幕間の物語:勇者アランの伝説 その2
文字数 4,351文字
『勇者アランの伝説』はQuest25~28の間に起きた出来事になります。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、アランが部屋から出ると、芳ばしい匂いが鼻腔を刺激した。
匂いに誘われるように一階に下りると、ベスがカウンターで食事をしていた。
パンとスープという粗末なメニューだが、空腹の身には美味しそうに見える。
「あら、おはよう」
「……おはよう」
ベスは欠伸を噛み殺し、小さく千切ったパンを頬張った。
混ぜ物が多い小麦を使っているのか、パンの断面は灰色だ。
「今日は森にでも行くの?」
「そっちはデートにでも行くのか?」
問い返すと、ベスは苦笑した。
彼女は黒を基調としたワンピースを着ている。
「御主人様の所でお仕事よ」
「どんな仕事なんだか」
「う~ん、強いて言えば雑貨屋の売り子ね」
「強いて言えば?」
「薬とマジックアイテム、服に、下着まで扱ってる店だもの。御主人様はでぃすかうんとすとあを目指すって言ってたけど」
ベスは人差し指を唇に当てて呟いた。
どうやら、自分の店がどんな店なのか把握していないようだ。
「で、そっちは?」
「俺は森で冒険をするんだ」
ふ~ん、とベスはしげしげとアランを眺めた。
「薬草でも摘むの?」
「モンスターと戦うんだ」
ムッとして言い返す。
小さい頃は森で薬草を摘んだこともあるが、あれは女子どもの仕事だ。
勇者を目指す男の仕事ではない。
「ああ、素材集めね」
う~ん、と今度は唸りながらアランを眺める。
「所持金は?」
「……関係ないだろ」
ベスは自分の太股を支えに頬杖を突いた。
「……300ルラ」
「故買屋で槍とナイフを買っておいた方がいいわよ。食事が終わるまで待っててくれたら案内してあげるけど?」
「どうせ、金を取るんだろ」
「駆け出しからお金を取ろうとは思わないわよ」
ベスはフッと笑った。
「なんて、ね。本当は御主人様のお陰で懐が温かいから、ちょっとくらい親切にしてあげようと思っただけ」
「だったら、俺に親切にするんじゃなくて御主人様とやらに恩返ししろよ」
思わず声を荒らげる。
ベスの態度が気に入らなかったのではない。
ユウに施しを受けたような気がしたのだ。
「それもそうね。それで、どうするの?」
「……案内はいらない」
アランは剣の柄を握り締めた。
これから伝説を築こうという人間が場末の酒場で働いている女に施しを受けてどうするというのか。
「そう? 困ったら……お金のこと以外では相談に乗るわよ」
「……」
アランは無言で安宿を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇
一角兎は燃えるような瞳でアランを睨み付けながら後ろ脚で地面を掻いた。
いいぞ、らしくなってきた、と剣を構えながら口角を吊り上げる。
発見するまでに時間が掛かってしまったが、発見してしまえばこっちのものだ。
モンスターは人間を見ると襲い掛かってくる。
もっとも、多少知恵の回る亜人はこの限りではないが。
アランは一角兎が地面を蹴ると同時に駆け出した。
強く踏み込んで刃を一閃させる。
我ながら惚れ惚れするような一撃だ。
しかし、一角兎は刃が届くよりも早く地面を蹴っていた。
脇腹に熱が生じる。
角が鎧の下にある皮膚を切り裂いたのだ。
「あ、がッ!」
アランは脇腹を押さえながら滅茶苦茶に剣を振り回した。
手を濡らす血の感触、立ち上る血の臭いに吐き気を覚える。
剣が当たり、一角兎が吹っ飛んだ。
だが、致命傷ではない。
当たり前だ。
刃を合わせなければ斬れない。
剣とはそういうものだ。
それでも、警戒心を抱かせることには成功したようだ。
チャンスだ。
ここで攻めなければ勝機はない。
「だーーーーッ!」
アランは滅茶苦茶に剣を振り回しながら一角兎に突進した。
空振り、空振り、迫り出していた木の枝を斬り落とす。
クソッ、腕が、脚が重い、と心の中で吐き捨てる。
ふと道場で初めて試合をした時のことを思い出した。
あの時もこうだった。
自分はもっと動けると思っていたのにすぐにバテてしまった。
人間は全力で動き回るようにできていない。
剣を振り上げるのもやっとの状態に陥る。
この時を待っていたかのように一角兎が大地を蹴った。
「ひッ!」
反射的に横に避け、一角兎が背後にあった木に激突、いや、突き刺さった。
「ひぃあああああああッ!」
悲鳴を上げ、一角兎を滅多打ちにする。
一角兎が赤黒い何かに変わり、アランはようやく手を休めた。
「へへ、大したことないな」
鼻の下を擦る。
思いの外、苦戦してしまったが、初めての戦闘だったからだ。
次はもっと上手くやれる。
「……魔晶石の他に角と毛皮が売れるんだったな」
呟いたその時、ガサッという音が背後から聞こえた。
恐る恐る振り返ると、一角兎がこちらを睨んでいた。
アランは一角兎に向き直り、剣を構えた。
何かが落ちる音がした。
剣が手から零れ落ちたのだ。
「う、腕が痺れて」
一角兎が後ろ脚で地面を掻く。
次の瞬間、何処からともなく飛来した矢が一角兎を射貫いた。
「は?」
「ちょっと! それは私達の獲物!」
何が起きたのか分からずに一角兎に手を伸ばすと、女の怒鳴り声がした。
思わず動きを止める。
しばらくすると槍を手にした女――少女が茂みから飛び出してきた。
やや遅れて弓を手にした少女、さらに遅れて棍棒を手にした少女が出てきた。
棍棒を手にした少女には見覚えがあった。
「ボニー?」
「……アラン君」
棍棒を持った少女――ボニーはぼそぼそと呟いた。
彼女は薬師の娘だった。
痩せぎすで雀斑だらけ。
いつも日陰で植物をスケッチしていた。
だから、仲間内では劣った存在だと認識されていた。
その印象は変わっていない。
いや、他の2人のせいで余計に見窄らしく感じる。
「知り合い?」
「同郷です」
ふ~ん、と槍を手にした少女は値踏みするような視線を向けてきた。
「何だよ?」
「別に何でもない。アン、見張ってて」
槍を手にした少女はアランに背を向けると一角兎を解体し始めた。
弓を手にした少女――アンは油断なく周囲を見回している。
「おい、待てよ」
「これは私達の獲物」
「俺が戦ってたんだぞ」
アランが対峙していた所に横槍を入れてきたのだ。
彼女達が横槍を入れなければ死んでいたかも知れないが、分け前を求める権利くらいあるはずだ。
「……メアリ」
「あ~、分かった、分かりました」
アンが目配せすると、槍を持った少女――メアリは立ち上がった。
「……あげる」
「何だよ、それ」
アランが詰め寄ろうとすると、アンが割って入った。
「獲物を横取りしてすみませんでした。この獲物は差し上げますので、手打ちにして下さい」
「……分かればいいんだよ」
アランは頷くしかなかった。
アンの手は腰から提げた鉈に添えられ、メアリも槍の穂先をこちらに向けていた。
「あんたらはこれからどうするんだ?」
「関係ないでしょ」
「薬草を摘みに行きます」
アンがまたしても割って入る。
「そうか、頑張れよ」
モンスターを退治するのなら手伝ってやってもよかったが、薬草摘みなんて手伝う気にならない。
チッ、とメアリは舌打ちをし、2人を連れて森の奥に消えていった。
「こんなことならナイフを買っておけばよかったな」
アランは一角兎の死体を見下ろして呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕方、アランは魔晶石と素材を買い取ってもらうために冒険者ギルドにいた。
「……査定額は20ルラです」
「ちょっと待てよ。20ルラってことはないだろ」
「こんなズタズタの毛皮と角に値段はつけられません。買い取れるのは魔晶石だけです」
エリーは溜息を吐くと手の平でカウンターの上にある素材を指し示し、それから魔晶石を摘まみ上げた。
「おい! 早くしろよ!」
「それでいいよ」
背後から大声を浴びせかけられて頷く。
「分かりました。どうぞ、お受け取り下さい」
20ルラを受け取り、財布に入れる。
宿代は1日30ルラなのに20ルラしか稼げなかった。
食事もしなければならないのだ。
このままではすぐに財布が空になってしまう。
メアリ達と擦れ違った。
ボニーは大きく膨らんだリュックを背負っている。
小さく舌打ちをした時、ジョンが声を掛けてきた。
「よう、怖い顔をしてどうしたんだ?」
「見てただろ?」
「お前の口から聞きたいんだよ。まあ、座れや」
アランはジョンの対面の席に座った。
安宿で不貞寝したかったが、こんなヤツとでも話せば気が紛れるかも知れない。
「どうやら、俺の忠告は無駄だったみたいだな」
「俺は冒険者らしい仕事がしたいんだ。ゴキブリ退治なんて冒険者の仕事じゃない」
「あれだって立派な仕事だ。大した手間を掛けずに3日分の宿代が稼げる」
ジョンは戯けるように諸手を挙げた。
「アンタはゴキブリ退治で食ってるのか?」
「いや、隊商の護衛もするさ。村まで行くだけで1日200ルラだ」
なんて志の低い男だ、とアランは顔を顰めた。
小銭を稼ぐことばかり考えて冒険者の本道を見失ってるとしか思えない。
「夢も大事だが、現実はもっと大事だ。現実ってのは容赦ねーぞ。特に冒険者の現実は」
「お待たせしました」
ウェイトレスがテーブルの上に料理――大きなパンと分厚いステーキ、ビールの注がれたジョッキを並べる。
あちあち、とジョンは言いながらパンを2つに割った。
パンの断面はベスが食べていたそれとは比べものにならないくらい白い。
ぐぅ~、とお腹が鳴った。
そう言えば昨夜から何も食べていない。
こちらの視線に気付いたのか、ジョンはニヤリと笑った。
「やらんぞ。これは俺が現実的に稼いだ金だ」
「いらねーよ」
ジョンはパンにバターをたっぷり載せて齧り付いた。
「美味い美味い」
「ゴキブリを退治しただけじゃないか」
「あ~、ゴキブリを退治した金で食う飯は美味いな~」
ジョンは分厚いステーキに齧り付いた。
肉汁が染み出して口元を汚す。
くちゃくちゃと音を立てて食う姿は汚らしいが、とても美味そうだった。
「ステーキが食いたけりゃ仕事を選り好みするな」
「説教なら沢山だ」
アランはテーブルを叩いて立ち上がった。