がぼろぼろと崩れ去る。
「効いてないぞ!」
「ここからは消耗戦です! 術式選択! 氷弾×10!」
「術式選択! 岩弾×10!」
優とグリンダは再び魔法を放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「
フランが横薙ぎの斬撃を放つ。
刃が迷宮蟻の首に食い込むが、それ以上は進まない。
いつもならば容易く首を切断することができる。
それができないのはずっと戦い続けているせいだった。
優は自分とグリンダのMPを見る。
両方とも50%を切っている。
比較的安全な場所から魔法を撃ち続けているだけでこの消耗だ。
前衛を担当しているフラン、ジョン、タケルの消耗は半端ではない。
足下を埋め尽くす魔晶石が3人の激闘を物語る。
「Gi!」
「させるかってんだ!」
迷宮蟻が腕を振り上げ、フランは体を捻った。
剣――サブ・ホイールを包む光が一瞬だけ強まる。
次の瞬間、首が落ち、迷宮蟻は頽れた。
地面に触れるや否や死体は塵を化す。
「どんだけタフなんだ!」
ジョンが迷宮蟻の胸を貫きながら泣き言を言った。
「泣き言を言ってるんじゃないよ! アンタがやりたがってた美味しい仕事だよ!」
「美味しかねーよ、こんな仕事! これならゴキブリを相手にしてた方がマシだ!」
「爆裂符!」
タケルの声が響く。
符は矢のように突き進み、迷宮蟻の胸に張り付くと爆発した。
ガチガチと牙を打ち鳴らしながら迷宮蟻は頽れた。
これで迷宮蟻は全て倒した。
だが、油断はできない。
これまで倒したそばから迷宮蟻を呼び出されていたのだ。
「次が来るぞ!」
「分かってるよ!」
「畜生!」
タケルが叫び、フランとジョンが剣を構えた。
「Goooooooooo!」
迷宮女王蟻が吠えるが、迷宮蟻はもう現れなかった。
優はグリンダと顔を見合わせ――。
「術式選択! 岩弾×10ッ!」
「術式選択! 氷弾×10ッ!」
同時に魔法を放った。
「Giiiiiiiiiii!」
迷宮女王蟻が声を上げる。
だが、それは抗魔法を使うためのものではない。
苦痛――苦痛の叫びだった。
岩弾が体を穿ち、氷弾が前肢を凍らせている。
「チャンスだ! 畳み掛けるよ!」
「おう!」
「Gyaaaaaaa!」
フランとジョンが駆け出し、迷宮女王蟻が雄叫びを上げた。
口――でいいのだろうか――の奥に光が灯る。
まだ奥の手を隠し持っていたのだ。
「チッ! 俺の陰に隠れろ!」
タケルは懐から符を取り出した。
符はタケルの手から離れると、何もない空間で制止した。
それらが形作るのは星――五芒星だ。
「五芒防御符!」
符と迷宮女王蟻が同時に光を放つ。
爆音が轟き、ダンジョンが揺れる。
迷宮女王蟻の攻撃はグリンダの魔法に勝るとも劣らない。
しかし、それをタケルの符術は凌いでいた。
流石、勇者だ。
だが――。
「ヤバい! 凌げねぇ!」
タケルが切羽詰まった声を上げる。
見れば符が黒ずんでいた。
恐らく、術の耐久限界を超えているのだろう。
符が一気に燃え上がり――。
「術式選択! 能動結界!」
グリンダが叫び、入れ替わるように透明な壁――結界がフラン達を守るように現れる。
その代償にグリンダのMPが急速に減少していく。
「ユ、ウ!」
「はい!」
グリンダが手を伸ばし、優は握り返した。
MPの減少が緩やかなものに変わる。
だが、それは優のMPを消費しているからだ。
迷宮女王蟻の攻撃は途切れない。
そして、ついにMPが尽きた。
光が、視界を、埋め尽くした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……いたた」
優は体を起こし、視線を巡らせた。
盾役を務めてくれた冒険者がすぐ近くで倒れている。
どうやら彼のお陰で傷が浅くて済んだようだ。
グリンダは――少し離れた所に倒れていた。
どうやら、彼女も盾役の冒険者のお陰で助かったようだ。
「フランさん!」
優は前を見た。
フランは剣――サブ・ホイールを支えに立っていた。
足下には盾――トライシクルの破片が散らばっている。
フランが膝を突き、迷宮女王蟻が前肢を振り上げた。
その時、何処かで歯車が噛み合った。
「う、うわぁぁぁぁッ!」
優は声を上げ、迷宮女王蟻に向かって走った。
ピシッという音が体の内側から聞こえる。
恐怖は感じなかった。
それは当然のことだ。
××××は自分で戦うようにできていないのだ。
手から闇が噴き出し、刃を形成する。
迷宮女王蟻が前肢を振り下ろす。
優は両腕をハサミのようにように動かし、迷宮女王蟻の前肢を切断する。
「Gyaaaaaaa!」
苦痛からか、迷宮女王蟻が吠える。
優は手を合わせ、刃を伸ばした。
体の内側から嫌な音が響く。
限界を超えた能力を行使したせいで崩壊が始まっているのだ。
「ハァァァァッ!」
優は裂帛の気合と共に闇の刃を振り下ろした。
闇の刃は音もなく迷宮女王蟻を両断した。
「Gya? Gya? Gyaaaaaa!」
迷宮女王蟻は戸惑うかのような声を発し、塵と化した。
あとに残ったのは大量の魔晶石だ。
闇の刃が消え、優は膝を突いた。
ふと気配を感じて横を見ると、タケルが立っていた。
「……やっぱり、お前がそうだったんだな」
「何が?」
「今やったことを覚えてないのか? それとも、そういう風にできてるのか?」
タケルは息を吐き、懐から符を取り出した。
符が浮かび上がり、優とタケルの間で止まった。
「見つけたぜ、人造魔剣」
タケルが呟いた次の瞬間、優の意識は途絶した。