Quest24:開店の準備をせよ その5
文字数 6,245文字
「ったく、今日は早く行くって言ったのに」
スカーレットはぶつくさ言いながら料理をテーブルに並べていく。
今日のメニューはトースト、野菜たっぷりのスープ、スクランブルエッグ、ベーコンである。
フランは申し訳なさそうに肩を窄めている。
グリンダもまた申し訳なさそうに俯いているが、これは反省したフリだ。
そうでなければ不満そうに唇を尖らせたりしないだろう。
「アンタに言ってるのよ。2人も女をベッドに連れ込んで……」
「こういう経験ができるのって若い内だけだと思うな」
「普通は若くてもやらないのよ! この淫獣!」
「い、淫獣?」
「なんで、嬉しそうなのよ!」
スカーレットの叫び声がリビングに響いた。
「淫獣なんているの?」
「いるわけないでしょ! これは頭の中がエロに占拠されているアンタのためにあたしが考えた造語よ、造語!」
「……いないんだ、淫獣」
「なんで、残念そうなのよ!」
キーッ! とスカーレットはヒステリックな声を上げた。
「いや、いるなら見てみたいと思いまして」
淫獣――粘液に塗れた触手を持つ生物。
そんなものがいるのなら見てみたかった。
もちろん、淫獣に襲われてピンチに陥っているフランやグリンダ、女性冒険者を見たい訳じゃなく。
「そっか、いないんだ」
「なんで、寂しそうなのよ」
優がスープを掻き混ぜながら言うと、スカーレットは力なく突っ込んできた。
残念がっていても仕方がないので、スープを口にする。
「スカーレットは食べないの?」
「あたしは食べてきたもの」
スカーレットはグリンダの隣に座り、湯気を立ち上らせるカップを口元に運んだ。
カップの中に入っているのは香茶だ。
「今日のスケジュールは?」
「職人が来るまではここにいるわ。その後は倉庫に移動して仕事ね」
「よく借りられたね?」
「父さんのツテよ、父さんの」
スカーレットは仏頂面で言った。
優は倉庫を借りられてよかったと思ったが、どうも彼女はそう思っていないようだ。
「何が不満なの?」
「父さんの力を借りるのが嫌なのよ」
ふ~ん、と優は相槌を打ちながらトーストを千切って頬張った。
「バーミリオンさんは?」
「父さんは何も言わないわよ。そっかとか、好きにしろとかそんな感じ。そう言えば、とっとと独り立ちしろとは言われたわね」
「ということは……」
「世話にはならないわよ。アンタと同じ空間にいたらそれだけで妊娠しちゃうわ」
スカーレットは威嚇するように歯を剥いた。
「そういうスキルがありそうだね」
「
「真面目に返されても困るんだけど」
スカーレットは呻くように言った。
「親に頼れるんなら頼っときゃいいじゃないか」
「あたしは自分の力を試したいのよ」
フランが言うと、スカーレットはムッとしたように言い返した。
「これじゃ父さんの力じゃない」
「気にする必要はないんじゃない?」
「何でよ?」
「それもスカーレットの力だと思うから」
スカーレットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「親の七光を嫌っているのは分かるんだけど、それってそんなに悪いことなのかな?」
「胸を張れることじゃないでしょ」
「バーミリオンさんのツテを使ったって言うけど、段取りを組んだのはスカーレットじゃない。それって誰にでもできることじゃないと思うよ」
優はスクランブルエッグを食べる。
「それに評価されるのはこれからだからね。バーミリオンさんの力があっても実力がなければ評価されないよ」
「まあ、そうよね」
スカーレットは納得しきれていないようだったが、険が少しだけ和らぐ。
「父さんを意識しすぎてたみたい」
「それは仕方がないよ」
バーミリオンは商人や貴族に名を知られている超一流の職人だ。
多分、スカーレットは子どもの頃からバーミリオンの子どもとして見られていただろうし、職人として意識するなと言う方が難しい。
「……あ」
「ごめんくださ~い! 冒険者ギルドです!」
スカーレットは何かを言っていたようだが、大きな声によって掻き消された。
「は~い!」
優はフォークをテーブルに置き、店に向かった。
店の中央に冒険者ギルドの男性職員が立っていた。
髪を七三分けにしていて、黒縁の眼鏡を掛けている。
まるでステレオタイプのサラリーマンか、役所の職員みたいな格好だ。
彼の傍らにはいくつも袋を載せた台車があった。
どうやら、クエストで依頼していた薬草を届けに来てくれたようだ。
「依頼されていた薬草を届けに来ました。数量と品質はこちらで確認しているので、認識票の提示と受取証に署名をお願いします」
当たり前と言えば当たり前だが、随分と手慣れている。
優は首から提げていた認識票を手に取り、職員に見せた。
「……確認しました。こちらが受取証になります」
「えっと、ペンが……」
「どうぞ、お使い下さい」
男性職員はポーチからペンを取り出した。
優がペンを受け取ると、男性職員は背中を向けた。
「どうぞ、私の背中をお使い下さい」
「ありがとうございます」
優は男性職員の背中を借り、裏移りしないように素早く受取証に署名をした。
職員が向き直ったので、受取証とサインペンを渡す。
男性職員は受取証を見ながらペンをポーチに戻した。
「ありがとうございます。薬草はここに置けばよいでしょうか?」
「いえ、奥にお願いします」
「かしこまりました」
「手伝います」
「いえいえ、大した手間ではありませんから」
そう言って、男性職員は袋を持ち上げた。
それも2つずつ。
大した手間ではないと言った通り、2往復で薬草を運び終えてしまった。
「クエストは全て完了しておりませんので、本日の夕方か、明日の今頃に改めて荷物をお持ちすることになります。ご不在の予定は?」
「誰か1人はいると思います」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
男性職員はペコリと頭を下げると台車を押して出て行った。
入れ違いに3つの箱を肩に担いだドワーフが入ってきた。
「ここがスカーレットの言ってた店かい?」
「はい、そうです」
「そうかい」
ドワーフは優の前に箱を置いた。
その拍子にガチャという音が響いた。
どうやら、箱の中には薬を入れるための瓶が入っているようだ。
確認してくれ、とドワーフは箱を開けた。
箱の中は薄い板で10×10に仕切られ、そこに瓶が1本ずつ納められていた。
10×10が3箱で300本――割れている瓶や欠けている瓶は1本もなかった。
「1本5ルラ、300本で1500ルラだ」
「分かりました」
「即金とは気前がいいな」
優は代金を手渡すと、ドワーフはニヤリと笑った。
「今後ともご贔屓に」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ドワーフは意気揚々と店から出て行った。
優は箱を持ち上げ、奥に運ぶ。
すると、グリンダが袋の中身を確認していた。
優は慎重に瓶の入った箱を床に置いた。
「瓶は1本5ルラだそうです」
「相場より少し安いくらい、ね」
「……少し高いような気がしますけど」
100ルラ=1万円とした場合、1ルラは100円だ。
職人の手作りだと分かってはいるが、優の感覚からすれば空瓶1本500円は高い。
「リサイクルをした方がいいですね」
「リサイク、ル?」
グリンダは不思議そうに首を傾げた。
「要は瓶を使い回すんですよ」
「大丈夫かし、ら?」
「アルコールで消毒したり、煮沸消毒すれば大丈夫だと思いますよ。欠けたり、割れたものは職人さんの所に持って行くしかないですけど」
もしかしたら、ガラスもダンジョンで採取できるのかも知れない。
だとしたら、リサイクルの概念が育たなかったのも頷ける。
「消毒のことではない、わ。皆が持ってきてくれるか心配している、の」
「10本持ってきたら……ところで、水薬はいくらになりそうですか?」
「500ルラでクエストを発注しているから55ルラで元が取れる、わ」
「でも、それだと利益が薄すぎますよ」
この調子ではグリンダの店2号店など夢のまた夢だ。
「いくらにすればいいかし、ら?」
「300ルラでいいんじゃないですか?」
人件費を別として原価率は18,33――%だ。
ぼったくっているような気がしないでもないが、将来のことを考えるとあまり安くしたくない。
「空き瓶を60本持ってきてくれないと無料で1本進呈できない、わ」
流石はグリンダと言うべきか。
皆まで言わずとも優の言いたいことを察してくれたようだ。
「試供品をプレゼントとかどうですか?」
「空き瓶を持ってきてくれた人を実験体にするのは不義理だと思う、わ」
「実験体!?」
思わず叫ぶ。
「試供品とはそういうものでしょ、う?」
「違いますよ! 試供品はお客さんに商品の効果を試してもらうもので、お客さんで商品の効果を試すものじゃありません!」
「……?」
グリンダはパチパチと目を瞬かせ、不思議そうに小首を傾げた。
「同じことじゃないかし、ら?」
「全然違いますよ!」
優は再び叫んだが、グリンダは不思議そうにしている。
どうすれば納得してもらえるのだろうか。
いや、彼女は動物実験が失敗しているのに人体実験をするような人間だ。
価値観が異なるのだから説得は不可能だ。
「試供品は止めましょう。絶対にやっちゃダメですからね? 約束ですよ?」
「どうして、そんなに念を押すのかし、ら?」
「失敗する余地のあるものは失敗するんです」
確かマーフィーの法則と言ったはずだ。
ここで試供品を作ったら人体実験まがいの悲劇が起きるに違いないのだ。
悲劇を未然に防ぐためには試供品を作らないのが一番だ。
「失敗が何を指しているのか分からないけれど、ユウ以外で人体実験はしない、わ」
「え!?」
「ユウ以外で人体実験はしないと約束する、わ」
問い返すと、グリンダは言い直した。
言い直しても内容は変わらないが――。
「ユウなら大丈夫、よ」
「人体実験なんて止めて下さいよ。僕は家族を捜さなきゃならないんです。そりゃ、生きている可能性は低いと思いますけど、それならそれで骨だけを拾って、埋葬してあげたいんですよ」
「……人体実験は控える、わ」
グリンダは残念そうに言った。
探究心と愛は両立できると言っていたが、探究心>愛で間違いないようだ。
「人体じっ……試供品がダメなら何をすればいいのかし、ら?」
「くじ引きはどうです? 空き瓶1本につき1ポイント、10ポイント貯まったらくじ引きを1回引けると」
人体実験と言いかけたことは指摘しなかった。
「空くじしか入っていないというオチ、ね?」
「オチはいらないですよ、オチは!」
「景品は何がいいかし、ら?」
「水薬と解毒薬、抗麻痺薬のセットでいいんじゃないですか? うん、駆け出し冒険者セットとして店に置くのもありですね」
「セット販売、ね」
プラモデルのセット販売はダメだが、薬のセット販売は問題ない。
何しろ、単品でも売っているのだ。
どうしても欲しいお客さんの足下を見ている訳ではない。
「お~い、スカーレットの言っていた店はここか!?」
「そう……」
「そうよ!」
スカーレットがリビングから顔を出して叫び、店に向かった。
「おお、スカーレット。なかなかよさそうな店じゃないか」
「あたしの店じゃないけどね」
優が店に出ると、スカーレットと髭面のドワーフが話し合っていた。
「こいつはユウ、この店のオーナーの1人よ」
「ふ~ん、こいつがキングサイズのベッドを注文した男か」
ドワーフは値踏みするように優を見つめ、ニヤリと笑った。
「若いのに大したもんだ。やっぱり、若い内はこうじゃないとな」
ガハハッ、とドワーフは豪快に笑った。
「おや、意外な評価」
「職人は変わり者が多いのよね」
スカーレットは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「変わり者とは失礼だな。俺は遊びも仕事も全力で取り組んでるだけだぜ」
「変わり者に限って腕がいいのよね」
スカーレットは深々と溜息を吐いた。
「それで、見積もりはどうですか?」
「ああ、そうだな」
ドワーフはポーチから紙を取り出した。
グリンダとスカーレットが描いた絵だ。
修正点が赤い線で細かく記されている。
「パッと見た限り、この案でいけるぜ。もちろん、サイズが合わない所はこっちで調節するけどな。見積もりは修繕費とベッド代含めて2万ルラだな」
う~ん、と優は唸った。
「何か問題でもあるのか?」
「初めてなので、高いのか安いのか分からないんですよ」
「内装そのものを作り直すんだ。これくらいもらわねぇと割に合わねぇよ。おまけに工期は6日間だ。スカーレットの頼みじゃなけりゃ引き受けねぇよ、こんな仕事」
「分かりました。2万ルラでお願いします」
「値切んないのね?」
スカーレットが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「知り合いの知り合いだからって全面的に信用するのはマズいと思うんだけど……」
「だけど?」
「正直、今の僕達はスカーレットを信用するしかないんだよね」
複数の職人に見積もりをお願いするのも手だと思うが、スカーレットの知り合い以上に信用できる職人を探せるかと言えば難しい。
「話が早くて助かるぜ」
「支払いは現金ですか、口座振り込みですか?」
「口座振り込みだな。昔は面倒臭ぇと思ってたんだが、これがなかなか便利でよ。ちょいと待ってくれよ」
ドワーフは懐から分厚い紙を取り出すとペンで何かを書いて差し出した。
「それは?」
「請求書だ。お前がこれに署名して冒険者ギルドの受付に持っていくか、冒険者ギルドの職員に預けりゃすぐに入金されるって寸法よ」
「随分、便利なんですね」
優は請求書を受け取り、文面を見つめた。
請求書には『カーマイン工務店、店舗のリフォーム代として2万ルラ』と書かれている。
「もしかして、バーミリオンさんの親戚ですか?」
「従兄弟のカーマインだ」
ドワーフ――カーマインは歯を剥き出して笑った。
どうやら、バーミリオンの一族は赤系統の名前で統一されているようだ。
「今日の夕方か、明日にギルドの職員が来るんですけど、その時に渡せばいいですか?」
「構わないぜ。工事を始めるが、問題はねぇな?」
「よろしくお願いします」
「よーし! 野郎ども出番だぞ!」
カーマインが叫ぶと、ドワーフ達が続々と入ってきた。
「あたしは仕事に行くけど……」
その前に、とスカーレットは瓶の入った箱を持ち上げた。
種族差別と言われるかも知れないが、ドワーフだけあってパワフルなようだ。
「奥に運べばいいのよね?」
「お願いします」
箱を奥に運ぶと、グリンダはいなかった。
MPが微減しているので、水薬の製造に取り掛かっているらしい。