Quest30:迷宮女王蟻を退治せよ【中編】
文字数 11,460文字
◆◇◆◇◆◇◆◇
「術式選択、転移、座標指て、い……」
グリンダの声が耳朶を打ち、浮遊感に襲われる。
目を閉じるが、地図は表示されたままだ。
不意に地図が切り替わる。
転移に成功したのだ。
目を開けると、そこはダンジョン――10階層に続く坂道だった。
「どうして、がに股なんだい?」
「転けそうになったんで自分なりに対策したんですよ」
フランが呆れたように言い、優は足を閉じながら答えた。
「残念、ね」
「何がだい?」
「ユウに抱きついてもらえると思ったのでしょ、う?」
「んな訳ないだろ」
フランはやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「ユウ、次からは私に抱きつくといい、わ」
「胸に顔を埋めて――」
「いきなり何を言ってるんだい!」
フランの怒声が優の言葉を遮った。
「抱きついていいと言われたので」
「どうして、ユウはそんなに自分に正直なのかねぇ」
「男の本能でしょうか?」
「理性は何処に行ったんだい、理性は」
「書き置きして出て行きました」
は~、とフランは深々と溜息を吐いた。
「じゃあ、フランさんにしがみつかせて下さい」
「いざって時に困るだろ」
「残念です」
「あたしも残念だよ。出会った時は可愛かったのに、どうしてこんな風になっちまったんだか」
「貴方の責任じゃないかし、ら?」
「さあ、今日は10階層の探索だよ」
グリンダの突っ込みを無視し、フランは坂道――正確にはその先にある10階層を見つめた。
足下を確かめるようにゆっくりと坂道を下り、優とグリンダはその後に続いた。
地図にモンスターを示す三角形は表示されていないが、魔法を過信するべきではない。
魔法やスキルで
手間を惜しんで痛い目に遭うくらいなら、かけた手間が無駄になる方がいい。
つまり、そういうことだ。
フランは壁の陰に隠れながら周囲の様子を窺う。
「モンスターはいないみたいだね。ユウ、頼んだよ」
「術式選択! 魔力探知×100!」
優は坂道を下りて魔法を使った。
地図が水色に染まり、一部分を残して消える。
「ん?」
フランが怪訝そうに眉根を寄せた。
無理もない。
いつもなら取りこぼされた魔晶石はあちこちに分散しているのに今回は一カ所に集中しているのだ。
「巨大モンスターの巣かし、ら?」
「巣なら水色で塗り潰されるだろ」
「そうですね」
地図の表示されている水色は取りこぼしにしては大きく、巨大モンスターの巣にしては小さすぎる。
「嫌な予感がするねぇ」
「ダンジョンだも、の。いい予感はしない、わ」
「だから、嫌な予感がするって言っただろ」
「偶には別の台詞が聞きたい、わ」
「まあまあ、二人とも落ち着いて下さい」
口論に発展する前に割って入る。
「問題はどうするかです。意見は?」
「いつもより慎重に探索すべきだね」
「そう、ね」
「僕も同じ意見です」
当たり前と言えば当たり前だが、3人の意見が一致した。
自分達の命が懸かっているのだから無理はしない。
勇気と無謀は違うのだ。
「具体的にはどうする、の?」
「敵探知の範囲を広げるのはどうです?」
「あとは敵の出方を窺いつつって所かね」
フランはこちらに視線を向ける。
他に意見はないか問い掛けているのだろう。
「敵探知の範囲を広げつつ、慎重に行動するでいいね?」
「はい、それでいきましょう」
「それでいい、わ」
再び意見が一致する。
「よし、坂道に戻って魔力を回復させるよ」
優達は坂道に戻り、その隅に腰を下ろした。
「地図作成、敵探知、反響定位停止」
地図が消え、MPが回復し始める。
「いいかし、ら?」
「お手柔らかにお願いします」
グリンダが優の手に自身のそれを重ねる。
冷え性なのか、やや冷たい。
ユウのMPが少しずつ減り、グリンダのMPが回復していく。
「何と言うか、アンタらしいスキルだね?」
「どういうことかし、ら?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみな」
グリンダは素直に自分の胸に手を当てる。
「何も聞こえない、わ」
「そーかい」
フランが小馬鹿にしたように言い、グリンダはパチ、パチと目を瞬かせた。
「私のことをビッチと言いたいのかし、ら?」
「出なけりゃ淫魔だね」
ふふん、とフランは鼻を鳴らしたが、グリンダは無言だ。
少なくとも気分を害したようには見えない。
「……私が淫魔な、ら」
「淫魔なら何だい?」
「フランも同じだと思うのだけれ、ど」
「あたしの何処が淫魔だってんだい!」
「ユウから吸い取っている、わ。この間は激しく――」
「あ、アンタだって一緒だろ!」
「だから、同じと言ったの、よ」
フランは顔を真っ赤にして言ったが、グリンダは平然としている。
「私達は同じ穴の狢、よ。私に性的な悪口を言うことは天に唾する行為に等しい、わ」
「それ以外だったらいいのかい?」
「…………私達の間で成立する悪口は身体的特徴くらいではないかし、ら?」
グリンダはしばらく間を置いて答えた。
「他にもあるだろ?」
「ない、わ」
「ギルドをクビになって転がり込んできたのはどうなんだい?」
「貴方だって世話になっているじゃな、い。確か、ユウは貴方の装備を買うために深夜まで働いていたわ、ね」
「ぐッ」
フランは小さく呻いた。
「基本的に私達は駄目人間だと思うの、よ」
「あたしは駄目人間になったつもりは……ぐぅ」
フランはまたしても呻いた。
「駄目な所を指摘するのは止めましょ、う。不毛だ、わ」
「分かったよ」
フランは渋々という感じで頷いた。
「……いつまで握ってるんだい?」
「何のことかし、ら?」
「手だよ、手。もうMPは回復してるじゃないか」
「羨ましいなら貴方も握ればいい、わ」
「どうぞ」
「……」
フランは優が差し出した手をじっと見つめた。
そして、躊躇いがちに優の手に自身のそれを重ねた。
「貴方はもっと素直になった方がいいと思うの、よ」
「その説教は聞き飽きたよ」
フランはふて腐れたようにそっぽを向く。
ナイスツンデレ、と優はフランの横顔を見ながらそんな感想を抱いた。
「説教じゃない、わ」
「説教じゃないなら何なんだい?」
「ライバルからのアドバイス、よ」
「グリンダ、自分が何て言ってたのか忘れたのかい?」
「状況は変化するもの、よ」
「そうかい」
「擬神を退治してしばらくは素直だったの、に」
「根が捻くれてるもんでね」
フランは吐き捨てるように言ったが、手を離そうとはしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フランが先頭に立ち、優とグリンダはその後に付いていく。
探索を始めてからそれなりに時間が経っているのだが――。
「出ないですね、モンスター」
「そう、ね」
「こいつは……」
いつもなら嫌な予感がすると言っている所だが、フランは口を閉ざした。
「続き、は?」
「偶には別の台詞を聞きたいって言ったから黙ったんだよ」
グリンダが先を促すと、フランはムッとしたような口調で言った。
「同じ台詞を言うなとは言ってない、わ」
「だったら嫌な予感がするでもいいだろ」
「語彙が少ないの、ね」
「はいはい、あたしは農村出身で語彙が少ないよ」
「自分を卑下しろとは言ってない、わ」
「ああ、もう、うっさいね。偶には黙ってなよ」
「そんなに話す方ではないのだけれ、ど」
優は2人の口論を聞きながら地図に注視する。
その時、地図にモンスターを示す三角形が表示され――。
「あ!」
「モンスターかい!」
「地図には表示されてない、わ」
優は思わず声を上げると、フランとグリンダは口論を中断して戦闘態勢に移行する。
この切り替えの速さは流石だ。
「ユウ、モンスターは何処だい?」
「いや、その、表示されたんですけど、消えてしまって」
「は? 消えた!?」
フランは素っ頓狂な声で言った。
「スキルで身を隠したのかし、ら?」
「いえ、別の三角形が出てきて、重なった後に消えたんです」
その時のことを思い出しながら答える。
「モンスター同士で殺し合ったんだろ」
「ありえない、わ。ダンジョンのモンスターが殺し合うなんて文献にだって載っていないんだも、の」
「じゃ、文献に載ってないことが起きてるんだろ」
「簡単に言うの、ね」
「アンタは頭が固いねぇ」
「人並み、よ」
フランが呆れたように言うと、グリンダはムッとしたように唇を尖らせた。
「モンスターです!」
「1匹だけ、ね」
「ってことは妖蛾かね?」
フランは優とグリンダを守るように立つ。
その間にもモンスターを示す三角形は近づいてくる。
しばらくして姿を現したのは――。
「迷宮蟻じゃないか」
フランがホッと息を吐いた。
そう、現れたのは迷宮蟻だったのだ。
5階層に下りた時は強敵だったが、フランが武技を覚えてからは雑魚と化していた。
警戒心が緩んでも仕方がない。
「単体で行動するなんておかしい、わ」
「妖蛆に寄生されてたヤツは単独行動してましたよ?」
「あれは動きがぎこちなかった、わ」
「確かに」
言われてみれば妖蛆に寄生された迷宮蟻は挙動がおかしかった。
だが、目の前にいる迷宮蟻はしっかりと歩いている。
心なしか、体が大きいような気がする。
「速攻で片を付けるよ! 縮地!」
フランの姿が掻き消え、次の瞬間には迷宮蟻の背後に回っていた。
迷宮蟻が振り返る。
だが――。
「遅い!」
フランが剣を振り下ろす方が速かった。
いつもならこれで終わりだ。
金属がぶつかり合ったような甲高い音がダンジョンに響き渡る。
「なッ!」
驚愕にか、フランが目を見開く。
刃は迷宮蟻の首に埋まっている。
それもほんの少しだけだ。
「Gi!」
迷宮蟻が腕を振り回し、フランは身を屈めて躱す。
「Giiiiiiiii!」
「縮地!」
フランは縮地を使い、優達の下に戻ってきた。
一体、何があったのか。
疑問が脳裏を過ぎるが、今は迷宮蟻を倒すことに注力すべきだ。
「術式選択! 氷弾×10!」
グリンダが魔法を放ち、迷宮蟻に霜が降りる。
「Giiiiiiiiiii!」
「術式選択! 氷弾×10!」
迷宮蟻が雄叫びを上げ、優は咄嗟に魔法を放った。
氷弾が命中し、迷宮蟻は氷の彫像と化す。
「術式選択! 岩弾!」
トドメとばかりにグリンダが禁じ手――岩弾を放つ。
迷宮蟻が岩弾の直撃を受けて砕け散った。
「ダンジョンで岩弾は止めろって言っただろ!」
「一刻を争う状況だった、わ」
「何処がだい」
フランは頭を掻き、ゆっくりと迷宮蟻に近づいていく。
その体は塵と化しつつある。
足で塵を退け、魔晶石を拾い上げる。
「どうだい?」
「投げない、で」
フランが魔晶石を投げ、グリンダは抗議しながらも危うげなくキャッチした。
「ちょいと大きい感じがするんだけどね」
「そう、ね。迷宮蟻にしては大きいわ、ね」
グリンダは角度を変えながら魔晶石を観察する。
「手応えはどうだった、の?」
「見ての通り、硬かったよ」
フランは剣を持ち上げ、柄頭を見る。
いや、歪みがないか確認しているのだろう。
「歪んじゃいないね。欠けてる所もない」
「なら大したことないんじゃないかし、ら?」
「分かってないねぇ」
「剣は専門じゃないも、の」
「料理してりゃ……って、アンタは料理ができなかったね」
「そう、よ」
グリンダはムッとしたような表情を浮かべながらも頷いた。
「ユウ、料理のできない女をどう思、う?」
「何を聞いてるんだい」
「大事なこと、よ?」
「料理ができなくてもいいですって言うに決まってるだろ。なあ、ユウ?」
「そうですね」
できた方がいいと思うが、ここは同意しておくべきだろう。
料理ができなくてもグリンダの魅力は損なわれないのだ。
「だそう、よ」
「そうかい」
グリンダがえへんと胸を張り、フランは小さく溜息を吐いた。
「フランさんも素敵ですよ」
「『も』は余計だよ」
チッ、と舌打ちをしつつも耳が赤い。
「で、歪んだり欠けたりしていないと凄いのかし、ら?」
「凄いんだよ」
「そうな、の?」
「そうなんだよ」
「…………納得した、わ」
今一つ納得していないようだったが、問答を続けても仕方がないと考えたのだろう。
「う~ん、どうしたもんかねぇ」
「何、が?」
「硬い迷宮蟻がいるってのは分かった。そいつの魔晶石が大きいこともね。問題は……」
「ギルドに報告すべきかってことですね?」
「そういうことだよ」
「調査が必要だと思う、わ」
「僕も同意見です」
報告はしなければならないが、調査してからでも遅くないだろう。
さっきの個体が突然変異なのか。
全ての迷宮蟻に同様の変化が起きているのか。
確かめるべきだろう。
「善は急げ、ね」
「な~に、いきなりやる気になってるんだい?」
「私はいつもやる気満々、よ」
やる気満々、と優は思わず呟く。
似つかわしくない言葉である。
「いつも眠そうな顔をしてるくせに何処がやる気満々なんだい」
「失礼、ね。魔道士としての使命感に燃えているの、よ」
「使命感ねぇ」
フランは渋い顔だ。
「貴方にはない、の?」
「あるっちゃあるけどねぇ。何と言うか、アンタの場合は使命感に目が眩んで、足下が疎かになりそうで……要するに危なっかしいんだよ」
「そんなことない、わ」
「本当かい?」
「私を信じ、て」
グリンダは胸の前で手を組んで言ったが、フランはますます渋い顔をする。
「信じてくれないの、ね」
「今までの行いが行いだからね」
「貴方も片棒を担いでいたのだけれ、ど?」
「それはそれ、これはこれだよ」
グリンダは伝家の宝刀とばかりに過去の出来事を引っ張り出すが、フランはいつも容易く防御に成功する。
「ペナルティがあれば我慢してくれるんじゃないですか?」
「ペナルティ~」
名案だと思ったのだが、フランはこれにも渋い顔をする。
「反対ですか?」
「仲間内でペナルティーってのはね」
「リーダーっぽいですね」
「リーダーなんだよ」
フランは溜息交じりに言う。
「ところで、どんなペナルティーなのかし、ら?」
「お仕置きですね」
「そ、う」
グリンダは素っ気なく答えたが、もじもじと太股を摺り合わせている。
「……グリンダさんが後先を考えずに行動したら」
「行動した、ら?」
「お預けです」
「……」
グリンダは黙り込んだ。
「それはどういうことかし、ら?」
「お預けはお預けです。ベッドサイドで我慢してて下さい」
「駄目、よ。認められない、わ」
「ふふ、あたしとユウがいちゃついている所を寂しく眺めてるんだね」
グリンダはキッとフランを睨み付けた。
ぶるぶると体を震わせている。
「……分かった、わ。自制するようにする、わ」
「アンタってヤツは」
フランはこれ以上ないくらい深々と溜息を吐いた。
「仕方がない、わ。気持ちいいんですも、の」
「どんだけのめり込んでるんだい」
フランはまたしても深々と溜息を吐いた。
「私を馬鹿にできるのかし、ら?」
「どういうことだい?」
「そのままの意味、よ」
「あたしは我慢できるよ。当たり前じゃないか」
「そ、う?」
「そうだよ」
グリンダが小首を傾げ、フランは一緒にするなと言わんばかりの態度で応じる。
「本当、に?」
「ほ、本当だよ」
自信がなくなったのか、フランは目を泳がせる。
「試してみま、しょ?」
「かま……却下だよ!」
途中で考え直したのか、フランは一転してグリンダの提案を拒んだ。
「似た者同士、ね?」
「……くッ」
グリンダが勝ち誇ったように微笑み、フランは口惜しそうに呻いた。
機会があったら試してみよう、と優は2人を横目に見ながら拳を握り締めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
しばらく10階層を探索し――。
「出てこないねぇ」
「そう、ね」
フランがぼやき、グリンダが頷いた。
「普段なら頼まなくたって出てくるってのに」
「一応、いるみたいですけど」
地図に表示されるのだが、優達が近づくと逃げてしまうのだ。
これも今までになかったパターンだ。
「魔晶石の所に行った方がいいかも知れないねぇ」
「あ、今――」
「行くよ!」
優が声を上げると、フランはいきなり走り出した。
「慎重にと言ったくせ、に」
「きっと、ストレスが溜まってたんですよ」
優とグリンダはフランの後を追いながら言葉を交わす。
「それに我を忘れてる訳じゃないみたいです」
「分かっている、わ」
そう言いながら不満そうに唇を尖らせる。
フランの敏捷値は31、優は9、グリンダは12だ。
その気になれば置いてけぼりにできるのだ。
にもかかわらず、フランの背中を見失っていない。
まあ、要するに気遣ってくれているのだ。
さらに進むと、道が二手に分かれていた。
フランが立ち止まり、顔を顰めた。
追いついて道を覗き込むと、妖蛾が3匹の迷宮蟻に襲われていた。
迷宮蟻が魔晶石を抉り出し、妖蛾は塵と化す。
「Gi」
「Gi、Gi」
「Gii」
迷宮蟻は相談するかのように顔を見合わせた。
「会話している、の?」
「知るもんか! それより準備しな!」
「Giiiiiii!」
叫び声が響き渡り、迷宮蟻がこちらに突進してくる。
と言っても1匹だけだ。
他の2匹は――なんと、背を向けて逃げ出したではないか。
「油断しない、で!」
「当たり前だろ! 闘気刃!」
白と黒のオーラが剣を覆い、フランは飛び出していた。
迷宮蟻が足止めするかのように前肢を広げた。
「邪魔だよ!」
フランは迷宮蟻の首を刎ね、勢い余ってつんのめった。
「何をして――術式選択! 氷弾×20!」
「Giii!」
グリンダが魔法を放つ。
すると、迷宮蟻が仲間を庇うように間に割って入った。
迷宮蟻は一瞬で氷の彫像と化した。
「術式選た……ああ」
迷宮蟻が横道に逃げ込み、優は魔法を放つのを止めた。
「失敗、ね」
「アンタだって仕留められなかっただろ」
「私は仕留めた、わ」
「あたしだって仕留めてるよ」
フランはムッとしたように言い、剣を振る。
白と黒のオーラが霧散する。
「つんのめってましたね」
「そう、ね」
クス、とグリンダが笑う。
「どうかしたんですか?」
「硬いヤツのつもりで思いっきり斬ったんだよ」
「両方いるみたいですね」
「どうすりゃいいんだか」
フランは頭を掻いたが、悲愴感のようなものはない。
攻撃が通じているのだから当然と言えば当然か。
「関節を狙えばいいんじゃないですか?」
「簡単に言ってくれるねぇ」
「自信がない、の?」
「ないに決まってるだろ。あたしは勇者じゃないんだから」
「もっと自信を持ってもいいと思うの、よ」
「どっちだい」
舌の根も乾かぬうちに前言を撤回されてフランは突っ込んだ。
「でも……どうして、逃げたのかし、ら?」
「これは……」
「心当たりでもあるのかい?」
「迷宮女王蟻です!」
「……」
「……」
フランとグリンダは溜息を吐いた。
あんまりな対応だった。
「話くらい聞いて下さいよ」
「どうして、そう思った、の?」
「蟻が餌を運ぶのは女王のために決まってるじゃないですか」
優は地図を見る。
現在地と水色の地点は目と鼻の先だ。
横道に入って真っ直ぐに進めば着いてしまうのではないだろうか。
「迷宮女王蟻は魔晶石を食べるのかし、ら?」
「ダンジョンの壁は食べられそうにないですし、魔晶石以外に食べられそうな物はないと思います」
「石なんて食っても腹の足しにならないだろうに」
「体内に魔晶石を魔力に還元する仕組みが備わってるんですよ、きっと」
ガスを噴出する虫だっているのだ。
魔晶炉みたいな機能を持つモンスターがいても不思議ではない。
「分かった。じゃ、この先には迷宮女王蟻がいるつもりで行くよ」
優達は迷宮蟻が逃げ込んだ横道に向かった。
横道は一直線に伸びていた。
「地図的にはこの先だね?」
「ん?」
優は目を細めた。
「馬鹿、目を細めなくても分かるだろ! 迷宮蟻の大群だよ!」
Gi、Gi、と迷宮蟻は声を上げながら近づいてくる。
「私の出番、ね」
「もっと引き付けてからだよ!」
前に出ようとしたグリンダをフランが手で制した。
その間にも迷宮蟻はどんどん近づいてくる。
地図は赤い三角形で半ば埋め尽くされている。
「Giiiiiiiiiii!」
「今だ!」
「術式選択! 炎砲×10!」
フランが叫び、グリンダが魔法を放った。
炎の奔流が杖から放たれ、通路ごと迷宮蟻を蹂躙する。
炎が消え、大気が揺らめく。
「Giiiiiiii!」
「まだいるのかい!」
「術式選択! 岩弾×100!」
今度は優が魔法を放つ。
100個の岩石が迷宮蟻を貫き、ダンジョンの壁や天井、地面に当たる。
ダンジョンに当たった岩石は砕け、散弾と化して迷宮蟻に襲い掛かる。
「は~、とんでもない威力だね」
フランは塵と魔晶石で埋め尽くされた地面を見つめた。
「それはどっち、が?」
「グリンダさんですよ」
「ありがと、う」
照れ臭いのか、グリンダは三角帽子を目深に被った。
「照れてないで先に行くよ!」
「ひゃッ!」
フランが尻を叩き、グリンダは小さく悲鳴を上げた。
「魔晶石を拾わせて下さい」
「……忘れてたよ」
フランは恥ずかしそうに頭を掻いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ダンジョンの長い長い通路を抜けると、そこは広大な空間だった。
中央には迷宮蟻がいた。
大きさは今まで戦ってきた個体の3倍はあるだろうか。
迷宮女王蟻で間違いないだろう。
通常の迷宮蟻は4本の脚――中肢、後肢で体を支えているのだが、目の前にいる個体は2本脚――後肢だけで体を支えている。
と言ってもシロアリの女王のように腹部が膨れているので後肢は移動用ではなく、体を起こすためにあるのだろう。
その代わりに前肢と中肢は太く、長い。
さらに先端には短剣のような鉤爪が生えている。
「……迷宮蟻はハチの仲間じゃなくて、ゴキブリの仲間なんでしょうか?」
「馬鹿なことを言ってるんじゃないよ!」
「分かってます! 術式選択! 氷弾×10!」
「術式選択! 氷弾×10!」
フランが通路から飛び出し、優とグリンダは後を追いながら迷宮女王蟻に向けて魔法を放つ。
氷弾が直撃し、体の一部に霜が降りる。
だが、すぐに霜は溶けてしまった。
「今一つ効いてないみたいです!」
「水属性に耐性を持っているのかも知れない、わ」
「だったら……術式選択! 炎弾×10!」
「術式選択! 風弾×10」
優とグリンダは続けて魔法を放った。
炎弾が、風弾が直撃するが、迷宮女王蟻はわずかに身動ぎしただけだ。
効いているようには見えない。
「術式選択! 岩弾×10!」
「ああ、馬鹿!」
グリンダが魔法を放ち、跳弾を危惧してか、フランが叫んだ。
「Gyooooooooo!」
女王迷宮蟻が吠えた。
岩弾のスピードが目に見えて鈍り、ボロボロと崩れ去る。
「対抗魔法かし、ら?」
「とにかく魔法を撃ち続けな!」
「効いているように見えなかったのだけれ、ど?」
「ちっとでもダメージがあればめっけもんだろ!」
「それもそう、ね」
フランは剣を片手に突っ込み、迷宮女王蟻が前肢を横に振った。
巨大な前肢が濁った風切り音を立てて迫る。
フランは身を屈めてやり過ごす。
だが、迷宮女王蟻の攻撃は終わらなかった。
二撃、三撃、四撃と続けざまに攻撃が繰り出される。
「ちょ、ちょッ! そいつは反則だろッ!」
フランは叫んだが、迷宮女王蟻は前肢を振り上げる。
「しゅ、縮地!」
迷宮女王蟻の前肢が強かに地面を打ち、地面が激しく揺れた。
まるで巨木が倒れたかのような衝撃だ。
武技で攻撃から逃れたフランは安堵するかのように息を吐いた。
「油断大敵、よ!」
「分かってるよ! 空破斬!」
フランは剣を一閃させた。
光の刃が剣から放たれ、迷宮女王蟻に当たって弾ける。
「Gi……!」
苦痛にか、迷宮女王蟻が声を上げる。
よく見ればわずかに体が傷付き、体液が滴っていた。
「やったかッ!」
「ちょっと傷付いただけ、よ。術式選択! 炎弾×10!」
グリンダの放った魔法が迷宮女王蟻の傷を焼いた。
熱せられた体液が蒸発し、嫌な臭いが漂う。
「Gi……Giiiiiiiiiii!」
迷宮女王蟻が再び吠える。
大気が震え、無数の魔法陣が足下に浮かび上がる。
地面が割れ、姿を現したのは迷宮蟻だ。
その数は12匹。
「流石、迷宮女王蟻ですね!」
「敵を誉めてる暇があるなら攻撃しな!」
フランは叫びながら近くにいた迷宮蟻の首を刎ねた。
頭部を失った迷宮蟻はその場に頽れ、間を置かずに塵と化す。
関節を狙うのは難しいと言っていたが、見事な手際だった。
「術式選択! 氷弾×10!」
グリンダの魔法が直撃し、迷宮蟻の体表に霜が降りる。
だが、迷宮蟻は霜が降りていることなどお構いなしにグリンダに襲い掛かる。
グリンダは繰り出された鉤爪を軽やかとは言い難い動作で躱して杖を振り下ろす。
杖では大したダメージを与えられない。
そう思ったのだが、迷宮蟻の首を見事に切断する。
杖が光に包まれているので、何らかの魔法を使ったのだろう。
「術式選択! 岩弾×10!」
グリンダは接近していた迷宮蟻に魔法を放つ。
岩弾の直撃を受け、迷宮蟻の体が爆発したように吹き飛ぶ。
「頑丈になってる、わ」
グリンダの言う通りだった。
最前列にいた迷宮蟻は体を吹き飛ばされて即死状態だが、二列目以降は体が大きく陥没した程度で済んでいる。
人間ならば動けなくなるほどの大ダメージだが、相手はモンスターだ。
迷宮蟻はガチガチと顎を鳴らしながら迫ってくる。
「術式選択! 泥沼!」
「……術式選択! 氷弾×10!」
優は咄嗟に魔法で迷宮蟻の足下を泥濘に変える。
意図に気付いたのか、グリンダが魔法を放つ。
泥沼が凍り付き、迷宮蟻の動きを封じる。
「フランさん!」
「分かってるよ! 空破斬!」
光の刃が動けなくなっていた迷宮蟻達の体を分断する。
「Giiiiiiiiiii!」
三度、迷宮女王蟻が吠え、魔法陣が展開する。
さらに――。
「フランさん! モンスターが近づいてます!」
「モンスターが助けを呼んだってのかい!」
フランが悲鳴じみた声を上げる。
地図にはこちらに近づいているモンスターの姿がはっきりと表示されている。
「術式選択! 土壁!」
グリンダが魔法を使い、通路を塞ぐ。
「どうする、の? 長くは保たない、わ」
「尻を捲って逃げるに決まってるだろ!」
フランはポーチからマジックアイテムを取り出した。
「合わせて下さい! 術式選択! 氷弾×100!」
「ほらよ!」
優の魔法が、フランのマジックアイテムが炸裂し、出現したばかりの迷宮蟻が氷の彫像と化す。
「Giiiiiiiiiii!」
「術式選択、転移、座標指て、い……」
迷宮女王蟻が吠えると同時にグリンダの魔法が完成した。