Quest23:妖蠅を討伐せよ その4
文字数 5,073文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふ、ああ~……」
優はダンジョンの入口で大欠伸をした。
昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。
理由は分かっている。
フランとグリンダが隣にいたせいだ。
フランの筋肉質ながらも女性的な柔らかさを残した体が触れるたびに、グリンダのマシュマロのように柔らかな体が触れるたびに腰の辺りが疼いたのだ。
「ユウ、大丈夫かい?」
「眠気覚ましならある、わ」
グリンダはポーチから瓶を取り出すと栓を抜いた。
「そんな便利な薬があるんですね」
「それは飲み薬じゃない、わ」
瓶を受け取り、口元に運ぶと、グリンダに止められた。
「どう使うんですか?」
「嗅ぐか、目元に付けるのよ」
嫌な予感がしたが、そういうものかと納得して鼻で大きく呼吸する。
「……あ」
「ぎゃぁぁぁぁぁ! の、脳がぁぁぁぁぁッ!」
まるでハンマーでぶん殴られたようだった。
キン●ンの匂いを何倍、何十倍にもしたような刺激臭が脳を貫いたのだ。
瓶を落とさなかったのは奇跡に近い。
「の、脳が焼けるぅぅぅぅッ!」
「これは手で煽ぐもの、よ」
グリンダは呆れたと言わんばかりの口調だ。
激痛に苦しむ優の手から瓶を取り、中身が手に掛からないように慎重に蓋を閉める。
視界が涙で滲み、思わず手で擦ると――。
「ぐわッ! 目が、目がぁぁぁぁぁッ!」
目に焼けるような痛みが走り、その場で転がり回った。
「手に付いていたみたい、ね」
「大丈夫なのかい?」
「人体に有害な成分は使っていない、わ」
フランが心配そうに尋ねると、グリンダはいつもと変わらぬ口調で言った。
これだけの痛みを与える薬だ。
無害なはずがないが、突っ込んでいる余裕はない。
しばらく――10分ほど痛みに耐えていると、ようやく痛みが薄れ始めた。
反射的に認識票を見る。
タカナシ ユウ
Lv:4 体力:** 筋力:3 敏捷:4 魔力:**
魔法:仮想詠唱、魔弾、炎弾、氷弾、泥沼、水生成、地図作成、反響定位、敵探知、
魔力探知
スキル:ヒモ、意思疎通【人間種限定】、言語理解【神代文字、共通語】、
毒無効、麻痺無効、眩耀無効、混乱無効、
残念ながらスキルは取得できなかったようだ。
「うう、酷い目に遭った」
優は袖で目元を拭い、立ち上がった。
「ユウ、地図作成を起動して」
「優しい一言が欲しいです」
「痛いの、痛いの、飛んでい、け」
グリンダは言い終えると恥ずかしそうに俯いた。
「それが優しい一言かい?」
「そう、よ」
グリンダは三角帽子を目深に被り、ギュッと杖を抱き締める。
「元気になっ、た?」
「ええ、凄く元気になりました」
「よかった、わ」
何と言うか、意外な一面を見たような気がする。
「地図作成、を」
「術式選択、地図作成、反響定位、敵探知起動!」
優が叫ぶと、地図が視界に表示された。
「術式選択、転移、座標指て、い……」
グリンダが手を伸ばすと、地図が切り替わる。
地図と言っても上から見ている図なので、長方形にしか見えないのだが――。
カーソルのようなものが表示され、地図の一点を指し示した。
エドワード達と転移した時と同じように浮遊感を覚えて目を閉じる。
目を開けると、そこはダンジョンの中だった。
「こんなに簡単に来れるとありがたみがないねぇ」
「徒歩で行き来するのは非効率的、よ」
「まあ、そうなんだけどねぇ」
フランはボリボリと頭を掻いた。
「深い階層を探索するのに転移は必須、よ」
「分かってるよ」
フランはうんざりしたように言った。
「転移って必須だったんですか?」
「使わなくても探索できるっちゃできるけどね。クソ重い食料や水を背負って10階層だの、20階層だのを往復したいかい?」
「したくないです」
優はキッパリと言った。
「じゃあ、魔道士のいないチームはどうするんですか?」
「マジックアイテムを使うの、よ」
グリンダは右手を上げた。
中指には銀色の指輪――帰還のマジックアイテムが控え目に輝いていた。
「グリンダさんも持ってたんですね」
「作ったの、よ」
「気が付かなくてごめんなさい」
「気にしない、で」
ますます申し訳ない気持ちになる。
本当ならグリンダがチームに加わった時点で気付くべきだったのだ。
チームのリスク管理を怠っていたと思われても仕方がない。
「反省するのは後にして魔晶石のある所を調べとくれよ」
「分かりました」
優は黄色の三角形が表示されていないか確認して5階層に下りる。
「術式選択! 魔力探知×100!」
MPが89%まで低下し、魔晶石のあるエリアが水色で表示される。
「うわッ、嫌な感じ」
ダンジョンの一角が超大土蜘蛛の巣のように水色で塗り潰されている。
「ユウ、とっとと戻ってきな! 気付かれた!」
「気付かれた?」
地図を見ると、黄色、いや、赤い三角形が優に迫っていた。
赤は明確な敵意を持っているモンスターを示す色だ。
優が慌てて坂に戻ると、赤い三角形は動きを止め、黄色に変化した。
「馬鹿! ボケッとしてるんじゃないよ!」
「痛ッ!」
フランがポカリと優の頭を叩いた。
「今までのモンスターと違いますね」
「それが迷宮蟻ってもんだよ」
「蟻ってことは女王迷宮蟻もいるんですかね?」
「5階層に女王迷宮蟻はいない、わ」
優の質問に答えたのはグリンダだ。
「どうして、アンタがそんなことを知ってるんだい?」
「本で読んだの、よ」
いつもと変わらぬ口調だったが、何処となく勝ち誇っているように見える。
「本で読んだの、よ」
「はいはいはい、役に立ってるよ」
フランが捲し立てるように言うと、グリンダは不満そうに唇を尖らせた。
「魔力の回復を待って探索を開始するよ!」
「分かりました」
優はその場に座り、地図作成、反響定位、敵探知を解除した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「走れ走れ走るんだよ!」
背後からフランの叫び声が響く。
さらに後方からガチガチという音が聞こえてくる。
迷宮蟻が顎を打ち鳴らす音だ。
地図を見ると、赤い三角形が追ってきている。
数は3つ、いや、9つに増えた。
別の迷宮蟻が脇道から合流したのだ。
「フランさん! 増えました!」
「作戦失敗じゃないかし、ら?」
「鬱陶しいから2人同時に喋るんじゃないよ!」
フランが苛立ったように叫ぶ。
「いいから走りな!」
「モンスターが前から近づいてます!」
「すぐに遭遇する、わ」
ガチガチという音が前からも迫ってくる。
行く手を塞ぐように現れたのは2足歩行の巨大な蟻――迷宮蟻だ。
2足歩行とはいうものの、シルエットは人間を大きく逸脱している。
そのせいか、動きは敏捷値4の優よりも遅い。
しかし、その数は脅威だ。
5階層の探索を始めて30分と経っていないのに後ろから9匹、前から3匹――合計12匹が集まってきている。
「ユウ、打ち止めだよ!」
「分かりました! グリンダさん!」
「任せ、て。術式選択、氷弾×10!」
グリンダが前方の迷宮蟻に魔法を放つ。
先頭にいた迷宮蟻が凍り付き、後ろにいた2匹が迂回して姿を現す。
仲間が死んだのだから躊躇う素振りくらい見せて欲しいものだ。
いや、モンスター――しかも、昆虫に仲間意識を期待する方が間違いか。
仲間意識が希薄ならば1匹がやられている間に襲い掛かるという戦法もありだろう。
「術式選択、氷弾×10」
「術式選択! 氷弾×10!」
氷弾が迷宮蟻に直撃し、一瞬で凍り付かせる。
「ったく、面倒臭いねぇ!」
優が声を聞いて振り返ると、フランが3匹の迷宮蟻と対峙していた。
フランは槍で先頭にいた迷宮蟻を貫く。
超大土蜘蛛の牙から作られた槍は麻痺の効果を持つ。
槍は迷宮蟻の動きを鈍らせることに成功したが、動きを封じることはできなかった。
迷宮蟻が槍を掴む。
フランは槍を引き抜こうとしたが、迷宮蟻がしっかりと握り締めているせいでできなかった。
チッ、とフランは舌打ちして槍を手放し、魔法銀の剣に手を伸ばす。
槍に貫かれた迷宮蟻がその場に頽れ、その陰から2匹目の迷宮蟻が姿を現した。
フランが剣を抜くより迷宮蟻が腕を振り下ろす方が速かった。
迷宮蟻の手には鉤爪が生えている。1本1本がナイフを思わせる鋭い爪だ。
鉤爪が革鎧の表面を滑るが、フランを傷付けることはできなかった。
振り下ろされた瞬間に地面を蹴り、距離を取ったのだ。
「はっ、可愛らしくなったじゃないか!」
フランは獰猛な笑みを浮かべ、斜めに剣を振り上げた。
魔法銀の刃が脇腹から入り、反対側の肩から抜ける。
さらに返す刀で首を斬り落とした。
首を失った迷宮蟻が頽れ、その陰から3匹目が姿を現した。
仲間意識が希薄だからこそできる見事な連携だが――。
「術式選択、氷弾×10!」
グリンダの魔法が3匹目を呑み込んだ。
優はフランと凍り付いた迷宮蟻の脇を駆け抜ける。
もう目で確認できる距離に9匹の迷宮蟻が迫っていた。
「術式選択! 泥沼!」
跪いて両手で地面に触れると、触れた箇所が形を失って泥沼と化す。
もちろん、それで終わらない。
泥沼は前方に向かって伸び、9匹の迷宮蟻を捕らえた。
迷宮蟻のスピードが目に見えて鈍る。
6本足ならまだしも4足歩行では体重の分散はままならない。
グリンダが駆けつけ、杖の先端を泥沼で足掻く迷宮蟻に向ける。
「術式選択、氷弾×50」
「術式選択! 氷弾×50!」
冷気の嵐が吹き荒れ、ダンジョンの一角ごと迷宮蟻を凍り付かせた。
「うひぃぃぃ、寒いねぇ!」
「この寒さは堪える、わ」
フランがマントに包まるが、グリンダはプルプルと震えているだけだ。
まるで真冬のような寒さだ。
露出度の高い――まあ、こんな装備にしたのは優なのだが――グリンダにはさぞや堪えることだろう。
「グリンダさん、どうぞ」
「ありがと、う」
優が自分のマントを脱いで差し出すと、グリンダはそそくさとマントに包まった。
よっぽど寒かったのか、遠慮する素振りすら見せなかった。
「よし、上手くいったね」
「かなりギリギリだったと思うけれ、ど」
「いいんだよ、終わりよければ全てよしって言うだろ」
フランはムッとしたように言った。
自分の作戦――包囲される前に一角を崩して敵を迎え撃つ――が成功したにもかかわらず批判されたのだから気持ちは分かる。
「遭遇するたびに倒せばいいと思う、わ」
「でも、敵に囲まれるのは怖いですよ」
迷宮蟻が集まってくるスピードはかなり早かった。
さらに武器を掴んできたり、仲間を盾にしてきたりと嫌な戦い方をする。
今回、集まってきた迷宮蟻は3匹でチームを組んでいたが、別のチームのために犠牲になれるのならば手強い敵と言わざるを得ない。
「こっちが主導権を握ってる状況の方がいいと思うんですよね」
「それもそうかも知れないわ、ね」
「チッ、ユウにはあっさり説得されちまうんだね」
フランは面白くなさそうに言った。
「説得された訳ではない、わ。そうかも知れないと思い直したの、よ」
「それが説得されたんじゃなくて何なんだい?」
「まあまあ、2人とも……意見を言い合うのは大事ですよ。もしかしたら、意見の対立から新しい戦術が生まれるかも知れないんですから」
優はフランとグリンダの間に割って入った。
もう少し仲良くして欲しいとは思うが、色々な意見が出る状況は大事だとも思う。
「あ、魔晶石を拾わないと」
見ればダンジョンが蠢き、凍り付いた泥沼を呑み込み始めている。
「警戒をお願いします!」
優は凍り付いた泥沼の上を駆け回って6個の魔晶石を回収した。
迷宮蟻の魔晶石は他のモンスターに比べて大きめだった。
サイズを測りながら拾っている訳ではないので、あくまで感覚的に大きく感じるというレベルだが。
さらに6つ――行く手を塞ぐように現れた迷宮蟻とフランとグリンダが協力して倒した迷宮蟻の魔晶石を回収してリュックに入れた。